第93話 怪我の理由
ご飯を食べ終えた頃、
「失礼します。コーヒー持ってきたけど、飲みますか?」
と朱実さんが二人分のコーヒーを持って、リビングに来た。
「あ、ごめん!ありがとう」
聖君がちょっと、立ち上がろうとして、顔をしかめた。どうやら、捻挫した足を使いそうになってしまったようだ。
「あ、私が受け取る」
私は慌てて立ち上がり、マグカップを二つ受け取った。
「……。聖君の彼女なんだ…。お付き合い、最近なんですか?」
朱実さんは、作り笑いをしながら聞いてきた。
「ううん、もう1年半くらいになるかな」
聖君が、また座りなおしてそう言った。
「え?長いんだね」
朱実さんがびっくりしていた。
「聖君って、彼女とか作らないのかと思ってた」
「なんで?」
「女の子にクールだから」
「…そう?」
「聖君のお母さんが、聖君ってもてるんでしょうって聞いたら、告白されても全部断っちゃうのよって言ってたし」
「そんなこと言ってた?」
「もしかして女嫌いかとも思ったんだけど」
「う~~ん。そうかも。けっこう苦手なほうかも」
「え?」
朱実さんはちょっと驚いていた。
「でも、彼女いるのに」
「ああ、うん。桃子ちゃんは特別」
そんなことを言われて、隣で私はどうリアクションをとっていいか、困ってしまった。
「あ、食器下げるね」
「あ、ごめん、ありがと」
朱実さんは、私たちが食べ終わった食器を、お店のほうに持っていってくれた。
聖君は、なんていうのかな、朱実さんにはちょっと、話し方が愛想ないっていうのかな。私や菜摘と話す時と、まったく違っていた。
「桃子ちゃん、マグカップ持って、俺の部屋に行かない?」
「じゃ、二つ持っていくね」
「うん、サンキュー」
聖君が先に立ち上がり、階段を上りだした。怪我している足は使わず、すごく器用に上っていく。
部屋のドアを開けると、聖君は私を先に中に通し、あとから入ってきてドアを閉めた。
ガチャ。かすかに鍵を閉めた音がした。あ、あれ?鍵かけちゃった?
聖君はそのまま、ベッドに座った。聖君にカップを渡して、私も横に座った。
ゴク…。コーヒーには、お砂糖が入っていて、甘くて美味しかった。
「朱実さん、お店辞めちゃわないかな」
「かもね」
「いいの?」
「大丈夫だよ。きっとすぐにまた、見つかるさ。それまでは俺が、手伝ってもいいし」
「でも、その足じゃ」
「あ、そっか。忘れてた」
「まだ痛む?」
「ううん、そうでもない」
なんで、聖君、教えてくれなかったのかな。心配をかけたくないからかな。
「聖君。怪我したこと、何もメールや電話で言ってなかったよね」
なんてちょっと遠回りに、聞いてみた。
「だって、家の階段でこけて捻挫なんて、みっともねえじゃん」
「だけど、結局はこうやって知ることになるんだし」
「だよね」
聖君はぼりって頭を掻くと、
「だけど、やっぱり俺、相当なあほだって思っちゃってさ。どうメールしたらいいかも、悩んじゃって」
「え?」
「自分で自分のこと、まじで嫌になったって言うか」
「どうして?」
「どんくさいじゃんか」
「そんなことないよ」
聖君は本当に、恥ずかしそうにまた頭を掻いた。
「桃子ちゃん、マグカップ机の上に置いてもらってもいい?」
「うん」
カップを受け取り、机に置いた。私のも置いてから、また聖君の隣に座った。
すると聖君は、すぐに私を抱きしめてきた。
「情けないやつだって思ってない?」
「思ってないよ」
「本当に俺に会えなくて、寂しかった?」
「もちろんだよ」
「じゃ、倦怠期なんかじゃないよね?」
「え?何それ」
びっくりして、聖君の腕から離れ、聖君の顔を見た。
「お兄ちゃんと桃子ちゃんは今、倦怠期なの?って杏樹に聞かれたから」
…杏樹ちゃんから?あ!そうか、うちに泊まりに来た時、ひまわりがそう言ったんだっけ。
「それは、ひまわりが勝手に言ったことで」
「ひまわりちゃんが?」
「ゴールデンウィーク、ずっと会えないってことを言ったら、ひまわりが、倦怠期じゃないよねって」
「……」
聖君が黙り込んだ。
「だから、私がそう感じていたわけじゃ…」
「だよね。じゃなきゃ、会いたいなんてメールくれないよね?」
「うん」
「だったら、いいけど」
聖君はそう言うと、また頭を掻いた。それからかすかに、ため息をついた。
「杏樹、俺が伊豆から帰って来てすぐに、倦怠期なの?って聞いてきたから、俺、びっくりしちゃって。それで、その…。多分、ぼけっとしてて、階段踏み外したんだよね」
「え?」
うそ。じゃ、私のせい?
