第85話 贅沢もの
れいんどろっぷすに着いた。お店のドアノブには貸切という札が、下がっていた。
「貸切?」
菜摘が聞いた。
「そう。そう札を出しておかないと、けっこう入ってくるんだよね、お客さん」
「定休日とか、そんな札は?」
「中に人がいると、営業してると思われちゃうみたい。ほら、今日本当は、休みの日じゃないしさ」
「あ、そっか~」
ドアを開けると、キッチンから聖君のお母さんが顔を出した。
「あら、みんなで来たの?お昼も食べる?」
「ああ、わりい。あったらでいいよ。なかったら、俺らどっかのファミレスに行くから」
聖君がお母さんにそう言うと、
「大丈夫よ。材料はあるし、5人分くらい、さっと作れちゃうから、テーブルの席について待ってて」
と、聖君のお母さんはそう答え、キッチンに入っていった。私たちは、席に着いた。
テーブル席にはこの前、聖君が買っていったランチョンマットが敷かれていて、壁には、聖君が買っていったフレームが飾ってあった。
「聖君がこの前選んだものだよね」
私がそう聞くと、
「うん、なかなかいいでしょ?メニュー表も今、書き換えてる。いろんなもの、ちょっとずつ春らしくしていく予定なんだ」
と聖君は答えた。
「聖君が?」
「俺と母さんとで。でも、けっこう父さんも、いろいろと雑貨買ってきたりするよ」
「へ~~」
家族みんなで作っているお店なんだ。素敵だな。
それに楽しそうだ。季節によって、模様替えしたり、メニューも変えるんだろうな。いいな。本当に楽しそう。
「はい。お待たせ」
さすがだ。あっという間に5人分のお昼ご飯を作って、聖君のお母さんは持ってきた。
「いただきます」
と言って、5人で食べだした。
「卒業式良かったわね。感動しちゃった」
聖君のお母さんは、みんなのコップに水を注ぎながらそう言った。
「そう?俺なんか眠くなってたけど」
「聖は、無感動すぎるわよ。そういえば、女の子が二人、さっきまで店の前にいたわよ。まだ帰ってこないって言ったら、またお店が開いてる時に来ますって帰っちゃった。制服着て、卒業証書持ってたから、3年生ね」
「げ、誰?」
「名前まで聞かなかったけど。何、その「げ」って」
「聖、式終わってからず~~っと、いろんなやつにかこまれて、大変だったんですよ」
基樹君が、聖君のお母さんに言った。聖君のお母さんは、隣のテーブルの椅子に腰掛け、
「いろんなやつにって、どんなやつ?」
と、興味津々の顔で、聞いてきた。
「まず、後輩の男子。そこから開放されたら、今度は同級生の男子、女子。そっから抜け出して校舎から出たら、後輩の女子。駅でまで、待ち伏せされたよな」
基樹君が、そう聖君に言うと、
「その間、ずっとお前、助けもしてくれなかった。葉一なんてさっさと先に帰っていったよな。薄情なやつ」
と、聖君はちょっとむくれながら、そう言った。
「まあ、大変だったのね、聖。中学の時にも学ランのボタン全部取られて、そのうえ、みんなが帰してくれなくって、大変な思いをしてたけど」
「ああ。あれね。でも、今年はどうにか、途中で逃げ出せたから、あんなに遅くならなかったけど」
「そうね。けっこう早く帰ってこれたものね」
聖君のお母さんはそう言うと、
「さてと。卒業祝いの準備にでもとりかかろうかしらね」
と席を立った。
「あとで手伝います」
と私が言うと、
「桃子ちゃん、嬉しい。桃子ちゃんがいてくれると、ほんと、助かるのよね」
と、お母さんはにっこにこで言ってくれた。
お昼ごはんを食べ終わると、
「リビング入る?」
と聖君は言い出して、みんなはリビングにあがった。私はそのままキッチンに行き、お母さんの手伝いを始めた。
私はお母さんが指示するとおりに、野菜を切ったり、炒めたりした。
「もう、聖も卒業か。早いわね」
聖君のお母さんは、ちょっとため息をついた。
「もう、聖、18歳でしょ。生まれて18年もたったのね。あっと言う間だったわね」
「生まれた時って、どんなでしたか?安産でしたか?」
「そう安産だったわ。爽太も立ち会ったの。あっと言う間に生まれたわね」
「へえ」
「すごく元気で、大きな病気をすることも、怪我をすることもなく育って。ほんと、可愛かったわよ。明るくて、人見知りをしたことがなくって」
