第89話 旅行の夜
食堂に行き、4人の席に座った。すでにテーブルには、食事の用意がされていた。
私たちは、ジュースで乾杯をした。
「早く、ビールで乾杯がしたいよな」
と聖君が言うと、
「あと2年の辛抱だよ」
と葉君は笑った。
「うまそう~~。いただきます」
聖君はそう言うと、ばくばくと食べだした。
「旨い!特に魚!」
聖君はいつものように、目を細めた。
あの運転手の言ってたことは、本当だったんだな。お刺身も美味しいし、煮物や、焼き魚も美味しい。
「菜摘、箸進んでないじゃん。饅頭食べてたから、お腹いっぱいになったんじゃないの?」
聖君が聞くと、菜摘は、
「よかったら、食べていいよ」
と聖君に、そう言った。
「食べたら?もったいない。せっかくのご馳走だよ?」
聖君は、いつもなら、サンキューと言って食べるところだけど、そんなことを菜摘に言っていた。
「でも…」
菜摘が困っていると、
「お前、緊張し過ぎ。もっと、楽しく気楽にいこうよ。なあ?葉一」
と聖君は、かなり軽いのりでそう言った。でも、聖君の横にいた葉君も緊張してる様子で、何も答えなかった。
「なんだよ、二人して。もっと、旅行なんだし、楽しめばいいじゃん」
「お前が気楽過ぎなんだよ」
葉君がそう言うと、
「そりゃそうだよ。好きな子とずっと一緒にいられるんだよ?そりゃ、嬉しいし喜ばしいことじゃん。特に俺なんて、ずっと受験で桃子ちゃんとも会えなくて、寂しい思いしてたんだしさ」
え~~~~!聖君の言葉に、真っ赤になると、
「兄貴はお気楽でも、桃子は緊張してるみたいだよ」
と、菜摘が聖君に言った。
「桃子ちゃんが?」
聖君が私に聞いてきた。
「わ、私も緊張してるけど、でも、やっぱりすごく嬉しくて」
「だよね?丸々一日いたいって言って来たのは、桃子ちゃんのほうだし」
うわ~~~。そうなんだけど、改めてそう言われると恥ずかしくなる。
「あ、そっか。桃子の誕生日だから、旅行に来たんだっけ。明後日だよね、桃子の誕生日。おめでとう」
「ありがとう」
菜摘にお祝いの言葉を言われ、御礼を言うと、葉君も、
「ああ、それで旅行にきたのか。おめでとう、桃子ちゃん」
と言ってくれた。
それからは、なんとなく葉君も菜摘もしゃべりだし、そのうちに会話が弾み、ようやく菜摘も笑みがこぼれるようになった。それに、ご飯も菜摘は食べることができ、私の方が残してしまい、それを聖君がたいらげてくれた。
「桃子のは、食べてあげるの?残しても、桃子はいいの?」
「桃子ちゃん、いつも小食じゃん」
菜摘に言われて、聖君がそう答えた。
「じゃ、私は?」
「菜摘はいつも大食いじゃん」
「ひどい!」
菜摘が怒ると、
「え?なんで?それだけ運動もしてるし、エネルギー使ってるんじゃないの?」
聖君はあっさりとそう言った。
「あ~~。満腹。すぐに風呂には入れそうもないな」
聖君はそう言って、お腹をさすった。
「ゲームでもする?」
葉君が聞いた。
「ゲームセンターの?でも面白いのなかったじゃん」
「まあね」
「とりあえず、部屋戻るか」
聖君は席を立った。私も席を立った。
「菜摘と葉一は戻らないの?」
席を立たない二人を見て、聖君が聞いた。
「あ、うん。まだ、もう少しここにいる」
菜摘がそう言って、苦笑いをした。
「じゃ、先に部屋戻ってるよ。あ、風呂も適当に入っちゃうからさ」
「うん」
聖君の言葉に今度は、葉君がうなずいた。私と聖君はそのまま、部屋に戻った。
「あのまま、何時間も食堂にいたりして」
部屋の前で、聖君はそんなことを言った。
「やっぱり二人っきりにするのは、どうなのかな」
私がそう聖君に言うと、聖君はキッとかなり目に力を入れ、
「いいの!俺は桃子ちゃんと二人っきりがいいんだから!」
と、そう言って部屋のドアの鍵を開けた。そして、ドアを開け、ふすまを開けると、
「わ~~お!」
と、聖君は声をあげた。
「どうしたの?」
と聞いて、私も中に入ると、なんと布団がしっかり、ぴったりと二つ並んで敷いてあった。
