第72話 男の人の悩み事
聖君は頭をまた、ボリボリッて掻くと、菜摘に向かって、
「眠たかったんだろ?もう寝ろよ。俺ら、部屋から出て行くから」
と、投げやりな感じでそう言った。
「目、冴えてきた」
菜摘の言葉に、
「ええ?!」
と、聖君はもっと困った顔をした。
「聖は聖の部屋で寝てたんじゃないの?」
これまた、冷静に葉君が言った。
「……」
聖君は、下を向いて、しばらく腕組みをして、
「まあ、そういうことだ。うん」
と、いきなり、開き直ったようにつぶやいた。
うわ!ばらしてる?!
「桃子と、一緒にってこと?」
菜摘は、目を丸くしたまま、そう聖君に聞いた。
「……。言っておくけど、桃子ちゃんは俺の布団が汗臭いから嫌だとか、男臭くて嫌だとか、そんなこと言わないんだよ」
と、聖君はちょっと、まゆをしかめてそう言った。
「……」
菜摘は、ぽかんとしてしまった。
「とにかく、徹夜はきついから、寝なさい。いいね?」
聖君はいきなり、お兄さん口調でそう言うと、私の腕を掴み、葉君の背中を押して、部屋から私たちを追い出した。そして、自分も出ると、バタンとドアを閉め、そのまま、その場にしゃがみこんでしまった。
「あ~~~~~~」
と、声にならない声を出して。
葉君はそんな聖君を尻目に、さっさと一階に下りて行った。聖君は赤い顔をして、
「桃子ちゃんも、リビング行こうか?それとも、もう少し寝る?」
と聞いてきた。
「え?」
「眠たかったんじゃないの?朝、起きれなかったしさ。いいよ、寝てても」
「菜摘と?」
「いや、俺のベッドで」
「い、いいよ。私もう眠くないし」
と、首を横に振った。
聖君とリビングに行くと、葉君は、ソファーに座って、なんだか、暗い顔をしていた。
「お前さ、なんでさっき、あんなこと言ったんだよ?」
聖君が葉君に聞いた。
「何?」
「だから、桃子ちゃんが俺の部屋で寝たとか、一緒に寝てたとか」
「…言ってないじゃん」
「言った」
「最後にばらしてたのは、お前の方じゃん」
葉君は表情を変えずにそう言った。
「ああなったらもう、ばらすしかないだろ?」
「そうだろうな。っていうか、最初から嘘なんてつかなきゃいいんだよ。ばれる嘘をさ」
葉君はまだ、無表情だった。
「ばれてた?」
「ああ。とっくに」
「でも、菜摘にはばれてなかっただろ?」
「そうかもな」
「それでよかったのに」
「そんなにお前、菜摘に爽やかなお兄さんと思われていたい?」
「そういうわけじゃないよ。ただ、なんかあいつって、潔癖なところがありそうだから」
「え?」
「ちょっとそういう話って、しにくいって思って」
「……」
聖君の言葉に、葉君は黙り込んだ。
「聖もそう思うんだ」
「え?」
「は~~。そうなんだよね、実はさ。さっきも話したけど、菜摘、俺の部屋入るのも、まじで嫌がってるみたいでさ」
「男に変な夢を持っているのか、その逆で、男に変な汚いイメージがあるのか、あいつはわかんないね」
聖君は、床にどかって座りながらそう言った。
「汚いほうじゃないのかな」
「え?」
「男って汚いとか、怖いとか、そんな風に思ってるようなところあるよ」
葉君は、ちょっと深刻な表情になった。
「菜摘って、すごい社交的で明るくて、人見知りもしないように見えて、案外あれだよな。思い切り、箱入り娘」
聖君がそう言った。
「聖もそう思う?」
「うん。菜摘の家に行って、そう思った」
「やっぱり?」
「一人っ子だし、しょうがないかな。特にお母さん、すんごい心配性だしな」
「そうなんだよね」
「桃子ちゃんのところはお母さんが、器でかいもんな~~」
聖君がそんなことを言った。
「え?」
「高校卒業したら、沖縄いっちゃいなさいよって、そんなことあっさり言っちゃうしさ」
「へえ。そうなんだ」
葉君はちょっと驚いていた。
「桃子ちゃんも、女子高だし、女兄弟でしょ?箱入り娘で、大事に育ってきたのかと思ったよ。菜摘みたいに、男が周りにいないしさ、男に変なイメージ持ってて、怖がったりしてるのかなって、聖も俺と同じで、大変だよなってそんなことも思ってたんだけど」
