第92話 感じる壁
5月、ゴールデンウィーク。聖君と杏樹ちゃんとで、うちに来るかと思いきや、聖君は大学でできた友人と、スキューバのライセンスを取りに伊豆に行ってしまった。
杏樹ちゃんだけが、お父さんの車でやってきた。
「杏樹、あまり迷惑かけるんじゃないぞ」
とお父さんに言われながらも、杏樹ちゃんはひまわりとうきうきわくわくで、家に入った。お父さんはそのまま、また車で帰っていった。
その日は遅くまで、ひまわりの部屋で、3人で話をしていた。ここだけの話と言われ、何かなって思ったら、なんと杏樹ちゃんは好きな人ができたらしい。
「同じクラスになった、草刈君っていうんだけどね」
「どんな子~~?」
ひまわりが興奮して聞いた。
「頭がよくって、クラス委員してるの」
「へ~」
ひまわりは目を輝かせて聞いていた。相当、興味があるようだ。
「頭のいい子が好きなの?」
私が聞くと、杏樹ちゃんは、
「うん。真面目で、頭良くて、大人って感じで、多分、お兄ちゃんとまったく反対のタイプ」
とにこにこして答えた。
え?!
「聖君と?でも、聖君も頭いいでしょ?」
ひまわりが聞いた。
「うん。だけど、子どもっぽいし、てんで大人じゃないんだもん」
え~~。そんなイメージなの?
「もっと、ブラコンかと思った」
ひまわりが言った。私もうなづいた。
「ブラコンって何?」
「ブラザーコンプレックス。聖君のこと、すごく好きなのかって思った。だって、すんごい仲いいし」
「え~~?まさか!」
ま、まさか?
「お兄ちゃんはね、学校では硬派で通ってるとか言ってるけど、家じゃ、全然なんだよ。だらしないし、子どもだし。あ、去年の夏に来た時にわかったでしょ?ゲームとか、本気で私とやりあうの。大人気ないんだよね~~」
そ、そうなんだ。
ものすごく杏樹ちゃんのことは、可愛がってると思うけどな。それにだらしないと思ったこともないな。いつも、お店の手伝いとか、しっかりしてるし。
それにしても、杏樹ちゃんに好きな子ができたなんて。
「それ、聖君は知ってるの?」
と聞いてみると、
「内緒にしてる。なんかうるさく言ってきそうだし」
と、杏樹ちゃんが言った。確かに、うるさそうだし、心配しそうだよね。
「杏樹ちゃんのこと、可愛がってるもんね、聖君」
私がそう言うと、
「あれ?桃子ちゃんのこともでしょ?」
と、杏樹ちゃんに言われてしまった。
「どうかな?ゴールデンウィークに、私ほっとかれてるし、そんなに大事にされてないかも」
と、私が言うと、ひまわりが隣で、
「ええ?倦怠期?」
と目を丸くした。
倦怠期?
「ちょっと頑張ってよ、お姉ちゃん!別れるようなことにだけは、ならないでね」
ひまわりに釘をさされた。
え?
どっと不安が…。
実は、受験も終わったし、いっぱい会えると思ったんだ。大学に行くようになっても、あまり変わりはしないだろうなって。
でも、実際は、会える回数が減ってしまってる。教習所に行ったり、バイトがあったり、サークルの活動があったりで、結局は4月も2回しか会えていない。
春休みに、旅行に行き、あんなにべったりしていたのが、嘘のようだ。
倦怠期…。ひまわりの言葉がやけに、頭の中をぐるぐるとめぐっている。
二人が眠そうにしているので、私は自分の部屋に戻った。杏樹ちゃんは、ひまわりの部屋に布団を敷き、そこに寝るようだ。
私は、部屋で菜摘にメールをした。
>ゴールデンウィークは、葉君とデートだっけ?
すると、すぐに、
>うん!ばっちり会えるから嬉しい!
