第90話 旅行の朝
どうしてこうも、聖君は素敵なんだろうか。目も、鼻も、眉毛も、口も。うっとりとその色っぽい聖君の顔を見ていた。
浴衣姿、本当に素敵だったな。浴衣の胸元から見える聖君の胸も、鎖骨も、これまた色っぽい。
こんな話を菜摘にしたら、また変人扱いされちゃうかな。でも、本当にそう思うんだからしかたがない。色っぽい聖君に、くびったけなんだから、しょうがないよね。
聖君はだんだんと、眠くなっているのか、口数も少なくなり、そのうち寝息をたてた。
ああ、朝まで聖君といられるんだ。幸せだな…。
聖君の寝顔を見ていた。この寝顔は、きっと他の人見たことないんだよね。
静かだった。この世界に二人きりなんじゃないかっていうくらい、とても静かな夜だった。
すう…。聖君の寝息だけが聞こえる。そっと聖君のおでこにかかっている前髪を、あげてみる。形のいい眉毛と、おでこが見えた。
あ、おでこに一つにきびができてる。そっか。聖君でもにきび、できるんだ。
それから、眉毛と目の間に、小さなほくろがある。それすら愛しくなる。
聖君は、深い眠りに入っているのか、まったく起きなかった。私はそっと、聖君にキスをしてみた。
「ん?」
わ!起きちゃう?
でもやっぱり、聖君はまた、寝息をたてて、すやすや寝てしまった。か、可愛い~~。
聖君の胸に顔をうずめた。聖君の鼓動を聞き、聖君の匂いに包まれ、聖君のぬくもりを感じた。
そして私は、安心しきって眠りについた。
ふわ…。誰かが優しく私の髪をなでてる。それから頬…。この手、知ってる。聖君だ。
パチ。目が覚めた。聖君が優しい瞳で私を見ていた。
「おはよう」
聖君がにっこりと微笑んだ。
「お、おはよう」
なんだか、その笑顔にものすごく照れくさくなった。
「あ、また私、寝坊?」
「大丈夫。まだ、朝の7時だから。朝ごはん8時にって昨日言ってあるし」
「でももう、起きなくっちゃね」
私はそう言って布団から出ようとした。
「あ…」
思わず、自分が裸でいたことに気がつき、また布団にもぐりこんだ。
えっと、着替え。じゃなきゃ、浴衣は?
「そのまま布団から出てもいいよ?」
聖君に言われた。
「じゃ、向こう向いてて」
そう言うと、聖君は、
「はいはい」
と言って、背中を向けた。そのすきに、布団から出て、浴衣を探した。
「浴衣、ないよ?」
「ああ、布団の中かも」
「下着も…、ない」
「それも布団の中のどっかにあるかも」
そうは言われても、布団の中には素っ裸の聖君がまだいる。まさか、聖君から布団をはいで、探すわけにもいかない。
私はもう一回、布団の中に入り込み、ごそごそと足元を手で探した。
「一緒に探そうか?」
「大丈夫。浴衣見つかった」
「それ、俺のじゃない?」
「え?でも、一緒でしょ?」
「サイズが違うよ。それ、でかいよ?」
そうなんだ。
「じゃ、どこ?」
「あれ~?俺、昨日脱がしてから、どこにやったかな」
聖君は考え込んだ。脱がしてからって言葉が、やけに恥ずかしかった。
「いい。服着る」
そう言って、今度は下着を探し出した。あ、ブラはあった。でも、パンツがない。どこ?
