第87話 温泉旅行
>決まったよ、宿も取れた。
聖君から翌日の夜、メールが来た。熱海の方にある温泉らしい。やはり、春休みなのでどこの旅館もホテルも、ペンションもいっぱいで、どうにか空いてるところを探したらしく、ほんとに、温泉がついてるだけの、小さな旅館のようだ。
だけど、二部屋取れてラッキーだよねって、聖君はメールをくれた。
そのあとにすぐ、菜摘からメールがあり、葉君から決まったっていうメールが来たって、書いてあった。
>どうしよう。今からドキドキだよ!
菜摘のドキドキが伝わってくるようだ。
私はすぐに、母に蘭と菜摘と温泉に行くことを報告した。
「あら、いいわね。熱海の温泉?」
母は、にこにこしながらそう言った。う、その笑顔に気が引ける。
春休みに入りすぐ、菜摘と旅行に行くための下着や服を買いに行った。
「ねえ、寝るときってまさか、浴衣かな」
菜摘が聞いてきた。
「かもね。でも、一応パジャマも持っていこうよ」
「だよね」
パジャマを見ていると、菜摘は、
「桃子、下着ってどんなの持っていくの?」
と聞いてきた。
「可愛いの…」
「可愛いのってフリルとかついてるやつ?」
「うん。だいたいがそんなの」
「色は?」
「ピンクやオレンジ」
「そっか~~」
菜摘はそう言うと、思い切りため息をついた。
「まだ、心の準備ができてないんだよね」
菜摘はそう言いながらも、下着選びに夢中になり始め、パジャマは結局買わなかった。
「フリルはやめた。私っぽくないし、フリルのなんて買ったことないから、恥ずかしくって」
菜摘は、オレンジに水玉の模様の下着と、水色と白のストライプの下着を買ったようだ。
「は~~」
買った後も、菜摘はため息をついていた。
私はと言うと、うきうきだった。両親には気が引けるものの、でも、聖君と旅行に行ける嬉しさのほうが勝っていた。
そして、あっという間に、その旅行の日はやってきた。
藤沢駅で12時に待ち合わせをした。12時ぴったりに駅に着くと、すでに葉君と聖君は駅にいた。
「昼は、駅弁を電車で食べようか」
聖君が提案した。ああ、そんなことも嬉しい。
駅弁を買い、電車に乗り込み、4人、向かい合わせの席に座った。
「席、空いてて良かったね」
「うん」
しばらく、外を眺めながら、聖君と葉君は話をしていた。菜摘は会った時から、静かだった。緊張してるのがこっちにも、伝染してくる。私まで、なんだか緊張でドキドキしていた。
「旅館、ちょっと古いみたいだし、小さいみたいだけど、でも、温泉はよさそうなんだ」
旅館から送られてきたパンフレットを、私たちに葉君が見せながら、そう言った。
パンフレットを見てみると、確かに、小さめの旅館のようだったけど、でも、綺麗な温泉や、露天風呂までがあった。それに部屋も載っていたが、普通の和室のこぎれいな感じの部屋だった。
お料理も、魚中心の和食で美味しそうだし、駅から迎えの車も来るようだった。部屋が空いていたのは、ちょっと駅から遠そうだったのと、周りに何も、遊ぶところがなさそうなのと、温泉以外の何も施設がないのが理由かもしれない。
聖君が、
「腹減っちゃった。弁当食っちゃおうよ」
と提案した。私たちはお弁当を広げて、食べだした。
熱海までは、藤沢から1時間もかからない。お弁当を食べ、お茶を飲んでいると、あっという間に到着してしまった。
「時間、言ってあるから、迎えに来てると思うよ」
葉君がそう言って、改札を抜けた。私たちもあとから、ついていった。
すると、すでに旅館の車が止まっていて、葉君と聖君はめざとくそれを見つけて、車の前で待っていた旅館の人に、声をかけにいった。
「ああ、緊張であまり、ご飯も食べれなかった」
私の横で、菜摘がそう言った。そういえば、お弁当を半分、聖君にあげていたっけ。
