第18話 突然の別れ
7月に入り、聖君と約束どおり、プールに行った。聖君が、泳いで見せてと言うので、頑張ってクロールで25メートル泳ぎきった。聖君の前だったし、緊張したけど、聖君はものすごく喜んでくれて、嬉しかった。
「すげ~~~!すげ~~~!」
を、聖君は連発して、プールからあがると思い切り、ハグをしてきた。
「桃子ちゃん、すごいよ!」
と言って、ぎゅ~~って。私がうわ~~~~~って声にもならない声を出し、固まると、
「あ!ごめん、思わず俺…」
と、ぱっと私の体を離し、それから少し距離をおくと、
「ごめんね」
と、小さく謝った。でも、顔は申し訳ないって顔じゃなくて、にやけていた。
「もう!聖君、にやけてる」
と、私は真っ赤になりながら、そう言うと、
「ごめん!ほんとごめん!」
と、今度は頭を下げて、謝ってきた。
「い、いいよ。そんなに謝らなくても」
私の心臓はまだ、ドキドキしていた。聖君が大接近してくるだけでも、ドキドキなのに。もろ、素肌に触れちゃって、どうしていいかもわからなくなったじゃない。
あれ?それだけ、抱きしめられちゃったんだから、聖君だって、じかにこのうすっぺらい体、わかっちゃったってこと?
って思ったら、さらに私は恥ずかしくなって、穴があったら入りたい心境にまでなってしまっていた。
ベンチに座り、すぐにバスタオルを肩からはおり、体を隠した。
「あれ?もう泳がないの?」
「疲れたから、聖君泳いできていいよ」
「……もう疲れちゃった?しょうがないな。じゃ、俺、泳いできちゃうよ?」
「うん」
聖君は、プールに入って行き、また、流れるように華麗に泳ぎ出した。
はあ。いつ見ても、奇麗だ。私の泳ぎなんて、すんごくみっともなかっただろうな~。息継ぎの時の顔なんて、きっと必死だったに違いない。
聖君にみっともないところは、見せたくないな。それに、このうすっぺらな体も。
いきなり、そんなことが気になりだし、周りを見渡すと、高校生くらいの女の子が何人かいて、みんな、ナイスボディで、それを見て私はさらに、落ち込んだ。
ああ。せめて、細くても背があれば、かっこよかったかな。
小学生なみの身長と、この体型。聖君には、どう映っているんだろう。
く、暗い。コーチにどう思われようが、何を言われようが平気だけど、聖君だったら、思い切り傷つく。
聖君は、25メートル往復で泳いで、ザバッとプールから上がろうとした。その時、どうやら、横にいた女の子たちにぶつかったようで、聖君は、ちょこっと頭を下げて、謝っていた。
でも、その女の子たちは、なぜか、喜んでいて、聖君になにやら話しかけていた。あ、さっきの、ナイスバディの女の子たちじゃないか…。
私はちょっと、ドキドキした。聖君、どうするんだろうって見ていると、その子たちに、ぺこってまた軽く頭を下げて、さっさとプールを上がって、こっちに向かって歩いてきた。
「ふう…。気持ちよかった」
聖君はベンチに腰掛け、タオルで顔を拭くと、そう言った。
「桃子ちゃん、泳いでくる?」
「もう少ししたら…」
「でもさ、桃子ちゃん、やっぱすげえよ。全然泳げなかったのに、数ヶ月で泳げるようになって」
聖君は、突然思い立ったかのようにそう言ってきた。
「コーチの指導のおかげだよね」
「え?」
「きびしかったけど、一生懸命に教えてくれたし」
「そっか」
「うん」
「なんか、ちょっと妬ける。でも、そのコーチ、しっかりと自分の仕事、してたわけだしな~」
「うん」
「あ、花ちゃんどうした?進展あった?」
「ううん。いつも頑張って泳いで、終わるとコーチに挨拶だけして、帰っちゃうんだ。もう少し何か話したりしたらいいのにって言うんだけど、恥ずかしいんだって」
