第52話 すべてが必然
花ちゃんは、
「お姉ちゃん、そろそろ帰ろうか」
と果林さんに言った。果林さんも、
「うん、そうだね」
と席を立ち、聖君や聖君のご両親に、
「ありがとうございました」
とお辞儀をした。
「また来てね」
聖君のお母さんはにっこりと微笑んだ。聖君のお父さんは、
「駅までわかる?送っていこうか?」
と二人に言ったが、
「桃子ちゃんがわかってるよね?道」
と、果林さんがそう聞いてきた。
「え?はい」
私がうなづくと、すかさずお父さんが、
「え?桃子ちゃんはまだいるでしょ?そんなに早くに帰ったら、聖が泣いちゃうよ」
と、ちょっと聖君の方を見て、にんまりとした。
「泣かね~よ」
聖君がぼそって言うと、
「桃子ちゃんと俺が駅まで送ってく」
と言って、一度リビングに行くと上着を持ってきた。
「悪いよ。私たちなら大丈夫だから」
と、花ちゃんは言ったけど、聖君はもう、上着をしっかりと着てしまっていた。
「じゃ、行こうか」
聖君はドアを開け、さっさと外に出た。あとから私たちも外に出た。
「またいつでも遊びに来てね」
と、聖君のお父さんが元気に手を振りながら、見送ってくれた。お母さんはちょうど今入ってきたお客さんを、席に案内していた。
聖君は、ゆっくりと私の歩調に合わせ、私の横を歩いていた。その後ろを果林さんと花ちゃんがついて歩いた。
「聖君と話が出来て良かった」
後ろから果林さんがそう言った。
「そう?それは良かった」
聖君は少し振り返り、にっこりと微笑んだ。
「桃子ちゃんが言ったとおりだった。私、自分と向き合うことが出来ていなかったんだね」
「みんなきっとそうだよ」
果林さんの言葉に聖君は、前を向いたままそう言った。それからくるりと振り返ると、
「みんな同じだよ。いろんな自分がいて、優しいところもあれば、冷たいところもある。でも、基本は同じだと思うよ」
「え?同じ?」
果林さんが聞き返した。
「うん、愛を欲しがってる。本当は、そのままでいいのに、いい子ぶったり、逆に悪ぶったりしてさ」
「…そうかもね」
果林さんは下を向いた。
「だけど、そのままでいいんだよ。どんな自分でもOKなんだよ」
「…桐太、別れてくれるかな」
ぼそっと下を向いたまま、果林さんは独り言のように言った。
「さあ。どうするかな。俺にもわからないけど、自分を大事にしていこうってそんな思いが、今の果林さんには1番必要なんじゃないの?」
「え?」
「あいつも、もっと自分を認められたらね。でもま、きっとなんでもうまくいくよ」
「なんでも?」
「無責任に聞こえるかもしれないけど、これも父さんがよく言ってる。なんでも必要で起きてるから大丈夫ってさ」
「必要で聖君に会った気がする」
果林さんがそう言うと、
「う~~ん。俺だけじゃなくて、花ちゃんちに桃子ちゃんが遊びに行ったこととか、そんなのも含めてね」
「……」
果林さんは黙り込んだ。
「それに、俺にも今回のことは必要だったよ」
「え?そうなの?」
果林さんが驚いてそう聞くと、
「うん。最近ちょっと落ちていたから」
と、聖君は答えた。
「どうして?聖君が落ち込む理由って何?」
果林さんは、興味津々だった。
「うん。俺ってそんなに冷たいやつかな~~と。いや、冷たいやつなんだろうなとは思ってたけど、ちょっと、そういうことが重なってて」
「冷たい?そう言われて、落ち込んでたの?」
「まあね。だけど、父さんが言ってくれた。冷たいようでも、俺の言葉が相手にとっては必要な言葉だったりするし、やっぱり、全部必然で起きてるんだってさ、俺もそう思えた。だから今回のことも、俺にとっても必要で起きたことなんだ」
聖君はそう言うと、また前を向いて歩き出した。それから、私の方を見て、
「あと、桃子ちゃんにしか反応しなくて良かったって、今日は思ったし」
と笑って言った。
「え?何それ?」
と私が聞くと、
「誰かれかまわず、女の子に泣かれて胸痛めてたら、俺、桃子ちゃん以外の子のことで、悩むことになるし。そしたら、桃子ちゃんのことだけ、思っていられなくなるし」
「え?」
「あ、そっか。きっと不器用なんだ、俺。だからちょうどいいんだ」
「何が?」
「だからさ、桃子ちゃんにだけ反応するから、いつでも桃子ちゃんのことだけ、思ってられるでしょ?」
「うん」
「だから、桃子ちゃんは安心していられるでしょ?」
「え?うん…」
聖君はそう言ってから、嬉しそうにジャケットに手をつっこんで、ちょっと鼻歌を歌った。わ、かなりご機嫌なんだ。
江ノ島の駅に着いた。花ちゃんは、聖君と私に、
「本当にありがとう」
と言って、果林さんは、名残惜しそうに、聖君を見ていた。女の勘でぴんときた。果林さんは、聖君が好きになっちゃってるなって。
「じゃね!気をつけて」
そんな果林さんの寂しそうな目もおかまいなしに、聖君は元気にそう言うと、さっさと私の手を取って、歩き出し、
「海岸行かない?今日そんなに寒くないし。デートしようよ!」
と、私ににこっと微笑んで言ってきた。
改札口を抜けたところから、花ちゃんが、
「デート楽しんでね」
と、私に向かってそう言った。そして、私が振り向くと、元気に手を振った。私も手を振りかえした。
花ちゃんの隣では、果林さんがちょっと目線を合わせないようにしていた。でも、ちらりと聖君を見ていた。
「いこ!」
聖君が私の手をひっぱった。私は、
「うん」
と、聖君と歩き出した。
しばらく歩いてから、ちょっと振り返ってみた。二人の姿は見えなくなっていた。
「果林さん…」
寂しそうだった。と言おうと思ったけど、途中でやめた。そんなこと聖君に言ってもしょうがないかな。
「もしかすると、俺のこと気に入っちゃったとか、そんなことになってるかもしれないけど」
「え?」
気がついてたの?
