こんにちは。元石像です3
翌日、私は柔らかいベッドの上で目を覚ました。
柔らかい寝具が気持ち良いわね。眠ることは久しぶりだったけれど、疲れていたらしくて、気がついたら朝になっていたわ。水中を何かが移動する音とか、泥の中を何かが潜る音じゃなくて、鳥の鳴き声が聞こえてくるのよ。最初は鳥だと分からなくて混乱したわ。
「……眠い」
このまま寝転がっていると、自然にまぶたが落ちてくる。何年も感じていなかった眠気よ。このまま堪能すべきかしら。それとも起き上がって、朝日を浴びるのが正解なの?
結局、私はベッドから出て窓に近づいた。自分の手でカーテンを開けて、窓の外を見る。外ではもう庭師が仕事を始めていた。
「現実よね?」
手から伝わってくる感触も、足にかかる体重も幻じゃないわ。窓に吐息を吹き掛ければ、白く曇る。窓を開ければ、室内に入ってくる風が私の髪をなびかせた。体は灰色一色じゃない。体を包む夜着の質感は、軽くて滑らか。
生きている証拠を一つずつ見つけた私は、上機嫌で窓を閉めた。
「おはようございます。もう起きていらっしゃったのですね」
部屋に入ってきたメイドたちに驚かれた。
「おはよう。あなたたちも早いのね」
メイドたちはすぐに私の着替えに取り掛かった。身の回りのことを自分でやっていた身としては、誰かにやってもらうのは慣れていないわ。でも彼女たちの仕事を取り上げてしまったら、解雇されるかもしれない。だから私は余計なことを言わずに、全て任せていた。
この時代に慣れていなくて、任せるしかないのもあるけれど。
見聞きすることのほとんどが新鮮だわ。特に服の変化が凄まじいのよ。私が育った時代は下着なんて機能性重視だったのに、この時代は一部に刺繍やフリルを取り入れて可愛らしく装飾しているの。
すました顔で颯爽と歩いている淑女や、渋くて格好良いおじ様の下着に、可愛い猫の刺繍が入っているなんてこともあるのかしら。
どうして見えないところにこだわるのかとメイドに聞いたら、素敵なものを身につけることで最高の気持ちで一日を過ごせるからですって。
言われてみれば、そうかもしれないわね。私も泥で覆われた時は、思考がゆっくりになっていったから。自分の周囲にあるものが与える影響は、思っているよりも大きいみたい。
「髪型はいかが致しましょう?」
「任せるわ。可愛らしくお願い」
流行りどころか髪型の名前もまだ知らないわ。アルフレッドの研究室では絶対に出てこない話題だったから。女性も男性も仕事の邪魔にならない格好をしていたのよ。だからこういう時はね、専門家に任せてしまうのがいいわ。
手際よく髪を纏めてくれたメイドは、合わせ鏡で後頭部も見せてくれた。
「どうですか?」
「完璧よ。すごく素敵だわ」
素直に感想を言うと、メイドは誇らしげに微笑んだ。あなたの笑顔も素敵よ。私まで嬉しくなってくるもの。
身支度が終わったら、次は朝食よ。食堂で食事を摂るのは今も昔も変わらないわ。使っている道具の違いはあるけれど。食事のマナーは昨日の夕食の時にソフィアが教えてくれたから、もう大丈夫よ。よほど変わった食べ方をする料理が出てこないかぎり、見苦しい姿にはならないわ。
食堂にはすでにアルフレッドがいた。朝だからって油断せずにアイロンがかかったシャツを着ているわね。良かった。
お互いに挨拶を交わした後、アルフレッドは眠れたかどうか尋ねてきた。
「寝心地は悪くなかった?」
「ええ。千年ぶりによく眠れたわ。泥のベッドは寝心地が悪かったみたい」
アルフレッドは少しだけ笑ってくれた。自虐で笑わせるって難しいのね。
食事中は私が教えられたマナーを守ることに精一杯で、あまり会話らしいことはできなかった。それにね、出してくれる料理が美味しいのよ。昨日の夕食と今日の朝食で、忘れていた味覚を取り戻せたわ。
