第26話 私の悩み
聖君の部屋に入ると、本当に涼しかった。
「ベッドに座っていいよ」
「うん…」
言われるがままに座った。聖君は「はい」って、アイスティを渡してくれて、私はそれをただただ、飲んだ。
ゴク…。アイスティを飲みこむ音が、辺りに響く。わ~~、静か過ぎる。聞こえてくるのは、エアコンの音と、たまにジージーと窓の外から蝉の声がする。
聖君は自分の机の椅子に座り、ぼんやりとしていた。なんで何も話さないのかな。待っていても、何も話してこない。私はいてもたってもいられず、話を始めた。
「桜さんって、女らしいね」
「え?」
「背が高くて、髪がサラサラで、私にはないものを持ってる」
「ないもの?」
聖君がきょとんとした。
「私、背が低いのが嫌だし、髪もくせ毛で嫌なんだ」
「そうなんだ。でも、桜さんは背が高いのがコンプレックスみたいだよ」
「え~~。かっこいいのに」
「あはは。二人してないものねだりだね」
「…そうかも」
ないものねだりか…。自分には自信がもてなくて、あの人はいいなって思ってる。私もああだったら、もっと自信がもてるのに…なんて思ってる。いつまでたっても、自分のことを受け入れられないでいる。
「桜さんは桜さんの良さをわかってる人が、近くにいるんだ」
「え?誰?」
「幼馴染だって言ってた。2回、れいんどろっぷすに来たよ。めちゃ優しそうな人。どっからどう見ても、桜さんのこと好きだろうなって、まるわかりの人」
「桜さんは、なんとも思ってないの?」
「う~~ん。俺から見てると、その人には甘えるし、いい感じなんだけどね~」
「そっか…」
そんな人がいるんだ。
「で、俺は桜さんじゃなくて、桃子ちゃんがいいって思ってる」
「え?!」
いきなりそんなことを言われて、声が裏返った。
「あ。桃子ちゃん、アイスティ、気をつけて。こぼしそうになったよ」
「ごめん」
「こっち置いておく?」
聖君は立ち上がり、私のコップを受け取って机の上に置いた。
私はまだ、聖君の言葉にドキドキしてた。ベッドに座って、うつむき、きっと真っ赤になってた。
聖君はそのまま椅子には座らず、私の横に来て座った。ドキ~~!隣に聖君が来たっていうだけで、心臓が飛び出しそうだ。
ああ!私ってば、意識しすぎだってば。そう思って、どうにか鼓動を整えようと思っても、勝手にドキドキ早くなって、その音まで聖君に聞こえそうな勢いだ。
「桜さんのこと、気にしてる?」
聖君はいきなり、そんなことを聞いてきた。
「うん」
私は、うなづくのが精一杯だ。
「気にしなくてもいいのに」
「でも、あんなに奇麗で大人っぽくて、聖君だってそう思うでしょ?」
「う~~ん、まあね。奇麗だし、大人かもね」
「私なんて、美人でもないし、大人っぽくもないし、幼稚だし、小学生だし、子供だし、犬だし」
ドキドキで、何を言ってるかもわからなくなってきた。きっと、意味不明のことを口走ってる。
「あはは!何それ!」
ああ、やっぱり、聖君に笑われた。でも、黙って静寂になるのが怖くて、必死に私はしゃべっていた。
「あんなふうに奇麗だったら、もっと聖君の彼女でいても、堂々としていられた。隣で腕組んで歩いても、絵になった」
「へ?何それ」
あ、聖君の声が呆れた声になった。でも、止まらない。
「私、聖君のそばに、奇麗で大人な女性が現れたら、太刀打ちできないだろうなって思ってた。それが怖くって」
「……」
あ、とうとう、聖君は黙ってうつむいてしまった。やばい。呆れ果ててる?
「俺が、心変わりしたり、浮気でもするかと思った?」
下をうつむいたまま、低い声で聖君が聞いてきた。わ、怒ってる?
「……。去っていっちゃうのが怖いっていうか」
「俺が、桃子ちゃんの前から?」
聖君は、上目遣いで聞いてきた。
「うん」
私はこっくりと、うなづいた。
「ふうん」
ふうん…?何も言ってくれないの?なんでそんな反応…。なんだか、もしかして今、険悪なムードになってる?
