第22話 浴衣
夕方、海の家に行き、菜摘とシャワーを浴びて着替えをした。これから、4人で聖君の家に行き、私と菜摘は聖君のお母さんに、浴衣を着せてもらう。
「兄貴のお母さんって奇麗だし、優しいよね」
「うん」
着替えをしている間に、菜摘が話しかけてきた。
「桃子、何度か会っているんでしょ?」
「うん、前に二人で買い物にも行ったよ。ホワイトデーには、一緒にケーキ焼いたんだ」
「へ~~。いいな~~。私は葉君のお母さんに、会ったことないんだ」
「え?そうなの?」
「働いていて忙しいみたいだし」
「そうか~~」
菜摘は、そう言いながらも、なんだか顔が穏やかだった。あのあと、葉君とどんな話をしたのかな。
「あ。そうだ。桃子ってば、おめでとう~~」
「え?何が?」
何がおめでとう?
「ファーストキス!兄貴ってば、海のど真ん中でするなんて~~」
「え?ファースト?」
「そうだよ。さっき、沖に二人で行った時、兄貴をからかうつもりで、冗談で言ったのに、ほんとにキスしちゃってたんだ」
「あ!」
そうか、ばれちゃったんだっけ。
「どう?ファーストキスの感想」
「え?えっと」
困った。ファーストキスじゃないんだもん。
「違うんだ」
どう嘘をついていいかわからず、私は本当のことを言った。
「何が違うの?キスしたんじゃないの?」
「うんとね、聖君とは、去年の秋に、もう…」
「え?!もしかして、もうキスしてた?」
「うん」
「え~~~~っ!!!」
菜摘はすんごい、驚いていた。
「桃子、教えてくれなかった」
「ごめん、聖君に口止めされてたから」
「え~~~!なんだ~~。兄貴ってば、おくてなのかと思ったら、全然じゃん。去年の秋って、付き合ってすぐぐらいじゃないの?」
「うん」
「なんだ~~。もう、桃子も内緒にしてるなんてずるいよ」
「ごめん」
「そっか~~。じゃ、私だけ出遅れてるんだ」
「え?」
「葉君、本当にそういうことしてこないんだもん」
「そうなんだ」
菜摘はため息をついて、
「しょうがないかな。葉君、今日まで私が本気で葉君のことを好きなのかも、疑っていたくらいだし」
「……。あのあと、どうしたの?」
「うん。葉君、ごめんって謝ってきた」
「え?」
「私を泣かせたこととか、気持ちをきちんと言わなかったこととか、そういうこと」
「ふうん…」
「だけど、ほっとした」
菜摘は着替え終わり、ちょっとため息をついて、そうつぶやいた。
「え?」
「葉君、ここ何週間か、ほんとに変だったんだ。どうやら、基樹君と蘭が別れたことで、考えちゃったみたい」
私もだ。やっぱり似てるのかな。
「葉君が、別れを急に言い出したらどうしようって、私も怖かったんだ。もう好きでいてくれてないのかなとか、私までいろいろと、考えちゃった」
「そうだったんだ」
菜摘もなんだ。やっぱり、蘭と基樹君が別れたことは、みんなショックだったんだな。
「でも、良かった。兄貴があんなふうに言ってくれなかったら、葉君の本音は聞けなかったかも」
「そうだね。聖君、バシッと言ってくれたもんね」
「うん、きっとそれだけ信頼関係があるのかな」
「え?」
「じゃなきゃ、あんなふうには言えないよね」
「うん」
私と菜摘は、海の家を出た。聖君と葉君は、海の家の前で、なんだかふざけあっていた。さすがだ。もう仲直りしたんだ。あ、仲直りって言葉は変かな。別に喧嘩したわけじゃないもんね。
「お待たせ~~」
菜摘がそう言って、二人のそばにかけていった。
「それじゃ、うちに行こうか」
と、聖君が笑顔で言った。
