こんにちは。元石像です。2
あれから私たちは、お互いが知っている言語の発音について語り合っていた。
発音の推移って面白いのね。文字の綴りは同じでも、なぜか時間と共に読み方が変わっていくのよ。生き物みたい。
サイラスを待っている時間は苦痛じゃなかったわ。アルフレッドが話し相手ですもの。今まで満足に話せなかったぶん、伝えたかったことがたくさんあるのよ。
私は子供の頃に読み書きで習った詩を書き終え、ペンを静かに置いた。意外と覚えているものなのね。最初の単語を思い出したら、どんどん頭に浮かんできたわ。
「この一文は神殿にも書かれているものじゃないか?」
「そうよ。豊穣を願って作られた詩ですもの。豊穣の女神に捧げる神殿に刻むには最適だわ」
「信奉されていた神について、もっと聞いてもいいか? 宗教行事も含めて」
「アルフレッド様。準備が整いました」
私が答えるよりも早く、サイラスが戻ってきたわ。
アルフレッドはまだ気がついていない。集中すると周囲が見えにくくなるのよ。サイラスも慣れたもので、もう一度アルフレッドに呼びかけた。
「アルフレッド様」
ようやく気がついたアルフレッドは、机の上に広げた紙を名残惜しそうに見ている。
「頼む。もう少しだけ時間をくれないか」
ものすごく楽しそうなアルフレッドの質問には全て答えてあげたいけれど、仕事をしてきたサイラスを放置するのは可哀想よ。
「続きはまた後にしましょう。そんな顔をしないで。教えないなんて言ってないわ」
おもちゃを取り上げられた子供か、捨てられた子犬って表現すればいいのかしら。罪悪感に駆られる顔をされたわ。
「……確かに、エリンドラの診察が先か」
自分の欲望だけじゃなくて、周囲のことも考えられるところは、あなたの長所ね。
すぐに気持ちを切り替えたアルフレッドは、私に手を差し出した。
もしかして、これが女性研究員が言っていたエスコートかしら。現代の王侯貴族が必ず身につけている礼儀作法の一つよね。下手な人は社交界の笑い者にされるって話は、どこまで本当なの?
アルフレッドの腕に手を添えて研究室を出るときは緊張したわ。だって自分の足で出ていくのよ。これからは研究室どころか、自分の意思でいつでも行きたい場所へ行けるんだって考えたら、逆に不安を感じてしまうわ。
でも私の緊張は長く続かなかった。私よりもアルフレッドの方が緊張して表情が硬くなっていたの。自分よりも緊張していたり怖がっている人を見たら、感情が落ち着くことがあるでしょう? あの現象よ。
「アルフレッド。この建物は研究所で合っている?」
私が話しかけると、アルフレッドの緊張が少しだけほぐれたみたい。
「え? あ、ああ。研究所というか、研究室なんだ。独立した機関じゃなくて、大学の一部。現代では歴史を学問として扱っているんだよ」
大学は専門的なことを学んだり研究する場所って解釈でいいみたいね。
建物の外には馬車が停まっていた。二頭とも健康そうな栗毛の馬だわ。毛並みに艶があって、優しそうな目をしている。お父様が乗っていた馬よりも上等かもしれない。
私が初めて馬車に乗ったのは、結婚のために隣国へ行った時だったわ。あの頃の馬車と比べて、現代の馬車は使われている部品が増えているように見えるわね。特に車輪周辺は私が見ても違いが判別できるもの。
外見だけじゃなくて内側も違うわ。座席は柔らかくて座り心地が良いし、小さな窓に透明なガラスがはまっている。しかもカーテンまでついているわ。まるで移動する小部屋ね。
このカーテンを閉めてしまえば、馬車の中にいる人間が何をしているのか見えなくなるみたい。そうやって秘密の取引をする人もいるのかしら。
例えば、表向きは普通の商人をしつつ裏で国を操る人物が、忠実な部下に暗殺の指示を出すの。でも馬車から降りた途端に、その二人は熱愛する夫婦を演じるのよ――って、想像力を働かせすぎたわ。すぐに想像の世界に入ってしまうのは、話し相手がいなかった後遺症ということにしておきましょう。