聖君はまだ、黙って下を向いたままだ。ああ、私いい気になってしゃべりすぎた。
「さっき、俺、桜さんじゃなくて、桃子ちゃんがいいんだって言ったよね?」
下を向いたまま、聖君がぼそって言った。
「うん」
「あ、聞いてた?そこのところ」
「うん」
聖君は、私の方を見た。
「聞いてたなら、わかるよね?俺、他の子になんて興味持たないよ」
そう言った聖君の目は、なんだか真剣だった。
「……」
私は何も言えなくなって、また下を向いた。
「もしかして、そういうのも全部、信じられてないの?」
「……」
だって、私は私が嫌いだし、どうやって自信を持っていいか、わからない。
黙っていると、聖君は私の顔を覗きこみ、
「泣いてる?」
と聞いてきた。
「ううん」
私は、ちょっと聖君の方を向いて、泣いてないよって顔を見せた。すると、そのまま聖君は私に、キスをしてきた。
いつもの優しいキスだ。触れるだけの…。
ドキドキした。体も硬直した。真っ赤になって、そのまま固まってた。聖君は今度は、ほっぺにキスをしてきた。
「なんか、俺、ちょっと今」
ドキ!何?ちょっと今、何?
「頭にきてるかも」
…え~~~?!
「なんで?」
驚いて、顔を上げてそう聞いた。聖君の顔はまん前にあって、ちょっと眉間にしわを寄せていた。
「だってさ、いつまでたっても、俺が桃子ちゃんのこと好きだって、信じてくれないから。どうやったら信じるんだよってさ」
「ごめん」
とっさに私は謝った。
ほんとにそうだよね。いったい何ヶ月たったっけ。付き合いだしてから、けっこうな月日がたったのに、まだこんなことを私は言ってるんだ。そりゃ、呆れるし、嫌になるよね。
だけど、自分にどうやったら自信って持てるようになるんだろう。逆に教えて欲しい。コンプレックスっていったい、どうやったら消えるんだろう。
聖君とは目を合わさず、下を向いてると、また聖君はキスをしてきた。でも今度はいつもと違う。風が吹くような、そっと触れるだけのキスじゃない。それも、いつもより長い。
「ひ、聖君」
思わず、私の方から顔を離した。聖君の胸に手をやり、少しだけ、押した。
聖君は少しだけ、私から離れた。そしてしばらく黙ってたけど、
「桃子ちゃんさ、本当に俺のこと好きだよね?」
と聞いてきた。
「え?うん」
なんでそんなこと聞いてくるの?驚いていると、聖君は私のことを抱きしめてきた。それも、いつもみたいに優しくじゃなく、かなり力を腕に込めて。
う、うわ~~~~!!!私の頭はパニック。どうしたらいいのか、息も出来なくなりそうなくらい、苦しいくらい、ドキドキしてると、聖君は耳元で、
「俺も、大好きなんだけど」
と、言ってきた。それもささやくような、そんなかすかな声で。
どうしよう。心臓が持つかどうかわからない。このまま、呼吸困難で倒れそうだ。頭がクラクラする。
「どうやったら、信じる?」
「…え?」
「どうしたら、自信を持つ?」
「……」
そんなこと言われても、今はただただ、頭がクラクラ。
聖君は私の顔をじっと見つめて、またキスをしてくる。
「キスしたら、少しは信じてくれる?」
「え?」
それで、キスしてるの?
「俺の想いって、どうやったら届くの?」
「え?」
「すげえ好きなのに」
わ~~~。それを耳元で、言わないで。駄目だ。息が出来ないよ~~。
「!!」
聖君?力、入りすぎ!
私は聖君の体重に負けて、ベッドにドスンって、倒れてしまった。いや、これはもしかして、倒されてしまった、というべき?
ああ。やばい。この状況はものすごく…。ど、どうしよう~~~!
逃げる?それとも、どうしたらいい?
目をぎゅってつむって、そのまま体を硬直させていると、聖君は私の髪を優しくなでてきた。
うわ!ますます、ぎゅって体を硬くしていると、今度はほっぺを優しくなでてきた。
うわ~~~~!!!体中が心臓になってるみたい。全身でドキドキってしてる。
菜摘!菜摘の話に相談に乗ってる場合じゃなかったよ。私がこんな状況だ。どうしたらいいの?