私と菜摘も車に乗り込み、車は発進した。
「4人で、卒業旅行ですか?」
運転している旅館の人が聞いてきた。50代くらいの人だろうか。
「え?ああ、そうです」
葉君が答えた。
「若いのに、渋いですね。うちの旅館を選ぶとは」
「え?ああ、まあ」
さすがに、他のところが空いていなかったとは、言いづらいのか、葉君は返事に困っていた。
「でも、お料理と、温泉は最高ですから、ゆっくりとしていってくださいよ」
運転手はそう言うと、ラジオをつけた。車に揺られて、40分もするとようやく宿に着いた。
「いらっしゃいませ」
車が着くと、すぐに旅館の人が出迎えにやってきた。たいした荷物ではないのに、みんなの荷物をその女性は持ってくれて、
「どうぞ、中に入ってください」
と、私たちを旅館の中に招き入れた。
中に入ると、そのままその女性が、受付で鍵を受け取り、部屋に案内してくれた。
「私はここの女将の、夕菜といいます。今日はお越しいただき、ありがとうございます」
わ、女将自ら?そうだったんだ。40代くらいの綺麗な女性だったけど、女将だったんだ。
「部屋は、菖蒲の間と、椿の間になります。菖蒲の間に男性お二人が、お泊りになりますか?椿の間は、隣になります」
葉君は黙りこんだ。でも、聖君がすかさず、
「あ、それでいいです」
と、答え、菖蒲の間に荷物と鍵を受け取り、入っていった。
「では、女性の方はこちらにどうぞ」
私と菜摘の荷物を持って、夕菜さんは、椿の間に入った。それから、食事の時間や、お風呂の場所を教えてくれて、お茶を入れて、部屋を出て行った。
そして隣の菖蒲の間に、入って行ったようだ。
「そうだよね。女性は女性、男性は男性で、別れると思うよね」
菜摘は、少しほっとしながら、そう言ってお茶をすすり、テーブルに置いてあった、お饅頭も食べだした。ほっとして、お腹が空いたんだろうか。
5分もすると、ドアをとんとんとたたく音がして、二人が入ってきた。
「あれ?菜摘、お弁当残したくせに、饅頭食べてたの?」
テーブルにあったお饅頭の包み紙を見て、聖君がそう言った。
「さっきは、お腹いっぱいだったんだもん」
菜摘は、ちょっと困ったようにそう言った。
「どうする?夕飯は6時だって言ってたし、まだ、3時にもなってないし、暇だね。風呂でも入る?」
葉君が聞いてきた。
「他に何もないの?」
菜摘が聞いた。
「ゲームコーナーがあるみたいだけど…。あとは、庭がちょっとあって、散歩ができるかな」
葉君がそう答えると、
「散歩ね~」
聖君はそう言って座り、勝手にお茶を入れて、ぐびっと飲んだ。
「露天風呂入りたいな、俺」
聖君はそう言った。
「じゃ、もう入ってくる?」
葉君がそう言うと、聖君は何か葉君に耳打ちした。すると、葉君は赤くなり、
「そ、それは駄目だろ。それは、無理だって」
と慌てていた。
なんだろう。不思議に思っていると、菜摘が、
「何?何を言ったの?兄貴」
とすかさず聞いた。
「露天風呂って、家族風呂になってて、家族単位で入れるみたいでさ」
聖君が、パンフレットを指差してそう言った。
「ふうん。だから?」
菜摘がそう聞くと、
「鍵もかけられるんだって」
と、聖君が言った。
「ふうん…」
菜摘はまだ、聖君が何を言おうとしているのか、わからない様子だった。でも、私はぴんときてしまっていた。それで、真っ赤になると、
「あ、桃子ちゃんは、わかったんだ」
と葉君に言われてしまった。
「むむむ、無理、私」
と、いきなり真っ赤になって聖君に言うと、
「やっぱり駄目?」
と聖君は上目遣いで聞いた。
「ま、まさか、桃子と二人で入ろうとしてた?」
菜摘がようやくそれに気がつき、聖君に、
「し、信じられない」
と、呆れた目をして言っていた。
「なんだ。ちぇ」
