湖の石像
初めまして。不法投棄された石像です。正しくは石化させられた元人間ですけれど。水源の湖に物を捨てるのは昔から犯罪なのよ。まあ、私がどれだけ注意喚起したところで、誰も聞いていないけれどね。
今、長い間埋まっていた湖底の泥から引き上げられている最中よ。いきなり体が浮かび上がったから錯乱しそうになったわ。もう二度と太陽の光を浴びられないと思っていたから。
大袈裟な話じゃないわ。だって泥の中を移動してきた網が私を捕まえたのよ。砂に潜っている貝ってこんな気持ちなのね。せっかく面白い歌を思いついてご機嫌で歌っていたのに、全部忘れてしまったわ。
でも少しずつ顔にかかっている泥が無くなって、外の様子が見えるようになったのはいいわね。水が濁っているせいでほとんど分からないけれど、それでも私にとっては久しぶりの光景よ。
体が水面に近づくにつれて、周囲が明るくなっていく。私が湖に沈められた時とは逆。あの時は体が水底へ沈んでいくにつれ、世界から切り離されていく感じがしたわ。
もし私が生身の人間だったら、水が体を包んでいる感触とか、水温を感じたでしょう。体が石になると感覚もなくなるのよ。泣きたくても、もう涙が出てこないわ。
とうとう視界が水面から脱出した。私を引き上げたのは数人の男性みたいね。二人は黒い服装。残りの五、六人は違う服装。私が知っている国の人はいないわ。
彼らは二艘の船に乗って湖の中心まで来ていた。船には城門の巻き上げ機に似た道具を積んでいるわ。私を水中から引き上げ他のは、この道具ね。
ところで私はいつまでぶら下がっていればいいのかしら。
「古代ブランモール王朝の彫刻にしては、頭部の彫りが細かいな。まるで生きている人間をそのまま石にしたような……」
黒い服の男性が私を見上げて、何かを喋っている。私が使っている言葉とは違うけれど、なんとなく言っていることが伝わってきた。方言を聞いている気分だわ。もう少し慣れたら、聞き取れそうだと思えるところが。
「とにかく岸へ運ぼう」
彼の合図で、私の体に浮きが取り付けられた。再び水中に沈められ、船で引きずられていくわ。
もしかして、船に乗せると重すぎて沈むと思われたのかしら。重さは人間だった頃と変わっていないと思いたいけれど、石ですもの。やはり重いのでしょうね。
「想像していたものとは違ったが、これはこれで素晴らしい……」
黒い服の男性は、引きずられる私をじっくり観察している。うっとりしながら独り言を言っているのが怖いのだけど。石像になっている私は、見ないでなんて言えない。それに瞼を閉じることもできないから、男性と見つめ合うことしかできなかった。
***
どうしてこうなってしまったのかしら。
私はどこかの町にある大きな建物に運びこまれた。体についていた泥は、数人の女性が濡らしたブラシで丁寧に洗い落としてくれたの。石化していても泥まみれは嫌だったわ。
私が安置された室内には、黒い似たような格好をした人がたくさんいる。彼らは私を彫刻だと思っているから、誰も説明なんてしてくれない。
当然よね。石像に向かって状況説明をしている人がいたら、正気を疑うもの。
ずっと観察を続けた結果、私を見つけて運んだ人は、私が生きていた時代のことを研究していると分かった。
そう。私が湖に沈められてから、かなりの年月が経っていたのよ。私が生まれた国はとっくに無くなっている。いくつもの国が現れては消えて、忘れられていったみたい。
私を湖から引き上げた男性は、アルフレッドという名前らしい。この部屋では一番偉い人みたいね。
明るい栗色の髪は私たちの国ではありふれた色だったわ。緑色の瞳は珍しくて綺麗ね。同じ部屋で研究をしている女性の反応から、美形なのは間違いないわ。けれど本人は研究にしか興味がないみたい。服装なんて、どう言い繕ってもシワだらけですもの。
アルフレッドはたまに殿下なんて呼ばれているけれど、王子というよりも学者と雰囲気が似ている。他にも王子がたくさんいて、彼は王位から遠い立場なのをいいことに、好きな研究をしているということかしら。
「第七王女のエルンドラに関する資料は、祖国のブランモールにはほとんど残っていない。だが嫁ぎ先の国では破滅の魔女と記録が残っていて――」
アルフレッドが他の研究員と話している。
