第66話 大晦日
大晦日の朝がやってきた。お昼過ぎには、聖君の家に行く。
私はクッキーを焼き、それから、部屋の片づけを簡単にして、
「お母さん、なんだか汗かいたからお風呂入ってもいいかな」
と聞いてみた。
「いいわよ。部屋の大掃除を今日やってたの?」
「大掃除じゃないけど、でも、頑張ったから汗かいちゃった」
なんていうのは、嘘だ。たいした掃除もしていないし、汗もかいていない。ただ、聖君の家に行く前に、お風呂に入りたかっただけだ。
お風呂から上がると、上下お揃いのフリルの下着をつけた。
ああ!準備ばっちり、勝負下着ですって感じだよね…。でも、でもでも、いいよね!だって、今日は聖君の家には誰もいなくって、そういうことになっちゃう可能性は、思いっきりあるわけだし。
ガサガサな足にクリームを塗り、無駄毛の処理も大丈夫かもう一回、確認した。
ああ!なんだか、その気満々みたいで、自分で自分が嫌になってくるけど、いいんだよね。って何度も自分に言い聞かせる。
そして、タンクトップにセーターを着て、膝丈くらいのスカートを履いた。
スカートを履いてから、やっぱりジーンズの方が、ストッキングやタイツを履かなくていいから、脱がしやすいのかなとか、ぐるぐる考えてしまった。
ああ!今、脱がしやすいかなって思った?なんてことを考えてるんだろうか。こんなこと考えて支度をしてるなんて、聖君に知られたらすごく恥ずかしい。
あ、そっか。知られることはないんだよね…。でも、なんだか、恥ずかしい。
と、恥ずかしくなりながらも、悩みまくり、スカートの方がなんだか、その気になってるって思われそうで、わざとジーンズを履いていくことにした。
一見、セーターにジーンズで、まるで、寒いからこんな格好をしてきたんです。その気はないんですよ…っていう感じのスタイルだ。
だけど、実はブラウスだとボタンを外すのに手間取るだろうし、ストッキングやタイツも脱がしにくいだろうし、簡単に脱がせる服を私はチョイスしていた。
ああ!こんなことを考えて、聖君に会う日が来るなんて…。そう思っただけでも、顔がほてってしまう。
そんなこんなで、時間があっという間に過ぎ、慌てて私は家を出た。
1時の待ち合わせ。お昼は江ノ島のどっかで、食べようねって聖君と決めていた。
ドキドキしながら、駅に向かった。ドキドキしながら、電車に乗った。カバンの中にはしっかりと、歯ブラシや、着替えの下着も入れてある。
今日はずっと、聖君の家にいて、朝日が昇る頃、海岸の方に行く予定だ。
っていうことは、泊まっちゃうってこと?なんて思ってしまい、泊まる用意をしてきたんだ。
母には、みんなで聖君の家に集まってから、初日の出を見に行くんだと話してあった。
だけど、葉君と菜摘とは、明日の昼頃待ち合わせをしていて、それから初詣にいく予定だ。菜摘たちも二人きりで、どこかで初日の出を見る約束をしているらしい。
菜摘は、葉君と進展があったのかな。たまにメールが来るけど、初詣の時間のことだったり、そんなメールだけで、他のことは書いていなかった。
蘭は彼氏と旅行に行き、そのあと、私と菜摘にお土産って言って、キーホルダーをくれた。二人きりの旅行はすごく、楽しかったらしいけど、一回だけ喧嘩しちゃったって笑っていた。
そして、その時に、
「もちろん、二人ともこの暮れか、正月に、彼氏と二人っきりで過ごすんだよね?」
と念を押してきた。
「え?」
私も菜摘も、一瞬言葉に詰まると、
「また、4人で会って、わいわいと騒ぎましたなんて、そんな年末年始を迎えないでね。暮れなんて、朝まで一緒にいたって、どうにでも親に言い訳出来るんだし、こんなチャンスないんだよ」
確かに。
「クリスマスも、何もなかったんでしょ?」
菜摘は、こくんとうなづいた。
「だって、二人っきりになる時間もなかったんだもん」
そう菜摘が言うと、
「だから、大晦日と元日が、チャンスなのよ!」
と、蘭は鼻を膨らませ、息を荒くしてそう言っていた。
菜摘は困っていた。ちらりと私を見たが、私は思い切りうつむいて、二人に顔を見せないようにした。
こんなじゃ、今度会った時、絶対に蘭に「どうだった?」って聞かれるな。そのうちに、実はもう結ばれちゃってるんですっていうのも、ばれてしまうかもしれない。
だけど、そんなことを言ってくるくらいだから、まだ、ばれてないってことだよね。っていうことは、私はどこも変わっていないってことなのかな。
前に蘭が言ってたように、聖君とそういうことがあってから、肌が綺麗になったのは確かだ。でも、3~4日したらまた、ガサガサになってきたけど。
胸だって、いきなり大きくなるわけもなく、あまり代わり映えしていない。
なんてことをあれこれ考えているうちに、江ノ島に着いた。改札口にはもう、聖君がいて、
「桃子ちゃん!」
と私を見つけて、手を振ってくれた。
ああ。今日も、かっこいい!私はきっと毎回、顔を真っ赤にさせながら、聖君に会っていると思う。
「ごめんね、ちょっと遅れちゃった」
「え?そう?」
聖君は腕時計を見ると、
「遅れたっていっても、2~3分じゃん」
と言って、爽やかに笑った。ああ!その笑顔は可愛い!
