第99話 うちにお泊り
翌朝、駅に着くとすでに菜摘がいた。ちょっと早くに私も出たから、例の大学生はいなかった。
「おはよう」
菜摘は顔をこわばらせながらそう言うと、
「今日はまだ、来てないね」
と小声で言った。あの大学生のことだよね。
「うん」
「ねえ、どうるす?待って、もう近寄らないでくださいって言ってから、学校行く?それともさっさと行っちゃう?この時間なら一本前の電車に乗れるよ」
「早くに行こうよ。なんか会うの気が重いもん」
「そうだね」
私たちは早足で改札を抜け、ちょうどホームに入ってきた電車に駆け乗った。
ドアが閉まり、二人してほっとため息をついた。
「しばらく早い電車に乗ろうかな。一本遅くにすると、遅刻するかもしれないし」
私が言うと、菜摘もそうしようって賛成した。
「兄貴、昨日なんて言ってた?」
「もし、しつこく何か言ってくるようなら、俺に言ってって。けちらしに行くからって」
「あはは。私がメールで教えた時も、同じこと言ってた。菜摘で駄目なら俺が、けちらしに行ってやるって」
「そうなんだ」
「それにしても、なんかおかしいとは思ってたんだよね」
「え?」
「あの二人、時々小声で話しながらこっち見てたの。ちょっと嫌だなって思っていたの」
「気づかなかった」
そっか。菜摘は気づいていたんだ。
「あ~~あ。こんな時、兄貴か葉君が近くに住んでいたらね」
「うん。あ!桐太」
「え?」
「駄目か。江ノ島に今、行っちゃったんだっけ」
「桐太がなに?」
「変なやつにからまれたら、俺を呼べって前に言われてたんだ」
「は~~~?何よ、それ。桐太が変なやつじゃない。自分が桃子に何をしたか忘れてんの?あいつ」
「覚えてるよ。だから、そんなやつがまた現れたら、今度は俺が守ってやるって言ってるんだ」
「桐太って、桃子が好きなの?」
「え?私じゃないよ」
「じゃあ、誰?他にいるんだ、好きな子」
「う、うん。そうみたい」
あやうい。今、聖君って言いそうになっちゃった。
「ふうん。でも、やけに桃子のことは大事にしようってなってるよね?」
「聖君の彼女だから」
「え?」
「聖君のこと、大事な友達って思ってるんじゃないかな」
「じゃあ、なんで桃子にあんなこと」
「そういうことがあって、大事な友達だって気づいたとか、じゃなきゃ、心の変化があったとか」
「なんだか、よくわかんないや、でもま、兄貴も桐太のことは友達として認めてるし、私がとやかく言うことじゃなさそうだよね」
私たちは電車を降りて、歩き出した。
「あ、聖君からメールだ」
「なんて?」
「軟派野郎、今日も声かけてきた?って」
「気になってるんだ、兄貴」
私はすぐに、返信をした。
>早めに家を出て、早い電車に乗ったから、今日は会っていないよ。しばらく菜摘と早い電車に乗ることにした。
>そっか。もしまた会ったら、しかとして、しかと!
>うん。
「兄貴、まじで気にしてるね」
その返信を見て、菜摘が笑った。
「桃子、女子校でよかったよね。共学だったら、兄貴身が持たないね。心配で」
「でも、私、本当に聖君以外、興味ないのにな」
「桃子にはなくても、相手にはあるでしょ?やたら、しつこいやつだったら、大変だよ?」
「そっか」
「そういうのは、無視したり、冷たくしてもいいからさ」
「うん」
そうだよね、昨日みたいにあんなふうに、話さなければよかったんだよね。
学校に着いた。なんだか学校に来るだけでも、疲れた気がする。
それから、ずっと朝早くに家を出たので、その週はあの穂高っていう人には会わずにすんでいた。
金曜の夜、父がめずらしく早くに帰ってきた。
「桃子、さっき聖君に電話して、日曜朝、6時には家を出ることにしたから、明日の夜から泊ってもらうことになったよ」
「え?誰が?」
「聖君がうちに」
「ええ?!」
何、何その展開。
「わ~~~~~い!杏樹ちゃんは?」
「来ないよ。聖君だけだ」
「聖君だけでも嬉しい。最近会ってないし」
ひまわりがめちゃくちゃ、喜んだ。私は目が点になっていた。
嬉しい。じょじょにこみあげてきた。わ、どうしよう。聖君はどこに泊まるの?もちろん客間か~。
う、嬉しい。かなり、嬉しい!