「へ~~」
「いつも友達がいて、輪の中にいたわね。なんていうか、友達つくりの名人とでもいうのかしらね。あっという間に仲よくなっちゃってたわ」
「小さい頃からですか?」
「そうよ。でも、あの頃から男友達が多い。まあ、遊び方がサッカーや野球や、そういうのが多かったからね。あとは、海に行って、よく泳いでた」
「元気だったんですね」
「うん。やんちゃだったし、目を離すとすぐどっかに行っちゃうし」
「へえ~」
「爽太と気があってて、聖が小さい頃からずっと、一緒に遊んでたわ。サッカー、キャッチボール、海水浴。爽太は子どもが大好きだったから、本当によく遊んでた。だからきっと、聖も、子ども好きになるわね。自分の子どもをそうやって、育てると思うわ」
「聖君のお父さんも、やっぱり、子どもの頃、お父さんによく遊んでもらったんですか?」
「爽太?もう、お父さんどころか、おばあちゃん、おじいちゃん、おじさんたち、いろんな人から可愛がられたみたい。何かって言うと、みんなで集まって、パーティしてたみたいだし」
「パーティ?」
「誕生日にも、クリスマスにも。ほんと、仲のいい家族というか、親戚だったから」
「そうなんですか」
「聖が生まれた時だってそうよ。みんなで病院まで来たわよ」
「へえ。じゃ、聖君も思い切りみんなに、可愛がられたんですね」
「そうね。思いっきりね」
愛情たっぷりの中で、育ったんだな~~。だから、聖君にとって、家族は大事で、かけがえのない存在なんだ。
「ふふ」
お母さんがいきなり、笑った。
「よく爽太がね、聖は天使だって言ってたのよね。私には爽太が天使だったけど、でも聖も、杏樹も私や爽太にとって、天使だったのよね」
「天使?」
「今も天使」
「……」
「桃子ちゃんもそう思う?」
「え?」
「ああ、そうか。桃子ちゃんが聖の天使か」
「?」
私が?
「くびったけだもんね~~。聖、本当に桃子ちゃんが好きで、しょうがないって感じだし」
「え?!」
私は真っ赤になってしまった。
「それ、逆です。私が聖君にくびったけなんです」
「ふふふ」
聖君のお母さんが、私を見て笑った。真っ赤だったからかな。
「聖、きっと桃子ちゃんのそういうところが好きなのね~」
「え?」
「ふふふ」
そういうところって、どういうところ?わからないけど、聖君のお母さんはそれきり、ふふふって笑うばかりで、教えてくれなかった。
聖君のお母さんと、れいんどろっぷすのキッチンで、作業をするのはものすごく楽しい。ああ、こんなふうにいつか私も、カフェをやりたいな~~って、そんな未来へのビジョンがどんどん飛び出てくる。
いろんなお料理のレシピを考えるのも楽しそうだし、そのお料理にあった盛り付けや、お皿を選ぶのも楽しそうだ。
それに、お店の雰囲気や、雑貨、音楽、お花、そんなものを選ぶのもすごく、楽しそうだ。きっと、聖君もそういうのが好きだから、一緒に楽しみながら、選べそうだ。
ああ、めくるめく、妄想の世界だ…。
そんな妄想もしながら、お母さんとの話も楽しみながら、あっと言う間に、お祝いの準備は整った。
「聖!そろそろできるわよ」
聖君のお母さんが、聖君を呼んだ。
「ああ!今行く」
聖君はリビングから、そう答えると、本当にすぐに飛んできた。そして、次々にテーブルにお料理を運び、グラスやジュース、スプーンやフォークの準備も、さっさとしてしまった。さすがだ。その早さは、あざやかとしか言いようがない。
「じゃあ、みんな席について、乾杯しましょうよ」
聖君のお母さんがそう言った。すると2階から、クロと聖君のお父さんが来た。
「準備OK?」
「爽太は仕事、一区切りついたの?」
「今ちょうどね。さて、俺も一緒にお祝いさせてもらおうかな」
聖君のお父さんはそう言うと、ジュースの入ったグラスを持った。
「卒業おめでとう」
と聖君のお父さんが言うと、聖君、葉君、基樹君は、ありがとうと言って、みんなで乾杯をした。
「かんぱ~~~い」
それから、ジュースを飲み干した。
「おなか空いてる?お昼からまだ、そんなに時間たってないけど」
「全然、食えます」
と、聖君のお母さんの質問に、葉君も、基樹君も、任せてくれって顔で答えていた。