「ふうん」
「もっと仲良くなりたいけど、どう話していいかもわからないし、なんだか、見てるだけで、胸がいっぱいでって、この前の火曜日言ってた」
「へえ。なんだかいじらしいな~」
「いじらしいって思う?」
「思うよ」
聖君は、にこって笑った。
「そうだよね、私も思う。でも…」
「でも?」
「私もそうだったな~~って、去年の夏のこと思い出したりするんだ」
「それって、俺に対して?」
「うん。もっと話したいし、仲良くなりたいのに、できないんだ。見てるだけで精一杯なの」
「……」
聖君は黙って、頭をボリって掻いた。そして、
「桃子ちゃんも、めっちゃいじらしかったんだ」
と、ぼそって言った。
「いじらしい?どっちかって言うと、意気地がないというか、暗いというか、情けないというか」
「あはは!なんで?花ちゃんはいじらしいって思えて、なんで自分のことだと、そんなに悪く捉えちゃうの?」
「あ、そうだよね。同じだよね」
「うん、そうだよ」
「だけど、やっぱり暗かった。聖君が笑顔を自分に向けてくれなくて、寂しくて、菜摘や蘭が羨ましくて、それなのに、自分から話しかけることもできなかった。やっぱり、情けなかったよ」
「笑顔?」
「うん。遠くで、聖君が菜摘や、蘭と笑ってるのを見て、いいなって思ってた」
「ふうん」
あ、かなり暗いことばらしちゃった。マイナス思考もいいところだよね。
聖君は、しばらくプールの方を眺めながら、黙っていた。何を考えているんだろう?
「その頃、俺、そんなことにも気づかなかったんだよな」
「え?」
「桃子ちゃんの気持ちも、まったく気づかなかった。俺のこと見ててくれたってことも。俺って相当鈍感だよね」
「ううん、そんな…」
だって、その頃、聖君は菜摘のことを見ていたんだし…。
また、聖君は黙りこんだ。それから、
「ずっと、桃子ちゃんは、俺のこと見ててくれたんだな~~」
と、ぼそってそうつぶやいた。そして、こっちを向くとにこって微笑んだ。
「今では、こんな近くにありますけど、どうですか?」
聖君はいきなり、手でマイクを作り、聞いてきた。
「え?」
「だから、俺の笑顔が、こんなに近くにありますけど、桃子さんは、どんな心境ですか?」
え~~~?これ、インタビュー?
「そ、そうだな。えっと…。いまだに信じられないような、すごく嬉しくて、幸せです」
「へ?いまだに信じられない?」
「あ…。ううん、もう、ちゃんと自覚はしてる…と思う」
「そう?この笑顔を思い切り、独り占めしてるって、自覚してる?まじで?」
え?独り占め?!私が?
「あれれ?今、え?って驚いてなかった?」
「う、うん。ちょっと…」
「あ~~、まったくもう。まあ、そんなところが、桃子ちゃんらしくて、いいんだけどさ」
聖君は、頭をボリって掻いて、それから笑った。
「ごめん。なかなか自信持てなくて、でもね。聖君にも問題があると思う」
「え?!問題?…。それは、その、やっぱりあまり会えないからとか、俺が冷たくしてるとか、それとも、大事にしてないとか」
「違う、違う。そうじゃなくって」
「じゃ、何?」
聖君は、少し顔が暗くなった。
「聖君、かっこよすぎるから、釣り合い取れてないよなってそう思っちゃうの。いまだに、聖君に片思いしてる気分になっちゃうんだよね」
「……。…へ?」
聖君は、しばらくぽかんと口を開け、
「あはは!何それ?だから、何回言ったらわかるかな。桃子ちゃんも、可愛いから、もててるんだよ?俺、けっこう心配してるんだって。じゃなきゃ、やきもちなんか、やかないって」
「そ、そんなこと」
絶対にないと思う。私がもてる?誰に?どこで?この小学生みたいな私が?
