第41話 私のアイドル
リビングでは、聖君のお父さんがテレビを観ていた。その横で、クロが寝転がっていた。
「あれ?もう帰るの?桃子ちゃん」
「いえ…」
聖君のお父さんにそう聞かれたが、なんて言っていいものやら…。
「夕飯まで食べていってよ。車で送るからさ」
聖君のお父さんが、そんなことを言い出した。
「そんな、悪いです。私、電車で帰ります」
首を横に振りながらそう言うと、
「いいよ。聖と帰りはのんびりとドライブ楽しめるし、ね?聖」
と、お父さんは聖君に向かってそう言った。
クロにじゃれつかれていた聖君は、
「ああ、うん。父さん、運転好きだから、車で送っていくのは苦にならないし、桃子ちゃん、遠慮することないよ」
と、クロに顔をべろべろ舐められながら、そう言った。
「もう、立ち直った?」
そんな聖君を見て、お父さんが聞いた。
「え?俺?」
「さっき、落ち込んでたじゃん」
「ああ。うん。もう立ち直った」
「ふうん。桃子ちゃんといると、立ち直るのが早いね」
「うっさいよ。すぐにそうやって、茶化す」
「なんだよ。本当のことだろ?たまに引きずってることあったのに、最近は、落ちてもすぐに立ち直ってるよね」
聖君でも、落ち込んで、それを引きずることあったんだ。
「まあね。確かにそうかもしんない」
聖君は頭をぼりって掻きながら、そう答えた。
「ただいま~~」
杏樹ちゃんの元気な声がした。
「おかえり」
と、聖君とお父さんが出迎えた。
「あ!桃子ちゃんだ~~~」
杏樹ちゃんは私を見ると、リビングに素早く入ってきて、私の横に座った。
「まだ、いる?桃子ちゃん、まだいる?」
「うん」
「わ~~い。あ、すごい汗掻いたから、先にシャワー浴びてくる。そのあと、遊ぼうね!」
杏樹ちゃんはすごく嬉しそうに、2階に駆け上がっていった。
「遊ぼうねって、あいつ何をして遊ぶつもりでいるんだか」
聖君がぼそって言った。
「杏樹は、桃子ちゃんが大好きなんだな~~」
聖君のお父さんは、にっこり微笑みながらそう言った。
杏樹ちゃんは、シャワーを浴びて、さっさとリビングに来ると、
「何する?トランプ?」
と聞いてきた。
「杏樹~~、夏休みじゃないんだから。それにお前、髪の毛まだ濡れてるじゃん」
聖君に言われて、バスタオルで杏樹ちゃんはゴシゴシ拭くと、
「じゃ、何する?テレビゲーム?」
と聞いてきた。
「杏樹…、桃子ちゃん、困ってるって」
聖君はそう言ったが、私は別に困っていなかった。ただ、濡れた髪が気になっていた。
「杏樹ちゃん、髪乾かして、とかしてあげようか?」
「え?」
杏樹ちゃんはちょっと驚いてから、嬉しそうに、
「うん」
とうなづいた。
私は杏樹ちゃんと、バスルームに行き、髪を乾かしてあげてから、とかしてあげた。それから、私が持っていたゴムで、髪を結わいてあげた。肩を越すくらい伸びていたので、ポニーテールもできた。
「ありがとう、桃子ちゃん」
杏樹ちゃんははにかみながら、そう言った。
「これ、あげるよ」
私は自分がしていたシュシュを、杏樹ちゃんの髪にしてあげた。
「わ!いいの?」
「うん。作ったんだ。他にも何個もあるの。今度持って来るね」
「桃子ちゃんの手作り?」
「うん。簡単なんだよ」
「すご~~い」
杏樹ちゃんは、嬉しそうにしていた。
杏樹ちゃんは、ひまわりよりも一つ下の、中学2年生。そろそろ、こんな可愛いものにも、興味が出て来るころじゃないのかな。ひまわりは、小学6年の頃から、こういうのが好きだったけど。
そのまま、リビングに行くと、まず、聖君のお父さんが、
「あれ?杏樹、どうしたんだ?その髪型」
と聞いた。それから、聖君も、クロとじゃれつくのをやめて、杏樹ちゃんを見ると、
「あれ?桃子ちゃんとお揃いの髪型?」
と、聞いてきた。そして、
「へえ、似合うじゃん」
と、笑った。杏樹ちゃんは、ちょっと顔を赤らめて、
「桃子ちゃんが、やってくれたんだ」
とそう言った。
「そういうふうにしてると、女の子に見えるね」
聖君がそう言うと、杏樹ちゃんはほっぺをふくらませ、
「女の子だもん!」
と、聖君の背中をたたいた。
「いて!女の子だったら、暴力はふるわないよ」
「暴力じゃないよ~~」
「暴力だよ。俺、どんだけ、杏樹の手形、背中に作ったかわからないよ。あ~~。いって~~」