「わあ!」
私も思わず、声をあげてしまった。それから、真っ赤になってたたずんでいたが、聖君はにこにこしながら、布団に大の字になってねっころがり、
「気持ちいいじゃん」
と喜んでいた。
「布団、ふかふか。枕もふかふかだ」
聖君はそう言いながら、今度はうつぶせになり、枕を抱えていた。
う、う~~~ん。そんな姿は子どもっぽくて可愛いんだけど、私には、なんだか、ぴたりと並んでいる布団が、やけに恥ずかしく感じる。
あ、これ、隣の部屋もなのかな。部屋に入ったとたん、菜摘、真っ青になったりしないかな。
「桃子ちゃん、どっちで寝る?」
まだ、聖君は枕に抱きついていた。
「え?えっと」
困っていると、
「いっそ、一緒の布団で寝るか」
と、聖君はもっとニコニコ顔になり、そう言った。
聖君があまりにも、無邪気に笑うから、私もつられて笑った。それから、私も布団に寝そべり、枕を抱いてみた。
「ほんとだ。気持ちいいね」
「でしょ?」
なんだかな~~。修学旅行か何かで来てるみたいな気になってきたな~。
「もう少ししたら、お風呂入りに行こうね。あ、また露天風呂にする?それも二人で入るってのはどう?」
「まさか!」
私は真っ赤になり、顔を横に振った。
「暗いし、どうせ見えないよ?」
「でででも、でも」
ますます顔がほてってしまい、私は枕で顔を隠した。
「あはは!すげえ可愛い」
聖君は大笑いをした。
「やべ~~」
「え?」
「すげえ、嬉しい~~」
聖君は本当に嬉しそうに笑った。
それから、また仰向けになると、天井を聖君は見上げた。そして顔を横に向け、また私の方を見る。
「あ、桃子ちゃんがいる」
「?」
「やっぱり、桃子ちゃんが横にいる」
「え?」
「横を向くと桃子ちゃんがいるって、いいなって思ってさ」
聖君はそう言って、くすって笑うと、ごろんと一回転して私のすぐ横にやってきた。
「今は、キスだけね」
「え?」
聖君はキスをしてきた。今はって?
「続きは風呂入ってからね。それも、浴衣着ててね」
「……」
聖君の言おうとしていることがわかり、聖君の胸を思わず手で押してから、
「もう~~~」
と真っ赤になると、
「え?なんで?何を想像したの?」
と、聖君はきょとんとして聞いてきた。
「い、言わないよ。そんなこと」
そう言って、聖君のことを見ると、聖君は真面目な顔をしてたのに、いきなり、にへらってにやけて、
「桃子ちゃんが想像してたとおりのことを、実は俺も、妄想してたと思うけどさ」
と、嬉しそうに言った。
それから聖君とねそべったまま、しばらく話をしていた。聖君が小さい頃から、家族で行った旅行のことや、その時のハプニング、聖君はゲラゲラ笑ったり、おどけたりしながら話していた。
聖君の笑った顔を見ていた。本当に可愛いな~~。
「桃子ちゃん、また俺に見惚れてた?」
「え?」
「そんな目で見てたよ」
「う、うん。見惚れてた」
「あはは。参ったな」
聖君は、ちょっと照れくさそうに笑った。
「そろそろ風呂入りに行く?」
「うん」
浴衣と着替えとタオルを持って、聖君と部屋を出た。
「葉君と菜摘、呼ぶ?」
「ああ、一応声、かけとくか」
聖君は隣の部屋のドアをノックした。でも、まったく返事がなかった。
「いないのか。それとも、今、ドアをあけられない状況なのか」
聖君はぽつりとそう言うと、
「ま、いっか。ほっといて、風呂行っちゃおう」
と、さっさと歩き出した。私も聖君のあとを小走りでついていった。
お風呂場は、女風呂と男風呂に別れていた。
「あ!」
男風呂の方に行った聖君が、かなり大きな声をあげた。
「桃子ちゃん、この奥に家族風呂がある!」
「え?」
「一緒に入る?」
「入らないよ!」
真っ赤になってそう言った。その時ちょうど、家族風呂から、小さな子を連れたお父さんが出てきた。そのあとから、
「待って、鍵先に持っていって。自販機で飲み物買うから」
と、若いお母さんが二人に声をかけた。
「ああ、俺にも何か買って」
そう言って、お父さんのほうは、ひょいと子どもを抱きかかえた。