聖君の家についた。今日はれいんどろっぷすは、昼間だけ開けていたようで、もう閉まっていた。
「いらっしゃい!待ってたのよ。入って入って」
聖君のお母さんは、私と菜摘に家にあがるように言い、
「葉一君に何か、飲みものでも出しておいてね、聖」
と言うと、また私たちに向かって、
「2階に行きましょう。そこで、浴衣に着替えましょうね」
と、にこにこしながら、階段をあがっていった。
「お邪魔します」
菜摘と私は、そのあとをちょっと、躊躇しながらあがっていった。前にも2階に行ったことはあるものの、まだ緊張してしまう。菜摘ですら、緊張している様子だった。
「こっちこっち」
聖君のお母さんは、つきあたりのドアを開けて、私たちを招き入れた。
中に入ると、薄いモスグリーンで統一されている、落ち着いた寝室だった。聖君のお母さんと、お父さんの寝室のようだ。
「浴衣は?」
「はい、持ってきています」
二人で、鞄から浴衣を出した。
「じゃ、桃子ちゃんから着る?」
「はい」
大きな姿見があり、その前に立って、お母さんに着せてもらった。
「杏樹の浴衣を着せることもあると思って、着付け習ったのよ。着物はさすがに着せられないけど、浴衣ぐらいは、着せられないとね。いつ、彼氏とデートだから着せてって、言ってくるかわからないじゃない?」
「はい」
聖君のお母さんは、すごく嬉しそうにそう言いながら、着せてくれた。
「桃子ちゃんも、お母さんに着せてもらうの?」
「はい。…あ!そういえば、母が一回お店に来たいって言ってました」
「あら、本当?是非どうぞって言っておいてね」
「はい」
「さあ、出来た。わあ!可愛い。聖もこれじゃ、デレデレになるのしょうがないわよね」
「え?!」
お母さんの言葉に私は、妙に反応してしまった。
「ふふふ。聖、たまにだけど、桃子ちゃんの話をするのよ。自分じゃどうやら、平静を装ってるみたいなんだけど、にやけてるのよね~~」
「え?」
「でも、いつも私よりもお父さんに話してるわね。二人っきりでこそこそと。あの二人は親子っていうより、仲のいい兄弟か、友達みたい。お父さんは、聖から聞いたこと教えてくれないから、つまらないわ。のけものになっちゃったみたいで」
「のけもの?」
「恋の話とかしたいのに、杏樹はまだまだそんな話、しそうにないし」
お母さんは、ちょっと遠くを見つめてそう言うと、
「さ、今度は菜摘ちゃんね」
と、菜摘を鏡の前に立たせた。
「菜摘ちゃんは、お母さんと恋の話とかするの?」
「しないです。そういうの恥ずかしくて」
「そうなの?じゃ、桃子ちゃんは?」
「うちは、けっこうしてる方かな?」
「あら、そうなの?そういえば、面白い家族なんだよって聖、言ってたわ。お母さんやひまわりちゃんと、遊びに行くとよく話をするって。あの子、大丈夫かしら。失礼なことしてない?」
「全然です。それどころか、母もひまわりもすごく聖君のこと気にいってて、大変なくらい」
「そうなの~?でもお父さんだけには、嫌われてるって」
「ち、違うんです。父はただ、すねてるだけだって、母も言ってました」
「そうよね。娘の彼となんて、そうそう仲良くなれないわよね」
菜摘も、浴衣に着替えて、次にお母さんは私の髪を奇麗にまとめてくれた。
「伸びたわね、髪。のばしてるの?」
「そういうわけじゃないんですけど」
「ポニーテールも可愛いけど、こんなふうにお団子にするのも可愛いわよね」
「はい」
鏡を見ると、なんだかいつもと雰囲気の違う私がいた。
「さて、下に下りる?二人が首を長くして待ってるわよ」