聖君が残念そうに舌打ちした。ちぇって、ちぇって言われても、そんなの恥ずかしすぎて絶対に無理だよ~~。
もう~~。ほんと、菜摘じゃないけど、信じられないよ。
先に男性陣が露天風呂に入りに行き、私と菜摘はゆっくりと庭を散歩した。
「兄貴ってば、信じられないよね」
まだ菜摘は、そんなことを言っている。私も隣で、真っ赤になっていたと思う。
「なんかすごく静かだね」
私がそう言うと、菜摘も、
「うん」
とうなづき、黙り込んだ。
庭は綺麗だった。小さな池もあり、鯉が泳いでいる。庭の奥に行こうとすると、そこから、
「聖!水かけるな!つめてえだろ!」
という葉君の声が聞こえた。そのあとには、聖君の笑い声も。
「わ、この先、露天風呂だね」
菜摘が声を潜めてそう言った。ちょっとうっそうと生えた木々の奥に、囲いがあり、その向こう側が露天風呂のようだ。
「すげ~~、気持ちいい!さっさと、葉一も入って来いよ」
聖君の声だ。
「うお~~。気持ちいい」
葉君の声だ。
「空、綺麗だよな~~。それにあの辺の木、もみじじゃないかな。秋は紅葉が綺麗だろうな」
聖君がそう言うと、
「こりゃ、極楽だね」
と、葉君が言ってるのが聞こえた。
「親父みたい」
それを聞いて、菜摘はくすって笑った。
「聞いてるのも悪いから、向こう行こうか」
と私が言っても、菜摘はまだ、そこにいようとした。
「もうちょっと、何を話すか聞いていたいな」
菜摘は、小声でそう言うと、ちょこんとそこにしゃがみこんでしまった。
え?それって、盗み聞きなんじゃないのかな。う、気が引けるし、もし変なことを聖君が言い出したらどうしよう。
なんて、私の心配をよそに、いきなり聖君が、鼻歌を歌いだした。ああ、相当ご機嫌らしい。
「葉一さ~、車買うの?」
「うん。でも中古かな」
「俺も父さんの車じゃ、そうそう貸してもらえなさそうだしな~~。欲しいよな~~、車」
あ、そういう会話か。ちょっと安心。
「葉一はもう働くんだし、ローンとかも組めるのか」
「そんなに最初は給料いいとは思えないけど」
「え?」
「高卒だからね」
「ああ、そっか~」
二人してしばらく黙り込んでいた。それを聞いている菜摘も、真面目な顔をしていた。
「高校もあっという間だったよな」
葉君がぽつりと言った。
「葉一とは中学も一緒だったし、6年間も一緒だったわけか」
「そうだな」
「このまま、親父になるまで、友達してんのかな、俺たち」
「あはは、そうなんじゃねえの」
親友っていうのだね。いいな、なんだか、男の友情。
「なんかのぼせそう、俺」
「え?大丈夫かよ、聖。もうあがったら?」
「う~~ん、ここに座って足だけ入れてたら、大丈夫かも」
「それじゃ逆に寒くない?」
「うん、気持ちいいや。は~~~~~あ」
聖君は大きなため息をついていた。
「受験大変だった?」
葉君が聞いた。
「ああ、まあね」
「ほっとした?」
「うん。まあね」
聖君、口数少ない。あ、前に言ってたっけ。葉君は黙っていても大丈夫なんだって。他の男子じゃふざけちゃうけど、葉君となら、静かでいる時もあるって。
「兄貴も、葉君も、私たちの話ってしないんだね」
菜摘は小さな声で、私に言ってきた。ああ、そういえば、さっきから全然。
「私と桃子なんて、二人の話ばかりなのにね」
「うん」
そうだな。男の人ってあまり、彼女のことを話題にしないんだろうか。なんて思いながら私と菜摘は、その場を離れようとした。すると、
「俺、緊張してるんだけど」
と、いきなり葉君が言ってるのが聞こえてきた。
「緊張?ああ、4月からの会社のこと?」
「それはまだ、そんなでもない」
「じゃ、何?」
「今夜のこと」
「え?ああ、菜摘と?」
菜摘がそれを聞き、また露天風呂に近づいていき、しゃがみこみ耳を傾けた。
「聖は?」