夕飯も終わり、私はさっさとお風呂に入り、自分の部屋に行き、聖君にメールした。
>明日うちに泊まるの?
>うん。お父さんから聞いた?店のバイト終わってからだから、9時過ぎるかな。夕飯は店で食べていくから、用意しなくていいからね。
なんだ。そんなに遅いの?
>ひまわりがすごく、喜んでいたよ。
>桃子ちゃんは?
>私も嬉しい。
>あはは。でも、ほんと、泊るだけになりそう。朝早いし。
>同じ屋根の下にいるだけでも、嬉しい。
>桃子ちゃんってば!夜這いにきたら駄目だからね(><)
な、何言ってるの~~!
>それは、聖君でしょ?
>あ、ばれた?こっそり忍び込もうと思ってたのにな。
もう~~~~。
>また明日ね。おやすみ!
>おやすみなさい。
う、嬉しい~~~!
本当に同じ屋根の下にいるだけでも、嬉しいよ~!
土曜は、母と家の掃除をした。客間はいつも、エステのお客さんが来る部屋で、一応はかたづいているものの、でも、布団を干したり、掃除機をかけたり、お風呂場も掃除をしたり。
ひまわりは夕方からバイトで、昼間は友達と遊びに行っていた。父は、釣りの道具の確認をして、必要なものを買いに出かけていた。
そして、夜、ひまわりがまた、かんちゃんに送られて帰って来て、そのかんちゃんが帰ろうとした時に、門に聖君が現れた。
「あ!聖君だ!」
まず、ひまわりが聖君を見つけて、喜んだ。
「やあ、ひまわりちゃん、バイトの帰り?」
「うん、そう!」
玄関から階段を下りていたかんちゃんが、聖君を誰だろうって顔で見ていた。
「いらっしゃい、聖君」
玄関までお父さんが来て、迎えでた。その後ろから母も、
「聖君、待ってたわよ」
といそいそと駆けて来た。
あわわ。出遅れた。ひまわりの後ろで私は、顔を突き出し、
「聖君!」
と声をかけた。聖君は、かんちゃんにぺこってお辞儀をしていた。かんちゃんも変な顔をして、お辞儀をした。
「かんちゃん、聖君。お姉ちゃんの彼氏なの」
ひまわりは玄関から出て、かんちゃんの方を向き、聖君を紹介した。
「ああ、お姉さんの」
かんちゃんはようやく、納得したような顔になった。
「かんちゃん、また明日ね!」
「あ、うん。じゃあね」
かんちゃんはそうひまわりに言うと、門を開け、帰って行った。
「かっこいいじゃん。ひまわりちゃんの彼氏?」
聖君がそう聞いた。あれ?なんで彼氏だなんて聞いたんだろう。
「違うよ、まだ!」
「まだ?じゃ、そのうち付き合うの?」
「え~~!わかんないけど。まだ友達なの」
「そうなんだ。でも送ってくれるんだ」
「うん。それって脈有かな?」
ひまわりは聖君にまで、そんなことを聞いている。
「ありあり、大有り!ばんばんアタックしちゃえば?ひまわりちゃん」
「ほんと?本当にそう思う?」
「もちろん。気がある子じゃなきゃ、送ってこないって」
「やった~!聞いた?お姉ちゃん」
「うん」
あ~あ。いいのかな~。すっかりその気にさせちゃって。
「お邪魔します」
「どうぞ、どうぞ」
母がスリッパを用意した。聖君はリビングに来て、父に言われ、ソファに腰掛けた。
「なんか、あまり荷物持ってこなかったんすけど」
「ああ、こっちで用意してあるから大丈夫だよ」
父がにこにこの顔でそう答えた。
母はお茶を持ってきた。ひまわりはちゃっかり、聖君の横に座ってしまった。ああ!また、出遅れた。私はどうしたらいいの?
