第60話 熱い目
翌日、3時半江ノ島の駅に着いた。改札口に行くとすでに、聖君がいた。私を見つけて、手を振ってくれた。
「待った?」
「ううん、俺も今さっき着いたところ」
聖君はにっこりと笑った。う!ものすごく爽やかな笑顔だ。かっこいい。
聖君の隣に並んで歩き出した。聖君がすぐ横にいるのが、ものすごく嬉しい。横顔を見る。それに気がついて聖君は、私を見た。そしてまた、にこって最上級の笑顔を向けてくれる。
ああ!駄目だ。それだけで、まいってしまう。クラクラしてきた。
「大丈夫?」
「え?!」
クラクラしてるの、わかっちゃったかな。
「寒くない?今日けっこう冷えるよね」
「うん。大丈夫」
「手袋はめる?」
あ、私が去年あげたのだ。
「じゃ、かたっぽだけ」
「いいよ、両方はめて」
聖君は両方の手袋を外して貸してくれた。
「聖君は寒くないの?」
「うん。こうやって、ポケットに手、つっこんじゃうから、大丈夫」
「そっか」
なんだ~。また、手をつないでくれたり、聖君のポケットに私の手も入れてくれるのかと期待しちゃった。
聖君は、また前を向いて歩き出した。しばらく黙ったまま。あれ?なんだか、今日はよそよそしい?さっきの笑顔は最上級だったけど。
「そうだ。定期入れ、今渡しておくね。忘れないうちに」
そう言って、定期入れを渡すと、
「ああ。サンキュー」
とまた、最上級の笑顔を向けて、定期入れを受け取り、そのまままた、ポケットに手をつっこんでしまった。
とぼとぼと聖君の横を歩いていた。時々、腕が聖君の腕とぶつかった。
「ごめん」
と、あやまると、
「腕、組んでてもいいよ?」
と、聖君は言ってきた。
「え?」
あ、そうか。そういうこと?
私は、聖君の腕に手を回した。一気に聖君との距離が、近くなる。もしかして、腕を組みやすいように、わざと腕を曲げてポケットに、手をつっこんでた?私の腕にわざと、ぶつかってきてたとか?
「……」
なんだか照れくさくて、私は下を向き、黙って歩いていた。
聖君も黙っていた。黙って私の歩く速度と合わせ、ゆっくりと歩いていた。でも、時々ちらっと私を見ているのがわかった。そのたび、聖君を私も見たけど、そうすると、にっこりと笑うだけで、また前を向いて聖君は歩いていた。
結局、ほとんど会話をすることもなく、れいんどろっぷすに着いた。
れいんどろっぷすのドアを開ける前に、私はさっと聖君の腕から離れた。
「ただいま」
聖君が先に入り、私があとから入った。
「桃子ちゃん、いらっしゃい」
元気よく、聖君のお父さんが出迎えてくれた。エプロンもしているから、お店の手伝いをしているのかもしれない。
「こんにちは」
ぺこって挨拶をすると、
「何か食べる?カウンターに座っていいよ」
と、聖君のお父さんはにっこりと笑った。
「あ、いいよ。2階に行く。これから混んでくるでしょ?」
「うん。じゃ、飲み物だけでも持っていけよ。カフェオレでも今、作っちゃうから」
聖君のお父さんはそう言うと、キッチンに入っていった。
カウンターの席しかないくらい、ホールは埋まっていた。まだ、桜さんのお母さんは、具合が悪いのかな。聖君のお母さんは、キッチンにいて、忙しいのだろうか。
「いらっしゃい。桃子ちゃん、スコーンでも食べる?」
キッチンから、ひょいとお母さんが顔を出した。
「いえ、そんなにおなか空いてないし、いいです」
と、断ると、
「そう?じゃ、聖、これ、カフェオレ持って行って。熱いから気をつけてね。桃子ちゃんのには、お砂糖もう入ってるから」
と、マグカップを二つ乗せたトレイを聖君に渡しながら、お母さんはそう言った。
「サンキュー。じゃ、桃子ちゃん、俺の部屋行こう」
「うん」
ドキ!今、思い切り、ドキってしてしまった。部屋。聖君と二人きりだ…。
聖君のあとについて、2階に上がると、リビングにいたクロもあとから、ヘッヘッと舌を出しながら、尻尾をぐるぐるに回して、くっついてきた。
「あ。クロ、来ちゃったの?父さん、ホールに出てるし、店混んでるし、さては、店から締め出された?」