「あ~~あ。ほんと、そういうところ、自覚してないよね。プールだってさ、海だってそうだけど、絶対に女友達とだけで、行かないでね。ナンパされること間違い無しだよ」
「ないない」
思い切り、首を横に振った。
「そんなことないって。やばいって。絶対に、行っちゃ駄目。行くなら俺もついていくから」
「う、うん」
聖君って、変だ。ナンパされたことなんか、一回だって…。ああ、聖君の高校であったけど、あれはきっと、誰にだって、声をかけてたに違いない。
「さ、もう一回泳がない?今度は並んで泳ごうよ」
「うん」
聖君とプールに入り、泳ぎ出すと、聖君は私のスピードに合わせ、隣で私のことを見ながら、泳ぎだした。すごい余裕だ。私は必死で息継ぎをして、泳いでいた。
ああ。私ももっと早く、優雅に泳げるようになりたいよ…と、心の中で思いながら。
その帰り道、聖君とカフェでお茶をした。そこで、私は衝撃の話を聞いた。
「基樹と蘭ちゃん、別れたの知ってた?」
聖君は、すごくさらっとそう言ってきた。
「え?!し、知らない!」
別れた?あの二人が?!!!
「いつ?」
「やっぱり、聞いてなかった?つい2~3日前かな」
「な、なんで?原因は?」
「蘭ちゃん、他に好きなやつできたみたいだよ?聞いてない?」
「うん、全然。最近会ってないし」
「そっか。基樹のやつ、かなり落ち込んでてさ。まあ、原因はあいつにもあるって言えばあるんだけど」
「え?」
基樹君も浮気してたとか?
「模試の結果が悪かったんだ。それで、しばらく勉強に専念するから会わないようにするって、あいつ蘭ちゃんに言ったらしい。それが一ヶ月前かな。それで、本当にあまり連絡もしなくなってたみたいでさ。その間に蘭ちゃん、友達の彼の友達ってのに会って、仲良くなっちゃったみたい」
「そうか。そうだったんだ」
「まったく聞いてなかった?」
「悩んではいたけど」
「悩んでた?蘭ちゃんが?」
「基樹君の嫌なところが目に付いてって、そんなこと言ってた」
「ああ。そうなんだ。まあ、あいつ、かなり蘭ちゃんのこと、振り回してたから」
「え?」
「受験生だけど、蘭ちゃんと会うようにするって4月の時点では言ってたんだ。でも、模試の結果が悪かったからって、手のひら返したようになってさ。悪かったのは、デートばかりしたからだって、蘭ちゃんのせいにもしてたしね」
「そうだったの?」
「蘭ちゃんが嫌になるのも、わかる気もするけど…。今の相手は大学生らしいし」
「そうなんだ」
聖君は、冷静にそんな話をしたあと、アイスコーヒーを一口飲むと、
「あのさ」
と、小さい声で、ささやくように聞いてきた。
「え?何?」
耳をすませて、顔を近づけると、
「桃子ちゃんは、大丈夫?俺の嫌なところばかり目に付いて、なんてことない?」
と、聖君は、ぼそってそう言った。
「え?ないよ!」
私は思わず、声を大にして、首を横に振った。
「ほんと?」
聖君はまだ、小声だった。
「ないない!どんどん好きになることはあっても、嫌になることなんて絶対にない」
「……」
聖君は、下を向いて、しばらく固まっていた。あ、思い切り、照れてる?それか、驚いてる?
「照れる。いや、でも嬉しい」
聖君は、そうつぶやいたけど、顔は下げたままだった。きっと、にやけ顔なんだな。
「俺らは、大丈夫かな。葉一がさ、お前も受験生だし、あまり桃子ちゃんと会えてないから、気をつけなって言ってたんだよね」
「え?何を気をつけるの?」
「桃子ちゃんにいきなり、ふられないようにって」
「ええ~?」
あ、ありえない。そんなこと。私からふる?
