第55話 心の変化
家まで蘭が送ってくれた。その間は、蘭と話をして私はがんばっていた。蘭はただただ、桃子強くなったって、何度も言っては、喜んでいた。
本当は強くなんかない…。
家に入った。一気に気力を失い、その場にへなへなと座り込んだ。家の中はしんとしていて、どうやら、母は出かけていて、ひまわりは部活のようだ。
私はどうにかこうにか、ダイニングまで行き、椅子に座った。ダイニングのテーブルにメモが置いてあり、
「おばあちゃんの家に行っています。ひまわりも一緒です。桃子も来るならあとから来なさい。来ないなら、連絡入れてね」
と書いてあった。なんだ。ひまわり、部活じゃないんだ。
これから聖君も来るし、それに今日は、おばあちゃんの家に行く気にはとてもなれない。私はおばあちゃんの家に電話をして、今日は疲れているし家にいると、母に伝えた。
「夕飯も食べていくから、なんか適当に冷蔵庫にあるもので、食べてくれる?お父さんは接待だから、かなり遅くなるみたい。お父さんのご飯は作らなくてもいいからね」
と、母に言われた。
「わかったよ。おばあちゃんによろしくね」
なんでいきなり、おばあちゃんの家なのかはわからないが、今、二人がいなくて良かったかも。私は思い切り落ち込んでいて、きっと、こんな顔を見たら二人とも心配するから。
「は~~~」
ため息が出た。やばい。泣きそうだ。テーブルの上に顔をうつぶせた。なんで、あんなことになったんだろう。
聖君のお父さんに言わせたら、これも必要で起きたことだって言うだろうか。でも私には、悪夢としか言いようがない。
殴った手前、あまり桐太のことも悪く言えないし、責められない。それに、私がついていっちゃったんだから、私も悪いんだ。
それに、桐太のあんな話を聞いちゃうと、憎むこともできない。
いったい誰を責めたらいいのか。やっぱり自分を責めてしまう。
聖君、怒ってるだろうな。めちゃくちゃ、怒ってるよね。なんで、桐太についていったのかって、きっと怒るよね。
私、本当にすきだらけだ。みんなが心配するのも無理ないんだ。
あ。駄目だ。なんだか果てしなく落ち込んできた。
しばらくそのまま、ダイニングで落ち込んでいた。すると、ピンポーンとチャイムが鳴った。時計を見たら、1時間はとっくに過ぎていて、聖君が来たようだった。
胸がドキドキした。聖君に会うのが怖い。怖いくせに会いたい。今、1番にすがりたいのも、慰めて欲しいのも、聖君だ。
ドアを開けると、聖君が息を切らして立っていた。駅から走ってきたみたいだ。
「入っていい?」
「うん」
私はドアを広げて、聖君を玄関に招きいれた。聖君は家にあがると、
「お邪魔します」
と、リビングのドアを開けた。
「誰もいないよ」
と私が後ろから言うと、
「え?お母さんも?」
と聖君が聞いた。
「ひまわりとおばあちゃんの家に行ってる」
「そうなんだ」
聖君はそう言うと、ふうって息を整えた。
「部屋に行ってもいいかな。なんかここだと落ち着いて話せそうもない」
「うん」
そう言われて、聖君と私の部屋に行った。
部屋に入り、ドアを閉めた。私は気持ちもだけど、体までがすごく重たく感じられ、ドスンと思い切り、ベッドに座り込んだ。聖君は座らず、私の前に立っていた。
もしかして怒っていて、今から怒鳴られちゃうのかな、私。だけど、
「大丈夫?」
と聖君は、怒るどころか、ものすごく優しい声で聞いてきた。
「え?」
私は顔を上げて、聖君の顔を見た。聖君はしゃがみこみ、私の顔を覗き込んだ。
「泣いてない?」
「うん」
「怖かった?」
「うん」
「大丈夫?」
「うん」
あまりにも優しい声と、優しい目をしているから、私は耐え切れなくなり、思わず、涙をぽろぽろと流してしまった。
「ひっく」
涙があとからあとから、流れ落ち、止まらなくなった。すると、聖君は私をそっと抱きしめてきて、
「ごめん」
と、すごく切なそうな声で謝った。
「な、なんでごめんなの?ごめんって謝るのは私だよ?」
泣きながらそう言うと、
「なんで?桃子ちゃんは悪くない。俺が、桃子ちゃんを守れなかった」
と、聖君はちょっと辛そうにそう言った。
「だって、それはしょうがないよ」