菜摘は怖いって言ってた。葉君が怖くなったって。男の人だって意識して、怖くなったって。
でも、でもでも、聖君が触れる手は優しくて、全然怖くない。だけど、心臓が持たない~~。
「!」
胸?聖君の手が、ほっぺから顎、それから首筋、それからだんだんと下がってきてる。今にも胸に到達してしまう。駄目だ。
「駄目!!!」
私は思い切り、そう叫んでしまった。
聖君は、その声で、ぱっと起き上がった。それから、しばらく黙っていたけど、
「ごめん」
と、謝ってきた。それから、やばいって顔をして、それから、真っ赤になり、それからうつむき、また、
「ごめん!」
と、思い切り、申し訳ないような顔をして謝った。
「……」
私も起き上がり、聖君とは反対の方を向いて、黙っていた。
今、触ったよね?今、私の胸…。
どす~~~~~~~ん。ああ。ものすごく私、落ち込んでいる。ああ。泣きたいくらいだ。
後ろを向いて、うなだれているから、聖君が、
「桃子ちゃん、ごめん。怒った?」
と聞いてきた。私は泣くのをこらえてたから、肩が揺れてしまい、
「泣いてるの?」
とそれを見たのか、聖君が焦っていた。
「……」
ショックで、何も言えなくなっていると、
「ごめん。本当にごめん。もうしない。ごめん」
聖君は必死だ。必死で謝っている。でも、気を使って、私には触れないよう、少しだけ距離をおいていた。
「俺、何してんだろ。ずっと、我慢してたのに」
え?!我慢?
「桃子ちゃんのことすげえ大事だから、傷つけたくなくて、こういうことしたくなっても、ずっと我慢して」
ええ?
「キスも、抱きしめるのも、いつもガラス細工を触るように、俺、すげえ大事にしてて」
それで、優しく触れるか触れないかくらいの、キスをしてたの?
「桃子ちゃん、きっと怖がったり、傷ついたりするだろうなって思って、俺ずっと…」
ああ。菜摘の言うとおりだ。桃子だったら、壊れちゃいそうだから、そんなこと言ってたっけ。聖君、本当に大事に思ってくれてたんだ。
「ごめん!謝っても、もう遅いよね」
聖君の声は、情けない声になってた。聖君の方が今にも泣きそうだ。
「……」
何か、言ったほうがいいのかな。私。でも、なんて?
「嫌いになった?」
聖君がそう聞くから、くるくるって首を横に振った。
「嫌になった?」
くるくる!また横に振った。
「怖がってない?」
くるくる!横に振る。
「じゃ、じゃあ…」
聖君が、言葉に詰まった。何を言っていいのか、わからないようだった。でも、
「ごめん。俺、ちゃんと待つから」
と突然、言ってきた。
「え?」
思わず、少しだけ聖君の方を向いて、私は聞き返してしまった。
「待つよ。桃子ちゃんが大人になってくれるまで」
が~~~~~~~~~ん。
私はまた、うなだれた。もう、地球の裏側にまで到達してるかもしれないくらいに、落ち込んだ。
「も、桃子ちゃん?」
私が、思い切り肩を落として、落ち込んでるのを見て、聖君が心配して聞いてきた。
「どうしたの?なんかショック受けてる?えっと、俺、何か変なこと言ったかな」
「大人になるまで、待つって」
「あ。あれ?それ、変なことだった?」
「そうだよね、私子供だし」
「いや、そういう意味じゃ…。ただ、まだ、その…。えっと」
聖君は、困って頭を掻いた。
「俺のこと、怖いでしょ?」
「ううん」
「……。えっと、でもさっき、拒否したよね?」
「うん」
「そうだよね。まだ、早いよね?」
「……わからない」
「え?何が?!」
「私、このままもう、成長止まるかもしれないし」
「成長って?」
「だから、そんなに大人になれないかも」
「え?え?え?」
聖君は、本当にわからない様子で、目が点になっていた。
「高校2年生で、この体型じゃ、ずっとこのままかも」
「体型?!」
聖君は、今度は目を丸くして聞いてきた。
「桃子ちゃん、何を言ってるの?」
「だから、私の貧弱な体」
「へ?!」
「聖君だって、もっと大人になってからって。でも、私これ以上、大人みたいな体になるかどうか。このまんま幼児体型かもしれないし」
「まままま、待って。ちょっと、待って」
聖君は、またものすごく焦ったようで、口がうまくまわらなくなっていた。そして、しばらく黙って、考え込んでいるようだった。
「大人?うん、俺確かに、そう言ったけど。幼児体型?なんで、そんなのが出てくるの?っていうか、俺、別にそんなこと思ってないけど」
と、独り言のように、ぶつくさ言ってから、