と返事が来た。
ああ、菜摘たちに倦怠期はなさそうだな。逆に今、めちゃくちゃ、仲がよくって、毎週のようにデートをしてるようだし。
はあ。ため息が出た。聖君にもメールしてみようかな。
>聖君、もう寝た?杏樹ちゃんとひまわりはもう寝たよ。
しばらくしても返信が来なかった。もう寝ちゃったのかな。
やっぱり、環境が変わると、何かが変わっていくんだろうか。そんな不安な気持ちが一気に押し寄せてくる。
携帯を握り締め、ベッドに横になった。1時間、そのまま返信を待った。でも、返ってこなかった。
翌朝、聖君の携帯に録音している声で、目が覚めた。
そうだよな。沖縄に行くって思ってた時には、この声だけでも我慢しようとか思ってたんだっけ。それを思ったら、ゴールデンウィークにちょっと会えないからって、寂しがるのも贅沢な話だよね。
杏樹ちゃん、私、ひまわりでおにぎりを作り、3人でその日は、動物園に行った。
ひまわりと杏樹ちゃんのはしゃぎようは、尋常じゃない。あちこちを走り回り、ついていくのがやっとだ。
前に聖君とここに来たな。ああ、今日も聖君が一緒だったら良かったのに。
3人でお弁当を食べてから、ライオンバスに乗った。これにはさすがの私も興奮して、きゃ~~きゃ~~言ってしまった。
そしてコアラを見て、家に帰ってきた。家に着き、ほっと一息していると、杏樹ちゃんのお父さんが迎えに来て、杏樹ちゃんは帰っていった。
「にぎやかだったわね~」
母が言った。
「杏樹ちゃんと仲いいでしょ?私」
ひまわりが自慢した。
「ほんと、仲いいわね。似たもの同士で気が合うのね」
「うん!」
ひまわりは本当に嬉しそうだった。
私も楽しかった。杏樹ちゃんのことは大好きだ。だけど、やっぱり聖君がいないのは、寂しい。
ああ、早くに会いたい。今すぐにでも、会いたい。
夜、メールが来た。
>昨日はメールできなくてごめんね。メールしようと思って、携帯を持ったまま寝てたよ。
そんなにハードなのかな。
>疲れてるの?
>うん。あ、でもしっかりと寝たから、もう大丈夫だよ。杏樹、いろいろと迷惑かけてなかった?
>全然。ひまわりはものすごく喜んでた。
>良かった。きっと杏樹も、めちゃ嬉しかったと思うよ。行く前から、すんごい楽しみにしていたから。
こんなに妹思いの聖君に、妹は聖君と正反対のタイプの子を好きになってるよなんて、さすがに言えないよね。
>ライセンス取るの、大変?
>ううん。めちゃ楽しい!
そうか。そうだよね。聖君、ずっと欲しかったんだもんね。
>桃子ちゃんも、早くに取れたらいいね。
>うん。
聖君がどんどん先に行っちゃって、置いていかれるような気分だ。私も早く、聖君と海に潜りたいよ!
ライセンスを取れたら、サークルのみんなと海、潜りに行くんだって、この前会った時、目を輝かせていたっけ。
いいな。その場に私もいたいって、思い切り思ったっけな。
なんだろう。何も変わらないかなって思ってたけど、今、すごく二人の間に壁を感じる。
分厚い壁だ。
そんな気になってるのは、私だけだろうか。
>聖君、おやすみなさい。
そう送ると、
>おやすみ。桃子ちゃん。
と返信が来た。
どうしようかな。会いたいよってメールしてみようかな。今、感じてる気持ちをそのまんま、送ってみようかな。聖君、どう返事をくれるかな。
勇気を出して送ってみようか。
>聖君、最近会えてないから、寂しいよ。会いたいな。
えい!ドキドキしながら、送信した。あ~~~。どんな返事が来るんだろう~~。
やっと、5分位して、返事が来た。
>まじで?
ま、まじでって…?。本当だよ~~。
>本当に、本当。
>そういうの桃子ちゃん、あまりメールしてこないから、びっくりした!
…。びっくり?
>本当に寂しい?
>寂しいよ。
もう、聖君わざと、もったいつけてるの?
>聖君は、寂しくないんだ。
なんだかちょっと頭に来て、そう送ってみた。またなかなかメールが来なかった。なんで~~?
>可愛い!桃子ちゃんってば!(>▽<)
え?!なんでそうなるの~~~?!
>あ、やべえ。桃子ちゃん、あとでメール送るね。
やべえ?あとで?なんで?
ああ。なんだか、すっきりしない。私一人で、寂しがってるみたいだ。もうメール待たないで、寝ちゃおうかな。
ベッドに転がった。でも、やっぱり寝れそうにない。結局、私は、聖君からのメールを待ってしまった。
ダイビングのライセンスって、女性も取るよね?もしかして、女の人もいるのかな。泊りがけで、女の人も取りに行ったりするんだろうか。
あ~~~、なんだか、もやもやしてきた。
大学だってそうだ。大学にいる女の人が怖いって言ってたけど、そんな怖い女の人ばかりじゃないよね。
まったく聖君の大学生活が想像できずに、私はもんもんとしている。
1時間たった。私、1時間もいろいろと考えながら、暗くなりながら、メール待ってるのか。
>桃子ちゃん、起きてる?
