第45話 愛しい彼
胸がまた、きゅうんってなる。聖君の横顔を見ているだけで、そうなる。
「私ね」
「うん」
聖君は下を向いたまま、少しうなづいた。
「さっき、幹男君に抱きしめられてた時も、聖君のこと考えてた」
「え?」
聖君は顔を上げて、私を見た。
「これが聖君だったら、胸がバクバクするんだろうなとか、聖君の匂いとか、ぬくもりとか思い出してて、なんで幹男君だと全然ドキドキしないのかなとか、これってお兄ちゃんにハグしてもらってるみたいなものかなとか…。そんなこと」
「……」
聖君は黙って、私の顔を見ながら聞いていた。私はなんだか恥ずかしくなり、目を伏せた。でも、話は続けた。
「聖君だと、心臓が壊れそうになるくらい、ドキドキする。聖君の声が耳元でしただけでも、息がかかっただけでも。こうやって、隣にいても、ドキドキしてる」
「……」
聖君はまだ、黙っていた。
「でも、嫌じゃないの。でも、耐えられないの。でも…」
「うん?」
「聖君のことが大好きなの」
「……」
「さっき、うっとうしいって聞いたよね?引いちゃったって聞いたでしょ」
「うん」
「そんなこと全然ない。聖君があんなふうに思ってくれてたこと、すごく嬉しかった」
「え?」
「情けないなんて思ってない。大事に思ってくれてるのも、私を失うのが怖いって言ってくれるのも、それに…」
「うん」
私は恥ずかしくって、言葉にするのを一回、躊躇した。でも、聖君が黙って私を見て、話を続けるのを待っててくれてるのがわかって、思い切って話し出した。
「わ、私を俺のものにしたいって言ってくれたのも、嬉しかった」
「……」
聖君の顔をちらって見た。聖君は黙って、ただ私を見ていた。
恥ずかしくて、私はまた目をふせた。そして、また話を続けた。
「わ、私ね、もう、聖君以外のこと、考えられないくらいになってるよ」
「え?」
「聖君以外の人のことなんて、考えられないから」
「……」
「私も、聖君が思っているよりもずっと、想ってる」
「……」
聖君を見た。聖君は目を細めて私を見ると、下を向いた。そして、髪をかきあげて、
「そっか…」
って一言、ぽつりと言った。
しばらくまた、二人で黙っていた。私はまだ、聖君の袖口をつまんでいた。
「あのね」
私は、何を言いたいかもわからなかったけど、なぜか、言葉が勝手に口から出ていた。
「え?」
聖君はまた、私を見た。
「あのね、聖君の匂いが好きなんだ」
「俺、なんか匂う?」
「ふわって、優しい匂いがする」
「そう?」
「それにね」
「え?」
「聖君の声も好き」
「そ、そう?」
「うん。本当に耳元で話されると、ドキドキする」
「そう…」
聖君は真っ赤になって、うつむいた。
「それに」
「え?」
また、聖君は私を見た。
「聖君の目も好き。見つめられると、どうしようかと思う。だから、目をふせちゃう」
「ああ、それでなの?たまにあるよね」
「うん」
聖君は、じっと私を見た。私は思わず目をふせると、
「あ、本当だ」
って、少し口元に笑みをうかべてそう言った。
「聖君の髪も好き」
「髪?」
「うん。きっと、触ったらサラサラだよね?」
「え?どうかな」
「それから…」
「まだあるの?」
「え?」
「俺、今、すんごい恥ずかしくなってるんだけど」
「だって、私が聖君のことを嫌がってるとか、逃げてるとか、そんなことを聖君、言うんだもん。だから、どれだけ私が聖君のこと好きか、言ったほうがいいかなって思って」
「う…。そうか、それでか…。あ~~。そっか~~」
聖君はそう言うと、頭をボリッて掻いた。
「じゃ、本当に手で俺のこと押すの、心臓が壊れそうになるからなんだ?」
「うん」
「じゃ、俺がキスしたり、抱きしめると、固まっちゃうのも?」
「うん」
「そうか」
聖君はそう言うと、もう一回頭をボリッて掻いた。
「私、聖君が、私に触れるたび、体中心臓になってるよ」
「え?」
「体中で、バクバクしてるの」
「そ、そうなんだ」
聖君は、なぜか真っ赤になっていた。
「胸が苦しくなるくらい、聖君が好きだよ。すごく好きで、好きすぎて、それで苦しいの」
「え?!」
聖君がちょっと驚いていた。
「さっきも、苦しかったのは、聖君が愛しくって、愛しくって、それで…」
「い、愛しいの?」
「うん」
私はこくってうなづいた。
「情けないとか、弱いとか、そんなふうに聖君は言ってたけど、そういうところも全部、愛しい」
「……」
また、聖君は真っ赤になった。耳まで真っ赤だった。
「本当は私の方から、ぎゅって抱きしめたいくらい」
「え?」
「なんだけど、きっと心臓がまたバクバクしちゃうよね」
「ど、どうかな?それはわからないけど、試してみる?」
聖君にそう言われた。
試す?
