第6話 バレンタインデー
江ノ島の駅に着いた。曇っていて、北風もある。江ノ島は海が近いからか、さらに寒く感じる。
改札口に行くと、聖君が待っていた。
「桃子ちゃん!」
聖君の笑顔は、今日も最高だ。
二人で冷たい風の中を、寒いねって言いながら歩いた。聖君は江ノ島の駅周辺では、手をつながない。知ってる人に会うと、恥ずかしいからみたいだ。
れいんどろっぷすに着いた。ドアを開けると、コーヒーと、スコーンの焼ける匂いが漂っていた。
「桃子ちゃん、いらっしゃい」
笑顔で出迎えてくれたのは、聖君のお父さんだった。それから、キッチンからお母さんも顔を出し、
「桃子ちゃん、寒かったでしょう!あったまって!」
と、すぐに私の方へとやってきて、カウンターの椅子を座りやすいように、動かしてくれた。
「ありがとうございます」
私が座ろうとすると、
「これから、店混むんじゃない?俺ら、俺の部屋に行ってるよ」
と、聖君は言うと、
「あがって、桃子ちゃん」
と、私を家の中に案内してくれた。
わあ。お店には来たことあったけど、家の中は初めてだ。それも、聖君の部屋だなんて!一気に緊張してきた。
「お、お邪魔します」
リビングに上がり、それから聖君に続き、2階に上がった。そして、聖君が入っていった部屋に、私も入った。
聖君の部屋は、意外と物が少なくて、生理整頓されていた。机やベッドは濃いブラウンで、黒の本棚がでんと置いてあるくらいで、他は何もない。床は、ベッドカバーと同じ色の、モスグリーンの絨毯がしいてある。
「その辺に座ってて。なんか飲みもん持って来るよ」
「いいよ、そんな…」
と言いかけた時にはもう、タタタって、階段を軽やかに下りていく音が聞こえていた。
聖君がいない間に、私は部屋を見回してみた。息をすうって吸うと、聖君の匂いがしてドキドキした。机の上には、写真たてがあり、イルカの写真が飾ってあった。壁にも、イルカや鯨の写真が貼ってある。それから、本棚にはいくつかの海のDVD。それにマンガ、雑誌、海の本、そして参考書。
びっくりしたのは、ベッドカバーのちょっとずれたところからのぞいている、大き目のイルカのぬいぐるみ。いや、これはもしかすると、抱き枕かもしれない。
わ~~。もしかして、これを抱きながらいつも寝てるの?
「く~~ん」
と、可愛い鳴き声とともに、クロが部屋に入ってきた。
「クロ。あれ?今までどこにいたの?」
そのあと、聖君もトントンと階段をあがってきた。
「あ、クロ。お前ちゃんと、足拭いてもらった?」
「散歩行ってたの?」
「うん。杏樹が連れてってた」
「こんなに寒いのに?」
「杏樹にも、クロにも関係ないみたい」
「そっか」
さすが、若さかな。
クロはまだ、子犬だ。目がまん丸で、ちょっと潤んでいる。この目が私に似ているらしい。ってことは、私の目は潤んでいるのかな…。
「はい。桃子ちゃんはこっちの、ピンクのマグカップね。カフェオレなんだ。熱いから気をつけて」
と、聖君がマグカップを渡してくれた。
「ありがとう」
と、それを手にして、そのままどうしたらいいものかって、立ちすくんでいると、
「あ、ベッドに座っていいよ」
と言われた。聖君は、自分の机の椅子に腰掛けた。
私はちょこんとベッドに座ると、少しだけカフェオレを飲んだ。お砂糖が入ってて、甘くて美味しかった。
それから、ちらりとイルカのぬいぐるみの方を見ると、それに気がついた聖君はすくっと立って、
「これ、可愛いでしょ?母さんからの誕生日プレゼントだったんだ。俺が、12歳の時のかな?」
と言って、イルカのぬいぐるみを持ち上げた。
「まだとってあるの?」
「うん。これけっこう、抱き枕にいいんだよね」
と言って、イルカを抱きしめていた。
「ね?」
と、笑いながら。
か、可愛いな~~。そんなところもあるんだ。あ、駄目だ。きっと、顔がにやけている。ただでさえ、聖君の部屋に来ちゃって、ドキドキしているのに…。私は思わず、下を向いた。