メールが来た。わざと、しばらく送るのやめてみようかな。なんて一瞬思ったけど、
>起きてるよ。
ってすぐにメールしてしまった。
>ごめんね。同室のやつが、俺が携帯してるのにちょっかいだしてきたから。
>ちょっかい?
>携帯見てにやけてたから、何見てるんだよって声かけてきて。ごめんね。
そうだったんだ。
>そいつ、やっとこ高いびきかいて、寝たから。
>二人部屋なの?
>うん。あ~~、いびきうるせえ!
聖君は、寂しがってる様子ないな~。
>来週の日曜、空いてる?会おうよ。
来週?ゴールデンウィーク明けか~~。
>どうしようかな。
意地悪でそう書いて、送ろうか迷った。本当は会いたいんだから、素直に返したほうがいいよね。
>その日、空いてる。
そう書き直して送信した。すると、すぐに、
>俺んち来る?
と、メールが来た。う、聖君の家?
>うん、でもバイトはないの?
>夜はバイト入ってる。昼間は暇だよ。
そうか。
>わかった。昼ごろ行くね。
>おやすみ、桃子ちゃん。
>おやすみなさい。
結局、聖君は寂しいも会いたいも、書いてくれなかったな。やっぱり、会いたがってるのは私だけかな。
はあ。なんだか、寂しさがまだまだ残る。
日曜、昼ごろれいんどろっぷすに直接行った。というのも、うちで昼を食べようよって、聖君に言われていたからだ。
4月になってからは、いつも新百合ヶ丘の方に聖君は来てくれてたから、聖君の家は久しぶりだった。
お店のドアを開けると、すごく明るい声で、
「いらっしゃいませ」
と出迎えられた。え?誰?若い女の人だ。
「あの…」
「お一人様ですか?」
「いえ、あの…」
お店には聖君も、聖君のお母さんもいなかった。テーブル席は埋まっていて、
「カウンターでもよろしいですか?」
と聞かれた。
「はい」
そう答えると、カウンターの席に案内された。
背は私ぐらい。年もあまり変わらないかも知れない。新しく入ったバイトの子なのかな。う~、知らなかったよ。そんなこと聖君は教えてくれないんだもん。
その人は水を持ってきて、
「ご注文は?」
と聞いてきた。
こ、困った。ランチって言えばいいのかな。聖君はどうしてるの?どこにいるの?家の中?聖君のお母さんは?
「えっと…」
「メニューはこちらにあります。今日のランチは」
と、その人が説明を始めると、家のほうからお母さんが出てきて、
「あら、桃子ちゃん。来てたの?」
と、私を見つけてくれた。
「こんにちは」
ぺこりと挨拶をすると、
「桃子ちゃん、中、中。リビングにお昼用意してあるから」
と、そう言われてしまった。
「中?」
「そう、聖なら、リビングにいる」
「え?」
私は慌ててカウンターの席を立ち、家の方に向かった。
「お客さんじゃなかったんですか?」
バイトの子がお母さんに聞いてるのが、後ろから聞こえた。
「桃子ちゃん?聖の彼女よ。朱実ちゃん、会うの初めて?」
「え~~~?!!!彼女?!」
ものすごく驚いている声がした。
リビングに行くと、
「ども!桃子ちゃん」
と聖君が、すでにテーブルのまん前に座り、お昼の準備万端で待っていた。
日に焼けた笑顔、ちょっと伸びた髪。なんだか、すごく新鮮。すごくしばらくぶりに会った気がして、ちょっと私は照れてしまった。
聖君の横にそっと、座りに行こうとして、その時気がついた。
「あ、あれ?足、なんで包帯してるの?!」
「うん…。怪我しちゃった」
「え~~?!!!」
知らなかったよ!