「下着探してる?」
「うん」
「ない?」
「うん」
「あれ~?俺、どこにやったかな。脱がしてから」
「いい。それ、いちいち言葉にしなくても」
「え?」
「聞いてて恥ずかしいよ」
真っ赤になると、聖君はそんな私を見て、
「赤くなってる。おもしれ~~、桃子ちゃんって」
と笑っていた。
「はい。俺の足の下にあった」
聖君が、パンツを渡してくれた。
「わ~~~」
真っ赤になって、慌てて受け取った。バクバク!心臓がバクバクしてるよ、もう~~。
「面白い。もっと赤くなった」
「私で遊ばないで」
「あははは!」
思い切り、笑われた…。
布団の中でもそもそと下着をつけた。
「手伝う?」
「え?」
「俺が脱がせたんだから、今度は着せようか?」
「いい!!」
時々、とんでもないことを聖君は言ってくる。本気で言ってるわけはないと思うけど、たまに本気の時もあるみたいだ。
やっとこ下着をつけられて、聖君にまた後ろを向いててもらって、服を着るために布団から出ようとすると、後ろから聖君が抱きしめてきた。
「聖君?着替えるから離して。それに後ろ向いてて」
と言っても、離してこない。
「聖君?」
あ、あれ?なんで、ブラのホックを外してるの?!
「聖君!」
「え?」
「それ、今、やっとこつけたところ!」
「ああ。また脱がしちゃった。ごめん」
ごめんじゃない~~~!!何を考えてるんだ!
「あれ?外すのは簡単だけど、つけるのけっこう大変」
どうやら、ホックをつけようとしてるらしい。
「いい、自分でする」
そう言って、自分でつけると、
「すげえ。手を背中に回してつけてるんだもんな。考えてみたら、よくできるよね、そんなこと」
と感心していた。
「……」
まったく、何を言ってるんだか。これも、遊ばれてるの?もしかして。
「聖君も起きて、顔洗わないと、間に合わなくなるよ」
「大丈夫だよ。10分もあればできるから」
聖君はそう言うと、布団の中にもぐりこみ、
「は~。布団、気持ちいいね」
とにこにこしていた。
「じゃ、そっちを向いててね。着替えるから」
聖君はもそもそと後ろを向いた。そのすきに、さっと出て、セーターを着て、ジーンズを履いた。
「それも、もしかして、脱がせやすいような格好にしたとか?」
聖君が後ろから聞いてきた。ぐるっと振り返ると、完全にこっちを向いていた。
「そっち、向いてたんじゃないの?」
「うん」
「見てた…とか?」
「うん」
聖君はそう言うと、にっこりと微笑んだ。
「も~~~!!!」
「なんで?いいじゃん。着替えるところ見ても。なんで恥ずかしいの?」
「恥ずかしいものは、恥ずかしいの!」
ほんとに、聖君は…。菜摘じゃないけど、無邪気すぎるよ。
でも、その笑顔も爽やかで、無邪気だから、まったくいやらしいと感じるところがない。そこがまた、聖君のすごいところだ。
「顔、洗ってくるね」
そう言って、洗面所に入った。鏡を見ると、髪がぼさぼさだった。ああ、やっぱり。
聖君は後ろがはねてるものの、ここまでぼさぼさじゃない。私は癖毛だからかな。
顔を洗い、歯を磨き、髪をとかして、部屋に戻った。聖君は洋服を着ているものの、まだ、ねころがっていて、布団を抱きしめていた。
「?」
何をしてるのかと思うと、
「布団、桃子ちゃんの匂いがする」
と言って、ごろんごろんと抱きついている。それを聞いて、また、私は真っ赤になった。
カーテンを開けて、外を見た。ちょっと曇ってはいたけど、雨は降っていなかった。
「帰り、どっかに寄ってく?」
聖君がまだ、ねっころがりながら聞いてきた。
「どこか、あるの?」
「う~~ん。駅の辺りには何かあるかな」
「それより、菜摘と葉君…」
「え?ああ、一緒に来てたんだっけね。忘れてた」
え~~~。まじで?聖君。ちょっと呆れて聖君を見ていると、
「もう、別行動にしちゃう?」
と聖君は、無邪気な顔のまま聞いてくる。