「どこで食べる?海の近くのファミレス行こうか?」
「うん」
二人で歩き出した。聖君はまた、ジャケットのポケットに手をつっこんでいて、私はその腕にしがみついた。
聖君だ~~。聖君の匂いがする。嬉しい~~!
この前会ってから、そんなに日がたっていないのに、なんだかすごく懐かしいような、会えてすごく嬉しいような、そんな感覚になった。
「あ、昨日、桐太、桃子ちゃんの家に行ったんだって?」
「聞いたの?桐太から」
「うん、桃子ちゃん、暇していたから、お茶飲んだって言ってたけど」
「そうなの。いきなり、暇だから寄ってみたって言って、うちに来たの」
「で、本当にお茶してたの?」
「駅の近くのカフェでね」
「何しに行ったの?あいつ」
「なんだろう。もしかすると、聖君が大学のことで悩んでて、そのことを言いに来たのかもしれない」
「桃子ちゃんに?」
「うん」
「なんで桃子ちゃんに…」
「わかんないけど、聖君のことを誰かと話したかったのかもね」
「え?」
「わかんないけど」
「ふうん」
聖君はなんだかよくわかんないって顔をしたまま、ふうんって言った。
聖君の「ふうん」は面白い。「ふうん」だけでも、いろんなバリエーションがある。だけど、どうやら、本当に納得した時には「ふうん」とは、言わないようだ。
聖君とランチを食べながら、窓の外を見た。空は綺麗な青空が広がっていて、眼下には海が広がっている。海も、すごく綺麗だった。
「この店、前に来たよね」
私は聖君に聞いた。
「うん。桃子ちゃんと水族館に行った日にね。あれが初めてのデートだったね」
「でも、菜摘のために恋人のふりをしていたから、デートって言えるのかな?」
「え?」
「だって、あの時はまだ、聖君、菜摘のことを…」
「ああ!桃子ちゃん、そう思ってたんだ」
「え?違うの?」
「あんときにはもう、桃子ちゃんに俺、しっかりと惚れてたよ」
「ええっ?!」
「それなのにさ、桃子ちゃん、俺にもう会うのをやめようとか、これで終わりにするみたいなこと言うんだもん、俺、めっちゃ焦ってた」
「そうだったの?」
「そうだよ。だから、乗りかかった船だから、投げ出すようなことしないでとかなんとか、分けわかんない理由で、桃子ちゃんに俺から離れないようにしてもらったんだよ」
そうだ。あの時、そう言われて、私、聖君の役に立つために頑張ろうって、そんなことを思っていたんだ。
え?あの時から、私のことを好きってこと?私はもう、聖君との接点もなくなるし、聖君とは会えないんじゃないかとか、そんなことを考えて、暗くなっていたって言うのに。
「聖君、そういうこと何も言ってくれなかった」
「ごめん。でも、あまりにも気が変わるのが早すぎて、桃子ちゃんに引かれても困るって思ってさ」
「……。菜摘みたいな元気な子が、タイプだったんだよね?」
「え?うん」
「菜摘のことが好きだったのに、なんで、私のこと好きになったの?」
「え?」
「きっかけみたいなのって、あるの?」
「う~~~ん。確か、菜摘が、桃子ちゃんは俺に気があるとか、そういうようなニュアンスのことを言ってきて、それで初めて、桃子ちゃんの気持ちを知って、それから、なんとなく桃子ちゃんのことを見てたら、すげえ可愛いって思うようになって」
「そ、そこ」
「え?どこ?」
聖君はちょっと、身を乗り出して聞いてきた。
「だから、その可愛いっていうのが、どのあたりで思ったのかなって…。そこがわかんない」
「ああ、その、そこ…」
聖君は、ボリッて頭を掻くと、
「そうだな~~。たとえば、俺と話す時、いっつも顔が赤かったとか、それも耳まで真っ赤になってたり」
「……」
「あ、今も真っ赤だけど」
聖君はそう言うと、くすって笑った。
「なんかいつも目が、一生懸命でちょっと潤んでて…。ほんと、小型犬に似てて可愛いなって思ってた」
それで、ポメラニアンとか、言われてたんだ…。
「健気だしさ。しゃべるのも、声とか小さいんだけど、なんか、一生懸命話してるんだろうなっていうのが伝わってきて、そういうところも全部、可愛かったな」
か~~。顔がほてった。
「あ、耳まで真っ赤だ」
「え?」
慌てて耳を押さえた。
「だから、今さら隠しても遅いから。あはは。なんでいつも隠すのかな。面白いよね」
聖君はそう言うと、目を細めて笑った。その笑顔、たまらなく可愛い。
ああ、やばい。今、目がきっとハートだ。
「ほら、その目」
「え?目?」
ドキ!ハート型、ばれてる?