「え?」
私がびっくりして聞き返すと、
「あ、前に聖、悩んでたじゃん。とてもじゃないけど、桃子ちゃんは壊しちゃいそうで、手が出せないって。俺も、桃子ちゃんが相手じゃそうだろうなって、思ってたからさ」
壊れちゃいそうって…。あ、それ、菜摘も言ってたし、聖君も言ってたな。でも、どんなイメージなんだろう、そんなに弱いって思われてたのかな。
「はあ」
葉君はため息をついた。
「男が嫌いってわけじゃないだろ?だって、お前と付き合ってるわけだし」
聖君がそう言うと、
「うん。でも、俺が前に怖がらせちゃったから、それ以来どうも、男は怖いとか、なんかそんなイメージが強化されちゃったみたいでさ」
ああ、葉君が菜摘の胸を触っちゃった時。
「桃子ちゃんは、男が怖いって感じたことないの?」
葉君が聞いてきた。
「あるよ」
「聖に対して?」
「ううん、聖君には一回もない」
「え?じゃあ…」
「あの…。桐太君に」
「ああ。そういえば、なんかひと悶着あったんだっけね」
葉君はそう言った。
「でも、そのあと、桐太、クリスマス会とか来てたじゃん。桃子ちゃん、大丈夫なの?」
葉君は、私にそう言った後、ちらっと聖君を見た。
「うん。なんか今は、桐太君は話しやすいし、仲がいいっていうか」
「え?」
葉君は驚いていた。
「あまり仲良くなるなよ。桃子ちゃん。あいつもね、一応男だからね」
聖君に言われてしまった。う、そうなんだけど、なんだか、好きな人の会話では盛り上がるしな~。
「聖には、怖いって思ったことないの?でも、聖、前にあんなに悩んでたのに」
「え?あんなに悩んでた?」
「あ~~。あれは、その。いいんだよ、もう」
聖君は少し慌てていた。
「何をそんなに悩んでいたの?」
「だから、もういいって」
「気になる」
私がそう言うと、葉君が、べらべらと教えてくれた。
「こいつね、菜摘はキスをする時、体こわばらせてる?とか、抱きしめようとすると、手で押しのけようとするのってどう思う?とか、俺、嫌われてたり、嫌がられてたりするのかな?とか、いっとき、すげえ暗かったんだよね」
「葉一!ばらすなよ」
「いいじゃん、もう解決したんだろ?」
「そ、そうだけど」
ああ、そういえば、菜摘が、兄貴が悩んでるって言ってたっけ。それに、聖君、幹男君が私を抱きしめてるのを見た時、そういうこと言ってきたな。そうか。本気で、本当にその時、悩んでいたんだ。
「嫌がってるんじゃなくて、ただ怖いとか、そういうんじゃないの?って言ったんだけどさ。菜摘も、俺のこと怖かったって言ってた時があったから。でも、桃子ちゃん、聖のこと怖かった時一回もないんだよね?」
「う、うん」
「心臓がばくばくして、もたなかったんだって」
「え?」
聖君~~。ばらしてるし~~~!!!!
「そうなんだ」
葉君はちょっと、驚きながら私を見た。私は真っ赤になってうつむいた。
「桃子ちゃんと聖ってさ、もう、やっぱり…」
葉君は、言葉に詰まった。
「……」
聖君は赤くなって、頭をぼりぼり掻いた。
「そりゃ、聖しかいないってわかってて、泊りに来るなんてのは、桃子ちゃん、すごい覚悟できてるってことだもんな~」
葉君はそんなことを言った。私は困ってしまい、思い切り、
「そ、そんな…。覚悟だなんて」
と、首を横に振った。
「あれ?」
葉君はそんな私を見て、不思議そうな顔をした。
覚悟なんてしていない。どっちかっていうと、その気満々で、きちゃったって感じだったし。う…。そうなんだよね。聖君と二人きりっていうのが、嬉しくってしかたなかったし。
そのまま、私がうつむいていると、聖君が、
「葉一。俺らね、昨日が別に初めてってわけじゃ」
と、ぼそって言った。
「え?違うの?」
焦っていたのは、葉君だったけど、隣で私も思い切り、慌てふためいていた。だって、だって聖君、ばらしてるし!!!!