ちょっと。それ、私のことよね? 私はエルンドラじゃなくてエリンドラよ。エリンドラ・ウア・ニーヴィ・ブランモール。
私のことがほとんど書き残されていないのは、仕方ないことなのよ。だってブランモール王国の第七王女という、急にいなくなっても誰も心配しない身分だったんだから。
両親の国王夫妻は男の子が欲しかったのよ。でも私は二人の期待を裏切って生まれてきたの。乳母に預けて、それっきり。服は全て姉たちのお下がりで、二歳になるまで名前もなかったらしいわ。同情してくれた叔父夫婦が名付け親になってくれなかったら、名前すら与えてもらえなかったでしょうね。教育だって叔父夫婦が面倒を見てくれたわ。
ところで破滅の魔女って何よ。
「ブリサリス国を滅ぼしたんでしたっけ? どんな魔法を使ったんでしょうね」
女性の研究員は怖ぁいと言ってアルフレッドの反応をうかがっているわ。
彼女、本気で魔法のことを知りたいわけじゃないわよ。アルフレッドが興味を持っていることに自分も興味があるとほのめかして、関心を持ってもらいたいだけだから。
まあ、私が忠告しても無駄ね。だって喋れないし。
研究職の人ってね、自分が取り掛かっている研究対象に興味を持ってくれる人に弱いのよ。四番目の姉が似たような手管を使って優秀な魔法使いのところへ嫁いで行ったから、よく知っているわ。
「王女がブリサリスを滅ぼしたという、この記述は信用できないな。証拠が何一つ見つかっていないんだ。思いこみを捨てて出土品を見ていかないと失敗するかもしれない」
アルフレッドはテーブルに広げた本に視線を落としたまま言う。動けない私の目の前で、女性と色っぽい雰囲気にならなかったところは評価するわ。あとブリサリスの言うことを信じていないところも。
私は隣国のブリサリスを滅ぼしていない。完全な後付けね。
両親から放置されていた私は、成人したその日にブリサリスの王子と結婚するよう言われたわ。両国が友好関係を結ぶための結婚ですって。親が子供の結婚を決めるのは当たり前。早かれ遅かれ、そんな日が来るんだろうなとは思っていたけれど。
結婚のためにブリサリスに到着した私は、結婚相手の王子に監禁されたのよ。
どうか笑ってやって。到着早々に相手の王子から「お前と結婚するなんて死んでも嫌だ」なんて言われたんだから。そこで泣いたりすれば、まだ可愛げがあったかもしれないわね。
私が王子に返した言葉は「そうですか。では死にますか?」だったわ。国同士で決めたことですもの。従えないなら死ぬしかないじゃない?
怒った王子は結婚式の日まで監禁すると宣言したわ。国王にはどう説明したのか、本当に結婚式の日まで外へ出られなかったの。結婚は幸せなものばかりじゃないって、この時に知ったわ。
「信用できないって、どこがですか?」
「王女は結婚のために入国したが、式の当日に王子の愛人によって殺されている。死んだ人間が国を滅ぼした、なんて信じられない」
私は殺されたことになっているのね。愛人のせいなのは合っているわ。
結婚式の衣装に着替えて待っていたら、いきなり愛人がやってきて、私を魔法で石にしたのよ。それから湖まで運んで、船から蹴落として沈めたってわけ。石化を解く方法なんてないから、死んだも同然よね。
だからね、私にブリサリスを呪う時間なんてなかったのよ。魔法の才能も無かったわ。城にいた魔法使いには「無駄に魔力を垂れ流している」なんて酷評されていたんだから。
「怨霊になったとか、悪魔と契約したんじゃないんですか?」
「王女の死をきっかけに戦争が始まったのは、自然な成り行きだと思うが」
意外だわ。両親は私のことなんてどうでもいいと思っていた。それとも、戦争のきっかけを探していたのかしら。
「戦局の推移を見ても、何かしらの力が介入した痕跡はない。純粋に戦力の差で勝負がついている。よって悪魔と契約したという仮説は成り立たない」
「えー……じゃあ」
女性研究員はその後も色々な仮説を披露してきたわ。どれもアルフレッドに否定されていたけれど。そんなに私を悪女にしたいのかしら。
その日の夜、アルフレッドはブランモールに関する資料を広げて、遅くまで調べ物をしていた。
残念なことに、ところどころ間違えている資料だったわ。私が喋れるなら、片っ端から指摘してあげたのに。