「で、やべえって足で踏ん張ろうとして、変な態勢になって、捻挫した。馬鹿でしょ?」
「ご、ごめんね」
「え?なんで謝るの?」
「だって、ひまわりが変なこと言ったから。ううん、私がゴールデンウィークにほっとかれてるなんて、言ってすねたから」
「え?すねてたの?」
「うん…」
聖君はじっと私の顔を見ると、ちょっと赤くなって、
「あはは。そうなんだ」
って、照れながら笑った。そして、私にキスをしてきた。
「ごめんね。ずっとほっといて」
聖君はそう言うと、またぎゅって抱きしめてきた。
「海も、潜ったの?」
聖君の腕に抱きしめられながら、私は聞いた。
「うん。伊豆の海、めちゃ綺麗だった」
「ライセンス、取りに来た人多かった?」
「けっこういたよ」
「女の人も?」
「ああ、いたけど、あまり話さなかった」
「……」
「うそ、もしかして、桃子ちゃんそれ、心配してたとか?」
聖君は私の顔を覗き込んだ。
「だ、だって…。泊りだったし」
「あはは!心配しなくていいって。さっきも言ったけど、俺、女の人苦手だから」
「そうかな。桜さん仲良かったよ?飲んだ後、送っていったり」
「あれは俺くらいしか、送っていく人いないから。父さんも母さんも酔っ払ってたし」
「でも、見てても仲いいなって」
「見てないじゃん、ほとんど」
「そ、そうだけど」
「多分ね、桜さんが勝手に俺に話しかけてるだけだよ。俺、どっちかって言うと、どうリアクションしていいか、困ってたこと多かったしさ」
「そうだったの?」
「うん。でもほら、桜さん、店でバイトしてたし、話はしないとなって思ってさ」
「朱実さんも?」
「ああ、うん、そう」
「でもさっき、聖君、ちょっとクールだった」
「え?」
「朱実さんと話してて、そう感じた」
「でもあれでも、いつもより、話してるほう」
「え?そうなの?」
「それに、朱実ちゃんとは、話をしてるほうで、他の子なんて、めったに話さない」
「だけど、えっと何さんだっけ?去年、同じクラスですごく気があった人いたよね?」
「柳田さん?」
「そう」
「そうだな。話しやすかったから。でも、付き合ってって言われてから、一気に話しにくくなった」
「だけど、蘭は?すごく楽しそうに話してた」
「ああ、そうだよね。蘭ちゃんは話しやすかったな。ああ、間にきっと、基樹がいたから」
「そうなんだ」
そんなに女の人、苦手なんだ。驚いた。
「ちょっと、何を考えてるか、わからないところあるし」
「え?誰?」
「女の人って」
それ、私もってこと?
