第27話 彼の想い
聖君はしばらく黙って、椅子に座って、一点を見つめていた。私もベッドに座ったまま、どうしていいかわからず、黙っていた。
「もう、夕飯作っちゃおうか」
聖君がいきなり、ぼそってそう言った。
「うん」
そう答えると、聖君は立ち上がり、ドアを開けて、さっさと一階におりていった。私も聖君のあとを追った。
「カレーにする?」
れいんどろっぷすのキッチンに入り、聖君が聞いてきた。
「うん、いいよ」
「あ、でも、ルーは市販のだよ」
「うん」
聖君は、野菜を洗い出し、さっさと皮むきを始めた。
「桃子ちゃんも、これ、切ってくれる?」
皮をむいた人参や、ジャガイモを聖君が渡してきた。
「うん」
私は聖君の横で、野菜を切り出した。
「やっぱり、包丁の使い方も慣れてるんだね」
「聖君だって、皮むき、すごい早くできてる」
「これ、ほとんど毎日やらされてたから」
そうなんだ。
「俺、いい旦那さんになると思わない?」
「え?!」
な、何をいきなり。
「母さんが言ってたよ。男の人も料理できなかったら、結婚できないわよって。仕事を持つ奥さんだとなおさらねってさ。母さん、カフェしてるから、みんな母さんの手料理だけ食べてるって思いがちだけど、実は父さんがたまに、夕飯作ってたりするんだよね」
「へ~~」
「父さんも、若い頃から店の手伝いしてたから、上手だよ、料理」
「そうなんだ。じゃ、別に奥さんが料理できなくても、聖君ができちゃうから、大丈夫だね」
「あはは!そうだね、俺が主婦になってもいいね」
「……。じゃあ、聖君は、家庭的な女の子の方がいいとか、そういうのってないの?」
「うん。あまり。家事が得意でも、そうじゃなくても、別にOKかな」
そうなんだ。じゃ、私が得意かも知れないお料理とか、あまり意味がないのかな。
「例えば、桃子ちゃんが料理が下手だったとしても、それでも桃子ちゃんが好きだったろうしね」
「え?」
「料理がうまいから好きになったわけでもないし、でも、桃子ちゃんが作る料理やケーキは実際、旨いんだけどさ」
「……。聖君はないの?彼女はこうであって欲しいって。あ、前にないって言ってたっけ?」
「うん。ないよ」
「そうなんだ」
聖君は、皮むきを終えると、フライパンで玉ねぎを炒め出した。
「玉ねぎ、キツネ色になるまで、炒めてもいい?」
「え?うん」
「甘みが出て美味しくなるよね」
「うん」
聖君は本当に慣れた手つきで、炒めている。玉ねぎをいったんお皿に出し、肉を炒め、それから他の野菜などを炒め、なべに移しかえた。
「市販のルーにちょこっと、スパイス入れると、ちょっと違った味になるよね。あ、それとも、ココナツパウダーでも入れる?まろやかになるよ」
「うん!」
ココナツのカレー大好きだから嬉しい。聖君はココナツパウダーを入れて、
「その代わり、ほんのちょっと辛くしても平気?」
と聞いてきた。
「うん」
聖君は、キッチンの木の棚に並んでいるスパイスの中から、2~3本選び、煮込んでいるなべの中に振りかけた。そしてかき混ぜ、味見をした。
「あ、いいかも!」
聖君はにこって笑って、私にも味見をさせてくれた。
「美味しい!」
「ね?」
ぴりっとしたカレーに、ココナツパウダーのまろやかな味が広がり、なんとも言えない味だった。
「市販のルーじゃないみたい」
「でしょ?」
カレーが出来上がった。テーブルの一つに、テーブルクロスを聖君はかけて、そこにカレーと、聖君が簡単にささっと作ったサラダを持っていった。
そして、水や、らっきょうや福神漬けも持って、聖君はテーブルに並べた。
「さ、食べよう。あ、まだ、6時にもなってないけど。でもいいよね。早めに食べて、早めに送ってくね」
「うん」
「じゃ、いただきます!」
「いただきます」
カレーをご飯にかけて、食べてみた。
「ほんとに美味しい。すごい、聖君」
「そんなことないよ。たいして凝ってもいないし。これくらい桃子ちゃんだって出来ちゃうでしょ?」
「でも、聖君の年齢でここまで作れる男の人、あまりいないんじゃないかな」
「かもね」
「聖君って、できないものないね。もしかして、コンプレックスなんて一つもないんじゃないの?」
「ええ?そんなことはないよ。俺にだっていろいろと、悩みの一つや二つあったよ」
「え?どんな?」
「まあ、いろいろとさ」
「あったの?過去形?今は?」
「今?悩み事あるよ」
「何?」
「俺の彼女が、俺がすごい好きなのに、それをなかなか信じてくれないの」
「え?!」
私のこと?!