聖君はと言うと、そんなお母さんの言葉も聞かずに、もうばくばくと食べていた。
「うめ~~!これ」
と聖君が、目を細めて食べているのは、私が作ったものだった。
「あ、それは桃子ちゃんが作ったのだから」
と、聖君のお母さんが言うと、聖君は私を見て、
「まひへ?」
と口にほおばっていたから、何を言ってるのかわからない状態になっていた。
「聖、ちゃんと食べてからものを言いなさいよ」
お母さんに注意されて、聖君はごくんと飲み込んでから、
「まじで?」
ともう一回聞いてきた。ああ、まじでって言ったのか。
こくんとうなづくと、
「すげ!すぐにでも、店に出せるじゃん」
と聖君は目を丸くして喜び、その横から私の料理を食べた基樹君も、
「旨い!」
と言ってくれた。
「桃子ちゃん、お料理の学校なんて行かなくても、すぐにお店で働けるんじゃないの?」
聖君のお父さんまでが、そう言ってくる。
「でも、いろいろと勉強したくて」
と私が言うと、
「さすが。勉強熱心だよね、桃子」
と菜摘が横で、褒めてくれた。
1年、お料理の学校に行ったら、調理師の免許を取って、ここで働かせてもらえないかな。なんて、実はずうずうしいことを、思ってたりする。でも、これは聖君にすら言ってない。言ったら、どうするかな。賛成してくれるだろうか。
あれ?でもそういえば、この前の買い物で、れいんどろっぷすを継ぐのは、桃子ちゃんかもなんて、聖君言ってたっけ。
そうなるのかな…。どうなんだろう。そんな妄想してもいいのかな。
ここに、聖君がいて、私がいて、聖君の家族がいて、クロがいて、二人の子どもがいて…。なんて!!
あ、駄目だ。顔がにやけてしまう。
うまいと言って、喜んでる聖君を見て、私はついつい妄想してしまう。これからも、ずっとずっと、こんな聖君を見ていたいって。
お祝いの時間はあっと言う間に過ぎて行き、
「そろそろ俺、帰ります。夜、バイトが入ってて」
と、葉君が席を立った。
「あ、じゃあ私も」
と、菜摘も席を立った。
「ほんじゃ、俺も帰ろうかな」
基樹君は、デザートのケーキの残りを、ばくって口に入れてから、席を立った。
「あ、じゃ、私も」
と私がそう言いかけると、
「桃子ちゃんはまだ、いられるよね?」
と聖君に言われてしまった。
「う、うん」
実はまだまだ、聖君といたくって、嬉しくてすぐにうなづいた。
「じゃあ、俺ら帰ります。今日は本当にありがとうございました」
葉君がぺこりとお辞儀をした。
「ご馳走様でした」
基樹君もお辞儀をした。
「また遊びに来てね」
聖君のお母さんと、お父さんがドアまで見送りに行った。聖君と私はドアの外まで出て行き、
「またな!」
と、聖君は手を振った。
「おう!またな!」
基樹君と、葉君も手を振った。菜摘も、バイバイと手を振っていた。
「さて、桃子ちゃん、俺の部屋行こう」
「え?でも、片付け手伝わないと」
「いいよ。俺があとでしておくから」
聖君はそう言うと、お店に入り、とっととリビングの方へ行ってしまった。
「お邪魔します」
私も家に上がった。それから、聖君について、2階に上がった。
「寒いかな。暖房つける?」
「ううん、大丈夫」
「最近、あったかくなってきたもんね」
「うん」
ベッドに座ると、聖君も横に座った。
「あ、花、サンキュー。あとで店から持ってきて、部屋に飾っておく」
「うん」
聖君は、ふうってため息をついた。
「疲れたの?」
「うん、ちょっとね」
「もう、高校行かないんだね」
「だね」
「もう大学生だね」
「うん」
「新しい生活が、聖君は始まるんだね」
「だね」
聖君がやけに、静かになった。口数が少ない。ただただ、私のことをじっと見ている。
「あ、そうだ。もうすぐ誕生日だよね」
「え?私?」
「そう。どこ行こうか」
「いいよ、どこに行かなくても」
「え?」
「れいんどろっぷすに来るよ、私」
「……。俺の部屋に来る?」
「…うん」
「じゃ、俺、リボンかけて待っていよう」
「え?!何それ!」
「俺をプレゼント」
「へ?」
「……」
みるみるうちに、顔がほてりまくり、真っ赤になった。
「なんで、そこで桃子ちゃん、赤くなるんだよ!」
聖君まで、真っ赤になった。