ただ、みんなが私のことを微笑ましく見てくるのは不満だわ。
アルフレッドが変わったことで、屋敷の使用人たちも己の仕事にやる気が出たらしいのよ。昨日、メイドたちから聞いたわ。わがままな主人は困るけれど、全く反応がないのも虚しくなってくるんですって。何のために働いているのか分からなくなってくるそうよ。
適度に指示されて、適度に難しくて、たまに暇な仕事がいい。人間ってわがままよね。でも刺激がないと内側から腐りそうって気持ちは分かるわ。
そんな経緯を経て、変わるきっかけになった私を好意的に受け入れてくれるのは嬉しいわよ。でもね、何年も他人と交流していなかった私は、特大の感謝を浴びせられて溺れそうだわ。仕事と同じで、感謝や好意も程々がいいの。
***
数日かけてアルフレッドとソフィアから礼儀作法を教えてもらった私は、王城の一角にあるカメリア宮に来ていた。今日はアルフレッドの母親、オフィーリアとお茶会をするんですって。
馬車に乗っている間は、小さな窓から街並みを見物していたわ。人がたくさんいて、高い建物が道の両端に並んで建っているのよ。ずっと眺めていても飽きないわ。
「今度、町へ遊びに行こうか?」
「本当? 端から端まで歩くわよ」
「危険な場所には行かないようにしてくれ」
「アルフレッドも来てくれるんでしょう? だったら大丈夫よ」
私一人だけで遊びに出たら、好奇心だけで歩き回って迷子になるわ。
「初めてのデートね」
「んっ!? そ……そうか。そうだよな……」
アルフレッドは急に落ち着きなく視線をさまよわせた。
「着ていく服は、あなたに選んでもらおうかしら」
「二択にしてくれるなら頑張る」
「いいわよ。厳選しておくわ」
系統が違う服を用意しておけば、アルフレッドの好みが判明するかもしれない。屋敷に帰ったら、メイドたちと作戦会議ね。
彼女たちによると、思いが通じたからといって油断してはいけないらしいのよ。自己研鑽を忘れてしまったら、相手の恋心は冷めてしまうの。飽きられないようにするのが長続きする秘訣ですって。
研究室では決して得られなかった情報だわ。もっと多くの人と交流して、現代の常識を身につけなければいけないわね。
カメリア宮に到着した私たちは、すぐにオフィーリアに出迎えられた。
「あなたがアルフレッドに常識を思い出させてくれたのね。会えて嬉しいわ」
そう言って妖艶に微笑む彼女は、アルフレッドと面影が似ていた。さすが親子ね。
日当たりが良い部屋で始まったお茶会は、主にオフィーリアの嘆きが話題の中心だったわ。
「アルフレッドは好きなことばかりに熱中して、自分の見た目なんて全く気にしていなかったのよ。それがある日突然、まともになったから驚いたわ。あなたが説得してくれたの?」
「いいえ。私は何も」
全てアルフレッドが自主的にやったことよ。いきなり何日もいなくなったから、私も驚いたわ。
「夜会に誘われても理由をつけて断ってしまうし、珍しく参加してもすぐ帰ってしまうから、女性と交流する機会もなくて……」
残念そうに話すオフィーリアに対し、アルフレッドは居心地悪そうにしているわ。過去の自分がやらかしたことを次々と明らかにされて、気まずいのでしょうね。良くないことだって分かっているなら、なおさらよ。
「あなたのことだって、何度も聞いてようやく教えてくれたわ。アルフレッドの研究を手伝ってくれているそうね。功績が認められたのは、あなたのおかげかしら」
「私は少し手伝っただけです。彼の努力が実を結んだのでしょう」
「謙虚なのね」
「事実ですわ」
私は自分が知っていることを聞かれるままに答えただけよ。情報を整理して学会で発表できるようにしたアルフレッドに比べたら、働いていないと言えるわね。
「石化のことも聞いたわ。あなたが現代に馴染めるよう、私も協力させて」
「母上。それが本題ですか?」