そっか…。私から抱きしめてみるってしたことなかった。でも、出来るかな。
私はまだ、聖君の袖口を摘んでいた。それを一回離すと、ちょこっと聖君の方へと体をずらした。それから、思い切って、勇気を出して、聖君のことを抱きしめてみた。
ぎゅ!そっとじゃなくて、ちゃんと力を込めて、抱きしめてみた。
わ~~~~~~!!!!!
思い切り、聖君の匂いがした。聖君は、そのまま動かないで、私に体を預けていた。腕も下にぶらんとしたままだった。
もうちょっと力を込めてみた。聖君の顔のすぐ横に顔を持っていくと、聖君の髪がほっぺたにさわった。
わ~~~~~~!!!!!
大変だ。ものすごく愛しい!!!!
私の体に預けっぱなしにしている聖君が、すごく可愛い!
それに、聖君の心臓の鼓動が伝わってくる。あったかい温もりと、鼓動。駄目だ~~。めちゃくちゃ、愛しい!また、腕に力を込めて、ぎゅってしてみた。
あ~~~~!!愛しい~~!!
「いつまで俺、我慢してたらいいの?」
いきなり、聖君がそう言った。
「え?我慢?」
抱きしめられるのを、我慢してたの?
「俺も、桃子ちゃんのこと、抱きしめてもいい?」
「え?」
「でも、そのまま押し倒しちゃうかも」
「駄目」
「え?」
「駄目」
「……。それって、俺が桃子ちゃんを抱きしめちゃ駄目ってこと?」
「うん」
「なんでだよ?」
「だって、バクバクしちゃうし」
「今は?自分から抱きしめるのは?」
「それなら、平気」
「なんでだよ~~!」
聖君は少し、すねた感じでそう言った。
「だって」
「だって?」
「こうやって、聖君をぎゅってすると、聖君、可愛いんだもん」
「はあ?」
「愛しい~~~ってなっちゃうんだもん」
「はああ~~~?」
「だから、もう少し、こうしてていい?」
「俺のこと抱きしめてるってこと?」
「うん」
「……。俺、耐えられるかな~」
「……」
聖君の言うことを聞かず、私はまだ、聖君を抱きしめていた。
「なんで、抱きしめられると苦しくなって、抱きしめるのは平気なんだか」
聖君はぼそってそんなことを言う。でも、そんなのもおかまいなしに、まだ、私は抱きしめていた。
ぎゅって抱きしめるって、こんなに愛しい気持ちが溢れてくるんだ。それじゃ、聖君が私を抱きしめてる時も?
「まだ?」
聖君が、また聞いてきた。
「うん」
「う~~~~!ワン!」
聖君がうなった。か、可愛い。駄目だ。可愛すぎる。わ~~~~、もう聖君が可愛いやら愛しいやらで、大変だ。どうしよう。
「聖君」
「え?」
「大好き」
「う…。そ、そういうのを耳元で言われるとさ、ムラッてきちゃうんだけど」
ムラ…?
「これ、罰ゲームみたい」
「な、なんで?」
「抱きしめたいのに、抱きしめられない。押し倒したいのに、押し倒せない。相当な拷問だよ」
「そ、そうなの?」
「……。目の前に餌があるのに、待てって言われてる犬だね。クロもいつも、こんな気持ちなのか~~。悪いことしてるよな」
「ええ?」
「ヘッヘッヘッへ」
いきなり、聖君は犬のような、早い呼吸をした。それから、両手を犬の前足のように曲げた。
「ワン!」
と、また、犬の鳴き声のまねをする。
「い、犬になってるの?」
「そうだよ。ねえ、まだ?」
「え?」
「俺も、ぎゅってしちゃ駄目?」
「…。ちょ、ちょっとだけなら」
「ほんと?」
聖君は嬉しそうにそう言うと、私をぎゅうって抱きしめてきた。
わ~~~~!!!突然、心臓が早くなり、苦しくなる。
「聖君、駄目だ!」
と、私が両手でまた、聖君を押そうとしたけど、聖君はそのまま私を抱きしめていた。
「聖君!」
もう一回言うと、
「はい。おしまい!」
と、私をぱっと離し、少し間を開けて座った。
「おあずけでしょ?また」
と、そんなことを聖君は言う。
「ごめんね、もう少し待って。私の心の準備が出来るまで」
「うん、待つよ」
聖君はそう言ってから頭を掻くと、
「でも、5年とか10年とかは、待てないよ?俺」
と、ぼそって言った。
「そんなに待たせないよ…。と、思うけど」
5年で、私は22歳か。う、わかんないな。5年くらい待たせることになったら、どうしよう。
「聖君、私の心の準備が出来るまでの間に、待ちくたびれて、他の女性の方に行ったりしないでね」
そう言うと、聖君は、ちょっとおどけて笑って見せて、
「そうだな~、多分大丈夫だと思うけど」
なんて、そんなことを言った。
「ええ?!」
私が焦った顔をすると、
「うそうそ!俺が抱きたいのなんて、桃子ちゃんだけだって」
と、聖君は言った。
その言葉に真っ赤になっていると、
「ほんとだよ?他の子になんて、まったく興味ないから、俺」
と、聖君はそう言うと、私にキスをしてきた。
優しいいつもの、キスだった。