「桃子ちゃんはすげえ、素直だし、顔に全部出るし、だから安心」
「え?」
「裏表ないじゃん」
そ、そうかな。けっこうこんなこと話したら、引かれるかなとか思って、言えないこともあるのにな。
「海、早く桃子ちゃんと潜りたいな」
聖君は私を優しく見つめながら、そう言った。
「すげえ感動した。言葉じゃ説明できない。だから、直接見てほしい」
「うん」
聖君の目が、きらきらと輝きだした。
「夢が叶ったんだね」
私が言うと、
「うん」
と嬉しそうにうなづいた。
海は、私の最大のライバルかもしれないな。女の人には興味なくても、聖君は海にそれだけ惹かれているんだから。
「桃子ちゃん」
聖君がまた、ぎゅって抱きしめてきた。そして、耳に、首にキスをしてくる。
「足、大丈夫なの?」
と聞くと、
「多分」
と聖君が答えた。
そして、私の髪を優しくなでながら、
「旅行行ってから、桃子ちゃんのこと抱いてないよね」
と、ぼそって言った。
「う、うん」
そうだ。もう一ヶ月以上たってる。
「今日、いい?」
聖君が耳元で、そっと聞いてきた。
「うん」
ほっぺが熱くなった。きっと私真っ赤だ。
でも、本当に足、大丈夫かな。私は時々、
「足、痛くない?」
と聞いた。聖君は、大丈夫って答えていたけど、さすがに痛む時には、
「やっぱ、痛い。この態勢じゃ、足痛いかも」
って、ちゃんと教えてくれた。
そのたびに私は、聖君が痛くならないように、気遣った。
そうして、わかったことがある。いつも全部を聖君にまかせっきりだったけど、聖君がどれだけ気遣ってくれてたかってことに。
そうか。聖君って本当に、いつでも私を大事に思ってくれてるんだ。それに、大事に扱ってくれてるんだな。
優しくて、あったかい…。なのに、倦怠期かもなんて、私暗くなったりして、本当に悪かったな。
それに、海に潜りながら、私のこともちゃんと考えてくれてたんだ。
海に嫉妬したけど、その大好きな海に、私と潜りたいって思ってくれてるんだもん。
ぎゅう。聖君に抱きついた。
「聖君、大好きだよ」
と、そう耳元で言うと、聖君は、
「俺も、大好きだよ」
と言ってくれた。
聖君は腕枕をしてくれると、ダイビングのスクールでの話を始めた。一緒にライセンスを取った、大学の友達は、すごく面白い人で、今度会わせてあげるねって言った。
それからインストラクターがめちゃ明るかったとか、同室の5歳上の人が、酒飲みで大変だったとか。
「聖君、楽しそう」
「え?」
「大学生活、満喫してるよね」
「うん。あれ?満喫しちゃ駄目?」
「そんなことない!」
ちょっとだけ、羨ましいけど。そこに一緒に私もいたいって、思っちゃうけど。
「桃子ちゃんは、高校、菜摘と同じクラスでしょ?もう、慣れた?新しいクラス」
「うん。今年は菜摘が一緒だし、毎日楽だよ」
「え?」
「いつも、慣れるまで、時間かかるから」
「そっか」
「菜摘、葉君と本当によく会ってるみたい」
「みたいだね。休みの前に、葉一が食べに来て、ゴールデンウィーク、菜摘といろんなところに行くって、張り切っていたから」
「車の免許とってから、いろんなところに行ってるみたいだよね」
「…ごめん、俺、なかなか取れなくて」
「ううん、そういう意味で言ったんじゃなくって」
あ、聖君、ちょっとしょげてる。
「私は、聖君とこうやって会えてるだけで、幸せだから」
そう言うと、聖君は、私の鼻をぎゅってつまんで、
「桃子ちゃん、可愛すぎる」
って言って、照れくさそうに笑った。
ベッドから出て服を着た。
「夕飯も食べてく?」
聖君に聞かれたけど、帰ることにした。
「駅まで送れないから、父さんに送ってもらう?」
「大丈夫。まだ、5時だし」
「でも暗いよ」
「大丈夫だよ。聖君はちゃんと、無理しないようにして、怪我を早くに治してね」
「うん。もう今日の桃子ちゃんパワーで、だいぶ元気になったと思うけど」
ええ?桃子ちゃんパワーって何…?
「じゃあ、ここで。階段下りるの大変でしょ?」
「ああ、平気平気」
聖君は私のあとから、また器用に、階段を下りた。手すりに両手でつかまり、片足だけで階段を下りてくる。さすがだ。
それから、私は靴を取って、玄関に回った。
玄関にどこからか、クロが駆けつけてきて、嬉しそうに尻尾を振った。散歩に行けると思ったのかな。
「店から来たの?店混んでないの?クロ」
「く~~ん」
「あ、散歩は無理無理。この足だから。わかるでしょ?クロも」
「く~~ん」
クロはそれでも、尻尾を振っていた。
「あとで、父さんに連れて行ってもらったら?」
そう言うと、クロはくるりと後ろを向き、リビングのほうへと向かっていった。
ほんと、頭のいい犬だよな~。
「じゃあ、聖君、お大事にね」
そう言うと、聖君は軽く私にキスをして、
「気をつけてね、桃子ちゃん」
と優しく笑った。