「ふ~~んだ」
杏樹ちゃんはふくれっつらのまま、
「もういいや。テレビに○○君出るから、それ、2階で観てくる」
と、2階に上がっていってしまった。
「○○君って?」
聖君のお父さんが聞くと、
「アイドルだよ。あいつ、最近そういうの、好きになったみたい」
と、聖君が教えてあげていた。ああ、花ちゃんが好きなアイドルだ、それ。
「女の子ってのは、そういうのが好きになったりするもんなんだな。桃子ちゃんもいるの?好きなアイドル」
「私には、いません」
「俳優とか、歌手とか、いないの?」
「はい」
「そうなんだ。じゃ、どんな人が好み?」
聖君のお父さんが聞いてきて、私は特に何も考えず、
「聖君が…」
と、答えかけてから、あ!こんなこと言ったら、呆れられるかなって思って、黙った。
でも、遅かった。聖君のお父さんは、にんまりと笑い、聖君の方を見て、
「桃子ちゃんにとっては、お前がアイドルなわけね」
と、聖君の肩をぽんぽんとたたいた。
「うっせ~~。別に俺はアイドルじゃね~~よ」
「はいはい。そんな照れなくたっていいじゃん、ねえ?桃子ちゃん」
「え?」
私まで、真っ赤になってしまった。
夕飯を、リビングで食べた。杏樹ちゃんは、まだポニーテールをしていて、聖君のお母さんが喜んでいた。
「今度は、お母さんがやってあげるわね」
と、にこにこしていた。
食べ終わると、聖君のお父さんは車を出してくれた。
「聖は、後ろに行く?もう、ナビつかなくても、桃子ちゃんの家はわかるし」
「え?ああ、うん」
聖君は、後部座席に乗ってきた。
「あ~~あ。俺も早く、免許欲しい」
聖君は、車が発進すると、そんなことを言った。
「もうすぐだろ?18になったら、すぐに取っちゃえばいいじゃん」
聖君のお父さんが答えた。
「受験あるから」
「あ、そうか。じゃ、大学受かったら、すぐに教習所行けば?」
「そうだよね。そうしたら、沖縄ですぐに乗れるんだ」
「車はどうすんの」
「あ!そっか~~。車買う金まではないな~~」
聖君はそう言うと、窓から外を見た。しばらく黙っていると、
「夜の海も綺麗だよね。見える?桃子ちゃん」
と私に、言ってきた。私は聖君の後ろに見える、外の景色をのぞいてみた。
「ほんとだ。夜の海だ…。でも、夜の海はちょっと怖いな」
「そう?幻想的じゃない?」
「うん。だけど、波とか、なんだか吸い込まれそう」
「ああ、うん。そうかもね」
しばらく私も黙って、外の景色を見ていた。聖君のお父さんが、音楽をかけた。
「あ、昔なつかしの歌。これ、ミスチル?」
「うん、そう」
昔、流行った歌だ。私もおばあちゃんちで、聞いたことがある。
「くるみって歌があって、母さんと聞いたりしてたよ」
「母さんの名前だもんね」
「うん」
聖君のお父さんが、ちょっと懐かしそうにそんな話をした。
「聖君と、お父さんはよく、ドライブに行くんですか?」
私がそう聞くと、
「たまにだよ。でも、行くと、海岸線とかを走って、なんてことのない話をしてるよね」
聖君がそう答えた。
「お母さんとは?」
「ドライブするよ。店が休みの日にね。その時には、二人っきりで、デートだね」
聖君のお父さんがそう言った。
「いいですね。うちでは、あまり車でどこかに行くこともなくて」
「そうなの?ああ、お父さんが忙しいんだっけ」
聖君が、ぽつりとそう言うと、そのあとに、
「父さんは、釣りってしたことある?」
と聖君のお父さんに話しかけ、この前、うちの父とした釣りの話を、楽しそうに話し出した。
聖君のお父さんはそれを、すごく嬉しそうに聞いていた。
ああ、いつもきっと、こんなふうに会話するんだな…。聞いてると、本当に、友達どうしで話しているみたいだ。
聖君は目を輝かせて、話をしていた。そして時々、私を見た。目が合うと、子供のように無邪気に笑い、また前を向いて、お父さんに話しかける。
横でその笑顔を見ながら、ああ、やっぱり、私にとって聖君がアイドルだわ、なんて思っていた。
家に着き、
「挨拶に行こうか?」
と、聖君が聞いてきた。
「でもまた、うちの母が家にどうぞなんて言うと、帰りが遅くなるから、いいよ」
と言ったが、
「こっちが、引き止めて遅くなっちゃったんだし、ちゃんと玄関まで送っていこう、聖」
と、お父さんはエンジンを切り、車を降りた。