「そんなこと絶対にないよって言っておいて、あとで、すごく不安にもなってさ。例えばほら、幹男君だっけ?よく遊びに来てるようだし、コーチだって、桃子ちゃんのすぐそばにいて、週一回は会ってるわけだし」
「……。ありえない」
ぼそってそう言うと、聖君はちらりと私を見て、
「だよね?」
と、そう言ってきた。
「うん!」
私が思い切り、首を縦に振ると、聖君は、ほっとした顔をして、
「だよね~~~」
と、また笑ってそう言った。
聖君でも、心配したりするの?と私は驚いていた。でも、蘭と基樹君が別れてしまった方が、さらにショックだった。
もう6人でデートはできないんだ。それに、あんなに仲良かったのに、こんなにも早くに、別れが来ちゃうんだ。
私からふることなんて、ありえないけど、その逆だったら?ちょこっとそんなことを考えると、怖くなって、考えないよう、その怖さを私は封印した。
その日の夜、菜摘から電話があった。
「今日、葉君と会ってたんだけど、蘭と基樹君、別れたんだって。葉君から聞いたんだ」
「私も今日、聖君から聞いた」
「あ。今日兄貴とデートだったの?」
「うん」
「そうか~~。あ~~あ、なんか寂しいね、もう、6人で会えないなんてさ」
「うん」
「蘭から聞いてなかったな~。最近会って話してないし」
「うん」
「なんか暗くない?桃子、どうした?」
「え?ううん。暗くないよ」
なんでかな、今、沈んじゃってたな、私。
「自分のこと、心配しちゃった?兄貴とのことで」
「あ…」
そうかな。
「兄貴のこと桃子はふったりしないでしょ?」
「その逆だよ。逆」
「兄貴が桃子のことを、ふるの?ないない!」
「そんなことわからないよ。沖縄に行って向こうの大学で知り合った女性とか、魅力的な人いっぱいいるかもしれないし」
「う~~ん、大丈夫って気がするけど。でも、心配なら、兄貴が桃子のことを忘れられなくなるぐらい、魅力的になるしかないかな」
「え?どうやって?」
「この夏に、かける!とか」
「何を?」
「ちょっと、水着を大胆にして誘う」
「な、何を~~~?」
「あはは。うそうそ、そういうの桃子には無理そうだよね。ちょっとさ、最近仲良くなったクラスの子とそんな話をしてたんだ」
「え?」
「彼氏が、まったく手も握ってくれないし、進展しないって言ったら、水着をビキニにするとか、もっと、彼氏がどぎまぎするくらい、セクシーになってみるとか、何かしないと駄目だよって、言われちゃったの」
「菜摘が?」
「うん。でも私も、そういうの無理なんだよね~」
「蘭とかならね、もともと大人っぽかったし」
「うん。今は大学生の彼氏らしいし、釣り合い取れてたりしてね」
「基樹君より?」
「蘭、大人っぽいし、考え方も大人びていたから」
「そうだね」
「ま、桃子も私もマイペースでいいとは思うけど、でもね、心配なら、桃子、何かしてみたら?」
「な、何かって?」
「う~~~ん。だから、女っぽい水着とか?」
「この小学生みたいな体型で?」
「う、う~~~ん。そうね~~」
菜摘が、うなって悩んでしまった。
はあ。菜摘が羨ましい。だって、そんなに頑張らなくても、もともとプロポーションいいし、十分大人っぽいもの。
私がどう頑張ったって、小学生が中学1年になったくらいだよ。そんなで魅力的な女性になれるとは思えない。
未来のことを考えると、すごく不安になるのは、前と変らない。聖君が沖縄に行くことを考えると、やっぱり怖くなる。
聖君の心をつなぎとめておくのは、どうやったらいいのか。聖君の心のど真ん中に居座るには、どうしたらいいのか。そんなことを考えてみても、不安になってくるだけだ。
あんなに仲が良かった蘭と基樹君が別れちゃうと、さらに怖さは増す。今は優しくて、そばにいてくれる聖君だって、1年、2年しても変わらないとは限らない。
怖さは、心を闇で覆う。不安でいっぱいにさせる。だけど、それを感じないよう、蓋をする。今は、聖君はそばにいて、優しい聖君なんだから。そう自分に言い聞かせる。
これも、聖君に隠し事をしてることになるのだろうか。この不安や、恐怖を隠していること。でも、言った途端に、何かが崩れそうで怖くて、蓋をしたまま、感じないように私はした。




