第57話 ノックアウト
どきどきどきどき。心臓はまだドキドキしている。どうしよう。
「ひ、聖君…」
駄目だ。体が緊張で硬直する。やっぱり、駄目だ。心臓が持たない。
「聖君…」
今さらやめてって言っても、言っても…。
聖君はそっと私を、聖君の方に向かせた。それから、優しくキスをしてきた。ギュ。私は両手を胸の前で握り締めていた。
どうしよう。頭の中が混乱している。
目をぎゅってつむった。ますます体が硬直していく。
「桃子ちゃん」
聖君は優しく私の頬をなでて、
「いいよ。無理しないでも」
と、優しくそう言った。
「え?」
「いいよ」
またそう言うと、そっとキスをして、
「腕枕してもいい?」
と聞いてきた。
「うん」
聖君はそっと私の頭の下に腕を回し、
「もうちょっとおあずけでも、俺大丈夫だから」
と、耳元でささやいた。
「……」
わかってたんだ。
「ご、ごめんね」
「いいよ」
「でも、私からあんなことを言ったのに」
「……。いいよ、大丈夫」
本当に?目も優しいし、声も優しいけど、がっかりしていない?こんなに私、自分勝手でいいの?
聖君は黙っていた。黙って、私を見つめている。時々、髪を優しくなで、また私を見る。
「ごめんね」
なんだか、胸が締め付けられた。
「謝らなくてもいいってば」
聖君は口元に笑みをうかべ、そう優しく言った。
フワ…。まただ。ものすごい安心感だ。聖君の優しさに包まれる。
同じ男の人なのに、桐太とも違う。幹男君とも違う。優しくてあったかくって、溶けそうなくらいに幸せになる。
「聖君、大好きだからね」
「うん、わかってる」
聖君は、小さくうなづいた。
それから、しばらく聖君は、優しく髪をなでてくれていた。
「聖君」
「ん?」
「なんで?」
「え?何が?」
「聖君、すごく優しい」
「俺が?」
「うん」
「……」
聖君は黙っていた。黙って優しくキスをしてきた。
「俺、今日何回キスしたかな?」
「え?」
「何十回としてたりして?」
「うん。そうかも」
「じゃあもう、俺のキスしか思い出せないくらいになった?」
「え?」
ああ。桐太のこと?
そういえば、すっかり忘れていた。黙っていると、聖君は、
「あれ?まだ?」
と、聞いてきて、それからまたキスをしてきた。今度は長いキス。
と、溶けるかもしれない。私…。うっとりとして、目をとろんとさせながら、聖君を見つめた。聖君は、
「もう完全に消えたかな」
と、つぶやいた。
「桐太君のことだよね?」
と私が聞くと、
「うん」
と聖君はうなづいた。
「消えた。忘れてたもの」
「本当に?」
「うん…。本当に。もう聖君のことしか、考えられない」
「俺のことだけ?」
「うん。聖君のことしか、思い出せないよ。きっと…」
「俺のキスだけってこと?」
「うん」
うなずくと、聖君はまたキスをしてきた。なんでこんなに優しいキスなのかな。
「……。もう、俺ベッドから出て、服着た方がいいかも」
「え?」
「さっきから、我慢の限界は来てたんだけど…」
「……」
限界?
「で、桃子ちゃん、離れてた方がいいかも」
「なんで?」
「狼にいつ、俺、変わるかわからないよ」
な、何?それ。聖君が狼?まったく、予想もつかない。
「実は、襲いかかりたくなるのを、必死でセーブしてた」
「え?!」
だって、すごく優しく髪をなでたり、キスしてたよ?