チャイムを押すと、
「は~~い」
と、母が玄関を開けた。そして、聖君がいるのを見て、
「あら、聖君、送ってくれたの?お茶でも飲んでいかない?」
と、やはり誘っていた。
「でも、今日は父もいるので」
と聖君に言われ、母が玄関の外まで出てきて、聖君のお父さんに、
「まあ、車で送っていただいたんですか?すみません、遠いのに」
と、丁寧に頭を下げた。
「いえいえ、こっちが桃子ちゃんを引き止めてしまったので。すみません、遅くなりまして」
「よかったら、お父さんもお茶を飲んでいきませんか?ちょうど、うちの人も帰ってきたところですし」
え?お父さんが?と私がちょっとひきつると、聖君はそれを見て、
「いえ、今日は…」
と、断ろうとしたが、聖君のお父さんは、すでに母に腕を掴まれ、玄関の中に入っていくところだった。
あああ。また、ひと悶着なければいいんだけど。
そんな私の不安をよそに、二人はリビングに上がり、父が出迎えた。
「聖君、この前はすまなかったね」
と父は、聖君に軽く頭を下げて、母が、
「聖君のお父さんよ」
と聖君のお父さんを紹介すると、
「や、若いので、驚きました。聖君とは兄弟に見えますね!」
と、そんな冗談を言い、笑った。
れれ?ご機嫌だ。お酒は入ってなさそうなのに。
私は、キッチンに行き、お茶を入れ、母はお菓子を出した。それをお盆に乗せて、リビングに運んだ。母は、父の隣に座り、私は聖君の隣に座った。
父と母と、聖君のお父さんは、楽しそうに話をしていた。
「桃子ちゃんは、本当にいい娘さんですね。妻もいつも褒めています。すごく女の子らしくて、可愛くて、素直でいい子だって」
と、聖君のお父さんがそう言った。わ~~、そんなお世辞。
「いやいや、そんなでもないですよ。まだまだ、甘えん坊のわがまま娘ですよ」
と、父はそう言った。
「うちでも、聖君は本当に、優しいし、いい子よねって褒めてるんです。ね?あなた」
「ああ。本当に。驚くくらい、まっすぐだし、心が広い。ご両親の育て方がよかったんだろうなって、そんな話をこの前もしていましたよ」
「いえいえ、そんな。まだまだ、子供ですよ」
と、聖君のお父さんは、笑いながら首を横に振った。
なんだか、変な感じだ。お互いがお互いの子供を、褒めあってる。
聖君はめずらしく、ちょこんとソファに座ったまま、黙り込んでいた。そこへ、
「あ~~~!聖君だ~~~!」
と、お風呂から上がったひまわりが、リビングにすっとんできた。
「今日、聖君ちに行けなくて、すごく悲しかったけど、会えたからラッキー」
と、ひまわりが喜ぶと、父が、
「こら、ちゃんと挨拶しなさい」
とひまわりを、怒った。
「ははは、ひまわりちゃん、相変わらず元気だね」
聖君のお父さんが笑って話しかけると、
「杏樹ちゃんは元気~~?」
とひまわりが聞いた。
「元気だよ。ひまわりちゃんに会いたがってるけどね」
と、聖君のお父さんにそう言われ、ひまわりは、
「私も会いたいよ~~」
と、本気で嘆いていた。
「夏休みには二人して泊まりに行って、とんだ迷惑をおかけしました」
父がそう丁寧に言うと、
「いえ、こちらこそ、すごく楽しかったですし、家族みんなで喜んでいたんですよ」
と、聖君のお父さんは、笑って言った。
不思議な光景だ。聖君のお父さんと、うちの両親が、こんなに和やかに、楽しく話をしているなんて。
そのあとも、3人は楽しく話をしていて、時々聖君は笑ったり、話に参加していた。そして、夜も更け、二人はまた車に乗り込み、帰っていった。
母と二人を見送った後、リビングに行くと、
「ね?聖君って、素敵だよね。それに聖君のお父さんも、若くてかっこいいでしょ?」
と、ひまわりが父に、話していたところだった。
父は、ニコニコしながら、うんうんとうなづき、
「聖君があんなふうに育ったのも、わかるな~」
と、そんなことを言いながら、缶ビールを開けて、美味しそうに飲みだした。
「やっぱりそのうち、向こうのお店にも行きたいわね」
母がそう言うと、
「そうだな。まあ、聖君も勉強があるだろうし、受験が済んでからかな」
と、父は落ち着いてそう言った。
この前の、あのすごい剣幕の父とは別人に見えた。沖縄に私が行くのも、父は何も言わないが、許してくれているようだった。