第32話 見惚れる
れいんどろっぷすは、冷蔵庫の音と、時計のカチカチっていう音しか聞こえなかった。カウンターにだけ明かりを灯し、その中で私は待っていた。
なんだか、なかなか帰ってこない旦那さんでも待っている気分だな。なんて思いながら。
「は~~」
ため息をついた。桜さん、いつも聖君が送ってあげてるのかな。
トントン。窓ガラスをたたく音がした。振り返ると聖君がいた。私はお店のドアの鍵を開けた。
「お店から明かりがもれていたから、母さんでもいるのかと思ったら、桃子ちゃんで驚いた。どうしたの?なんでお店にいるの?一人?」
聖君を待ってた。とは言えず、
「ひまわり、寝ちゃったから」
と言うと、
「杏樹は?父さんや母さん、リビングにいない?」
と、聖君は聞いてきた。
「杏樹ちゃんももう寝たかも。お父さんとお母さんはさっき、二人でお風呂に入ってたみたい。今は、どうかな」
「もしかして、ずっとお店にいるの?」
「うん。のど渇いたから、水飲みに来て、なんだか、リビングに行くのも気が引けて」
「なんで?」
「だって、二人の邪魔しちゃうかなと思って」
「……」
私はまた、カウンターの椅子に腰掛けた。聖君も隣に座った。そして、私の顔をしばらく見てから、
「ね、今、二人っきりだね」
って、そう言った。 いつもなら、こんなこと言われたら、恥ずかしくて赤くなるか、動揺しているかもしれない。でも、今は、なぜか心の中で、
「今まで、桜さんと二人っきりだったくせに」
と、そんな言葉が浮かんでいる。そして頭にきてる。
黙ったまま、うつむいていると、
「桃子ちゃんは眠くないの?」
と、聞いてきた。
「昼寝しちゃったから」
「ああ、そっか」
聖君はまた、しばらく黙って私のことを見て、
「パジャマ、やっぱり似合う。可愛いね」
と、少し笑いながら言った。でも私はやっぱり、それでも嬉しくなれず、だんまりうつむいていた。
「えっと」
聖君があまりにも私が、反応がないからか、困っているようだった。
「やっぱり、疲れてるんじゃない?」
「ううん」
私は少しだけ、首を横に振った。
「そう?」
「……」
聖君の顔も見れないな。
1時間も桜さんと一緒にいたんだ。家、遠いの?それとも、話し込んでた?いつも送ってあげてるの?どうして?そんなに優しくするの。…なんて言葉が頭には、浮かんでいる。
「……。俺の部屋にでも行って、DVDでも観る?」
「ううん」
「…じゃ、なんか食べる?冷蔵庫の中に何か入ってるかも」
「いらない。おなか空いてない」
「そう」
し~~~ん。お店の中は静まり返っていた。聖君は、さっきまでずっと私を見ていたのに、今は、前を向いたり、私を見たり、また前を向いたり、頭を掻いたり、なんだか忙しそうにしていた。そしてとうとう、
「怒ってるよね?桃子ちゃん、すんごい今、怒ってるよね?やっぱり、あれ?桜さんのことで?」
と聞いてきた。あ、わかっちゃってたんだ。
私は、こくんと聖君のことも見ないでうなづいた。
「やっぱり」
聖君はそう言うと、小さくため息をついた。そして、
「桃子ちゃん、黙ってると怖い」
といきなり、言い出した。
「え?」
「まったく反応ないと、かなり怖い」
「怖い?私が?」
「うん。普段怒らない桃子ちゃんが怒ると、怖い」
え~~?私のどこが?