「え?」
「俺が出かける前は、店にいたからさ」
「そうなんだ」
「しょうがねえな~。あ、でもクロ、リビングで大人しくしていた方が、おやつ貰えるかもよ?」
ピクン!クロの耳が動き、回れ右をして、また尻尾を振りながら、一階に下りていった。
「食い意地のはったやつ。きっと、杏樹に似たんだな」
と、聖君は笑って、私を部屋に招きいれ、ドアを閉めた。
「良かった。クロがいたら、いちゃつけないじゃん」
「え?」
い、いちゃつく?ドキ~~~!!い、い、いちゃつくって、何?いきなり、心臓がバクバクしだした。
実は今日は、上下お揃いの、フリルの下着を着てきている。もしかして、っていうこともありえるかもしれないし、一応準備だけは、なんて思ってしまって。
ああ!私ってば。何を考えてるんだ。とか自分でも、恥ずかしくなったけど、だけど、この前聖君も、時々桃子ちゃんのこと、抱いてもいい?って聞いていたし…。
でも、時々だよね。頻繁にじゃないよね…?なんて、聞けないし…。時々とは、どのくらいの頻度をさすんですか?なんて聞けないし!!
そんなことを考えていたら、聖君の話がまったく耳に入っていなかった。
「ね?桃子ちゃん」
「え?何?」
「聞いてなかった?」
「ごめん!」
「また、どっか行ってた?」
「ごめんね。考え事してた」
「あ、そう~」
呆れちゃってる?怒ってる?聖君は、黙ってカフェオレを飲んだ。そして、黙って私をじっと見つめだした。
「な、何?」
「だから、なんでそこで突っ立ってるのかなって。さっきから、座れば?って言ってるのにさ」
聖君は、自分の机の椅子に座って足を組み、ちょっと斜めに構えながら、そう言ってきた。
「あ!」
私は慌ててベッドに座った。ああ、舞い上がってた。部屋に入ってきただけで、いっぱいいっぱいになってた。
聖君はまだ、私のことをじっと見ていた。
「な、何…?」
私の顔はどんどん赤くなったかもしれない。自分でもほてっているのがわかる。
「うん」
うん?何かな?なんで、ずっと見ているのかな?
「なんでもない」
聖君はそう言うと、目線を外した。
え?え?え?何?なんでもないって、何?何だろう。気になる。
聖君はまた、カフェオレを飲むと、
「桃子ちゃんも飲む?ごめん、ここにあったら、飲めないよね?」
と、ピンクのマグカップを渡してくれた。
「ありがとう」
受け取って、またベッドに座り、カフェオレを飲んだ。ちょうどいいくらいの甘さ加減。これ、いつもお母さんが作ってくれてるのかな?
「お店、聖君のお父さんが手伝ってたね。また、桜さんのお母さんお休みなの?」
「ううん。今日は夕方から来るよ」
「そうなんだ」
「父さん、仕事が今一段楽したし、それで、手伝ってるんだ。だから、桜さんのお母さんには夕方から出てもらうようにしたんだって」
「そっか…」
自分の仕事が一段楽したからって、お店を手伝うなんて、奥さん想いなんだな~~。
また、カフェオレを飲んでいると、聖君の視線を感じた。聖君を見るとまた、じっとこっちを見ていた。
「聖君、何か私、今日変?」
「え?別に。なんで?」
「だって、さっきから、ずっと見てるから」
「ごめん。なんかつい…」
「つい?」
ついって?
「桃子ちゃんのこと、見ていたくなっちゃって」
「え?」
ドキ!ああ、もう、そんなこと言われると、胸がドキってなって、鼓動が早くなっちゃうよ。
だけど、私も、聖君のことをじっと見ていたいって思ってた。それだけじゃないか。本当は、横に座ってくれないのかなとか、すぐそばにいたいなとか、思っちゃってた。ドキドキしているくせに。
「えっと。横に行ってもいい?」
「うん」
聖君、そんなこと聞いてくるなんて…。なんだか、わざわざそう聞かれると、照れてしまう。
聖君は立ち上がり、私の手にあったマグカップを取って机に置くと、私のすぐ横に座った。それも、かなりぴったりと横について。
それから、私の手をそっと握ってきた。ドキドキ!