本当にまだ、2歳くらいになったばかりの可愛い男の子だ。お父さんもまだ若そうだ。
私と聖君の横を通り、そのお父さんはてくてくと歩いていった。そして、お父さんに抱かれていた男の子は、お父さんの肩越しに私たちを見ると、にっこりと微笑んだ。めちゃくちゃ可愛い笑顔で、思わず聖君は、
「バイバイ」
と声をかけ、手を振っていた。その子も、バイバイをしていた。
「すげ、可愛かった、あの子」
聖君はしばらく、その親子の後姿を見ていた。
「いいな。親子3人で旅行に来たんだね」
私がぼそって言うと、
「うん。それで、3人で家族風呂に入ってたんだ」
と聖君も、ぼそって小さな声で言った。
「いいね。俺もあんなふうにしてみたいな」
「え?」
「なんか、いいよね」
「うん」
聖君は目を細めて、何かを思い描いているようだった。その未来の家族の奥さんは、私なんだろうか。聖君がイメージした、聖君と一緒にいる奥さんは…。
「でも…」
聖君は、何かを言いかけてやめた。
「な、何?」
こういうの、いっつもすごく気になる。
「うん。子どもも一緒じゃ、お風呂で桃子ちゃんといちゃつけないよな~~って思って」
「え?!!!」
もう~~~~。声にもならず、私はただ、聖君の腕をバチンとたたいた。
「いて!」
聖君は痛がってみせて、それからはははって笑った。
あれ?待って。っていうことはやっぱり、その奥さんは私ってことだよね?聖君が描いた未来の、そのイメージの中に私はいたんだよね?
そう思うと、嬉しくて顔がほてってしまった。
「さて、あの家族が出たんだから、空いてるってことだ。じゃ、入ろうか。桃子ちゃん」
「まじで、入らないから!」
そう言って、私はずんずんと女風呂の方に向かって歩いていった。
「え?嘘」
聖君の声が後ろから聞こえた。何が「嘘」だよ~。入らないに決まってるじゃない。
「ちぇ~~~~」
だから、なんでそこで、ちぇ~~、なの?もう~~。
私はさっさと、女風呂に入った。脱衣所からお風呂場へ行くと、菜摘が、体を洗っていた。
「あれ?菜摘、お風呂に来てたんだ」
どうりで、呼んでもいないわけだ。
「部屋に戻ったらね、布団が敷いてあって、葉君とものすごく慌てちゃって、急いでお風呂に入りに来たの。なんだか部屋にいられなくなっちゃったんだ」
菜摘は、困った様子でそう言った。
「あれには私もびっくりした」
「やっぱり?」
「でも、聖君はまるで、修学旅行来たかのように、はしゃいで、布団でごろごろしてたよ」
「……。もう、兄貴、無邪気すぎ」
「くす。ほんとだよね。そんなところが可愛いけど」
「可愛いの?そういう兄貴が?」
「え?うん」
自分で言って、自分で照れた。
「なんだか、思い切り丁寧に洗っちゃった」
菜摘はそう言うと、
「お風呂入ってくる」
と言って、湯船に入りにいった。
し~~ん。菜摘は黙った。私たち以外の人はいなくって、風呂場は静かだった。隣の男風呂の音も、まったく聞こえてこないし。
「桃子」
菜摘は、私が湯船に入ると声をかけてきた。
「何?」
「……。なんでもない」
「?」
なんだろう。何か悩んでいるのかな。
「先にあがって、部屋に戻るね」
「え?うん」
菜摘はそう言うと、お風呂を出て行った。
私はしばらく、一人きりでお風呂に入っていたが、寂しさと怖さがいきなり押し寄せてきて、さっさと風呂場を出た。
一人っきりで、温泉のお風呂はけっこう怖いかも。それもちょっと暗いし、タイルが黒だし。よく菜摘、一人で入っていたな。
菜摘はあっという間に、着替えもしたのか、脱衣所にもいなくって、その脱衣所も扇風機だけが回っていて、すごく静かで怖くなり、私もほとんど体も拭かず、浴衣を羽おり廊下に出た。
出たのはいいけど、聖君がいない。あ、聖君よりも早くに出ちゃった?
「あれ?桃子ちゃん、早いね」
聖君がちょうどその時、濡れた髪をバスタオルでごしごし拭きながら、出てきた。よ、良かった。聖君を見て、ものすごくほっとした。それに、聖君、浴衣姿だ。似合う!