「果物でも食べる?」
母が聞いた。
「あ、はい。いただきます」
聖君がそう答えたので、私はキッチンに行き、オレンジを切った。それをお盆にのせ、持って行った。
ひまわりが聖君に、必死に話をしていた。バイトのことらしい。聞いてほしくてしょうがないようで、聖君は目を細めて笑いながら、うなづいていた。
その横で、たまに父が、釣りの話をした。それにもまた、聖君はちゃんと答えていた。
するとその横で、母が、大学どう?とか、免許は取れた?とか聞くので、リビングはすごくにぎやかだった。
「もう!私が聖君と話してるの!お父さんは明日聖君と釣りに行くんでしょ?その時話せばいいじゃない!」
ひまわりが怒った。
「あらまあ。ひまわりだって、聖君は桃子の彼氏なんだから、そんなに独り占めしちゃ駄目じゃない」
母が、呆れた顔でそう言うと、
「お姉ちゃんだっていつも、独り占めしてるでしょ?私は久しぶりに会ったんだから!」
ひまわりは口を尖らせた。
「ごめんね、聖君、こんなわがままな子がいて」
母が聖君にそう言うと、
「あはは!そんなことないです。嬉しいですよ、俺」
と聖君はまた、目を細めて笑った。
聖君にとって、ひまわりはもう妹のような存在らしい。女の子が苦手で、いつもクールな聖君が、ひまわりや菜摘、杏樹ちゃんには本当に、優しいんだよね。
私はちょっと、羨ましいし、取られちゃったみたいで、悔しいけど。
聖君を独占できたひまわりは、にこにこしながら、話をしていた。でも、たわいのない話で、よくもまあ、聖君はうんうんと聞いてるよなって感心した。
「聖君、お風呂に入っちゃわない?」
「あ、俺、最後でいいっすよ」
「お客様なんだから、いいのよ、遠慮しないで」
「はい、すみません」
聖君は自分のカバンを持って、リビングを出た。
「バスタオルや、タオルは出してあるから。シャンプーはお父さんのを使う?それか、女物しかないけど、どっちでも選んで使ってね」
「はい」
「お風呂、ぬるかったら沸かしなおして」
「はい」
聖君はちょこっと緊張して、うなづいていた。そしてバスルームに入っていった。さすがに、桃子ちゃんも入る?はなかったな。当たり前か。
それにしても、聖君が来てから、私一言も口をきいてない気がする。なんでこうも、人気者なのかな。
聖君がバスタオルを肩にかけ、濡れたままの髪でバスルームから出てきた。
「聖君、ドライヤーあるよ。ここで乾かす?」
そう私が言うと、聖君はうんとうなづき、ソファに座った。父は寝室に行き、母は客間に布団を敷きにいっていた。
ひまわりは、聖君が髪を乾かすのを見ていた。
「めずらしい?」
聖君はじっと見られて、抵抗があったのか、ひまわりにそう聞いた。
「聖君、色っぽいな~~って思って」
ひまわりにそう言われ、聖君がむせていた。
「綺麗だよね、肌も。何か特別なことしてるの?」
「俺?!してないよ」
「いいな~。私、にきびが最近できるんだ」
「そう?ひまわりちゃんも綺麗な肌してるじゃん。気をつけてるの?」
「うん、ちゃんとクリーム塗ったりしてる」
「へえ。女の子だね。杏樹なんか、日焼けして真っ黒だろうが、冬ガサガサになろうが、ほったらかしだよ?あ、でも最近になって、石鹸で念入りに顔洗い出したな」
「好きな子ができると、変わるもんだよ~」
「え?好きな子?杏樹に?」
「あ、内緒だった」
ひまわりがしまったって顔をした。
「内緒?なんで?」
「あの、聖君に知られると、きっとうるさいからとかなんとか」
ひまわりがそれまで、ばらしていた。あちゃ~~。聖君はそれを聞いて、ドライヤーを止め、がっくりした表情になっていた。
「なんでこうも、みんなして、内緒ごと作るんだか」
あ、みんなって、私のこと?
「そういうのって、異性の兄弟には言いにくいんだって」
「え?」
ひまわりの言葉に、聖君は顔をあげた。
「友達が言ってた。お兄ちゃんに恋の相談はしないって。うちはお姉ちゃんだから、羨ましいって」
「そんなもん?」
「うん、そんなもんだよ」
ひまわりの必死のフォローだ。そんな話聞いたこともない。きっと、でっちあげだ。
「あ~~あ。どうしようかな。聞いたことを黙っていようかな」
「うん、そうして。私がばらしたなんて知ったら、杏樹ちゃん怒っちゃうよ」
「そうだね。黙っておくよ。でも、どんなやつか聞いてない?」
「真面目で、頭のいい子だって。だから、心配要らないよ」
「そう」
聖君はうなだれていた。相当内緒にされたのが、ショックなのかな。
「いつか、家に連れてきたりするかな。やだな~~」
あ、あれ?好きな子ができたことがショックなの?