「最近、そういう目で俺のこと見るよね」
「そ、そう?」
どどどど、どんな目?
「ちょっと焦る」
「え?なんで?」
「色っぽいから」
「ええ?!」
色っぽい目なの?ハート型で、とろんとしてるんじゃなくって?
「桃子ちゃん、1年前と変わらないけど、でも、変わったところもたくさんある」
「どんなところ?」
「そういう目つきはあまりしなかったし、声も大きくなったよね。それから、身長も伸びたし、大人っぽくなったよ」
「私が?」
大人?
「綺麗になった。すごく…。俺、どぎまぎしちゃってるし」
「ど、どぎまぎ?!」
どぎまぎ?どぎまぎって?え?
…聖君がそんなことを言うなんて、思ってもみなかった。ああ、めろめろに続く驚きの表現だ。
「特に、最近…」
「最近?」
「うん。言われない?誰かに」
「なんて?」
「綺麗になったとか、色っぽくなったとか」
「全然」
「え?そうなの?」
「うん」
「……なんでかな。みんな、なんで気づかないのかな」
「聖君のきっと、気のせいなんだよ」
「まさか。そんなことないよ」
「そんなことあるよ」
「気のせいで、こんなに綺麗になっちゃうかな」
聖君のその言葉にまた、私は顔がいきなり熱くなった。
「あ、首まで真っ赤だ」
「え?」
「桃子ちゃんって、色が白いから、赤くなるとすぐにわかるよね」
私は首を隠した。
「だから、今さら隠してもさ」
聖君はそう言うと、また笑った。
お昼を食べ終え、お店を出た。
外は寒かった。また私は、聖君と腕を組んで歩き出した。
「今日、あったかそうだね」
「え?私?」
「うん。手袋も、マフラーもしてて、防寒ばっちりじゃん。あ、そうか。初日の出見に行ったら、寒いもんね」
「そうだよね」
「俺も、桃子ちゃんの編んでくれたセーター着てるし、すげえあったかいよ。夜は帽子もかぶっていこう」
「うん」
そうか。そういうこと考えなかった。セーターに合わせて、マフラーや手袋をしただけで。
そうか。じゃ、聖君はこのセーターを着てきた意図も、ジーンズなのも、防寒で着てきたって思ってるんだよね。
れいんどろっぷすに着いた。聖君はお店ではなく、玄関の方に歩いていき、鍵を開けた。
「どうぞ」
「うん、なんだか、変な感じ」
「なんで?誰もいないから?」
「ううん、こっちから入ること、あまりないから」
「あ、そっか」
聖君は私が家に入ると、玄関のドアを閉め、鍵をした。
し~~ん。家の中は静まり返っている。
「クロも行ったの?」
「うん。俺も2日から、伊豆に行くし、そうしたらクロ、一匹になっちゃうから、父さんの車に乗せていったよ」
「そうなんだ」
聖君は上着をばさっと、リビングのソファに置くと、
「何か、飲む?」
と聞いてきた。
「ううん、さっきドリンクバーで、2杯も紅茶飲んだから大丈夫」
と言うと、聖君は、
「じゃ、俺の部屋行こう」
と、とっとと階段を上りだした。
「部屋、暖房つけるからね」
ドアを開けると、聖君はそう言って、ヒーターをつけた。私が部屋に入ると、すぐにドアを閉め、
「寒い?大丈夫?」
と聞いてきた。
「うん、大丈夫」
「あっためておけば良かったね。桃子ちゃんが来るまで、ちょっとお店にいたから、この部屋には暖房つけてなかったんだよね」
「お店に?」
「夕飯の下ごしらえ」
「え?誰の?」
「俺らのだよ。ハンバーグ作ったんだ。あとは焼くだけだから」
す、すごい。そんなことをしててくれてたんだ。
私がドアの前で突っ立っていると、聖君は私を抱き寄せ、ベッドに座った。そして、私のこともベッドに座らせた。そして、私の顔をじ~~っと見てくる。
「な、何?」
いきなり恥ずかしくなってきた。聖君、最近本当によく、私のことをこうやって見るけど、なかなか慣れない。
聖君は何も言わずに、頬にキスをしてきた。
「桃子ちゃんのほっぺ、冷たい」
「え?外の風に当たったからかな」
「俺の手も冷たい?」
聖君が私の頬をなでた。
「うん、ちょっと」
そう言うと、聖君は、はあって手に息をはき、両手をこすってあっためた。
「冷たい手で触ったら、桃子ちゃんも、冷たくなっちゃうよね」
「大丈夫だよ。だって、もともとほっぺた冷たくなってたし」
「ほっぺじゃなくって、他のところ」
「え?」
ドキ~~。ほ、他?いきなり、胸が高鳴りだした。
「部屋もまだ、あったまってないし、脱いだら寒いよね」
ぬ、脱ぐ?
