第58話 余韻
「聖君、おなか空かない?」
「俺?うん、あまり」
「私も…。なんだか胸がいっぱいで」
洋服を着ながらそんな会話をして、一階に二人で下りた。
「桃子ちゃん、水だけもらってもいい?」
聖君はそう言い、水をコップに注ぐと、ゴクゴクっと飲み干した。
「俺、もう帰るね」
「夕飯、本当にいいの?何か作ろうか?」
「いいよ。まじでおなか空いてないから」
そう言って、聖君は玄関に向かった。
「じゃね、桃子ちゃん」
聖君は靴を履くと、私にキスをしてきた。それも、かなり濃厚な…。私は、聖君の腕にしがみついた。でないと、そのままヘナヘナと座り込みそうになったからだ。
駄目だ。きっと今、目がとろんとしてる…。恥ずかしくて思わず、聖君に見られないように、目をふせた。
「おやすみ」
聖君は今度はそっと、私の髪にキスをして、玄関のドアを開けた。
「気をつけてね」
と、私は聖君を見送った。
バタン…。優しい笑顔を向けてから、聖君はドアを閉めた。そのドアに思わず、張り付いてしまった。
「は~~~~~~~~」
ため息が出た。胸がまだきゅんってしている。
リビングに行き、時計を見ると、8時になっていた。私は慌てて着替えを持ってきて、お風呂に入った。
本当はこのまま、聖君のぬくもりを体中に残しておきたかった。だけど、母が私から聖君の匂いを感じたりしないかって、心配になり、それで慌ててお風呂に入った。
体を洗っていると、また、聖君のぬくもりを思い出し、
「は~~~~~」
とため息が出る。さっきまで、抱きしめられてたんだ。なんだか、信じられないよ。
バスタブに入り、自分の胸を見た。あ~~。ちっちゃい。やっぱり膨らんだとはいえ、まだ貧弱だ。これ見てがっかりしなかったかな。
ぼけ…。また、私は聖君のぬくもりや、優しいキスを思い出していた。それから、聖君の熱い目。聖君の手。髪。声。息。
「は~~~~」
駄目だ。のぼせそうだ。
お風呂から上がり、体を拭きながらふと、鏡に映った自分を見た。私、昨日と変わってないよね?周りの人が、もう私が聖君のものになっちゃったってこと、気づいたりしないよね。
そう思うと、これから母に会うのも、ひまわりに会うのもドキドキした。
それにしても、私って幼児体型だ。胸も小さけりゃ、ウエストのくびれもない。
あ~~。やっぱり、がっかりしなかったかな。今度聞いてみようかな…。また、思い切り笑われるかな…。
髪を乾かして、ダイニングに行き、水を飲んだ。私もおなかがまったく空いていなくって、そのまま2階に上がった。
机の上に置いてあった携帯が光っている。あ、着信?もしかして聖君?
携帯を見てみると、一件メールが入っていた。蘭だった。
>桃子、大丈夫?聖君は桃子に会いに来たの?それとも、桐太の方に行ったの?
そうか。蘭、心配していたんだな。
>うちに来たよ。多分、桐太のところには行ってないと思う。
そう送り返すと、すぐに返事が来た。
>聖君、怒ってなかった?
>うん。怒ってない。大丈夫だよ。
「メールだよ」
いきなり、聖君の声がして、びっくりした。聖君からのメールだ。
>今、家についたよ。で、どうやら忘れ物をしたみたいで。定期いれ、どっかに落ちてない?
え?!定期いれ?
慌てて、ベッドの上や下を見た。ない…。床をくまなく探してみた。あ!これ?!黒の皮の定期いれ。ああ、そっか。この辺で、聖君、洋服脱いでた。
>あったよ。黒のでしょ?
>良かった。ごめん、今度会う時でいいから、持ってきてくれる?
>週末にでも、お店に届けるね。
>いいよ。悪いから。
>でも早めの方がいいでしょ?聖君にも会いたいし、届けるね。
ちょっと返事がなかった。あれ?どうして?
