第15話 上達
月曜日の学校帰り、久しぶりに菜摘と蘭と、お茶をした。と言っても、学食でだけど。
「スイミングスクール?桃子が?」
私が、スイミングスクールに通いだしたことを言うと、蘭が驚いていた。
「うん。まだ2回しか行ってないんだけど」
「へ~~。コーチって男?」
「うん」
「かっこいい?」
「さあ」
「さあって…」
蘭が少し、呆れたようにそう言った。
「桃子には、兄貴以外の男なんて、みんな同じに見えるんだよ」
と、菜摘がフォローをしてくれた。
「そうなの?そういえば、聖君、あの女の子どうしたの?気が合うっていう」
「柳田さん?」
「ああ、その子」
「別に、なんでもないって言ってた。柳田さんには、彼いるみたいだし」
「え~~?そうなの?な~~んだ。ひと波乱あるかなって思ってたのに」
と、蘭がそう言うと、
「蘭!ひと波乱なんてないほうがいいんだってば。それに桃子この前まで、元気なくしてて、落ち込んでたんだから」
って、菜摘が言ってくれた。
「え?そうだったの?知らなかった。ごめん」
蘭が申し訳ないって顔をした。
「兄貴と、ちゃんと話して、安心できたんだよね?」
実は昨日、菜摘には、私はもう落ち込んでないから安心してってメールを送ってあったんだ。
「そうなんだ。ごめんごめん。あんまり桃子は聖君のことが好きなんで、からかいたくなっちゃった。っていうか、羨ましいのかな、私」
蘭がそう言うと、ふっとため息をついた。
「基樹君とまた喧嘩?」
菜摘が聞いた。
「ううん。倦怠期かな」
「え~?もう?早くない?」
「そんなことないよ。付き合ってもう8ヶ月くらいたつもん」
「そっか。そんなになるか」
菜摘が、指で数えてそう言った。
「あ~~あ。私も、大好きって言える人と付き合いたい」
蘭がそんなことを言うから、私は驚いてしまった。基樹君と、すごく仲良かったのになんで?
「なんかあった?」
菜摘が聞いた。
「なんかね、嫌なところばかり最近目につくんだよね」
「基樹君の?」
「菜摘や桃子はないの?彼の嫌なところって、目に付かない?」
「そうだな~~。あまりないかな」
菜摘がそう言った。私は、きょとんとしてしまっていた。
「桃子は、なさそうだね。聖君一筋で、聖君命って感じだもんね」
な、なんだそれ…。
「羨ましいよ。そんだけ、好きになれたらな~~」
また、蘭が大きくため息をついた。
嫌なところ、ないな~~。どんな聖君も大好きだもの。前よりもさらに今、好きになってる気すらする。何度も何度も、惚れちゃって、惚れまくってるって感じだもんな~~。
それから家に帰ると、幹男君がいて、ひまわりとテレビゲームをしていた。
「あ、桃ちゃん、お帰り」
「ただいま。大学は?」
「今日、最後の授業休講だった。で、早くに終わっちゃったから、遊びに来ちゃった」
「そうなんだ」
けっこう、暇人なんだな…。
「桃ちゃん、どう?スイミングスクール」
「うん。コーチにちゃんと、教えてもらえるようになったよ」
「へえ、よかったじゃん」
「うん」
「泳げるようになった?」
「まだまだ!」
「そうなの?」
「うん。それはまだ、時間かかるかも…」
「ま、ゆっくりでもいいんじゃない?桃ちゃんのペースでさ」
「うん。ありがとう」
「彼氏とは?うまくやってる?」
「うん。土曜、一緒にプールに行って来たよ」
「へえ。彼氏と?で、どうだった?」
「潜るのとか、バタ足とか、教えてくれた。あ、教えてくれたって言うより、なんだろう。遊んでいたら、勝手にできてたってういか」
「あはは。そんなもんだよね、けっこうさ」
幹男君はそう言って、笑った。
「でも、良かったじゃん。彼氏とプールにいけるなんて、けっこう進歩なんじゃないの?」
「うん」
「一緒に海潜るのも叶うよ、きっと」
「ありがとう」
「彼氏、受験勉強は?」
「してる。塾にも行ってる」
「そう。それでもデートできてるんだから、大丈夫だね」
「え?」
「受験で忙しいから別れようなんてことには、ならなさそうで良かったね」
「う、うん」
今、一瞬血の気が引いた。きっと、「別れる」という言葉に敏感に反応したんだ。
時々、怖くなることがある。いつか、別れようって言われて、いつか、別れることになったら、私はどうなっちゃうんだろうかって。
悲しくて、悲しくて、一生泣いて過ごすことになったりしないかって。聖君よりも好きな人なんて、一生現れないんじゃないかって、そんなことまで、考えることがある。すごく怖くなるから、そういう思いが出てきたら、すぐに封印してるんだけど。
「彼氏、どこの大学受けるのか、決まってるの?」
「琉球大学」
「え?それ、沖縄じゃん」
「うん」
「だ、大丈夫なの?桃ちゃん、そんなに離れたらやばいって」
「……」
「遠距離って、思ってるより辛いよ?」
「そうなの?」
「いや、俺も経験ないからわかんないけどさ。大学東京に出てきた友達は、地元の彼女と、次々に別れてるよ」
え~~~~~…。う、また心に冷たい風が吹いた。
「遠い彼女より、近くにいる子の方がよくなっちゃうみたいだよ。彼女の方も、会えなくて寂しいって、他の男と仲良くなったりしちゃうみたいで」
「……」
どぴゅ~~~~。心に思い切り隙間風が吹き、荒れ出してる…。ものすごい不安に襲われてる。
「幹男君、宿題があるの思い出した。部屋行って勉強してくる」
「ああ、うん。勉強見てあげようか?」
「いい。自分でできるから」
「そう?」
私は重い足取りで、とぼとぼと階段を上がった。それから部屋に入ると、どすんとベッドに横になった。宿題をするっていうのは、嘘だ。あれ以上、幹男君の話を聞きたくなかったからだ。
「は~~~~」
重いため息が出た。ああ、もしこのことを聖君に言ったとしたら、彼氏でもない幹男君の言うことなんて、気にするなって言いそうだ。
そうだよね。他の人が遠距離恋愛で駄目になったとしても、私たちは大丈夫かもしれないんだし、そんな先のことを心配する必要はないんだよね。
ちょっと、まだ重い気持ちをひきずったまま、聖君にメールをした。
>明日のスイミングスクール、頑張ってくるね。
すると、すぐに返信が来た。
>うん、頑張って。コーチ見返してやって。あ、でももう、手取り足取りの指導はちゃんと、断るんだよ!