「しょうがなくない。こうなることも考えられたのに…。こうなる前に、あいつにもっと、桃子ちゃんには手を出すなって、脅しておけばよかった」
「そんなことしても、きっとこうなってたよ。ううん。私が桐太君についていかなかったら良かったんだよね…」
私はそう言うと、ものすごい後悔でいっぱいになり、胸が締め付けられるくらい、痛くなった。
聖君は、そっと抱きしめていた腕に、少しだけ力を入れてきた。
あったかかった。聖君の匂いがして、優しさに包まれた。安心で一気に私の心がほぐれていき、私は、思い切り声を上げ、泣き出してしまった。
聖君の胸は広い。その胸にしがみついた。聖君の着ているセーターが涙で濡れて、ぐちゃぐちゃになるんじゃないかってくらい、私はしがみつき、泣いていた。
ギュ…。聖君はますます、腕に力を込めた。それからまた、
「ごめん」
と、謝ってきた。聖君のせいじゃないのに…。
「怖かったよね?」
「うん」
「ごめん」
その言葉にまた、私は泣いてしまった。
しばらく聖君は黙って、私のことを抱きしめていた。聖君の鼓動がする。聖君のあったかさや、優しさがじかに伝わってくる。ほっとする。思い切り、心が落ち着いていく。
やっぱり、聖君がいい。絶対に聖君がいい。こうやって触れる手も、あったかい胸も、声も、言葉も、すべてが聖君だからいい。
私に触れるのは、聖君がいい。キスをするのも、抱きしめるのも、聖君じゃなきゃ嫌だ。
やっと泣きやむと、聖君は私のほっぺの涙を手で拭いてくれた。そして、優しくキスをしてきた。
フワ…。すごく優しかった。
私はまた、聖君の胸の中に顔をうずめた。聖君は私の頭を優しくなで、
「もう、落ち着いた?」
と聞いてきた。
「うん」
と言ったけど、まだ離れたくなくて、そのままでいた。
聖君も、そのまま私のことを抱きしめていた。
「おさまったね?震え…」
「え?私震えてた?」
「うん。小さく震えてたよ。気づかなかった?顔色も悪かった」
「……」
そうか……。自分ではわからなかった。
聖君は私から腕を離し、隣に座った。
「聖君、怒ってないの?」
「誰に?」
「私…」
「桃子ちゃんには怒ってないよ。あいつのことは、許さないけど」
そう言って聖君は、拳をギュッて握り締めた。
「だけど、私がもう殴ったから」
「本当に桃子ちゃんが殴ったの?蘭ちゃんじゃなくって?」
「うん」
「えっと…。あまり事情が飲み込めてないんだけど、いつ殴ったの?」
「桐太君が、聖君に電話で話してる時」
「あの時?なんか、桐太が電話の向こうで、ぐえってすごい声出したけど、あの時?」
「そう、多分」
「何で?その頃になってもしかして、ふつふつと怒りが沸いてきたとか」
「だって、桐太君は思い切り、聖君のこと苦しめようとしてたから、許せなくなって。それで、気がついたらバキって音がしてた」
「え?気がついた時にはもう、殴ってた?」
「…。ううん。何かがブチって切れたのは、気づいてたよ」
「そう。桃子ちゃん、切れると強いね…」
「だって、聖君のこと」
「あ、そっか。切れるとじゃなくって、人のことになると、強くなっちゃうんだね」
「……。引いた?」
「え?」
「男の人を殴っちゃったりして…」
「驚いたけど…。でも、ちょっと桃子ちゃん、すげえ!とか、やった!とか、桐太のやつ、ざまあみろ!とか思ってた」
なんだ、そりゃ…。
「あの後、桐太君と蘭や蘭の友達も交えて、話をしたの」
「うん」
「桐太君って、すごく聖君のこと、好きだったんだね」
「え?あいつが?まさか!」
「ううん。好きだったのに、受け入れてくれなくなって、それで、あんな態度とるみたい」
「ガキじゃん。それ」
「そうかもしれないけど…。でも、聖君に背を向けられたこと、すごく傷ついてトラウマになってるみたいだよ?」
「トラウマ?」
「もう、誰かを大事に思ったりしないって。そんなことしてまた、裏切られて傷つきたくないって。だから、付き合う女の子も、遊べる子とか、本気にならないですむ子とかなんだって」
「……。じゃ、果林さんのことも?果林さんを俺に取られて、頭に来てたんじゃないの?それとも、また、友達の彼女を取って、喜ぼうとしてたとか?」
「そうじゃないみたい」
「じゃ、何?俺に傷つけられたから、復讐のつもり?」