「あ、布団に入ってれば、大丈夫か」
ふ、布団?
どきどきどきどき。聖君、それって、もう、その気になってるってことだよね?
「とりあえず、上着だけでも、脱がない?桃子ちゃん」
あ。そうだった。上着もまだしっかりと、着たままでいた。
私は上着を脱いだ。聖君はそれを、机の椅子にかけてくれた。
「今日、本当にばっちりの防寒着だよね」
私のセーターとジーンズを見て、聖君がそう言った。
「う、うん。寒いかなって思って」
「そうか。それだけ肌が見えないと、あれだよね」
「何?」
「いや、その…」
聖君は言いにくそうに、頭を掻くと、
「今日は駄目ですって言われてるみたいで」
と、ちょっとうつむき加減でそう言った。
「え?」
駄目?駄目って、え?
「……。もしかして、駄目なの?」
「え?」
「いや、その。だからさ。俺、勝手にあれこれ言っちゃったけど、今日は桃子ちゃん、そんな気まったくなかったりする?」
「……」
そ、そんな気ありますなんて、言えないよ~~。どう答えたらいいの?
私が黙ってうつむいていると、
「いや、いいんだ。それでも。俺、勝手に家に誰もいないし、ちょっとチャンスかなって思ってただけで、その…。桃子ちゃんも、家に誰もいないのに、来てくれて、そういうのオッケーしてくれるのかななんて、勝手に思い込んでただけで…。駄目ならいいんだ。うん」
聖君は、かなり動揺しているのか、目線をまったく合わせようとしないで、そう言った。
どうしよう。
こんな時には、どう言ったらいいのかな。
いいえ、そんなことはありません。その気で参りました。なんて、言えないよね。
ま、まさか、下着もOKだし、お風呂も入ってきました。脱がせやすいような服で着ました。準備万端、ばっちりです、なんて言えないよね。言えないよね~~!!!
真っ赤になってうつむくと、ますます聖君は、
「ごめん、ほんと、いいんだ。ほんと、そんな気がないならないで。こうやって、二人でいるだけで、それでいいからさ」
と、慌てまくって、必死にそう言った。
そうか。ジーンズなんて履くと、その気がないように思われるのか。肌の露出部分が少ないからなの?私、もしかして、とんでもない選択ミスをしてきちゃったの?服…。
困った。どう言ったらいいかわからないで、黙っていると、聖君はとうとうベッドから立ち上がり、机の椅子に座ってしまい、
「あ、そうだ。なんかDVD観る?3本くらい、映画借りたんだよ」
と言ってきた。
3本も?まさか、それを立て続けに観るつもり?でも、そんなの観ていたら、日が暮れるどころか、朝にならない?っていうことは、聖君とは今夜、何もなしってことにならない?
ああ。どうしよう。えっと、えっとって、何かを言おうとしてるんだけど、聖君はさっきから、あまり目線を合わせないようにしていて、そういう私にも気がついてくれない。
「リビング行こうか。あ、じゃ、ここで待ってて、あっためてくるから」
「え?」
「リビングも寒いから、暖房つけてくる」
「いいよ、そんな…」
「パソコンで映画観る?でも、ちょっと観にくいよ。疲れちゃうよ」
違う。映画じゃなくって!
ああ、どうしたら伝わるの?私も頭が真っ白で、何をどう言ったらいいか、わからなくなっていた。