「今までずっと?」
「うん」
「こらえてたの?」
「うん」
「それなのに、優しくしていてくれたの?」
「うん…」
聖君はそう言うと、私の首の下に回した腕を、そっと抜いて、布団から出ようとした。
私はとっさに、聖君の背中に抱きついていた。
「え?」
聖君が驚いていた。でも、そのままギュッて抱きついたままでいた。
「ど、どうしたの?こういうのされられると、まじで、俺やばいよ?」
「うん」
「うんじゃないよ、桃子ちゃん。もうまじで限界。押し倒したら、止まらないよ?俺、絶対に」
「だって」
「え?」
「だって、聖君のこと、今、苦しめてたんだよね?私」
「苦しんではいないって」
「だけど、我慢させてるんだよね?」
「そ、それはそうだけど」
聖君は、困っているのか動かなくなった。
ギュ!もっと力強く背中に抱きついていると、
「も、桃子ちゃん!思い切り、胸、当たってる」
と、聖君が耳を真っ赤にさせてそう言った。
あ…。と思ったその瞬間、
「駄目だ。限界」
と、聖君はぐるりとこっちを向き、思い切り私を押し倒してきた。
ベッドにドスンと横になると、聖君はそのまま全体重を乗せてきて、キスをしてきた。さっきみたいな優しいキスではなく、かなり力強く。
うわ…。聖君?それに、両腕も掴まれ、これはもう、絶対に手で押しのけたりすることもできないってほど、力を入れて握っている。
こ、これ?狼に変身ってこれ?ちょっと、いつもと違う…。いつもの聖君じゃない。ないけど、怖くない。全然、怖くない。
それよりもさっきから、聖君を我慢させたりしていた自分が、なんだか、情けないような、そんな気になっていた。
聖君、ずっとこらえながら、優しく接してたんだ。
我慢してたのに、私には無理しないでいいよって言ってくれてたんだ。
なのに、そんな聖君の優しさにどっぷりと私、甘えてたんだ。
甘えるなんてもんじゃない。自分勝手もいいところだ。
聖君が首筋にキスをしてきた。ドキドキ。心臓はやっぱり、高鳴っている。だけど、聖君への愛しさが勝っちゃってる。
ごめん。聖君。今までもきっと、我慢させてた。
優しい聖君にいつも、甘えてたんだね。
聖君が私の腕から手を離した。私はそっと、両手で聖君を抱きしめてみた。ああ。やっぱりすごく愛しい。聖君の髪もなでてみた。サラサラな髪。聖君が私の目を見つめてきた。なんだか、ものすごい熱い目だった。
これ、ステージの上で見たことある。色っぽくって、私のハートを射抜いちゃった目だ。そして今もまた、その目に、射抜かれてしまった。
完全に抵抗できなくなった。きっと私の目は、ステージの上の聖君を見ていた時のように、うっとりしてて、ハートになってる。
聖君って、なんてかっこいいんだろう。なんて思っている。
それに、色っぽい。腕は筋肉質で、無駄な贅肉がない。サラサラな前髪が時々目にかかり、それを聖君はかきあげる。その仕草はめちゃくちゃ、色っぽい。
やばい。
どこをとっても、かっこいいやら、色っぽいやら。うっとりなんてもんじゃない、私。
やばい~~。今、私の頭の中を聖君が覗いたら、驚くなんてものじゃない。なにしろ、私こうやって、抱きしめられるのも、キスをされるのも、触れられるのも、見つめられるのも、ものすごく喜んでる。
え~~~ん。泣きたくなるくらいだ。なんで、そんなにかっこよくって、色っぽいの~~~!!