「クロ、駄目!これはお前のおもちゃじゃないの」
いきなり、聖君はクロに怒り出した。顔を上げて見てみると、クロがイルカに噛みつこうとしていた。
「こいつ、杏樹が大事にしてたぬいぐるみも、噛んでぼろぼろにしちゃったんだよね。ゴマアザラシの赤ちゃんの、可愛いぬいぐるみだったんだ」
「そうなの?」
「だからまた、水族館に行って、新しいのを買ってやった」
「聖君があげたぬいぐるみだったの?」
「ううん。母さんからの誕生日プレゼントだよ。母さんはしかたないわよって言ってたけど、あんまりにもしょぼくれてたから、買ってきたんだ」
「そうなんだ」
やっぱり、優しい。聖君…。
「いいな」
「え?ゴマアザラシのぬいぐるみ、欲しい?」
「そ、そうじゃなくって、私もお兄ちゃん欲しかったなって。聖君みたいに優くて、かっこいいお兄ちゃんがいたら、自慢だろうな」
「…。俺、優しくて、かっこいいの?」
聖君は少し照れながら、私の横に座って、そう聞いてきた。
「うん」
私がうなづくと、
「そうなんだ。じゃ、その優しくてかっこいいやつが、桃子ちゃんの彼氏なんだ。わ、羨ましい~~」
と聖君は、わざと、声色を変えた。
「え?」
そ、そっか。ああ、そうだよね。
「俺は、桃子ちゃんみたいな妹がいたらいいのになんて、思わないよ」
「そうだよね、杏樹ちゃん可愛いし」
「そうじゃなくて。桃子ちゃんが妹よりも、彼女でいてくれたほうが嬉しいから」
「え?」
にこ!また、聖君は思い切り可愛く笑う。それもまだ、イルカのぬいぐるみを抱きしめたまま。
私はきっと、一気に顔を赤くしたと思う。顔が思い切りほてっていた。それを見ると、聖君は笑って、それからクロの頭をなでて、
「ほら、クロ。お前桃子ちゃんに似てるだろ?自分でもそう思わない?」
と聞いていた。クロは嬉しそうに、しっぽを振った。
「クロ~~。おいで~~。おやつあげるよ!」
下から杏樹ちゃんの声がした。クロはしっぽを振って一階に行ってしまった。
「邪魔者は消えたね」
と聖君は言うと、ドアを閉めた。
じゃ、邪魔者?クロが…?
「さてと…。桃子ちゃん」
「え?」
ドキ…。
「何か、海のDVDでも観ない?」
「う、うん」
なんだ~。すんごい緊張しちゃった。
パソコンを起動させ、聖君は海のDVDを入れた。そして、しばらくして、奇麗な海の画面が映し出された。
「わ、奇麗~~」
私がそう言うと、
「でしょ?」
と言いながら、カフェオレを飲んで、またそれを机の上に置き、聖君は私の横に座った。
すぐ横に座ってきて、私は思い切り意識していまい、DVDの映像も目に入らないくらいだった。でも、聖君は、映像を観ながら、説明をしてくれる。
「この辺、最高に奇麗なんだ。いつか絶対に、潜りに行きたい」
聖君の顔をちらっと見た。目がきらきらと輝いていた。すぐ横だから、顔を見ると、目の前に顔があるんだけど、しばらくその目の輝きに、私は見惚れてしまった。
「……ん?」
聖君がそれに気がつき、
「俺の顔、なんかついてる?」
と聞いてきた。
「ううん。ごめん、目を輝かせてたから、思わず…」
「見惚れちゃった?とか?」
「うん」
私はまた、真っ赤になっていたと思う。
「あはは!桃子ちゃん、正直すぎる」
聖君は笑った。それから、私の頬にいきなり、キスをしてきた。
「え?!」
思い切り、驚くと、
「桃子ちゃん、いつも驚きすぎ」
とまた、笑われた。
「だ、だって、いつもいきなりだから」
「そ?じゃ、ちゃんとこうやった方がいい?」
聖君は、私の頬にそっと両手を当てた。それから、じっと私の目を見つめてきた。
「だ…、駄目だ。心臓がバクバクで、こらえ切れない」
私は、聖君の手を押しのけて、そのまま逆の方を向いた。
「ね?こんなことしたら、桃子ちゃん、ぜ~~ったいにキスする前に逃げちゃうだろうなって思って」
「……」
それで、いつもいきなりだったり、強引なの?