蘭の言葉をいきなり、思い出した。二人の間も変わったの?って聞いたら、ベタベタするようになったって言ってたっけ。
いちゃつくとか、ベタベタってのが私にはわからない。でも、もしかして、これから私と聖君も、そんな感じになるんだろうか。
まだまだ、手を握られるだけでも、こんなにドキドキしているのに?
そうだ。それに彼が甘えてくるとか、自分も甘えるようになったとか言ってたっけ。聖君も?甘えてくるの?
聖君が甘えたり、ベタベタするのは想像つかないって蘭も言ってたけど、そうだよね。私もいまいち、ぴんと来ない…。
聖君はそっと、キスをしてきた。ドキドキ。目をぎゅってつむって、握られた手まで、ぎゅって握っていた。それから、聖君は一回、顔を離して私をじっと見た。
「何…?」
「……」
黙って、じっと見ている。聖君の目が熱くって、心臓がもっと早くなる。
「二日間会わないうちに、変わった?」
いきなり、聖君は聞いてきた。
「ううん」
首を横に振ると、聖君は、
「そうかな?すごく綺麗になったけど」
と、真面目な顔でそう言った。
「ええ?か、変わらないよ」
私はまた、真っ赤になったと思う。
「そうかな?めっちゃ綺麗だけど」
目の錯覚だよ、それ、と言おうとしたけど、聖君のキスで、唇をふさがれた。それも、濃厚なキス。これ、駄目だ。一気に力が抜ける…。
ガクンと、そのまま横たわりそうになり、聖君の腕にしがみついた。聖君は、そっと唇を離した。私が目を開けると、聖君がまた、熱い目で私を見ていた。
とろん…ってきっとなっていたと思う、私の目。
「この前もそうだった」
「え?」
いきなり、聖君が言ってきて、私は驚いてしまった。
「俺の腕にしがみついてくるけど、なんで?」
「なんでって…」
そ、そんなの言えないよ。
「えっと…。嫌がってて…とかじゃないよね?」
「え?!」
「なんか我慢してて、嫌で力が入っちゃうとか?」
グルグルって首を横に振って、
「その逆だから」
と、思わず言ってしまった。
「逆?」
「だから、その…。ち、力が抜けて、そのまま倒れそうになって、それで、腕にしがみついていたの」
「え?」
か~~~っ!顔がまたほてった。
「だ、だって、聖君のキス…」
「うん」
「力が抜ける」
「え?」
か~~~~。駄目だ。言ってて恥ずかしい。聖君の胸に顔をうずめて、顔を隠した。
「そっか。あ、そっか。それで、ああ、そっか」
聖君がやたらと納得して、何度もうなづいていた。なんだろう。何をそんなに納得しちゃったんだろう。
「目、色っぽいもんね」
「え?誰の?」
「桃子ちゃんの」
「うそ」
「うそじゃないよ。すごい色っぽい目するんだ」
わ~~~。もっと顔がほてる!
「で、でも、聖君だって」
「俺?」
「すごく熱い目になるよ、今だって」
「熱い目って何?」
「ステージの上でもそうだった。すごく熱い目。色っぽいの。それで、射抜かれちゃうの」
「射抜かれる?」
「うん、ハートをズドンって射抜かれちゃう」
「な、何それ?」
「それで、お手上げってなっちゃうの」
「お手上げって?」
「だから、その…。ノックアウトされちゃうみたいな、降参しますってなっちゃうの」
「……」
聖君は少し、顔を赤くして考え込んだ。それから、頭を掻くと、
「もしかして、この前もそれで、何にも抵抗しなくなった?」
と聞いてきた。
「え?うん」
「それで、体の力も一気に抜けた?」
「うん。わかった?」
「うん。なんかいきなり、桃子ちゃん、体預けたって言うか、まったく抵抗しなくなったから、俺、とうとう観念してくれちゃったのかって、思ったんだよね」
とうとう観念って…。
「そうじゃなくって、聖君の熱い目に、まいっちゃったんだ、私」
「……」
聖君は、真っ赤になった。
「どんな目してんの?俺。なんか、物欲しそうな、そんな目?」
「違うよ」
「じゃ、相当すけべな目?」
「違う違う」
思い切り首を横に振り、
「そうじゃなくて、だからね、すんごい色っぽい目で、どんな女の人も、いちころで聖君に体預けちゃうかもっていう目」
と私は真剣にそう言った。
「げ!何それ。どんな目だよ~~」
聖君は、思い切り真っ赤になった。
「だからね、聖君」
「え?」
聖君は耳まで赤くなりながら、聞き返した。
「他の人には、そんな目しないでね。そんな目で見つめたら、絶対に女の人、いちころだからね」
「ええ?!」
聖君は一瞬、焦っていたが、
「当たり前じゃん。桃子ちゃんのことしか、そんな目で見ないって」
と慌てて言った。
「どんな目なのかわかんないけど、あれかな?桃子ちゃんも色っぽい目するけど、そんな目かな。あ、その目も、他のやつには絶対に見せないでね」
聖君はそう言ってから、
「俺だけだよ。その目、見ていいのは」
と、そう付け加えて、キスをしてきた。
また濃厚なキスで、聖君の腕にしがみつこうと思ったけど、そのまま、ベッドにドスンと倒れてしまった。聖君は、私の上に乗ってきた。
いいの?一階にはお店にいるとはいえ、お母さんもお父さんもいるよ?