「はい」
私と菜摘が、お店に行くと、聖君と葉君は聖君のお父さんも交えて、げらげら笑っているところだった。
「ああ、桃子ちゃんも菜摘ちゃんも、浴衣に着替えたんだね。う~~ん、やっぱりいいね、浴衣って」
と、聖君のお父さんがそう言った。
「こ、こんにちは」
私が挨拶をすると、菜摘も元気に、
「お久しぶりです!」
と挨拶をした。
「うん、お久しぶり」
お父さんは、にっこりと微笑んでそう言った。
聖君と葉君は、なぜか黙っていた。それからようやく聖君が、
「あ、ここに座る?何か冷たいものでも飲む?」
と聞いて、聖君の横の椅子を少し動かしてくれた。私に言ってるのかな…。私がちょっと黙ってると、
「何がいい?桃子ちゃん、アイスティ?」
と、お母さんがキッチンから聞いてきた。
「あ、はい。アイスティで」
と、答えると、
「菜摘ちゃんは?」
とお母さんが菜摘にも聞いて、
「私も同じので」
と、菜摘は答えた。
「葉一、その椅子、座りやすいように動かしてあげたら?」
聖君は葉君に、葉君の隣の椅子を指差しながらそう言った。葉君は少し椅子をずらすと、
「はい」
と、菜摘の方を向いた。菜摘は、
「ありがと」
と、ちょっと恥ずかしそうに言って、その椅子に座った。それから、葉君が、
「浴衣着ると、雰囲気変るよね」
とぼそって言うと、菜摘は、
「どんなふうに?」
と聞き返した。だけど、葉君は、下を向いてしまい、
「どんなって言われてもな」
と、困ってしまっていた。
「桃子ちゃん?」
「え?」
「どうしたの?ぼ~~ってして。座ったら?」
聖君が、椅子を指差した。
「あ…」
私は、聖君の横の椅子にちょこんと座った。
「また、どっか飛んでいってた?」
聖君にそう聞かれた。
「ううん。その…、ここに座っていいのかなって、ちょっと思ってて」
「へ?」
「ごめんなさい。菜摘に言ったのか、私に言ったのかが、わからなかったから」
「……」
聖君が、黙り込んだ。それから、ちょっと低い声で、
「葉一がいるのに、俺の隣に菜摘は呼ばないでしょ、普通」
と、そう言った。
そうか。そりゃ、そうだよね…。
「はい、お待たせ」
お母さんが私と菜摘に、アイスティを持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
そう言って、一口飲んだ。ガムシロップが入っていて、甘くて美味しかった。
「……」
聖君は、隣で黙って私のことを見ていた。私が聖君を見て、目が合うとふっと目線をそらして、葉君の方を向き、
「まだ、花火大会始まらないよね?」
と、聞いた。
「ああ、まだまだじゃない?」
葉君がそう答えると、
「じゃ、もう少しゆっくりできるね」
と、聖君は、葉君の方を向いたままそう言った。
目、そらされちゃった。それに、聖君、浴衣のこと何も言ってくれないんだ。あ、やばい。ちょっとしょげてきた。そのあとも、ずっと葉君の方を向き、聖君は葉君とばかり話してて、私は困ってしまった。菜摘は、いつの間にか菜摘の隣に座った、聖君のお母さんと話し込んでいる。
私は、アイスティも飲みほしてしまい、カランカランとストローで氷をかき回してると、ずっとカウンターで新聞を読んでいた聖君のお父さんが、私の方をちらりと見て、カウンターを離れ私の前に歩いてきた。
「桃子ちゃん、去年より背伸びたんじゃない?」
「え?」
「髪も伸びた?今日はなんて言うんだっけ、それ、髪の毛、お団子にするの…。なんか大人っぽいね、そうすると」
「えっ?!」
大人っぽい?