「もう、冗談なのに、なんで、赤くなるかな」
聖君はそう言うと、頭をぼりって掻いた。
「あれ?それとも、まじで、俺がプレゼントってのでもいいの?」
「え?」
「あ、また赤くなってる。や~~らし~~。何、想像してんの?」
「してないよ!」
「したでしょ?今、意識飛んでいってたよ」
「う…」
そうか、ばれちゃったか。
「実は…」
「うん」
聖君はちょっと身を乗り出して、私に耳を傾けた。
「今日ね、聖君と握手をしたり、最後には抱きついた子もいたでしょ?」
「え?うん」
「その子達は、聖君と握手ができたとか、触れることができたとかって、きっと喜んだんだろうな、感激したんだろうなって思って」
「……」
聖君は、目が点になっていた。それが、どうしたのっていう顔だ。
「私、贅沢ものだよね」
「え?なんで?」
ますます聖君は、不思議そうな顔をする。
「だって、そんなに多くの子が、聖君にちょっと触れただけでも、喜んでるんだよ?なのに、私」
「なのに、桃子ちゃんは、俺をまるごとプレゼントされちゃうんだから?」
と、聖君はおどけた顔をして、そう言ってきた。
「ええ?そ、そうじゃなくって」
「違うの?」
「そ、そういう意味じゃなくって」
「うん」
「そ、そんな意味じゃ」
私はまた、真っ赤になってしまった。
「桃子ちゃんの場合は、抱きつき放題だもんね。みんなは、卒業式限定で、桃子ちゃんは、期間限定もない」
「え?」
抱きつき放題?
「なんなら、今日もどうぞ。桃子ちゃんだったら、いくらでも」
「は?」
「握手だろうが、抱きつくのだろうが、キスだろうが」
「!!!」
か~~~~!思いっきり顔がほてるどころか、耳まで、きっと首まで赤くなったよ、私。
「あ、真っ赤だ」
ああ、やっぱり聖君に言われちゃった。
くすくす。聖君が笑ってる。
「もう~~、聖君、またからかって遊んでる」
「だって、桃子ちゃんが変なこと言うから」
「変なこと?」
「私は贅沢ものだなんてさ」
「だって、本当にそう思ったんだもん」
「じゃ、桃子ちゃん一人で、独り占めしてるの、もったいないし、他の子にもわけてあげることにする?」
「何を?」
「俺のこと」
「え?」
「独り占めはやめる?」
「い、嫌だ!」
「あはは。そっか、良かった。俺、みんなにおすそ分けされちゃうかと思ったよ」
聖君はそう言って、いきなりむぎゅって抱きしめてきた。
それから、
「さっきのは、冗談。ちゃんと桃子ちゃんの欲しいもの、買うよ。何がいい?」
と耳元でささやいてくる。
……。やっぱり、聖君がいい。リボンかけて、プレゼントにしてちょうだい。
なんて言えないか。でも、本当に、聖君がいてくれるだけで、もうそれだけでいいんだけどな。
黙って、聖君のことを私も抱きしめた。ああ、聖君の匂いがする。それに、あったかい。
「聖君」
「ん?」
「聖君がいい」
「へ?」
「聖君と丸々一日いられるのがいいな」
「それが誕生日プレゼント?」
「うん」
「わかった。じゃ、どっか旅行行こう」
「え?」
私は思い切り、驚いて、聖君から離れた。
「どこがいいかな。温泉とか?」
「そ、それはむ、無理かも」
「なんで?」
「親に何て言ったらいいか」
「……。嘘はつけないか…」
こくんとうなづくと、
「だよね、ごめん」
と、聖君は申し訳なさそうな顔をした。
ああ、しまった。やっぱり、行くって言えばよかった。今頃になって、頭の中は、聖君と一緒に旅行に行ってる妄想で、いっぱいだ。
温泉ってことは、温泉の後、浴衣姿で、夕涼みなんてしたりして。聖君の浴衣姿も、見れちゃうんだ。かっこいいだろうな。
それに、本当に朝から晩まで、一緒なんだ。この前の、大晦日の日みたいに。
ああ、めくるめく妄想…。やっぱり、行きたい。
その日は、そのまま、聖君は駅まで送ってくれて、私は家に帰った。帰りの電車でも、私の頭の中は、浴衣姿の聖君でいっぱいだった。
両親に嘘をつくのは、ものすごく気が引ける。でも、行きたい。ここはどうしたらいいんだろうか。そういえば、蘭は、彼氏と旅行に行ったんだよね。聞いてみようか。
もんもんとしながら、その日の夜は過ぎて行き、蘭や、菜摘に思い切って相談することを決意して、ようやく私は眠ることができた。