「……。どうかな~。菜摘、葉君と二人で大丈夫かな~~」
「大丈夫だろ?桃子ちゃんは菜摘の保護者じゃないんだから、そこまで心配しなくっても」
「だよね。保護者っていったら、聖君がそうだもんね」
「え?!」
聖君は一回、きょとんとして、
「あ、そっか。俺、菜摘の父兄ってやつか」
と、ぼそって言った。ほんと、兄だってことも忘れてるよね。
聖君も、大きな伸びをすると、ようやく起き上がり洗面所に行った。それからしばらくして、戻ってくると、かっこいい聖君になっていた。
でも、寝ぼけた顔をしてる聖君も、寝癖のある聖君も、可愛かったよな~~。
鍵を持って部屋を出て、食堂に向かった。まだ、菜摘と葉君は来ていなかった。
もうテーブルには、朝食の準備は整っていた。しばらくそのまま待っていたが、10分たっても来ないから、先に食べることにした。
食べ終わる頃、ようやく二人がやってきた。あれ?手なんてつないでるよ?それも、まだ、浴衣だし。
「おはよう」
葉君がそう言って、席に着いた。
「おはよう。もしかして、寝坊?」
聖君が聞いた。葉君は、髪がぼさぼさで、菜摘も眠そうな顔をしていた。
「ああ、起きたら8時だった」
葉君は、ちょっと恥ずかしそうにそう言った。
「まじ?じゃ、電話でもして起こせばよかったかな」
「聖、早起きしたの?」
「俺?うん。7時前には起きてたよ」
「え?そんなに早く?」
私がそう聞くと、
「うん。目は覚めてた。で、ずっと桃子ちゃんの顔を眺めてて…」
と言いかけて、聖君は葉君と菜摘を見て、途中で話をやめてしまった。
「ああ、コホン。俺ら先に部屋戻ってるよ。あ、俺、朝風呂でも入ってこようかな~~」
聖君は頭を掻きながらそう言った。
「ああ、俺も食べたら風呂に行く。お前、露天風呂に入る?」
「うん。露天風呂の方が、気持ちよさそう。じゃ、部屋で待ってるから、行く時呼びにきて」
「うん」
葉君がうなずくと、聖君は席を立ち、私も席を立った。菜摘を見ると、何も話さず、ぼ~~ってしている感じだった。まだ、眠いのかな。また、葉君が隣にいて、緊張で寝れなかったとか?
部屋に戻ると、聖君がいきなり、
「なんか、あの二人見てるだけで、恥ずかしくなったや」
とそんなことを言ってきた。
「え?」
「手とかつないでくるし、寝起きで、ぼけらっとしてるし、菜摘なんて、心ここにあらずって感じだったしさ」
「え?寝ぼけてたんじゃないの?」
「違うよ。あれはどっかにいってる。桃子ちゃんもよくあるじゃん」
…。意識がどっかに飛んでいってた?もしかして。
「あ、俺、葉一とじゃなくて、桃子ちゃんと露天風呂入りたかったんだ。あ~~あ。葉一に呼びにきてなんて言わなきゃ良かった」
「入らないよ、一緒になんて」
「え?そうなの?」
「当たり前じゃない」
真っ赤になってそう言うと、
「もう、桃子ちゃんってば、いつまでたっても、恥ずかしがり屋さん」
と聖君は声色を変えて、言ってきた。もう、またからかって遊んでる。
それから、しばらくすると、葉君が呼びにきて、聖君たちはお風呂に入りに行った。その間に私は菜摘を呼びに行き、女風呂に入りに行った。
菜摘は、お風呂に行く間にも、ずっとだんまりで、湯船につかり、ようやく言葉を発した。
「昨日ね、葉君と結ばれちゃった」
そう言うと、菜摘は真っ赤になった。
「あ。そ、そうだったんだ」
こっちまで、恥ずかしくなり、真っ赤になった。
「なんだか、自分が自分じゃなくなったみたいで。でも、変わらないんだよね?」
「うん」
「葉君と一緒にいるのが、恥ずかしいような、でも、くっついていたいような、変な感じなんだ」
「うん」
なんだか、わかるな、それ。照れくさいんだけど、嬉しいんだよね。
「今頃、葉君、兄貴にも報告してるのかな」
「かもね」
「…。庭に行けば、話が聞けたかな」
「え?」
「でも、変なこと言ってたら、聞きたくないし、いいや」