「これ、かなり深刻でしょ?」
「う、うん」
私は返事に、困ってしまった。
「じゃ、桃子ちゃんの今の悩みは何?」
「え?」
「今度、桃子ちゃんの番ね」
「順番に言うの?」
「そ。俺だけ言わせてずっこいよ、言わないなんて」
「ずっこいって…、そんな」
「悩み事、何?」
「う…」
悩み事といえば、今は…。
「今の悩みは、この幼児体型が少しでも、女らしくなってくれないかなってことかな」
「はあ?」
「…。深刻でしょ?」
「え?」
聖君は、少し黙ったまま、私をじっと見て、
「深刻なんだ。でもあれでしょ?桃子ちゃんの彼って、そんなことあまり気にしてないでしょ?」
なんて聞いてきた。
「わかんない…」
首をかしげてそう言うと、
「気にしてないって!」
と、聖君はちょっと焦った感じでそう言った。
「ほんと?」
「今まで、そういう悩みがあること、知らなかった。俺、けっこうあれかな。傷つけるようなこと言ってたかな?でも、本当に桃子ちゃんのことは、そのままでいいって思ってるよ?」
「……うん」
「他には?」
「え?」
「悩み事や、コンプレックス」
「コンプレックスだったらいっぱいある。背が小さいのも、くせ毛も、声が小さいのも、運動音痴なのも、音痴なのもそうだし」
「うん」
「それから、内気だし、目立たないし、根暗だし」
「くす」
「え?なんで笑うの?」
「だって、俺からはそんなふうには見えてないから」
「え?」
「背、小さいのも可愛いし、そのくせ毛も気にいってる。声が小さいのも気にしてないし、運動音痴でも桃子ちゃん、頑張って泳げるようになったし」
「……」
「音痴なのは歌、聞いてないからわからないけど、でも、きっとそれも可愛いと思うよ?」
「……。聖君って、変」
「え?なんで?」
「聖君にかかると、全部可愛いになるから」
「あはは!だから、言ってるじゃん。桃子ちゃんのどこをとっても可愛いって」
私が真っ赤になってうつむいていると、聖君は、残っていたカレーをたいらげ、水を飲んで、
「ああ、旨かった!桃子ちゃんとこうやって二人で食べるの、最高だよね」
と笑った。
「うん」
そうだよね。私今、すごく幸せなんだ。そのうえ、聖君はすごく嬉しいことを言ってくれてる。
「なんか、すげえ幸せかも、俺!」
「……」
聖君も同じこと思ってた。
聖君は私が食べ終わるのを待って、一緒にご馳走様って言って、食器を片付け出した。私も、食器を運んだり、洗い物を手伝ったりした。
「俺、名前にコンプレックスあったよ」
と、お皿を洗いながら、突然聖君が言った。
「え?名前?」
名前って、「聖」?