恥ずかしいも、ドキドキも吹っ飛んだ。いや、あまりの色っぽさにドキドキはしているけど、さっきの心臓のバクバクとは違うドキドキだ。
もうお手上げだ。完全にノックアウトだ。私、こんなに聖君に惚れちゃってるんだ。
そのまま、聖君に全部を任せた。私はただ、聖君への愛しさでいっぱいになっていた。
時計の音がカチカチとなっていた。部屋は、もう暗くなっていた。
聖君はそっと体を起こして、私を優しく見つめた。それから、おでこにキスをして、私にそっと布団をかけた。それから、自分も布団にもぐりこみ、私に腕枕をしてくれた。
私は、意識がぼ~~ってしていて、ただ、聖君をうっとりと見つめていたと思う。
「大丈夫?」
聖君が聞いてきた。
「え?」
「なんか、意識どっかに行ってない?」
あ、ばれてた。意識が飛んでるの…。
「うん。どっか行ってるかも」
と、ぼ~~っとしながら答えると、
「まじで?大丈夫?」
とまた、聞いてきた。
「だ、大丈夫じゃない」
「え?」
聖君は驚いて、聞き返してきた。
「聖君が好き」
「え?…うん」
聖君はまだ、驚いていた。目を丸くしている。
「大好き」
「うん」
聖君は、顔を赤くした。なんでいきなり、私が大好きなんて言い出したんだって顔で見ながら。
「どうしよう」
「え?」
私がそう言うと、さらに驚いて、
「何が?」
と、慌てていた。
「聖君のことが、大好きすぎて、どうしよう」
「…へ?」
聖君の目が点になった。
私は聖君の胸に顔をうずめ、腕を背中に回した。それから、ギュッて抱きしめ、
「聖君、かっこよすぎる」
と、そうつぶやいた。
「え?え?え?桃子ちゃん、何それ?わけわかんないんだけど」
聖君は、本当に困っていた。
「いいの、わかんなくても」
「うん。また俺に、惚れちゃったってことだってのは、なんとなくわかった」
「うん」
「でも、それなら俺も…」
そう言うと、聖君はキスをしてきた。それも思い切り濃厚な…。
「桃子ちゃん、もう、俺のものなんだ」
と、ぼそって言うと、腕枕をしていない方の手で、私を抱きしめ、
「俺、まじで嬉しい」
と、耳元でささやいた。
しばらく黙って抱き合っていた。聖君の鼓動がする。聖君が耳をキスしてくる。それから、優しく、
「大好きだよ」
とささやいてくる。ああ、それだけでも溶けちゃいそうで、また力が抜けていく。
「もう、お母さんたち、帰ってきちゃわない?」
聖君が心配して聞いてきた。
「大丈夫。夕飯食べてくる時には、いつも10時頃に帰ってくるから」
と、私が言うと、
「お父さんは?」
と聖君は聞いた。
「お父さんは接待だから、12時頃だよ。きっと」
「なんだ、そうなんだ」
「うん」
「じゃ、もう少し、このままでいられるね」
「うん」
「俺さ、もしかすると、5年くらいは待たされるかなって、そんなことも思ってたよ」
「え?」
「そんな覚悟もしなくっちゃなって思ってたら、今日いきなり、早く俺のものになりたいなんて言うから、すんげえ驚いちゃった」
そうか。それで、しばらく頭の中ぐるぐるしてたんだ。
「やばい。俺、桃子ちゃんのことしか今、考えられない」
「私も…」
「勉強も、手につかないかも」
「え?それは、駄目だよ。受験生なのに」
「だよね。でも、きっと手につかない」
私、もしかして、受験勉強の邪魔になるようなことしたの?
「でも、このまま、我慢することになってたとしても、勉強手につかなかったかもしれないけど」
「え?」
「もやもやした気分のままだと、たまに勉強できなくなるんだよね」
「そ、そうなの?」
「……。桃子ちゃん、変なことお願いしてもいい?」
「え?」
「あ、やっぱ、いいや」
「何?気になる」
「その…。もちろん、しょっちゅうなんて言わない。ほんと、時々でいい」
「何が?」
「だから、時々、こうやって桃子ちゃんのこと、抱いてもいい?」
「…え?」
「あ、やっぱり変なこと言ってるね。ごめん、忘れて」
「え?」
「忘れていいよ。なんかこんなこと言ったら、まるで、体目当てで付き合ってるの?みたいに、思っちゃうよね?」
「……」
聖君は、ちょっと私から目線を外して、ああ、やばいことを言ったって顔をしていた。
「いいよ」
「え?!」
私が言った言葉に、聖君はものすごく驚いていた。
「いいって言った?」
「うん。だって、もう聖君のこと困らせたり、我慢させたりしたくないし」
「え?」
聖君は目を丸くして、しばらく私を見ると、
「駄目だ。桃子ちゃん、やばいくらい、めっちゃくちゃ愛しいや」
と言って、ギュウって抱きしめてきた。
それは私もだよ。聖君。私もめっちゃくちゃ聖君が愛しいの。そう思いながら、私は聖君を抱きしめた。
聖君に片思いをした。一目惚れだった。付き合うようになって、もっと好きになった。どんどん好きがあふれて、止まらないくらい。そして、さらに聖君が、大好きになっている。
大好きなんて通り越し、愛しくて、愛しくて、しかたがない。
聖君の背中をギュッて抱きしめながら、私はそう思っていた。