「お前、一言も」
葉君は目を丸くしていた。
「だって、なんか話すのもったいなくって」
聖君は子どもみたいな目をして、そう言った。
「なんだよ、それ。え?じゃ、いつ?」
葉君はまだ、驚いていた。
「クリスマスの前には、もう」
「え?そんな前?なんで、そんな急展開になってんの?お前、確か、ず~~っと待ってるしかないよなって、俺と話してて」
「桐太がさ、出現してくれたおかげで、まあ、なんか、いろいろと」
「はあ?」
葉君は、まったくわけがわからないって顔をした。
「桐太の出現でなんで?」
「いいじゃん、その辺は」
「参考までに聞かせろよ。俺だって、今、めっちゃ悩んでるんだから」
「だろうな」
聖君は、深くうなづくと、
「お前が悩んでるのも、すんげえ、わかる、俺」
と、そんなことを言った。
そんなに二人とも、深刻だったんだろうか…。
「でもな~。桃子ちゃんここにいるし、話しにくいって言うか、桃子ちゃん、あれこればらしたら、嫌だよね?」
と、聖君は私を見た。同時に葉君もこっちを見た。
「え?」
どどどど、どうしよう。だいたいあれこればらすって何を?
「じゃ、どういう心境の変化があったかだけでも、教えてくれない?今後の参考までに」
葉君はかなり真剣な顔つきで、そう聞いてきた。
「心境の、変化?」
え?えっと…。
私は考え込んだ。葉君は黙って、私が話し出すのを待っている。その横で聖君は、ちょっと違う方を見ていた。それから、いきなり真っ赤になった。あ、多分何かを思い出してたんだ。
でも、葉君は私しか見ていないから、聖君が真っ赤になったのに気づいていなかった。
「桐太君が現れて、男の人って怖いって初めて思って、でも、聖君は全然怖くなくって優しいから、一緒にいてものすごく安心できて」
私は、どうにかこうにか、話し出した。葉君は真剣そのものって感じで聞いていた。
「それで、その…。えっと」
聖君のものに、早くなっちゃいたいって思ったんだ。とは言えない…。さすがに言えない…。
「それまで、心臓がバクバクしてたのに、すぐ近くにいても、安心できて…」
まさか、聖君の熱い目に射抜かれて、ノックアウトされて、抵抗できなかったなんて言えない。さすがにそれも言えない。
ああ!じゃ、何も言えないじゃない。
「安心できたから?」
葉君が聞いてきた。私はこくってうなづいた。きっとそれだけじゃないんだろうけど。
「あ、多分、聖君のことを、受け入れられるようになったのかな」
いきなりそんなことを思い、言ってみた。
「そうか。そうだよね。そういうことだよね」
葉君は妙に納得してしまった。
「待つしかないかもね。葉一。あまり、無理強いもできないしさ、菜摘がもっと大人になるまで、待ってるしかさ」
「だよな…」
葉君は、ぼそってそう言うと、
「あ~~。いつまで、待ってりゃいいんだ~~」
と、いきなり頭を抱えた。
「わかる、それ。思いっきりわかるよ、葉一」
聖君は、葉君の背中をぽんぽんとたたきながら、そう言った。
お、男の人も大変なんだ。なんだか、女の子よりももしかして、あれこれ悩むこと多いのかな、なんて思ってしまった。
「そうだ。葉一が観たがってた映画、借りてきたから、観ない?」
「観る…」
葉君は聖君にそう聞かれて、力なくそう答えた。
「桃子ちゃんも一緒に、観ようよ。あ、SFなんだけどさ」
と、聖君は言った。聖君って、SFが好きなのかな~。
この前観た映画と違って、最初の部分から暗く、そのうえ複雑すぎて、観ていて私は、だんだんとまぶたが、下がってきた。ね、眠い。
それに気がついた聖君が、
「桃子ちゃんも寝てきていいよ。俺のベッドで寝ていいから」
と言ってきた。私は寝る寸前っていうところまできていたので、その言葉に甘えることにした。
「おやすみなさい」
と、2階に上がり、聖君の部屋に入った。そして、聖君のベッドに潜り込み、あっという間に寝てしまった。
「桃子ちゃん」
ん?聖君の声だ。髪を優しくなでてくれる。それから、頬にキスをして、優しい目で見ている。ああ、聖君、優しい。大好き…。
「桃子ちゃん」
声も好き。すごく優しい声。
「そろそろ、初詣に行かない?菜摘も起きたよ?」
そう。菜摘も…。え?