「聖なる夜に生まれたから、聖。俺いつも、名前負けしてるなって思ってた」
「名前負け?」
「そんな性格もいいやつじゃないし、逆に嫌なやつだし」
「ええ?聖君が?」
「葉一とも比べてたこともある。中学から友達してるけど、あいつ、人の痛みとかわかってあげられたり、俺が気がつかないこと気がついたり、それに、友達のために、自分を犠牲に出来たりするやつなんだ」
ああ。そういえば、海でも、私が海が苦手なことや、肌が弱いこと、いち早く気づいてくれてたっけ。
「中学の頃にね…」
聖君が洗い終わったお皿を私が拭くと、それを食器棚にしまいながら、話を続けた。
「俺のことを好きな子がいて、その子と俺の仲を葉一が取り持ってくれたの。で、付き合うことになった。でも俺、女の子とどうやって付き合ったらいいかもわからなくって、すぐに別れちゃったんだ」
「……」
食器棚に全部しまい終わると、
「コーヒー淹れるね」
と、聖君はコーヒーメーカーにコーヒーの粉を入れ、水を入れて、コーヒーカップを食器棚から出した。
コポコポとコーヒーメーカーが音を立ててるのを、しばらく黙って聞いていると、また、聖君は話し出した。
「別れてから、葉一がその子を好きだったって知った。なんで俺に言わなかったんだって怒ったら、その子が聖のこと好きだって知っていたからってさ。自分の思いは封じ込めたんだ」
そんなことがあったんだ。
「だけど、俺、あいつがその子のこと好きだって、ちゃんと見てたら気づけたかもしれないんだよね」
「え?」
「そんなことにも気づいてやれなかったのが、悔しかった。聖なんて、名前負けしてるって思ったよ」
聖君も、そんなふうに思うことあるんだ。
「そういうの、けっこうある。俺って性格悪!って自分で思うこと」
「……」
そんなこと、一回も私は感じたことないのに。
辺り一面にコーヒーの匂いが漂った。聖君はコーヒーをカップに入れ、テーブルに運んだ。
「ミルクと、お砂糖入れる?」
「あ、自分でする」
聖君と席に着き、私はミルクとお砂糖を入れた。聖君はそれを見ながら、話をまたしだした。
「だけどさ、俺、父さんと血がつながってないってわかった時」
「うん」
私は、スプーンでかき混ぜながら、話を聞いていた。
「父さんが、血がつながってなかろうが、俺がどんなだろうが、俺のことまるごと受け止めて、愛してくれちゃってるってわかって、それから、名前負けしてるとか、そういうの思わなくなったんだ」
「……」
まるごと受け止めて、愛してくれてる?
「俺が、性格悪くてもなんでも、俺って存在には変らないし、どんな俺も愛しくて、可愛いんだってさ」
「……」
聖君の顔をずっと眺めていると、
「桃子ちゃん、いつまでスプーンでかき混ぜてるの?コーヒー、こぼれそうだよ」
と言われてしまった。
「あ!ほんとだ。話に夢中になってた」
「あはは…」
私はスプーンをおいた。聖君は笑ってから、一口コーヒーを飲んで、
「こっぱずかしい話だよね?親子で愛だのなんだのって」
と、ちょっと照れくさそうに言った。
「ううん。素晴らしいと思う」
「そう?」
「うん、素敵なお父さんだよね」
「うん。血のつながりとか関係ないって俺も思った。俺はやっぱり父さんが好きで、尊敬してる。俺もそんな父親になりたいって思ったし、俺も子供のことをそうやって、思えたらいいなって思ったよ」
「うん」
「それを父さんにも話した。俺にも出来るかなって聞いたら、出来るよって。でもその前に、無条件で愛せる相手に出会うことだよねって言われた」
「無条件?」
「そう。父さんは母さんのこと、無条件で愛しちゃってるんだって」
「…無条件?」
私はもう一回聞いてみた。
「父さんが、俺のこと、まるごと愛してくれちゃってるみたいなさ」
「……」
「どこをとっても、可愛くて愛しくてってやつって、父さんに言われた。そういう相手にいつか会えたらいいねって」
どこをとっても、好きってこと?じゃ、私が聖君を想うみたいな、そんな感じ?