馬車の中では相変わらず古代文明についての話が続いたわ。たまに分からない話題になることもあったけれど、アルフレッドが楽しそうだったからいいのよ。
聞き役は嫌いじゃないわ。今はいつでも質問できるし、アルフレッドは私にわかりやすいように説明してくれるから。
馬車が停まって外へ出ると、大きな建物が見えた。当たり前だけど、私が育った時代の建築とはまるで違うわね。無骨な石造りの城で育った身としては、ちょっと装飾が過剰じゃないかと思うぐらい。
「ここはどこなの?」
「俺の家だよ。ここで医者に会って、エリンドラの健康状態を診てもらおう」
「まあ」
アルフレッドは毎日、ここから通っていたのね。手入れが行き届いた、まともな家があって良かったわ。床かソファで窮屈そうに寝ているところしか見ていなかったから、心配していたのよ。こんな劣悪な環境でも眠れるということは、洞窟で寝泊まりしているんじゃないかしらって。
中へ入った私たちは、高齢の男性に出迎えられた。彼は執事という職業の人だと思うわ。女性研究員が研究室に忘れていった本の中に、執事が主人公の話があるのだけど、その人物と特徴が同じだわ。
「お帰りなさいませ。診察の準備は整っております。服や日用品は現在、商人に集めさせている最中ですので、もうしばらくお待ちを」
「分かった」
二人が話している間に、今度は親と同世代ぐらいの女性がやってきた。
「アルフレッド様。急に連絡してきたかと思えば、あの要領を得ない伝言は何です?」
「ちょうどいいところに。彼女がエリンドラだ。理由があって医者の診察を受けたい。エリンドラはソフィアについて行ってくれ」
彼女がアルフレッドの乳母ね。私には穏やかで優しい笑みを見せてくれたわ。アルフレッドにも笑顔を向けているけれど、目は笑っていない。後でじっくり話を聞きますからね、って言葉が聞こえてきそうよ。
あの目、私がいたずらをした時に教師が向けてきたものと同じだわ。根掘り葉掘り尋問されて、洗いざらい白状する羽目になるのよ。
「エリンドラ。服の希望は商人に伝えたら融通してくれるはずだ。だから、その……」
「大丈夫よ。アルフレッドに選んでもらうのは、また今度にするから」
私がそう答えると、彼は安心したように小さなため息をついた。
言っておくけれど、問題を先延ばしにしただけだから。安心するのは早いわよ。
***
結論から言うと、私は健康そのものだった。予想通りだわ。だって動いて喋っても全く辛くないの。医者には、これから症状が現れてくるかもしれないから、様子を見ましょうって言われただけよ。
時間差で不調が出てくるって怖いけれど、まあ、なんとかなるでしょう。これでも体力はあるのよ。あまり風邪をひいたことがないし、長旅にも耐えられるんだから。
「あなたは強運の持ち主ですな」
私を診察してくれた医者は感心したように言った。とっても高齢で、真っ白なヒゲが特徴的な人だわ。眉毛も真っ白で長いのよ。目の半分が眉毛に隠れているけれど、前は見えているのかしら。
「石化した部位は、強い衝撃や経年劣化で欠けてしまいます。その状態で元に戻ると悲惨なことになるのですよ。だから石化したら早く解呪しなければならないのです」
よく破損しなかったわね私。想像したら寒気がしたわ。
「保存状態がよほど良好だったのでしょうな」
「湖の泥の中にいたお陰かしら」
退屈するぐらい変化がなかったけれど、私の体にとっては最高の保存場所だったようね。体も服も欠損せず蘇ったのだから。
湖の中に蹴落とされた時は、なんて酷いことをするのよ、と恨んだけれど。もし野晒しだったら、少しずつ体が削れていったかもしれないわね。
「そうかもしれません。いやしかし、まさか古代の呪いを目にする機会があろうとは。長生きするものですな」
このお医者様、解呪の専門家でもあるんですって。私の体に少しだけ残っていた呪いの残滓を発見して、獲物を追いかける肉食獣に匹敵する反応速度で手帳に書き留めていたわ。
私の予想では、このお医者様もアルフレッドの同類よ。興味があることには貪欲に活動する人ね。だって目の輝きが同じなんですもの。