「でも、きっと今だけだよ。そのうちに、そんな人もいたわね~~ってなるって」
聖君はあっさりと、そう言った。
「そうかな」
「桃子ちゃんが気にすることないし、俺も気にしてない。ってこともないか」
「え?」
ドキ!気にしてたの?
「気を持たせても悪いから、ちょっとわざと、さっさと別れたって言うか、わざと聞こえるようにデートしようなんて言ったかもしれない」
「あ、さっき?」
「うん。思ってくれたとしても、どうにもならないし。俺には桃子ちゃんいるもん」
そうか。やっぱり気がついてたんだ。果林さんが寂しそうだったり、名残惜しそうにしてたの。
そういうの気がついて、わざと突き放すようにしたり、今までもしてきたのかな。
聖君の顔を見た。横顔はまっすぐに前を向いていた。
「聖君は、冷たくないよ」
「え?」
聖君が私を見た。
「それも優しさなんだって、私は思うよ」
「……」
聖君は黙って私を見ていた。それから、
「サンキュ…」
と、ちょっと照れくさそうに笑った。
それから海岸に出て、二人でぼ~~っと海を眺めた。
「もう冬だね~~」
聖君がつぶやいた。
「この前、夏がきたと思ったら、もう冬。早いよね」
ギュ~~。胸が締め付けられる。時間が早く過ぎれば過ぎるほど、聖君が沖縄に行く時が近づいてくる。
私は思わず、つないだ手に力を入れてしまった。聖君もギュッて私の手を、握り返した。
聖君の手は大きくて、あったかい。この手も沖縄に行ったら、当分触れられないんだな~~。そう思うと、ますます胸が締め付けられた。
「夢、見た?」
「え?」
聖君がいきなり、聞いてきた。
「イルカ抱いて寝て、俺の夢、見れた?」
「ううん。海で本物のイルカ抱いてる夢を見たよ」
「え?何それ?あははは!」
聖君に大笑いされてしまった。
「俺なんて、桃子ちゃんに抱きつかれてる夢見たよ?」
「そうなの?」
「で、俺、夢でもずっと抱きしめるの我慢してて、大変だった」
「え~~?」
聖君は、下を向き、小さく笑った。あ、その顔も大好きだな…。そんなことを思いながら、聖君を見ていた。
聖君は前を向き、海を見た。その横顔も見ていた。遠くを見つめるその目の先には、沖縄の海があるのだろうか。そう思うと、少し寂しくもなる。
聖君はずっとずっと、海を見ていた。その横顔を私がずっと見ていると、いきなり聖君がふきだした。
「ブフッ!」
「え?」
「なんで、さっきから俺のことじっと見てんの?」
「私?」
「もしかして、見惚れてるのかな~~とか、そのうちに見るのやめるかな~~とか、いろいろと考えちゃったよ。でも、ずっと見てるんだもん」
「そんなこと思って、海を見てたの?」
「うん。ここでいきなりキスしたら、また驚くだろうなとか、いきなり抱きしめるってのもありかなとか、そうしたら思い切り手で、押し返されるかなとか…」
「……」
沖縄の海に、思いをはせてたわけじゃないの?なんだ。なんか、拍子抜け…。
「で?見惚れてたの?」
「うん、そう」
「やっぱり?もう、桃子ちゃんってば!」
聖君がお茶目な顔で、そう言ってきた。な、なんだ~~。もう。海を黙って見つめているから、何か感慨深いものでもあるのかなとか、思っちゃった。
聖君が今度は、私の顔をじっと見てきた。
「な、何?またクロに似てるとか、思ってるの?」
「え?ああ。いや…」
「何?」
聖君はちょっと目線を外し、頭を掻いた。何か言いにくいこと?
「なんでもない」
ええ?き、気になる!