「中学の時にも、聖君の彼女にちょっかいだしたって言ってたけど」
「ああ、そうだよ」
「その時も、今回も、聖君の彼女として、認められなくて、わざと別れるように仕向けたって言ってたよ」
「は?認められないって?」
「聖君は桐太君にとって、憧れだったり、すごい素敵な存在みたいで、その聖君の彼女になるなら、自分が認められるくらいの女じゃなきゃ、駄目みたい」
「…なんだよ?それ!」
「で、私は、強いし、合格なんだって」
「はあ?!じゃ、試したってわけ?」
「違うと思う。私みたいなのが聖君の彼女だなんて、許せなかったみたい。でも、私が殴ったり、聖君のことをすごく大事に思っているのを知って、認めたみたい」
「なんだよ。なんであいつに認められないと、彼女になれないんだ。ったく、変だよ」
「うん。でも、それだけ聖君のことが好きってことだよね?」
「お、男にそんなに好かれても」
「お兄さんみたいに、きっと思ってるんだよ」
「え?」
「桐太君、お兄さんのことも、大好きなんだって。聖君はお兄さんに似てるって言ってたよ」
「……」
聖君は黙って、頭を掻いた。
「それでも、ぼこぼこにするの?」
「する」
「え?」
「俺の気がおさまらない」
「……」
「桃子ちゃんにキスしたんだよ?ちょっと触れるだけでも、許せないのに!」
聖君はいきなり、怒りをあらわにした。
「怖かったよね?」
「うん」
「嫌だったよね?」
「うん」
「桃子ちゃんをそんな目にあわせたやつ、許せるわけないじゃん」
「……」
そうだけど、そうなんだけど。それだけ大切に思ってくれてるのは嬉しい。でも、ぼこぼこになんてして欲しくない。喧嘩もして欲しくない。すごく複雑だ。
フワ…。聖君がまたキスをしてきた。
「……。やば…」
「え?」
聖君は私の顔を見て、辛そうに目を細めた。
「なんか思い切り、悔しくなってきた」
「え?」
「桃子ちゃんの唇にあいつが触れたと思ったら」
「……」
そ、そういう言い方は、私も辛いよ。その時の感触まで思い出して、また、暗くなる。
私が黙り込み、うつむくと、聖君はどうやら慌てたらしく、
「ごめん!嫌なこと思い出させた。ごめんね」
と、謝ってきた。
「ううん」
ううんと言ったが、本当は辛い。顔もあげられなかった。
ギュ…。桐太の唇の感触を思い出し、唇を拭いた。でも、消えるわけがない。何度拭いても、消えないんだ。
「桃子ちゃん?」
聖君はそんな私を見て、心配そうに聞いてきた。
「……。やだ」
「え?」
「すごく、やだった」
それだけ言って、またギュッて唇を拭いた。
「桐太のこと?」
「…私、桐太君の顔もひっかいた」
「え?」
「キスされて、なんで私、聖君以外の人に、こんなことされてるんだろうって、頭にきて、ガリって」
「ガリ?」
「爪で目の辺りをひっかいたの。それで、桐太君が痛がってるうちに、走って逃げた」
「……」
聖君から、すごい怒りのオーラが出たのがわかった。あ、ますます桐太のことを、許せなくさせてしまったかな。私…。
キリ…。聖君が唇を噛んで、怒りを抑えようとしているのがわかる。でも、私は言わなくっちゃって思って話を続けた。
「私…、聖君のこと怖いとか、嫌だとか思ったことないけど、初めて男の人が怖いって思った」
聖君は私を見た。それから、
「怖がらせたりして、あいつ…」
と、宙を見て、ものすごく怖い声でそう言った。
「ひ、聖君」
「え?」
私が少し、話しづらそうにしてるのに気がつき、
「何?」
と、聖君は声を柔らかくして聞いてきた。
「私ね、私」
「うん」
私は下を向いて、話すのを躊躇した。でも、今言わないとならないって気がして、どうしてもそんな気がして…。
これは、私の中のものすごい変化で、言うのに緊張もするし、胸がドキドキする。変に思われないか、こんなこと言って、引かれたりしないか…。
だけど、やっぱり、伝えないと前に進めないような気もする。
「何?」
聖君はもう一回、優しく聞いてきた。
「呆れない?」
「え?」
「引かない?」
「…うん、多分…。えっと、何かな?言ってくれないとなんとも言えないけど、なんか見当もつかなくて、何かな?俺が呆れたり、引いたりすることなの?」
「かもしれない」