「え?」
「聞くの、恥ずかしいもんね」
確かに。私も聖君が、あの無邪気さでとんでもないこと言ってたら困るし。あ、でも、とんでもないことを言ってるかどうなのかを、確認してみたいって気もするけど。
菜摘は、また黙り込み、ぼ~~ってしていた。それから、
「ああ、やばい。また回想してた。私」
とぼそって言った。
「回想?」
ああ、そういえば、私も何度も聖君のぬくもりや声や、熱い目を思い返していたっけ。
「葉君ね、本当に優しかったんだ」
「う、うん」
わあ。こういうのは、聞いてても恥ずかしいものなんだ。
「なんで私、怖がったりしてたのかな。葉君、あんなに優しいのに」
それもわかる。
「兄貴も優しい?」
「え?う、うん」
思いっきり優しいよ。
二人で、は~ってため息をついた。それから、しばらく二人とも黙っていた。私は聖君の優しいぬくもりを思い出し、きっと菜摘は、葉君を思い出していたに違いない。
お風呂から出て、部屋に戻ると、もう聖君と葉君が部屋の前にいた。
「ごめん、鍵、私たちが持っていたから、入れなかったよね」
慌てて私がそう言うと、
「ああ、大丈夫。ほんと今きたばっかりだし」
と、聖君は湯気が体から、出てるんじゃないかってほど、ほかほかになりながらそう言った。
「11時だっけ?チェックアウト」
「うん。11時になったらフロントに行こう」
「わかった」
聖君と葉君はそう言うと、鍵を開けて、部屋に入った。私と菜摘もそれぞれの部屋に入っていった。
「は~~。気持ちよかった」
聖君はそう言って、椅子に座った。
私は、タオルをかたづけたり、荷物の整頓を始めた。
「菜摘、何か言ってた?」
「え?」
ドキ!聖君に言っちゃってもいいんだろうか。
「えっと…。葉君と結ばれたって、言ってた」
「そっか。桃子ちゃんに話したんだ」
「葉君は?」
「うん。ちゃんと話してくれたよ。もうでれでれになって、顔がずっと締まりなくって、大変だったけどさ」
「葉君が?」
「ああ、にやけっぱなし」
「そうなの?でも朝食の時はそうでもなかったよね」
「にやけるのをおさえてたんじゃないの?」
「そうなんだ…」
「まあ、詳しくは言わなかったけどさ。ただただ、でれでれになってたね」
「菜摘もぼ~~ってしてた。葉君、優しかったとしか言わなかったけど」
「え?そんなこと言ってた?」
「うん」
「そうか~~」
聖君はしばらく黙り込み、
「えっと、桃子ちゃん、俺は?」
と頭を掻きながら聞いてきた。
「俺?」
「うん、その…、優しいとか、なんとか、その…、俺ってどうなのかな~~って思って」
「聖君?」
「うん」
「……。や、優しいよ」
「今、一瞬間があったよね?まじで、そう思ってるの?」
「うん。いつも優しい。でも」
「でも?」
聖君が何を言うんだろうって顔で、聞いてきた。
「優しいけど、色っぽい」
「は?」
「あ!こんなこと言ってたら、私変態かな?」
「はあ?」
「昨日も、菜摘に言われて。桃子、変だよって」
「え?何を言ったら?」
「聖君が入った露天風呂に入って、真っ赤になってたら」
「……」
聖君はちょこっと腕を組んで考えて、
「なんだか、男の発想だね」
とつぶやいた。
「え?そうなの?」
「俺って、色っぽいの?たまにそういうこと桃子ちゃん、言うけど。あ、浴衣姿も見たいとかなんとか」
「うん、浴衣姿もかっこよかった」
「そうなんだ」
「私、やっぱり変?」
「うん。俺に惚れ過ぎ」
「う…」
真っ赤だ、きっと今も。惚れ過ぎって言われても、しょうがないじゃない。好きなものは止められないよ。
「でも、俺も惚れすぎてるから、おあいこ!」
聖君はそう言うと、私に抱きついてきた。それから、キスをしてきて、また抱きついてくる。
「桃子ちゃんの浴衣姿も、すげえ色っぽかったし、可愛かった!」
聖君がまた、めちゃくちゃ可愛い笑顔で、無邪気にそう言った。