「菜摘がいたの。でも先に出て行っちゃって、一人で怖くって、すぐに出てきちゃった」
「一人?他にいなかったの?」
「うん、男風呂はいたの?」
「いたよ。なんか酒飲んだあとなのか、酒臭いおっさんが二人。話しかけられてうざいから、俺もとっとと出てきちゃった」
へえ。そういう人とも平気でしゃべっちゃうかと思ってたのにな。
「どうも、俺、酔っ払いは嫌いだよ」
ああ、そっか。相手が酔っていたからか。
ああ、でもほっとした。聖君がすぐに出てきてくれて良かった。私はほっとして、聖君の腕にしがみついた。
「一人で怖かったんだ」
「うん」
「だから、家族風呂に俺と入ればよかったんだよ」
「……」
恥ずかしいけど、確かに聖君となら、怖くなかったかもしれないな。
「聖君、髪、すぐに乾かしたほうがいいよ」
「ああ、うん。桃子ちゃん、ドライヤー持ってる?」
「うん、持ってきた」
「じゃ、部屋で乾かそう」
「うん」
私は聖君の腕にしがみついたまま、聖君と部屋に戻った。
「葉君はお風呂、入っていなかったの?」
「俺が入る時にはもう、出ていってたよ」
「菜摘、なんか悩んでたのかな」
「なんで?」
「何かを言いかけて、やめてたから」
聖君はドライヤーを止めた。
「葉一は、なんだか落ち着かない様子だったけど」
「本当に、二人、大丈夫かな」
「う~~ん。心配してもしょうがないし、やっぱりほっとこうよ」
そう言うと、聖君はまた、ドライヤーをかけだした。確かにそうなんだけど、そうなんだけどさ…。
だんだんと、聖君の髪が乾いていく。聖君の髪が濡れてるのって、けっこう色っぽいんだよね。その髪を手でかきあげたりすると、ドキってなっちゃう。
今は、だいぶ乾いてきた髪が、ぼさぼさの状態で、前髪で目も隠れちゃって、それはそれで、可愛いかもしれない。
「あ、ブラシも忘れた」
聖君がそう言うから、貸してあげた。それから、
「私がとかしてもいい?」
と聞くと、
「うん、いいけど?」
と聖君はちょっと不思議そうな顔をしながら答えた。
私は聖君の座ってる後ろに立ち、髪をとかした。ちょっとぼさついてた髪も、すぐにサラサラになる。ああ~~。なんだか、感動~~。つむじも見える。可愛い~~。駄目だ。可愛すぎる。抱きつきたい。
私は後ろから、聖君の首に腕を回して、抱きついた。
「え?」
聖君はちょっと驚いてから、照れくさそうにした。
「桃子ちゃん、浴衣姿、色っぽいね」
「私?」
「うん」
聖君はそう言うと、首に回していた私の腕から、するっと抜けて、立ち上がり、私の方を向いた。
「でも、それ、すぐにはだけちゃうから、気をつけないとね」
「え?」
私は胸元を見ると、本当に少しはだけていて、慌てて直した。
「あ、直してもすぐに、脱がされちゃうから」
「え?!」
「俺に」
「ええ?!」
そう言って聖君は、私にキスをしてくると、私の腰に腕を回し、布団の方へと、連れて行かれた。そして、またキスをしてきて、私は布団に押し倒された。
聖君は、そっと立ち上がると部屋の電気を消しに行き、また戻ってきた。
「あ、けっこう真っ暗だ」
聖君はそう言うと、布団の枕元に置いてある、小さな電燈のスイッチを入れた。
「あれ、これじゃなんだか、かなり色気が出ちゃった感じ?」
辺りが薄ぼんやりと明るくなり、そこに布団が並んでいると、聖君が言うように、やたらと色気のある雰囲気になってしまった。
私は思い切り、恥ずかしくて、照れていると、聖君は、
「ま、いっか。こういうのも」
と、頭を掻きながら、そう言うとまた私にキスをしてきた。それも、濃厚な…。
とろん。すぐに私は溶けてしまい、まったく抵抗ができなくなった。
「桃子ちゃん」
耳元で聖君がささやく。
「大好きだよ」
聖君の声はめちゃくちゃ優しくて、その声にもとろんと溶けてしまった。
私も大好きと言おうとしたけど、言葉にすらならない。
私はただただ、聖君に腕を回して、抱きついてみた。でも、そのうちにその腕すら、力が抜けていった。
薄ぼんやりと明るい中で、聖君を見ると、聖君の顔は優しいのに、やたらと色っぽくって、それだけで私は、ドキドキしていた。