「…。な、何かな?」
聖君は少し、顔を曇らせた。私はまた、口にするのを躊躇してしまった。
「怖かったって言ったよね?あいつのこと。でも、俺は怖くないんだよね?」
「うん」
「あ、あいつのせいで、俺のことまで、怖くなったとか?」
ブルンブルン顔を横に振った。
「男の人って不潔!とか思って、俺も嫌になったとか…」
またグルグル、首を横に振った。
「その逆」
「逆?」
「聖君じゃなきゃ、嫌だって思った」
「え?」
「聖君以外の人なんて、嫌だって思った」
「……」
聖君はただ、黙って私を見ていた。
「それで」
「うん」
少し聖君の方を見た。何を言いたいんだろうって顔で、聖君は聞いていた。私はまた、目線を落として、聖君の袖口をつまんだ。セーターだから、あまりつまむと、のびちゃうかもしれない。でも、つまんでいた。
「それ、よくするけど、落ち着くの?」
聖君は、袖口をつまんでいる私の手を見て、聞いてきた。
「うん」
「そう」
でも、今日は落ち着かない。袖をつまむのをやめて、手をつないでみた。
「え?」
聖君は、ちょっと驚いていたが、でも、そのまま手を握ってくれた。
心臓がドキドキしてきていた。なんて言い出そうか。こんなことを私から言って、本当に呆れないだろうか。
「あのね」
「うん」
私は恥ずかしくて、顔を見られないように、わざと、聖君の胸に顔をうずめながら、話し出した。
「あんなふうに、他の誰かに触られたり、キスされるのはもう絶対に嫌だって思って」
「そ、そりゃそうだよ!俺だって、絶対に嫌だよ!」
聖君は、思わずそう口走ったようだ。そう言ったあとで、
「あ、ごめん。話してる途中だよね」
と、慌てて謝った。
「聖君がもし、他の女の人にキスしたり触れたりしたら、絶対に嫌だって思った」
「え?」
「なんか、そんなことも思ったんだ」
「しないよ。俺、桃子ちゃんにしか」
「……」
私が黙っていると、聖君は少し慌てた。
「え?なんで無言?まじで、しないって。信じられないの?」
「ううん、そういうわけじゃ…」
「もしかして、それ、俺に聞くのが勇気いったとか?そんなこと聞いてまた、呆れないかって思ったの?でも、しないよ。信じていいよ。俺、桃子ちゃんにしか興味ない」
聖君はそう、断言してくれた。でも、私は蘭が前に言ってた、他の人に取られてもいいの?って言葉を思い出していた。
絶対に嫌だし、私も聖君以外の人は絶対に嫌だって思った。心底思った。
「なんでずっと下向いてるの?」
「……」
「顔あげて、顔見せて?」
クルクルと、首を横に振った。
「なんで?俺、呆れてないし、引いてもいないし、大丈夫だから」
「違うの」
「え?何が?」
「まだ、続きがあるの」
「え?話に?」
「うん」
そう言ってから、もっと顔をうずめ、小さな声で、私は言ってみた。
「私、あんな思いをするくらいなら、早くに、聖君のものになっちゃいたいって思ったの」
「……え?!!!!」
聖君は、私の頭の上で、ものすごい声をあげた。それに、一気に心臓が早くなったようで、聖君の胸の鼓動がドキドキするのが伝わってきた。
「え?今なんて言った?!」
聖君は、もう一回聞いてきた。
う。2度も言えない。ものすごく恥ずかしくて、穴があったら入りたいくらいだ。
私は黙ったまま、顔をうずめていた。聖君はなんだか、緊張しているのか、体が固まっていて、しばらく黙ってしまった。
それから、聖君は深呼吸をすると、
「俺の聞き間違いでなかったら、その…、お、俺のものに早くなりたいって言ったのかな?」
と、緊張した声で聞いてきた。
私は小さくうなづいた。
「…まじ?」
聖君も、ものすごく小さな声でそう言ってから、
「うそ」
と、またつぶやいた。そして、私とつないでいない方の手で、頭を掻くと、一気に手に汗を掻き、
「も、桃子ちゃん、それ、言ってる意味わかって言ってる?」
と、そんなことを聞いてきた。
私はまた、こくってうなづいたが、
「やっぱり引いてる?呆れてる?」
と、こわごわ聞いてみた。すると、聖君はそれに対してまったく返事をする様子もなく、ただただ、
「うそ!まじで?」
と、そればかりを繰り返していた。
どうやら、聖君の頭の中は、相当ぱにくっているようだ。