「父さんもショックだろうな。父さんには俺、黙っておこう」
しょげた顔のまま、聖君は一人でぶつくさ言っていた。
相当、杏樹ちゃんが可愛いんだろうな~。羨ましいな~。
ひまわりが母に言われて、しぶしぶお風呂に入りに行った。
「布団敷いてあるから、いつでも寝れるわよ」
母が聖君にそう言うと、
「あ、すみません。俺が自分で敷いたのに」
と申し訳なさそうに謝った。
「いいの、いいの」
母はそう言うと、キッチンにいき、明日のお弁当の下ごしらえを始めた。
「俺、荷物だけ置いてきちゃうね」
聖君はそう言うと、客間の方へ行き、襖を開けた。すると、
「うわ~!」
と驚きの声をあげた。
「あら、どうしたのかしら?」
母がきょとんとした顔で、キッチンから出てきた。私は慌てて客間に向かった。まさか、母が私の分まで布団を敷いたなんてこと、ないよね。さすがにそんなお茶目なことはしないよね?
「すげ~、可愛い~~」
今度は聖君の、いちオクターブ高い声が聞こえた。客間に入ると、布団の上に丸まって、うちの猫がねっころがっていた。
「やだ、しっぽと茶太郎。どこから入ったの?寝室にいたでしょう、さっきまで」
母が顔を出し、そう言った。
「ごめんね、聖君、今すぐ連れ出すから」
「いいです!あの、俺、一緒に寝てもいいっすか?」
「この子達と?」
母がきょとんとした。
「はい!俺、犬は飼ったことあるけど、っていうか今もいるけど、猫はないんです」
聖君は思い切り、興奮していた。
「いいわよ、でも重いわよ」
母がそう言うと、聖君は小さくガッツポーズをした。
「じゃ、明日の下ごしらえしてくるから、桃子、もしこの子達が寝室に行きたがったら、連れて行ってね」
母はそういい残し、客間をあとにした。
「え~~。寝室に戻らないでよ。ここで一緒に寝ようよ。ね?」
聖君は猫なで声で、茶太郎をなでながら、そう言った。クロにはいつもと同じ声のトーンで話すのに、猫には声のトーンが変わるんだ。驚き!
「桃子ちゃんの家、何度も来てるのに、会ったの初めてだ。なんで?いつもどこにいたの?」
「たいていが、寝室かここ。あとは、外」
「外?」
「車の上とか、屋根の上とか」
「なるほどね」
聖君はそう言って、目を細めて茶太郎としっぽを変わりばんこになでた。
「可愛いな~~~~」
本当に嬉しそうだ。
「犬も可愛いけど、猫もいいよね」
「うん」
「まじで、猫って猫ッ毛なんだね。ちょっと感触が桃子ちゃんの髪に似てる」
「え?そう?」
犬じゃなくって?猫?
「柔らかいし、あったかいし。桃子ちゃん、なでてるみたいだな」
か~~~!!思わず、赤くなった。ああ、今、周りに誰もいなくて良かった。
「やば~~。猫も飼いたくなっちゃった。でも、クロがやきもち妬くかな」
本当に聖君は、夢中になってる。
「お姉ちゃん、お風呂あがったから、入れば?」
ひまわりが言って来た。
「うん、じゃ入ってくる」
私が立ち上がると、今度はひまわりが聖君の横に座り、一緒に猫たちとじゃれだした。
ひまわりはいつも、猫と遊ぶのが上手だから、遊び方を聖君に教えている。
「こういう紐を、こうやって動かすと、絶対にじゃれついてくるんだよ」
そのへんにあった紐を、ひまわりはにょろにょろと動かすと、丸まって寝ていたしっぽがお尻をふりふり動かし、うにゃって、紐に飛びついた。
「わ!おもしれ~~!俺もやる!貸して!」
ひまわりから紐をもらい、聖君も動かした。すると、茶太郎としっぽが同時に飛びついていた。
「すげ~~~!可愛い~~!見た?桃子ちゃん、今の見た?」
目が輝いてるよ、聖君。
「お風呂入ってくるね」
私は客間を出た。客間からは、聖君とひまわりの笑い声や、聖君の、
「すげ~~~!」
って声が、聞こえていた。
ああいうところが、杏樹ちゃんの言う「大人気ないところ」?「子どもっぽいところ」?
でも、めちゃくちゃ、可愛いって私は思う。あの聖君の目の輝きや、笑顔は忘れられないくらい。あれだから、私、きっと聖が大好きなんだよね。