「俺?え?今夜のこと?」
「うん」
「別に、緊張してないけど、してるように見える?」
「まったく見えない。めちゃくちゃ、リラックスしてるよな」
「うん」
……。そうなんだ、聖君。私は緊張もしてたし、ドキドキしてたのにな。
「はあ…」
葉君がため息をついた。
「何暗くなってるんだよ?もっと、浮かれてたらいいじゃん」
「ええ?お前みたいに浮かれられないよ」
「俺、浮かれてる?」
「そうでもないよな」
「うん」
え?そうなんだ。聖君、浮かれてるわけでもないんだ。
「なんだか、お前は冷静だな、聖」
「そう?」
「まあ、さっきは驚いたけどさ」
「さっきって?」
「桃子ちゃんと一緒に、露天風呂入れるかなって、耳打ちされた時には…」
「ああ、あれ」
「ああいう冗談はよせよな。それも本人がいる前で。俺、どうリアクションしていいか、わからなかったよ」
「本気だったんだけど、俺」
「え?」
え?私も菜摘も目を合わせ、目を丸くした。
「まじで、気持ちいいじゃん、露天風呂って。それ、一緒に味わいたかったんだけどさ」
「…それだけ?」
「そうだよ。あ!お前、何想像してるの?さすがにそこまで俺、すけべじゃないって!」
「本当に、それだけ?でも、風呂に入るってことは、お前も桃子ちゃんも、裸にならなきゃ入れないだろ?」
「タオルあるじゃん」
「バスタオルでよく、体隠してテレビで入ってるのはさ、特別に許可もらってるんだよ。バスタオルや、手ぬぐいだって、風呂に入れたら駄目なんだからさ」
葉君はそう言った、横で菜摘がうんうんとうなづいていた。
「ふうん、そうなんだ。じゃ、別にタオルで隠さなくてもいいじゃん」
「ええ?!まじで言ってんの?」
葉君がものすごく驚いた声をあげた。横で菜摘も、仰天していた。
「え?なんで?まじだよ。別に桃子ちゃんの裸、初めて見るわけじゃないし」
わ~~~~~~!!!!聖君!そそそ、そんなこと葉君に話さなくても!
「なんで、お前が真っ赤になるんだよ、葉一」
「なるよ!そんなこと平然と言われたら」
わ、葉君が赤くなっちゃったんだ。横で菜摘も真っ赤になって、私を見ていた。恥ずかしくて、私は思わず、思い切りうつむいて、顔を隠した。
「そっか。わりい。お前には刺激強すぎたな、今のは」
「くそ~~。頭に来るな。そう言われると。聖にすっかり先こされたみたいじゃん」
「そうじゃん」
「なんだよ!それ!」
「嘘だよ、嘘。あははは。お前、面白い。からかいがいがある!」
「からかって遊ぶなよ!」
嘘。聖君って、葉君のことまで、からかって遊ぶことあるんだ。
「兄貴ってば~~」
菜摘はまだ、真っ赤だった。
「まったく。こっちはまじで、緊張してるってのにさ」
「わりいって」
葉君に聖君はまた、謝った。
「お前だって最初は、緊張しただろ?」
「ああ、うん、まあね」
菜摘は顔を赤くしたまま、黙って下を向いていた。
「無理強いはできないよな。旅行来てくれただけでも、菜摘は勇気出してくれたんだもんな」
葉君がそう言うと、菜摘はますます下を向いた。
「そうだよな。よく決心したよな」
聖君もそう言った。
「俺もうあがるよ、のぼせそうだ」
葉君はそう言って、お風呂からあがったみたいだ。聖君はまだ、いるのかな。少しすると聖君の鼻歌がまた聞こえてきた。
「……」
菜摘は黙ったまま、その場を離れた。ちらっと顔を見ると、目が真っ赤で潤んでいた。泣いてた?もしかして…。
「ちぇ~~」
聖君の声がした。私も菜摘とその場を去ろうとしてたけど、ちょっとだけ、その場にしゃがみこみ、聖君の声を聞こうとした。
「あ~~~あ」
今度はため息だ。どうしたのかな。元気ないのかな。
「桃子ちゃんと入りたかったのにな~~~」
う!!そ、そういうため息か…。私は真っ赤になりながら、その場を去った。