パチ。目を開けた。聖君が目の前にいた。そして、私の髪で遊んでいた。
「あ、あれ?」
「起きた?」
「……」
聖君のベッドだ。そうだ。聖君の家に泊って、初日の出を見て、それで…。
「あ、今何時?」
「11時」
「え?私そんなに寝てた?」
「うん。あ、大丈夫。菜摘もさっき起きたとこだし」
すると、ドアの影に、菜摘がいるのが見えた。
「あ、菜摘も起きたの?」
私が声をかけると、
「うん」
と、躊躇しながら、聖君の部屋に入ってきた。
「男臭い?」
聖君が聞いた。
「ううん」
「だろ?」
聖君はちょっと、鼻息が荒かった。
「桃子、ほんとに、兄貴のベッドに寝てたんだ」
菜摘はちょっと驚いていた。
「あ…」
私は慌てて、起き上がった。
「あ、桃子の鞄。それに、それ、桃子のパジャマ?」
床に置いてある私の鞄と、そのうえにたたんで乗せてあった、私のパジャマを見ながら、菜摘がそう言った。
「う、うん」
私はきっと真っ赤になっていた。
「そうなんだ。兄貴の部屋に泊ったんだ」
う、菜摘の口調も、目つきもなんだか、怖い。
「さ、そろそろ出かけようよ。桃子ちゃんも菜摘も準備できたら下に来て」
聖君はそう言うと、さっさと一階に下りていった。
菜摘は、おずおずと周りを見回しながら、部屋の中に入ってきて、私の横に座った。
「けっこう綺麗に掃除してるんだ、兄貴」
「昨日掃除頑張ったみたい」
「へえ。そうか、大掃除したのか」
「かもね」
「……。兄貴の部屋、初めて入った。海の写真や、イルカの写真、多いね」
「うん」
「桃子は前にも入ったことあるの?」
「うん」
「…。昨日はその…。兄貴と二人で?」
「え?」
「このベッドで?」
「え?」
「あ、小さいのに、窮屈だろうなって思って」
「ああ。うん。ちょっとね」
わあ。なんだか、菜摘の顔を見れない。
「そうか。桃子、大丈夫なんだ」
「え?何が?」
「兄貴のこと怖いとか、ないんだ」
「うん。菜摘、聖君のこと怖いの?」
「兄貴は兄貴だから、怖くないよ」
「あ、そうなんだ」
「葉君は、ちょっとまだ、怖いけど」
「そっか」
「桃子、兄貴のベッドでも熟睡できるの?」
「うん」
「そうなんだ」
「安心するもの」
「え?なんで?」
「聖君の匂いがするから」
「兄貴の?」
「好きなんだ、聖君の匂い。聖君に包まれてるみたいで、安心する」
「それって、兄貴は安心するってことだよね?」
「うん」
「男の人として見てるんじゃないの?」
「え?」
「お父さんか、お兄さんみたいな感じなの?」
「ううん。男の人だよ」
「じゃ、なんで怖いんじゃなくって、安心するの?」
「なんでって、…優しいし、あったかいし、大きいし、ドキドキするけど、安心するよ?」
「そうなの?!」
菜摘はちょっと、信じられないって顔をした。それから、少しうつむいて、
「私も葉君のことが、怖くなくなる時、来るかな」
と、ぼそって言った。
「…、うん。きっとね」
そう言うと、菜摘は、顔を上げて、私を見ると、
「桃子、もう、大人なんだ~~」
といきなり、言ってきた。
「あ~~~。なんか、信じられない。桃子が?ガラス細工のようで、壊れちゃいそうな桃子が?ひょえ~~~」
菜摘の方が、どんどん真っ赤になっていた。私はどんなリアクションを取ったらいいかわからず、黙ったまま、菜摘の横にちょこんと座っていただけだった。