「それを聞いた時にね、俺、とっさに桃子ちゃんのこと思い出してた。ああ、俺、桃子ちゃんのこと、そう思ってるって」
「え?!」
「もうすでに出会えちゃってるかもって」
「……」
聖君も、そう思ったの?
「それ、父さんと話したのが、去年の秋頃。それからもずっと俺、桃子ちゃんのどこをとっても可愛いわけ」
「え?」
えええ?そんな頃から?
「これ、すごいと思わない?」
「うん」
あ、でも私もかもしれない。
「だからさ、桃子ちゃん、いい加減、俺が桃子ちゃんのことすごい好きだっていうの、信じてね」
「……」
泣きそうになった。そんな私を見て、聖君はくすって笑った。あ、泣くのを我慢してるのばれてる?
「う、嬉しくてだから」
何かを言われる前にそう言って、それから私はポロポロと涙を流した。
「あ、やっぱり、泣いちゃった」
聖君は、またくすくす笑った。
「俺さ、父さんがそうやって、俺の全部を受け止めて、まるごと愛してくれちゃってるってわかったら、名前負けしてるとか、そういうこと考えなくなったんだ」
「え?」
「性格悪!って思っても、まあいいかって。そんな俺も、どんな俺も父さんや母さんは、愛してくれちゃってるわけだから、こんな俺がいてもいいんだなってさ。そう思うようになってから、コンプレックスが消えたかもしれない」
「……」
「こういうところが駄目だとか、ああいうところが駄目だとか、そういうの、あまり思わなくなった」
「そうなんだ」
すごいな。素敵なご両親だな。
「桃子ちゃんもそうでしょ?」
「え?私?」
「俺、かなり情けないところも見せたよね。父さんと血のつながりがないってわかった時から、俺、かなり変なこともお願いしてた。相談に乗ってとか、付き合ってる振りをしてとか」
「だって、それは…。聖君、きっと辛い思いをしてるだろうから、少しでも私が役に立てたらって思って」
「俺が情けなくて、弱くても、桃子ちゃん、俺のこと好きでいてくれたし、そばにいてくれてたよね」
「…だ、だって、弱くても、どんな聖君も、聖君だし」
「あはは。やっぱり、そういうふうに思ってくれてた」
「え?」
「嬉しかったよ。まじで。だから、さらに俺、コンプレックス消えていったかな」
驚いた。私が聖君を好きだから?聖君の全部を好きだから、聖君はコンプレックスが消えていったの?
聖君は、すごく優しい目で私を見ていた。私はまた、ぽろって涙を流していた。
「嬉し泣き?」
「うん」
「じゃあ、もっと泣いちゃいそうなこと言ってもいい?」
「え?」
「桃子ちゃんに俺、出会えてよかったよ」
「わ、私も」
ポロポロポロポロ、また涙が流れた。
「やっぱり、もっと泣いちゃった」
聖君は手で、私の涙を拭ってから、そっと顔を近づけて、すごく優しく唇に触れた。
聖君の言葉が染みていく。そうか。私のどこをとっても好きだから、コンプレックスなんて持たなくてもいいよって、聖君は言ってくれてるんだ。
背が小さくても、胸がぺったんこでも、くせ毛でも、運動音痴でも、音痴でも、とろくても、根暗でも、子供っぽくても、どんな私でも。
それも全部、コンプレックスじゃなくて、そのままでいいんだ。このまんまでいいんだ。
何かが私の中で、溶けていった。心の奥にあった、暗くて重い塊が、溶けてどんどん軽くなっていく。聖君の言葉は、私のコンプレックスを消す、すごい魔法の言葉だ。
そして、そんな聖君の言葉を、今はなぜだか全部信じられ、聖君のことも全部信じられ、本当に私は聖君に愛されちゃってるんだなって、実感できた。