「桃子ちゃん、ちょっと聞いてもいい?」
と、私の方に向かって聞いてきた。
「うん」
「さっき、駄目って言ったのは、なんで?何が駄目だったのかな」
「胸」
「え?」
恥ずかしい。聖君に面と向かってそんなこと言うのは。でも、聖君は真剣な顔で聞いてる。
ああ、これは言った方がいいんだよね?じゃなきゃ、多分私と聖君、今、話ずれてるみたいだし。
「胸、小学生以下だし、聖君にそういうのばれたら嫌なんだもん」
「……」
聖君の、動きが止まった。開いた口がふさがらないって様子だった。言葉も失ってるみたいだ。そ、そんなに驚くことだったかな。
「…え?」
ようやく、聖君は我にかえったように、言葉を発した。
「ばれるのが嫌で、駄目って言ったの?」
聖君は、体中の力が抜けてるみたいに、なっていた。
「うん」
私は、恥ずかしくて、うつむきながらうなづいた。
「えっと。なんでそういうのが、ばれたら、駄目なの?」
「だって、聖君、がっかりしたり、嫌になったり、呆れたり、しないかなって」
「…俺が?そ、そんなことで?」
「そんなことじゃない。私、ずっとずっと、気にしてた」
「え?」
「水着になるのも、ずっと抵抗あったし、聖君だって、いつも子ども扱いしてたし」
「え?」
聖君の目は、また点になっていた。それから、しばらく黙ってうつむくと、
「ごめん。そういうの気にしてるって知らなかったから」
と、ぼそって謝った。
「……」
私は、また、聖君とは反対の方を向いた。もう、今さらこんなことあれこれ言っても、ぺったんこの胸だって、聖君、わかっちゃったんだよね。
「……やっべ~~」
いきなり、後ろで聖君がそう言った。それから、頭をボリって掻いたのがわかった。なんで?照れてる?
「桃子ちゃん」
「え?」
聖君の方をそっと見ると、聖君は真っ赤な顔をして、にやけながら、
「すげえ、可愛い」
と、つぶやいた。
か、可愛い?!
「なんだよ、それ。そんなの、予想もしてないっていうか、そんなの、ありかよ」
「え?」
「あ~~~。俺、まじでさっき焦った。絶対にもう、嫌われて、桃子ちゃんに聖君なんて、会いたくないとか言われたり、別れようとか言われたりするんじゃないかって、そんなことまで、頭に浮かんで、ちょっとパニくってた」
「え?」
「やばい。また思い切り抱きしめたくなった。駄目だよね?」
「うん」
「あ、駄目?やっぱり」
「心臓持たないから、駄目」
「へ?」
「聖君に抱きしめられると、心臓がバクバクで、苦しくなるから」
「そうなんだ」
聖君はまた、顔を赤くして、にやけた。
それから、少しだけ、黙ってうつむいてた聖君は、
「あ、俺、まじで、桃子ちゃんが幼児体型とか、思ってないし、そのままの桃子ちゃんが大好きだから」
と、私の方を向いて、今度はかなり真剣な表情でそう言った。
「それは、見たことないから。見たらそうとうがっかりするよ」
と、私が言うと、聖君は真っ赤になって思い切り、首を横に振り、
「がっかりなんて絶対にしない…。っていうか、っていうかさ」
と言って、頭を掻いた。そしてまたうつむいて、
「ああ、だから、さっきからも言ってるけど、そのままで十分なんです。俺、前にも言ったけど、めろめろなんだってば」
と、照れくさそうにそう言った。
聖君の言う言葉に、思い切り、私は照れてしまい、真っ赤になった。
ほんとかな。いや、聖君の言うこと、信じようよ、私。こんなに真っ赤になって、聖君言ってくれてるんだよ。
「じゃあさ、桃子ちゃん、俺のことが怖かったわけじゃ」
「うん。怖くない」
「まじで?それ、我慢して言ってたりしてない?」
「うん」
「……」
聖君は私の顔を、じっと見ていた。まるで、私が嘘を言ってないかどうか、心の声を聞こうとしてるかのように。
「ほんとに。聖君、優しいもん」
「え?」
「心臓がおかしくなるくらい、ドキドキするけど、怖いわけじゃないの」
「……」
聖君は、目を細めて、それから私を抱きしめようと腕を伸ばしてきたけど、
「心臓が持たないから、駄目だってば」
と、私は、聖君のことを手で、突き放した。
聖君は、
「ああ。そう。そっか~~。怖くなくても、心臓がドキドキしちゃうのか~~」
と、ちょっとがっかりしたように言うと、そのままベッドから立ち上がり、机の椅子に移動した。そして、机にあった聖君のアイスコーヒーを飲んで、
「頭、冷やそう、俺」
と、自分に言ってるようだった。