>じゃあ、待ってるね。3時半ごろなら、塾終わって江ノ島にいる。改札口で待ってるよ。
>うん。3時半に行くね。
しばらくまた、メールが来なくなった。
ぼけ…。私は聖君の定期入れを、眺めていた。江ノ島の駅から、聖君の高校までの定期。
「あれ?」
定期の下に、写真が入ってるみたいだ。定期を取り出してみた。
「わ!」
私のあの、間抜け面して笑ってる写真だ!は、恥ずかしい~~。なんでこんなの入れてるの~~!!!
>聖君、こんな間抜け面した写真を、入れておかないで~~!
思わずそう書いて、メールを送った。するとすぐに、
>あ、写真入れてたの、ばれた?そのまま入れといてね。出しちゃ駄目だよ。それ、気に入ってるから。
と返ってきた。ど、どこが?この間抜け面のどこが???
取り出してしまおうかとも思ったけど、そういえば、何枚でもプリントアウト出来るんだよなってことに気がついた。私が今ここで、取っちゃっても、また、プリントアウトして、持ち歩くこと出来るんだ。
そして、はたと気がついた。聖君が私の写真をいつも、持ち歩いててくれてることに。
きゃ~~。嬉しいやら、恥ずかしいやら。もしかして、どっかでたまに定期を取り出し、この写真を見たりすることがあるんだろうか。
実は私の定期入れにも、聖君の写真は入っている。携帯の待ちうけも、パソコンのトップ画面も聖君だ。
間抜け面だってのは、ちょっと考え物だけど、でも、写真を入れてくれてて、嬉しい。
定期をもとに戻して、写真を隠した。いつもは、写真がばれないよう、定期で隠しているのかな。なんか、可愛いような、そんな聖君のことも知れて、嬉しくなった。
10時過ぎ、玄関の開く音と、
「ただいま~~」
という、元気なひまわりの声が聞こえた。ドタバタと、階段を駆け上がってくる音も。
「お姉ちゃん!」
と言う声とともに、ドアを開いてひまわりが部屋に入ってきた。
「なんで来なかったの?お寿司の特上食べたのに」
「そうだったの?でも、なんでいきなりおばあちゃんちに行ってたの?」
「やっぱり忘れてた」
「え?」
「今日、おばあちゃんとおじいちゃんの、結婚記念日」
「あ!」
そうだった。なぜか、我が家は父と母の結婚記念日には何もしないのに、おじいちゃんとおばあちゃんの結婚記念日には、お祝いをしにいくんだった。
「なんだ。だったらそう言ってくれたら良かったのに」
ひまわりの後ろから入ってきた母に、そう言うと、
「私も忘れてたのよ。おじいちゃんから電話があって、うちでご飯食べないかって言われて、行ってみてから思い出したの。だから、今年は何もお祝いを持っていけなかったのよ。悪いことしたわ」
と、母が答えた。
「でも、おばあちゃん、喜んでたね。おじいちゃんが覚えてるのが嬉しいみたい」
おばあちゃんと、おじいちゃんは、仲がいいもんな~~。
「桃子、何か食べたの?キッチン綺麗なままだったけど」
「あまりおなか空いてないから、食べてない」
「ええ?何か食べなさいよ。おばあちゃんがおかずを持たせてくれたから、ご飯もあるし、食べなさい」
「うん、わかった」
私は一階に下り、ダイニングに一人で座り、食べだした。ひまわりはお風呂に入りに行き、母は奥の部屋へと入っていった。
良かった。私がどこか変わったこと、ばれなかったよね?いつもの私と同じように、接することが出来たよね。
実はドキドキしてた。だけど、ひまわりも、母も、まったく変わらない様子だったし、大丈夫だったみたいだ。
ご飯を食べ終わり、歯を磨き、さっさと私は2階へ上がった。すると、また、メールが来ていた。
>桃子ちゃん、もう寝た?
聖君だ。
>まだ寝てないよ。今さっき、お母さんとひまわりが帰ってきた。
>そうなんだ。ご飯は食べた?
>うん。今食べた。聖君は?
>俺も、店で軽く食べたよ。
そっか。良かった。
>そろそろ寝るよね?