「いつ?」
「家に戻って、すぐ」
「え?じゃあ、最近?」
「一昨日かな」
「知らなかったよ。どうしたの?なんで怪我したの?」
「階段踏み外して、捻挫しただけだから」
「捻挫?」
「ライセンス取ったあとで、良かったよ」
良くないよ。全然知らなかったよ~~~。そうか、だから、お店にいなかったんだ。
「まだ痛いの?」
「いや、そんなでもない。でも歩く時にまだ、痛いけど」
「杖使ってるの?」
「うん。外歩く時にはね」
「階段は?上れるの?」
「ああ、うん。どうにか」
なんで教えてくれなかったの!とは言えない。でも、なんだか悲しい気分だ。
「そんな桃子ちゃんが沈んだ顔しないで。たいした怪我じゃないんだ。ほんとに」
「……」
でも、知らなかったなんて。
「教習所にはしばらく行けなくなっちゃったけど。早く免許取れなくて、ごめんね」
「え?なんで謝るの?」
「ドライブ、行きたかったでしょ?」
「ううん。そんな…」
そんなことより、会いたかった。でもそれも言えずに飲み込んだ。だって、怪我してるのに、会いたいばかり言ったって、迷惑なだけだよね。
「食べようよ。さめちゃうよ」
「え?うん」
聖君はにっこりと笑い、いただきますと言って、元気よく食べだした。
なんだか、聖君と会わない間に、いろんなことになってる。なんで私が知らないことばかり、あるんだろう。
ああ、やばいな。落ち込んできた。聖君に会えて、嬉しいはずなのに。
「聖君」
「ん?」
「今日、怪我してるのに私、来て良かったのかな」
「え?なんで?」
「だって、ゆっくり休んでいたかったんじゃない?」
「…。桃子ちゃん、俺に会いたいって言ってたじゃん」
「そうだけど。無理はしてほしくないし」
ああ、本音じゃない。これ。私に聖君は会いたいって、思ってるの?怪我したことも、バイトの子のことも知らなかった。私、知らないことだらけ。聖君は、そういうの、どうでもいいと思ってるの?なんで言ってくれないの?
でも、こんなこと言うと、うるさいだけの女なのかな。だから、聞けない。
私が黙ってると、聖君も黙った。二人でしばらくもくもくとご飯を食べた。う、なんだか気まずい。
「あの」
「え?」
思い切って聞いてみることにした。
「さっき、お店で、お客さんと間違われて」
「ああ、そっか。朱実ちゃんと初めて会うもんね」
「うん」
「4月から土日だけ、昼のバイトに来てくれてるんだ。短大1年生。俺とタメ」
「……」
やっぱり、年近いんだ。
「高校の時にも、カフェでバイトしてたらしくて、母さんが即、雇うことに決めちゃって」
「そうなんだ」
「俺としてはちょっと、困ってたんだけど」
「なんで?」
「う~~~ん。母さんには言えなかった。でも、父さんは気がついてる」
「え?」
「春休みにね、2~3回店に客で来てたらしくって、そんとき俺、ホールに出てたんだよね」
「うん」
「なんだか、ちょっと…。俺目当てかなって」
「え?」
「あ、自意識過剰かなって俺も思ってた。だけど、バイト募集の紙を見た時に、えらい喜んですぐに、履歴書持ってやってきたり、バイト始めてからも、俺が店に行くと、話しかけてきたり、バイトない日の夜も、けっこう来たりしててさ」
「うん」
聖君、目当て?それやばいんじゃないの?
「父さんも、気がついて、あれは完全に聖目当てだって。ちゃんと彼女いるってこと、言えって言われた。だけど、いきなりそんな話もできないじゃん」
「う、うん」
「だから、一回桃子ちゃんが店に来たら、彼女がいるってわかってくれるって思ってさ」
「それで今日?」
「そう。店で食おうとも思ったんだ。でも、このとおり、怪我したから、リビングで大人しくしてるってわけ。でもさっき、どうやら、母さんが桃子ちゃんのこと、彼女だって説明したようだし」
「聞こえてた?」
「朱実ちゃんのすごく驚いた声が、聞こえた」
そうだったんだ。
やばかったんだ。そんな子が、聖君のすぐそばにいたなんて。
明るい子だった。元気のいい菜摘タイプ。もともと聖君は、ああいう子が好みだし。
「明るくて、元気が良くて、聖君の好みのタイプだよね」
そんなことを言ってみた。どう反応してくるかな。
「誰が?」
「朱実ちゃん」
「ほえ?!まさか!俺は桃子ちゃんがタイプだし」
「え?また~~。菜摘みたいな子、タイプだったじゃない」
「昔はね」
「昔?」
「今は違うよ。桃子ちゃんが俺のタイプ!」
か~~~。いきなり顔が熱くなった。
「わかってくれた?じゃ、この話はもうおしまいね」
「う、うん」
聖君はまた、元気よく、ご飯を食べだした。私もちょっと安心して、元気に食べ始めた。