「その記録した呪いはどうするの? 研究のために再現するのかしら」
「まさか。古代の呪いは万人に扱えるようなものではありませんよ。真似をしただけでは発動しないでしょうな。相手を石化させたいなら、現代の魔法を使う方が効率が良いのです。なぜなら古代の魔法は個人の才能に左右されることが多く――」
どうしましょう。診察を受けに来ただけなのに、魔法の授業が始まってしまったわ。
「先生。お時間はよろしいのですか?」
やんわりとソフィアが喋り続ける医者を止めた。
「おお、いかん。次の患者を待たせるところだった。少しでも遅れたら、取り巻きどもがネチネチとうるさくてなぁ」
医者は急いでカバンの中に手帳を突っ込んだ。
忙しいのね。しかも遅れたら文句を言われるなんて大変そう。
「まったく。呪いの除去なんて小さい仕事を依頼してきおって。国王に向けられた弱い呪いなんざ放置しても問題ないわい」
「それは一刻も早く行くべきだと思うわ」
むしろその状況でよく私を診察したわね。国王に何かあったら国が傾くわよ。
「いやいや。命を脅かす呪いは、国王のすぐそばにいる護衛が対処しているのですよ。儂が担当しているのは、もっと小規模なものですな。例えば椅子の脚に小指をぶつけたり、前髪の寝癖が直らないような」
随分と小さくて鬱陶しい呪いなのね。
「もちろん呪いをかけた者には、相応の罰が与えられますよ。ところが弱い呪いは不運と間違えやすい上に、罰則も軽いものが多いのです。だから処刑されないような呪いをかける者が後を絶ちません」
なるほど。被害が少ない呪いは優先順位が低いのね。いちいち対処していたらキリがなさそうですもの。でも国王ともなれば呪いをかけられること自体がよろしくないから、彼に頼んで防いでもらっているわけね。
ますます私に時間を使っている暇なんてないわよ。弱い呪いに見せかけた死の呪いが来ることもあるんじゃないの?
「アルフレッド殿下によろしくお伝えください。彼の功績はお父上の耳にも入ってますよ。近いうちに城へ呼ばれることもあるでしょう」
私はソフィアと一緒に医者を見送った。
そういえばあの人、説明しなくても私が長い間石化させられていたって見抜いていたわね。呪いにも流行があるみたいだから、そこで判断したのかしら。
さて、健康診断は終わったわ。アルフレッドはどこへ行ったのか分からない。今のうちに彼の幼少期をソフィアから聞く絶好の機会よ。
「あの――」
「エリンドラ。終わったのか?」
アルフレッドが来てしまった。
私の企みは呆気なく終わったわ。こっそり聞いた幼少期の話で、アルフレッドをからかってみたかったのに。もし宝の地図を自作して探検していたなら、私と同じねって伝えたいわ。
「何も問題なかったわ」
「健康? 良かった」
ねえ、アルフレッド。どうしてそこで微笑むの? 私が人から笑顔を向けられるのは何年ぶりだと思っているのよ。嬉しくて胸が苦しくなって、何も言えなくなるわ。
「石化が解けたばかりで悪いが、俺の母親がエリンドラに会いたがっているんだ」
「あら。どうして?」
「……俺が身なりに気を使うようになったのを不審に思われて、君のことを少しだけ話したら興味を持ったらしい。まだ都合を聞かれただけだから、断ることもできるけど」
「私も会ってみたいわ」
だってアルフレッドの母親よ。彼と今後も付き合っていくなら、早かれ遅かれ会うことになるわ。適当な言い訳で先延ばしにしていたら、機嫌を損ねてしまうかもしれない。
「分かった。会うのは現代のマナーを覚えた後にしようか」
「ええ」
マナーについては、ある程度知っているわ。研究室を見学した限り、私が育った時代とそう大差はないはずよ。
研究員たちが部屋に置いている本で知ったこともあるんだから。恋人の母親に嫌われている女性が主人公の物語なんだけど、参考になるところもあると思うわ。文字を覚えたころ、誰もいない夜中に繰り返し読んでいたのよ。
ところで「息子さんを私にください」って、どれくらい仲良くなったら言ってもいいのかしら。