「…。俺、実はさっきから気になってるんだけど」
「え?何?」
ドキ!なんだろう。
「その紙袋の中身…」
聖君がそう言いかけた時、階段を思い切り上がってくる音と、
「お兄ちゃん!女の子が来たよ!」
という、杏樹ちゃんの声がした。そしていきなり、ドンドンとドアをたたいてきた。
聖君が、ドアを開けると、
「お兄ちゃんと同じ高校みたい。女の子が二人で、チョコ持ってきた。どうする?今、お店にいて、お母さんが話をしてて、あ!桃子ちゃん!こんにちは~~」
杏樹ちゃんは、そう一気に言うと、私にぺこってお辞儀をした。
「こんにちは」
私も、お辞儀をした。
「お前、追い返してくれない?俺は出かけてるとか言って」
「もう、お母さんが家にいるって言っちゃった」
「え~~」
聖君は、嫌そうな顔をして、
「しょうがねえな~~」
と、頭をぼりって掻くと、
「桃子ちゃん、ちょっと待ってて」
と言って、杏樹ちゃんと下に下りていった。
ドキドキ…。どんな女の子なんだろう。同じ学校の子?聖君のことが好きな子だよね。
待っている間に、聖君がさっきまで抱きついていた、イルカのぬいぐるみを私も抱きしめてみた。わあ。なんだか、聖君のぬくもりがまだあって、あったかい。
5分もしないうちに、聖君は2階へあがってきた。
「ごめん、桃子ちゃん」
とそう言うと、ドアを閉め、ため息をついた。
「ど、どうしたの?」
「う~~ん。学校休みだし、今日はチョコもらうこともないだろうと思ってたから、ちょっとね」
「…もらったの?」
「ううん。まさか。断ったよ」
「……。ショック受けてなかった?その女の子」
「……かもね。でも、彼女いるし、受け取れないってはっきり言った。そっちの方が、瞬間ショックでも、あきらめがつくのも早いでしょ?」
ど、どうかな~~。もし、私だったら、どうかな…。けっこう、いつまでも落ち込んでいたりして。
「…でさ。その…」
「え?」
「今日って、だから」
「あ!」
そうだった。肝心なチョコ!忘れてた。聖君の部屋に入ってあがってしまって、チョコのことなんてどこかに吹っ飛んでた。
「ごめん、これ、聖君に…。それからこっちは、家族のみんなで食べてもらってください」
そう言って、二つ箱を渡した。聖君のには、リボンの間にカードがはさまっていて、もう一つはリボンだけのものだ。
「こっちが俺の?」
聖君が聞いてきた。
「うん」
「わお。カード付き?」
「うん。あ!でも、別に手作りのじゃないし、市販のカードで面白みはないよ」
と慌てて言うと、
「うん、いいよ」
と言いながらも、聖君はかなりにやけていた。
ああ。そんなににやけるほどのカードじゃないのに。それとも、ちゃんと好きとか、そういうのを書くべきだったのかな。いや、でも、そんなの聖君だって、照れちゃったりして苦手だよね?
聖君はカードを開くと、しばらく黙っていた。
「……」
それから、ちょっと裏を見たりして、また黙った。
あ、あれ?やっぱり、物足りない?
そして、リボンをほどき、箱をあけた。
「わ!手作り?チョコは手作りなの?あれ?さっき市販のものって言ってたっけ。買ったやつ?」
「ううん。チョコレートは作った」
「そうなんだ。すげ、旨そう。食っていい?」
「うん」
聖君は一つつまんで、ぱくって口に入れて、
「うん。旨い!」
と、目を細めた。あ、またこの可愛い顔だ。
「中、柔らかいね。すご~~い、こんなの作れるんだ」
「そんな…。簡単に出来るのなんだよ」
私は、顔を横に振りながらそう言った。
「サンキュー」
聖君は、にっこりと微笑んでから、大事そうに箱の蓋を閉じた。
「これ、もったいないから、1日一個ずつ食ってくね」
「うん。あ、でも、生クリーム使ってるから、冷蔵庫に入れてね」
「うん、わかった」
聖君は大事そうに、その箱を膝に乗せると、また、カードに目をやった。
「いつもありがとう」
と、声に出して読むと、
「こちらこそ」
と、こっちを向いて、にこって笑った。
わあ。その笑顔も可愛い。
しばらく、聖君はこっちを見たままだった。あ、もしかしてまた、いきなりキスとかしてくるのかな。ちょっと、身構えていると、
「本チョコって今まで、あげたことある?」
と聞いてきた。
「…初めて」
「え?そうなの?」
「うん」
何せ、去年はあげられなかったし…。
「そっか~~」
聖君は、またにやけていた。
「やっぱ、俺って幸せ者だと思わない?」
聖君が、にやけたまま聞いてきた。
「え?」
「思わない?」
もう一回聞いてきた。
「ど、どうかな?でも、私は幸せ者だと思う」
「なんで?」
「だって、聖君にチョコ受け取ってもらえたし、食べてもらえたし、喜んでもらえたし」
「…。そりゃ、彼女なんだもん。当然じゃん」
「そ、そっか。そうだよね。あ、でもね、やっぱり、聖君みたいな彼氏がいるってことがもう、幸せ者」
「あはは!そう?やっとこその辺、自覚してきた?」
聖君は、大声で笑った。
「え?自覚?」
「そう、桃子ちゃん、なかなか俺の彼女なんだって、自覚してくれないんだもん」
「あ…」
私はまた、真っ赤になったかもしれない。
「でね、こんな可愛い彼女がいるから、俺も幸せもんなの」
と、聖君は笑って言うと、いきなりキスをしてきた。
「!」
また、びっくりして、固まってしまうと、すかさずまた、キスをしてきた。それから、
「あはは、真っ赤だ」
と、聖君は、また大笑いをした。