「浴衣着てるからかな。いつもと違う…」
「父さん!」
いきなり、聖君が大きな声を出し、びっくりすると、お父さんも、
「な、なんだよ、聖。びっくりするだろ?」
と、目を丸くしていた。
「そういうの、なんで父さんが言ってんだよ」
「え?そういうのって?」
「だから、大人っぽいとか、浴衣着てるからいつもと違うとか」
「え?駄目だった?」
「そういうのは、俺が言うことでさ」
「だって、お前何にも言ってなかったじゃん。それに、俺はただ、素直に思ったことを言っただけだよ」
「そ、それは」
「もし、お前が言うことだったんなら、さっさと言えばよかっただろ?葉一君とばかりしゃべってないで」
「そ、それは、だからさ」
「それも、桃子ちゃん、隣に座らせておいて、それなのに葉一君の方ばかり向いて、桃子ちゃんの方も見ないで」
「……」
聖君は、黙り込んでしまった。
「失礼だと思わない?」
聖君のお父さんは、まだ、聖君のことを責めていた。
「い、いいんです。私、あの」
どうやって、聖君をフォローしようか、考え込んでしまった。
「わ、私がさっき、座るの躊躇したりしたから、その」
「そんなことで、聖怒っちゃったわけ?」
お父さんは、まだ聖君を責めていた。ああ、何を私が言っても、フォローにならない。
「怒ってなんかいないって」
聖君は、ぼそってそう言って、頭を掻き、
「ああ、もう!父さん、うっさいよ」
と、私の腕をひっぱり、
「ちょっと外行こう」
と、席を立った。
「え?うん」
私も慌てて、席を立った。
れいんどろっぷすのドアを開け、そのままブラブラと海岸の方に聖君は歩き出した。
「今日は、大丈夫そう?」
「え?」
「足。去年、下駄で痛くしてたでしょ?」
「あ…。うん。今日はちゃんともう、バンソウコウ巻いてきたから」
「そう」
聖君は、私の方を見ることもなく、前をゆっくりと歩きながらそう言った。店を出たとたんに手も離してて、私のちょっと前を聖君は歩いている。
「あ~~あ。先、こされた」
「え?何が?」
「父さんだよ」
聖君は、ぼそってそう言うと、
「あ~~~あ」
と、また大きなため息をついた。先をこされたって何のことだろう。
「……」
聖君は、ちょっと私の方を見て、それから少しだけ下を向き、
「浴衣も、その髪型も似合ってるよ」
と、ぼそって言った。
「え?」
私は思い切り、恥ずかしくなり、多分真っ赤になったと思う。
「なんて言ったらいいのか、迷っちゃって、何も言えなくなっちゃって。その、それで葉一とばっかしゃべっちゃって、ごめん」
「え?」
「っていう、葉一も照れてたんだ。菜摘の浴衣姿。二人して、戸惑っちゃった」
「え?」
「……。ずるいよな。不意打ちっていうかさ」
「ずるい?不意打ち?」
「いきなり大人になっちゃったら、どうしていいやら」
「大人?誰が?」
「桃子ちゃん」
「お、大人じゃないよ?私全然!」
「去年とは全然違う」
「え?」
「やっべ~~って、思ってた。ずっと」
な、何がやばいんだ?浴衣だって、去年と一緒。
「……。今日は絶対に、はぐれないでね」
「え?うん」
「あ、なんかもう、海岸に人が出てきてるね」
海岸が見えるところまでやってきた。もうシートを広げている人もいた。
「混みそうだから、ちゃんと手つないどかないとね」
「うん」
と、言いながらも聖君は手をつないでこないで、
「れいんどろっぷす、戻る?」
と聞いてきた。
「うん」
なんだ、今、手をつなごうってことじゃないのか。なんて、そう思ってると、聖君は、ジーンズに手をつっこんだまま、
「その…」
と、私のすぐ横に来て、声をかけてきた。
「え?」
「腕、組んで歩くってのでもいいけど?」
「えっ?!」
聖君を見ると、少し照れくさそうにしていた。
「い、いいの?」
「うん」
私も真っ赤になりながら、そっと聖君の腕に、触れてみた。わ~~。なんか、ドキドキする!
「あ、あのさ、どうせならもっと、ぎゅってしててくれないと」
「え?」
「くすぐったいっていうか」
「あ、ごめん」
私は、もうちょっとだけ、しっかりと聖君の腕を掴んでみた。
「いつもより、背、高い?って、あ、そっか。下駄はいてるから?」
「そうかも」
「そっか」
聖君は、もう一方の手で、頭をボリって掻くと、そのまま黙って歩き出した。私も黙って歩いていた。
聖君の腕は、今日さらに日に焼けたのか、赤くほてっていた。それに、意外と筋肉質で、そういうのがわかっちゃって、私の胸はどんどん高鳴っていった。
聖君は、男の子なんだな。…ううん。もう、ちょっと大人に近づいている、男の人…なんだな。
聖君の前髪が、時々風に吹かれると、涼しげな眉毛と瞳が現れて、その横顔も大人びて見えた。私のことを、大人になったなんて言ってたけど、黙ってただ前を見ている聖君の横顔の方がずっと、大人びて見えるよ。
そして、その横顔にドキドキしている私がいる。