「えっと。たまに酔っ払いすぎると、送っていくことがある。たまにだよ。そんなにうちで、飲むこともないし、お店閉めてすぐだと、一人で帰ってるし」
「……」
「それから、今日は、悪酔いをしたようで、途中でかなり気持ちが悪くなり、駅の近くのトイレに行ってた」
「え?」
「桜さん、かなり荒れてたから」
「それ、聖君が原因?」
「違うよ。あれ、八つ当たり」
「ええ?」
「幼馴染の彼、今、旅行中みたい。それも、海外。来月末まで帰ってこない。なんかさ、リュック一つで行っちゃったみたいだよ。心配なのと、離れてる寂しさで、桜さん、荒れてたんだよ」
「聖君のことでじゃないの?」
「違うよ。俺に変に絡むのも、桃子ちゃんになんとなく意地悪するのも、幼馴染がいない寂しさの腹いせ。俺らが仲良くしていると、ますます頭にくるんだって」
「……」
そ、そうなんだ。
「ほんと、人騒がせな人だよね。さっさとくっついちゃえばいいんだよ、その彼氏と」
「うん。そうだね」
そうか。一人で旅行行っちゃったのか。
「……。ちょっと安心した?」
「え?」
「かなり、心配した?」
「ううん」
「え?心配じゃなかったの?」
「心配じゃなくって、怒ってた」
「怒ってた?あれ?まじで怒ってた?」
「うん」
「そうか。桃子ちゃんでも怒るのか。さっき、怖いって冗談で言ったけど、まじで怒ってたのか」
あ、あれ、冗談だったの?
「俺が、他の女の人といたから?」
「うん」
「そう。そうなんだ」
聖君はちょっと、目を丸くした。あれ?また私、驚くようなこと言った?
聖君はまた、私のことをじっと見た。それから、そっとキスをしてきて、それから、抱きしめてきた。
「怒った桃子ちゃんも、可愛い」
「さっき、怖いって言ってた」
「だから、あれは冗談だって」
なんだか、悔しくなって、そうだ、聖君の弱点、知っちゃったんだっけと思い出し、聖君のわき腹をくすぐった。
「わ!やめて!そこ!弱いから!!!!」
聖君は、私を抱きしめてた腕を離して、体をよじらせ、
「杏樹のやつ、俺の弱点ばらしやがって」
と、ぶつくさ言っていた。
「聖?戻ってたの?」
聖君のお母さんが、お店に顔を出して聞いてきた。
「うん」
「桃子ちゃん、もう遅いから寝たほうがいいわよ」
「はい。もう寝ます」
「じゃあおやすみなさい。聖、戸締りとか電気を消すのを、忘れないでね」
「ああ、わかってるよ。おやすみ」
聖君はそう言うと、お店のドアの鍵を確認したり、カウンターの電気を消して、
「2階にあがろう」
と私に言った。
「うん」
聖君と2階にあがって、ひまわりの寝ている和室に入ろうとすると、
「ちょっとだけ」
と、聖君は小声で言うと、私の腕を掴み、聖君の部屋に入った。
ちょっとだけって、言われても…。なんだか、急に私の心臓が早くなりだした。さっきまで、抱きしめられても、けっこう平然としていたのに。
聖君は、机の椅子に腰掛けて、
「明日からまた、勉強漬けだから、もう少しだけ、桃子ちゃんといさせて」
とにっこりと笑った。ああ、その笑顔も思い切り、可愛い。
「今日は、最高の日だったな」
「え?」
「いろんな桃子ちゃんを知れた」
「それは私も」
「いろんな俺を知れたってこと?」
「うん。弱点も知っちゃった」
「それ、わき腹のこと?」
「うん」
「桃子ちゃんまで、俺のわき腹攻撃しないでね」
「攻撃はしない」
「ほんと?」
「うん、くすぐりはするけど」
「だから!それが駄目なんだって」
「くす。そんな弱点があるんだね」
「ちぇ~~。なんだよ。桃子ちゃんだって、わき腹弱いんじゃないの?」
「大丈夫だよ。私」
「まじで?試してみていい?」
「だだだ、駄目!」
「あ、やっぱり弱いんじゃん」
「違うよ。聖君にわき腹なんて触られたら、恥ずかしいから」
「……」
聖君の方が、真っ赤になって、頭をボリって掻いた。
「ま、いいや。いつか桃子ちゃんの弱点も、わかる日が来るかもしれないし」
「え?」
「なんでもない」
聖君は下を向き、また頭をボリって掻くと、
「明日は、ひまわりちゃんが水族館に行きたいって言ってたから、行こうね」
と、上目遣いでそう言った。
「うん」
私はベッドに座ったまま、聖君の方を向いて、うなづいた。聖君はすくっといきなり席を立つと、私の横に座ってきて、
「ちょっとね、ちょっと。あ、胸とか触ったりはしないから」
と言って、抱きしめてきた。
うわ~~。また、心臓が早く鳴り出した。ドク、ドク、ドク。聖君はさっき抱きしめた時よりも、さらに強く私を抱きしめていた。
「わき腹は、くすぐらないでね」
聖君は、私の耳元でそうささやくと、少しだけくすって笑った。それがまた、くすぐったくって、私の体は硬直した。
目をぎゅってつむって、黙っているとまた、
「桃子ちゃん」
と、耳元でささやいた。聖君の息が耳にかかり、私はまた、ぎゅって目をつむった。
聖君は、今度、耳にキスをしてきた。
「うわ?!」
と思わず、声が出て、それから硬直していると、
「あ、見つけた」
と、聖君が抱きしめていた手をゆるめ、そう言った。
「え?え?」
何を?