「聖君」
名前を呼んでも、聖君は、首筋にキスをしてきて、返事もしない。
「聖君。誰かがもし入ってきたら…」
そう言いながらも、抵抗が出来ない。
「大丈夫。鍵閉めたし」
鍵?鍵がついているの?いつの間に鍵、閉めてたの?
「でも、一階にお父さんもお母さんも…」
聖君は少しだけ、起き上がり私を見て、
「大丈夫。店には聞こえないよ」
と、耳元でささやき、耳にキスをしてきた。
「だけど」
わ。耳、弱いのに!ビクンッってなると、聖君はまた、少し起き上がり、
「今日は、子供っぽい下着?」
と聞いてきた。
「え?ううん」
「違うんだ。じゃ、大丈夫?」
はっ!なんだか、私、用意ばっちりしてきたって、思われてる?
「電気、消す?」
「え?」
待って。やっぱりそれって、やっぱり、それって…。
ドン!いきなり、ドアに何かが当たる音がした。
「え?何?」
私はものすごく驚いてしまった。
カリカリカリカリ…。そのあとにドアをひっかく音。
「クロだ」
「え?」
「あいつ、いつもならドアノブ勝手に開けて、入ってくるんだ。でも鍵がかかってて開かないから、体当たりでもしたんだ。で、それでも開かなくってきっと、ああやって、ひっかいてるんだ」
「ク~~ン」
あ、鳴き声までした。
「ああ。もう、しょうがねえな~~。ほっとくとずっとああやって、カリカリやってるんだよね」
そう言うと、聖君は、ドアを仕方なく開けた。
「ワン!」
クロは聖君を見て、尻尾を思いっきり振ると、聖君のズボンの裾を噛み、引っ張った。
「何?下で俺のこと呼んでた?」
「ワン!」
「クロ、俺のこと呼びにきたみたい。ちょっと待ってて、行ってくる」
「うん」
聖君は一階に下りていった。そのあとをクロが、尻尾を振りながら、ついていった。
なんて頭のいい犬なんだ…。
ベッドに座って、スカートとかを直した。髪も乱れてないか、ちょっと気になり、クローゼットについている鏡を覗き込んだ。
少し髪が乱れているし、それに私、真っ赤だ。
「桃子ちゃん」
聖君が、一気に2階に駆け上がり、私に声をかけた。
「どうしたの?」
「あいつ、桐太が店に来た」
「え?」
「話があるっていうから、ちょっと外に出てくるけど」
「……」
桐太、来たんだ。
「桃子ちゃんも来る?」
「え?」
「今、桃子ちゃんといるって言ったら、あいつ、桃子ちゃんとも話がしたいってさ」
「……」
「やっぱり、もう会いたくない?」
「ううん、行くよ、私も」
歯のことも謝った方がいいかもしれないし。
いよいよ桐太は、聖君と真正面から向かい合うつもりなのかな。きっと、ぼこぼこにされるのも覚悟して、来たのかもしれない。
聖君について、お店に行った。桐太は、無言で私を見た。それから、聖君が、
「外行こう」
と言い、私の手を取り、桐太よりも先に外に出て、そのあとを桐太はついてきた。
その後ろから、なぜか、クロまでが、尻尾を振りながらついてきていた。