ようやく羞恥心から立ち直ったアルフレッドが会話に参加してきたわ。
「そうよ。アルフレッドがお世話になった人ですもの。私にとっても無関係じゃないのよ」
オフィーリアが合図をすると、壁際に控えていたメイドたちが小箱に入った宝石を見せてきた。
色とりどりで綺麗だわ。私の花嫁衣装にも宝石が含まれているけれど、金が主役だったわ。宝石の加工方法も種類が多いのね。広く表面を見せる切り方から、光を多く反射するように加工しているものまであるわ。
「気に入ったものがあったら、好きなだけ持って帰って」
「エリンドラ。遠慮しなくていいよ。母親は、気に入った人に贈り物をするのが趣味なんだ」
アルフレッドが言うなら、ここは従うべきね。
私は薄緑の宝石を迷わず選んだ。アルフレッドの瞳と同じ色だから、気になっていたのよ。もう一つ、青い宝石もいいかしら。こっちは私の瞳と同じ色。並べて保管して、ときどき眺めていたいわ。
***
「アルフレッド。あの子を手放しては駄目よ」
エリンドラが宝石を選んでいる間、オフィーリアが小声で言った。
「あなたなら理解しているわね? 彼女は狙われるだけの価値があるわ」
もちろんアルフレッドも危惧していた。古語を知っているだけではない。彼女は長い間、石化していた珍しい例だ。石化の治療はもちろん、呪いの研究にも協力してほしい研究者がいるだろう。
「また小難しいことを考えているのね。もっと単純なことでも目をつけられるわよ」
「単純?」
「考えてごらんなさい。古代から現代に甦ったお姫様よ? その経歴だけで目立つわ。珍しい存在は権力者が好む要素ということを忘れないで」
「……エリンドラが誰かの妻に所望されるとお考えですか」
「それ以外に何があるの?」
はっきりと言いきったオフィーリアは、扇子で口元を隠した。
「王妃に知られると面倒だわ。あの人は自分の息子に権力が集中するためなら、何でもするのよ。多少の騒動は覚悟しておくことね。でも失望しなくてもいいわ。傍系には傍系の戦い方があるんだから」
兄である第一王子はとうに結婚している。父親のように側室を持つ話は出ていないが、将来は分からない。第二王子は結婚こそしていないが、婚約者がいる。
親密とまでは言えないものの、兄弟仲は悪くない。
「昔、あなたに言ったことを覚えている? 権力争いに参加するつもりがなくても、己の武器を隠し持っておきなさいと。政治的な脅威ではないけれど、国にとって排除するのは惜しい。そんな立ち位置を確保するのが、私たちの生き残る道なの」
「よく覚えています」
アルフレッドが学者の道を選んだのは、そんな理由もあった。元から玉座に興味はない。だが何もしなくても、表舞台に引き摺り出そうとしてくる勢力はいる。
父親が崩御したとき、王都から追放されるだけで済むならいいが、秘密裏に消される末路は避けたかった。
「あなたはエリンドラの存在を隠しながら、学者としての地位を高めなさい。彼女の家柄に関することは、私の方で手配しましょう」
「家柄?」
「あら。思いつかなかったの?」
オフィーリアは意地悪そうに笑った。
「あなたは一応、王子なのよ。結婚相手はそれなりの家から迎えなければいけないわ。エリンドラには信頼できる家の養子になってもらって、さっさと結婚しなさい。王妃といえども、わざわざ離婚させて息子たちの妻や側室にする権力は持っていないわ。そんなことをしたら他の貴族が黙っていないわよ」
結婚という言葉が出た途端、アルフレッドはエリンドラの石化が解けた瞬間を思い出した。もう一度あの花嫁姿が見たいと言ったら、彼女は着てくれるだろうか。
「アルフレッド。あなたがエリンドラに本気なのは分かったわ。顔に全て表れているわよ」
「……言わないでください」
アルフレッドはうつむいて母親から顔を隠した。