「耳、弱いんだ」
「え?」
「だって、さっきから、耳元で何か言うと、桃子ちゃん、反応してた」
うわ、くすぐったいって思ってたの、ばれてたの?
「そうか~、耳か~~」
「もう~~」
と言いながら、両方の耳を両手で隠すと、聖君はそんな私を見て、あははって笑った。
「あ、あんまりさわいでると、父さんや母さんに、部屋に来てるのばれちゃうね。もう、桃子ちゃん、部屋に戻る?」
「うん」
「じゃあ、おやすみ」
聖君はまた、私にキスをしてきた。胸がきゅうんってなる。目をつむって、そのきゅうんって余韻に浸っていると、聖君はもう一回キスをしてきた。それから、私のおでこにおでこをくっつけて、
「ここまでにしとく。これから先は、我慢する」
と、小さな声でそう言った。
私は、おやすみなさいと言って、部屋を出た。ひまわりの寝てる部屋に入ると、ひまわりはすごい寝相でぐうすか寝ていた。
その横にちょこんと座り、私はほてったほっぺたを、両手で触った。
同じ屋根の下に、聖君がいる。
さっきまで、聖君のぬくもりを感じて、キスをされて…。おやすみって言われて、聖君のあったかさの余韻に浸りながら眠れるんだ。なんてそんなことを思ったら、ますます顔がほてり、一人でめちゃくちゃ、暑くなり、なかなかその夜は眠ることが出来なかった。
朝、カーテンの隙間から日差しが差し込み、蝉の声や、鳥の鳴き声で目が覚めた。
「あ。ここ、聖君の家だ」
と、つぶやくと、
「う~~ん、お姉ちゃん?」
とひまわりの、寝ぼけた声がした。あ、ひまわりも今、起きたみたいだ。
それから二人で着替えをして、顔を洗いに2階の洗面所に行った。顔を洗っていると、聖君が部屋から現れた。
「あ、おはよう」
と、私が言うと、聖君はなんだかぼ~~っとした顔をして、頭をボリボリ掻いて、
「んあ、おはよう」
と言い、大きなあくびをした。髪は寝癖であちこちはねている。聖君は、ぼ~~っとしたまま、歯を磨き出した。
「お姉ちゃん、私先に下りてるね」
ひまわりがそう言うと、一階に下りていった。
私は、まだ、聖君の隣にいたくって、わざとゆっくりと髪をとかしていた。聖君はそれをちらりと鏡で見て、
「いつもポニーテールだから、そうやって髪の毛さげてると、雰囲気変るね」
と歯ブラシを口から出して、そう言った。
「どんなふうに?」
と聞くと、
「う~~ん、どんなって言われてもな…」
と、また歯を磨き出した。
それから、聖君は口をゆすぎ、顔を洗い出した。なんだか、どれも新鮮で私は思わず、見入ってしまっていた。それにしても、後ろの髪のはね方が可愛い。
聖君は顔をあげると、顔から水が滴り落ち、前髪が少し水で濡れ、それを手でかきあげ、鏡を覗き込んだ。そして、鏡の中に映る私を見た。鏡越しに聖君と、目が合った。
「何?」
と、聖君が鏡に映る私を見ながら、タオルで顔を拭き、聞いてきた。
「……」
う、今の一連の動作や、濡れた前髪をかきあげる仕草が、色っぽかったなんてさすがに言えない。赤くなりながら、下を向くと、
「え?何?なんで今、赤くなったの?」
とそれに気づき、聞いてきた。今度は鏡ではなく、私の方を向いて。
「あ…」
赤くなったの、ばれちゃったか。
「聖君…」
「うん?」
「色っぽかった」
「はあ~~?!!」
聖君が、とんでもない声をあげた。
「お、俺が~?」
と、まだ、すっとんきょうな声を出していた。私は黙ってうなづくと、聖君はちょっと横目で私を見て、