>うん。もう寝る。
>おやすみ。
>おやすみなさい。
なんだか、ちょこっと寂しい。いつもよりも簡単なメールだ。ああ。私は贅沢になってるのかな。もっと、メールのやり取りもしたいし、あれこれ書いてきて欲しいし…。なんて思っているとまた、メールが来た。
>桃子ちゃん、愛してるよ。
ええ?!!!あ、愛してる~~?!!!!
うわ~~~~~~~。て、照れる~~~。ど、どう返信したらいいの?
>私も。
それだけ書いて送った。バクバク。心臓がまだ、高鳴ってる。あ、もしかして私も愛してるって送ればよかった?でも、書けない!恥ずかしくて書けないよ。
5分くらい、ベッドに横たわり、じたばたした。嬉しいけど、恥ずかしい。それから、バタっとそのまま、ベッドにうつ伏せた。すると、シーツから聖君の匂いが微かにした。
きゃ~~。聖君の匂いだ。まだ、聖君に包まれてるみたいだ。思わず、ベッドにしがみついた。
「は~~~~~」
また、ため息が出た。聖君、優しかったな…。
「メールだよ」
また、聖君からメールが来た。私は飛び起きて、携帯を開いた。
>やばい。桃子ちゃんのことが、頭から離れない!(><)
っていうメールだった。ええ?聖君も?
>私も。今、ベッドに横になったら、シーツから微かに聖君の匂いがして、ベッドにしがみついてたところなの。
>え?俺の匂い?臭い?汗の匂いかな?
>違う。髪かな。なんだろう?何かつけてる?香水。
>つけてないよ。そんなもん。
だよね…。
>桃子ちゃん、可愛かった。
え?!
>聖君、突然、それだけのメール送ってこないで。びっくりする!
>だって、まじで可愛かったし。色っぽかったし。綺麗だったし。やべえ。寝れそうにない。
うそ。
>やべ~~。帰りの電車でも、何度もにやけそうになるのをこらえてたし、店でも、にやけそうになるのをこらえて、食べてたんだ。でも、母さん勘がいいから、俺がにやついてたの、わかったかも。
>さっきのメールがあっさりとしていたから、聖君、全然普段と変わらないのかと思った。
>まさか!にやけすぎて、メールがうてなかっただけ。
そ、そうなんだ。
>やばいよ、俺。ずっと回想してて。
回想?か、回想?もしかして、思い返してるの?
>それでにやけてるって、かなりやばいよね?
うん。でも…。
>私も思い返して、ため息ついてるよ。
>ため息?!なんで?
>あ。暗いため息じゃなくって、幸せ~~っていうため息。幸せすぎて、溶けちゃいそうなの。
>まじで?もう、桃子ちゃんってば。
……。もう、聖君ってば。なんだ、いつものお茶らけた聖君だ。良かった。いつもと変わらない。
>変なことを聞いてもいい?
今の聖君なら、なんとなく聞けそう。この勢いで聞いてしまおう。
>うん、何?
>幼児体型で、がっかりしなかった?
……。あれ?返事が来ない。
5分経過、返事が来ない。なんかものすごく変なこと聞いたかな。がっかりしたけど、どうやって書こうか悩んでいるのかな。
10分近くたってから、返事が来た。慌てて見ると、
>桃子ちゃん。全然幼児体型じゃないよ。すごく綺麗だったよ。
って書いてあった。き、綺麗?
>透き通るくらい色白いね。それにあったかくって、柔らかくって。ごめん。今、思い出してて、また、メール打てなくなってた。
そ、それでなかなか、返事が来なかったんだ。
>そろそろ、風呂入ってくるね。おやすみ。
>おやすみなさい。
聖君から、メールが来なくなった。今頃、お風呂に入ってるのか。あの、ちょっとでかいお風呂に。
聖君の胸、広かったな。それに胸板はけっこう厚くて、腕も筋肉質で…。わ~~。何を思い出してるの?私。う、顔が熱い!
は~~~。駄目だ。聖君、私も当分、寝れそうにない。それも、ベッドからは聖君の匂いがするし、そのうえ、さっきまでここに聖君がいたんだと思うと、ドキドキするし、再現フイルムを見てるかのように、さっきの聖君の熱い目とか、思い出しているし。
聖君。大好きだよ。って、今、思い切り叫びたいくらいだよ。