「何?」
「なんでもないよ」
「気になるよ」
「…可愛いって思ってただけだよ」
「え?」
「桃子ちゃんって、なんて可愛いんだろうって思って見てただけだから」
「え?!」
私は真っ赤になってしまった。あ、そうか。私が聖君ってなんてかっこいいんだろうって、そう思って見てるのと一緒か~…。
「バカップルだよね~~。俺ら」
「う、うん」
相当、バカップルかも。
聖君は、砂浜をとぼとぼと歩き出した。片手はジャケットのポケットにつっこんで、片手は私と手をつないでいる。
「イブ、どこに行こうか?」
聖君が聞いてきた。
「江ノ島に私、来るよ」
「え?」
「だって、遠いと勉強の時間」
「イブまで、勉強しないって。誕生日だし」
「そうなの?」
「また、みなとみらいに行く?あ、今年は山下公園もいいね」
「うん」
嬉しいな。また、聖君とイブを過ごせるんだよね。
「桃子ちゃんさ~~」
「え?」
聖君は手をつないでいる私の手をいきなり、自分の顔の前に持っていった。
「指、細いね」
「うん」
それから、じっと私の手を眺めていた。
「な、何?」
「え?」
「私の手、何か変?」
「いや、指細いし、手、小さくて可愛いなって思って」
「え?」
「さて、れいんどろっぷすに戻る?ちょっと冷たい風が吹いてきたし」
「うん」
なんか今、ごまかされたような気がするけど…。
お店に入ると、席が満杯で、ホールに聖君のお父さんも出て、対応していた。
「父さん、仕事あるんでしょ?俺、手伝おうか?」
「いいよ。夜やれば、どうにかなりそうだから。聖は桃子ちゃんがせっかく来てるんだから、2階にでもあがっていなよ」
お父さんは優しくそう言うと、また、キッチンとホールを行き来し始めた。
聖君は2階にあがっていった。私もついていったが、
「私、そろそろ帰ろうか?本当はお店の手伝いも出来たらいいんだけど、私だと返って、邪魔しちゃいそうだし」
と、部屋に入る前に、聖君に声をかけた。
「う、う~~ん」
聖君は悩んでしまった。
しばらく、腕を組み考え込んでから、
「ごめん。駅まで送ってくね。今日、桜さんのお母さんも具合が悪くて休んでるんだ。桜さん、お店が大丈夫かも心配して、今日来てくれたんだけど、けっこう空いてたから、安心して帰っちゃったんだけどさ」
と、聖君は言った。
「そうだったんだ。じゃ、お母さんも大変だよね。私、駅まで一人で帰れるよ」
「駄目だよ。もう暗いし、送ってく。父さんもいるし、しばらくは大丈夫だと思うし」
聖君はそう言うと、またリビングに行き、ソファに投げておいた上着を着ると、
「店からだと、父さんがあれこれ言うだろうから、玄関から出よう」
と小声でそう言った。
私はお店側に置いてきた靴をそっと取りに行き、玄関から聖君と外に出た。そして、駅までちょっと早足で歩いた。
「ごめんね。せっかく来てくれたのに」
「ううん」
「本当は、桃子ちゃんと二人っきりでもう少しいたいんだけど」
「……」
私もそうだけど、でも、その言葉だけでも嬉しいな…。
「最近、忙しくて母さんもまいってて」
「え?」
「クリスマス近くになると、カップルもけっこう来るんだ。若いカップルだと夜に来ることも多くて」
「そうなんだ。素敵なお店だもんね。デートにもいいよね」
「うん…。店の前にあるツリー、あれもけっこう人気があるし、夜は点灯するから、そこで写真を撮ってくカップルも多いんだよ」
わ。今度私も聖君と撮りたいな~。
「母さん、体持つかな」
「え?」
わ。私ってば、聖君がお母さんのことを心配してるのに、不謹慎なこと考えちゃった。
「他にバイトとか、パートさんは?」
「夜来るよ。パートさん。だから母さんも夜は休めるけど、でも、今日はホールに出なくちゃならないかな」
「え?」
「いや、俺が手伝えばいいのか」
「でも、聖君だって、勉強…」
聖君はいきなりうつむいて、黙り込んだ。それから少しため息をついた。
「俺が店、手伝えなくなって、母さん、無理するようになっちゃった」
「でも、それはしょうがないんじゃ…。聖君だって受験生なんだし」
「うん、そうなんけどさ」
聖君は少し、やるせなさそうな、そんな表情をして、
「そうなんだけど、心配は心配…」
とぼそって言った。
お母さんのこと、聖君って大好きなんだと思う。そして、すごく大事に思ってるんだろうな。
駅について、
「じゃ、気をつけてね、桃子ちゃん」
と聖君は言うと、くるりと後ろを向いて、走ってお店に戻っていった。ああ、やっぱり早くにお店に出てあげたかったんだな。
聖君の中では、私の知らない部分も、知らない悩みもまだまだきっとあるんだ。それを全部見せてくれとは言わないけど、でも、私に役に立てられることがあったら、言って欲しい。
電車に揺られながら、聖君の家族を思う気持ちを考えた。きっと、ご両親が聖君を思うように、聖君も家族のこと大事に思ってるんだろうな。
その優しさに触れるたび、もっと聖君に惹かれていく自分がいる。そして、前よりもずっとずっと私も、聖君が大事だってそう思う。