「エッチ」
と言ってきた。
「ななな、なんで~~?」
私が慌てると、
「うそ、うそ!」
と、聖君は少し笑ってから、
「でも、どこをどうやったら俺が色っぽくなるわけ?俺今、歯を磨いて、顔洗ってただけだよ?それもほれ、見て!すんごい寝癖」
と、後ろの寝癖を私に見せた。
「寝癖は可愛い」
と、ぽつりと言うと、聖君は目を点にして、しばらく黙ったまま私を見ていた。
「桃子ちゃん…」
「ん?」
「俺に惚れすぎ。やばいってそれ…」
「え~~?」
聖君はあははって笑いながら、タオルをタオル掛けに掛け、一階に下りて行った。私もそのあとに続いた。
聖君に惚れすぎか。そうかもしれない。おはようって杏樹ちゃんや、お父さんに向かって笑うところも可愛い。クロ~~!おはようって言って、抱きついてる姿も可愛い。お母さんに、
「手伝うよ」
と言って、朝食をカウンターに運ぶ姿は爽やかだ。
杏樹ちゃんに冗談を言い、杏樹ちゃんが聖君の背中をたたく。そうすると、思い切り声を上げ、
「あははは!」
と笑う。ああ、海の家で出会った時と同じ、爽やかな笑顔だ。かっこいいな~~~。
「桃子ちゃん?」
「はい?」
いきなり、聖君のお母さんが私に声をかけてきた。
「朝ごはん、食べないの?調子悪いの?」
「いいえ」
「でも、今ぼけっとしてて、何回か声かけたのに」
「ごめんなさい。気がつかなかった」
「お姉ちゃん、たまにあるから、気にしないでください」
とひまわりが言った。
「え?」
聖君のお母さんが聞き返すと、
「どっか、意識が飛んでっちゃってるんです。考え事してたり、妄想してたりしてるみたいで」
「あ!あるある。そういう時。どっか行ってるんだよね」
と、ひまわりの言葉に、聖君もうなづいていた。
「考え事してたの?何か、悩みでも」
「違いますよ。今のはどう見ても、聖君のこと見て、ぼ~~ってしてたから、見惚れてたんですよ。ね?お姉ちゃん」
う!ひまわり、するどい!
「聖に見惚れてたの?」
聖君のお母さんに聞かれてしまった。ああ!私は真っ赤になってしまい、
「あら、図星?さすが、姉妹だから、わかっちゃうのね、そういうこと」
と、言われてしまった。
聖君をちらりと見ると、ちょっと顔を赤らめて、頭を掻いていた。それから、私の隣の席に座り、聖君も朝ごはんを食べだした。そして、ちらっと私を見ると、
「だから、桃子ちゃん、やばいって言ったじゃん」
とぽつりとつぶやいた。
「え?」
「さっき、俺に惚れすぎで、やばいって」
「う、うん」
カ~~~~ッ!顔がまた、ほてってしまった。
「ああ!もう、冗談で言ってるのに、そうやって顔を赤くするから。まいったな、俺」
聖君が、頭を抱え、うつむいた。
「ご、ごめん」
「う、謝らなくてもいいけど」
聖君はちょこっと、顔をあげた。耳まで真っ赤だった。あれれ?聖君、相当照れちゃってたの?
「なんか、朝から暑いんですけど~~~!」
と、聖君の隣で食べていた杏樹ちゃんがそう言った。
「ほんと、離れてても、暑いんですけど~~」
と、テーブルの席で新聞を広げ、コーヒーを飲んでいる聖君のお父さんがそう言った。
「うっせ~~よ」
聖君が言うと、
「ほんと、お前ら、付き合って長いのに、初々しいよね、可愛いカップルだよ」
と、聖君のお父さんが、にやつきながら言った。
私はますます、顔が赤くなり、聖君も赤くなっていた。