そうだった…。
>わかった。ちゃんと断る。これから塾?
>そう。今電車の中。
>勉強、頑張ってね。
>サンキュー。じゃ、またね!
聖君からのメールを、読み返してほっとした。いつもの優しい聖君だ。もう、周りの人の言う言葉になんて、惑わされるのはやめよう。不安になったら、聖君に会ったり、メールしたりしたらいいんだから。
翌日は、スイミングスクール。前よりも足取りは軽くなった。
練習はみんな、顔をつけてのバタ足。20メートルは泳げるようになり、コーチも、
「椎野さん!上達しましたね」
と言ってくれた。わ~、褒められた。顔つきは無表情なんだけど、褒め言葉もちゃんとコーチの口から、飛び出るんだな~~。
私はすっかり気をよくして、そのあとも、コーチの言うとおり、頑張ってみた。バタ足だけでなく、手もつけての練習。そして、息継ぎの練習も…。
「手は、もっとこうやって…」
と、コーチが私の腕を持とうとしたので、
「あ、すみません。あの…、そういうのは、あの…」
と、腕を引っ込めると、コーチはわかったようで、
「あ、すみません。じゃ、僕の腕の動きを、見てまねてみてください」
と、私の腕を持つのをやめてくれた。
時間が来て、
「お疲れ様でした」
とコーチに言われ、3人で、
「ありがとうございました」
とお辞儀をして、ロッカールームに行き、着替えをした。
いつものように、小松さんと根本さんは、さっさとロッカールームを出て行った。どうやら、二人ともお母さんが、車で迎えに来てくれているようだった。私は、髪を乾かし、のんびりしてから、ロッカールームを出て、受付に行った。
すると、受付に森山コーチがいた。そして、
「椎野さん」
と、話しかけてきた。
わ、何だろう?また、宿題?
「はい」
コーチの方を向くと、
「すみませんでした」
と、いきなり謝られた。
「は?」
なんで、謝られたんだろうか。
「この前も、もしかすると、かなり抵抗ありましたか?ちょっと早くに上達して欲しくて、僕も無理しちゃって」
「え?」
「その…、足を持ったりして教えたことです」
「ああ…。いえ…」
どう言っていいものやら。
「すみませんでした」
もう一回コーチは、頭を下げた。
「いえ…、そんな」
そんなに謝られても…。
「椎野さんの年齢、実は今さっき、初めて知りまして」
「は?」
「お名前だけしか、確認していませんでした。実は、3人とも同じくらいの年齢で、お友達が揃って入会したのかと勝手に思い込んでいて」
「は?」
小松さんと根本さんとってこと?え?私があの二人と同じ年に見られていたってこと?いや、驚くことじゃないか。私だって、小松さんとは同じくらいの年かなって、そう思ってたし。
「みなさんの年齢までちゃんと見ておかないとと思い、先ほど確認したら、椎野さん、高校2年生なんですね」
「み、見えないですよね?中学生か、もしかして、小学生だと思ってましたか?」
私がそう聞くと、コーチはまた、頭を下げて、
「すみません。根本さんと同じくらいかな…と」
と、言った。それ、小学校6年生ってこと?
ちょっと、ショックだったけど、しょうがないかな、この体型とこの背じゃあと思い、逆に頭を思い切り下げて謝ってるコーチに、申し訳なさすら感じた。
「いいんです。間違われること、しょっちゅうですから」
そう言うと、コーチは頭をあげた。
「もう僕は今日、あがりなんですが」
「え?」
「良かったら、ラウンジで少しお話しませんか。あ、お詫びと言ったらなんなんですが、ジュースくらいおごります」
「え?いいです。そんな」
「いえ、いいんです。そうしないと、僕の気がすまないから」
「はあ」
2階に上がり、ラウンジの椅子に、
「どうぞ」
と、コーチに言われて腰掛けた。コーチは、自動販売機に向かい、
「何がいいですか?」
と、聞いてきた。
「ミルクティーでお願いします」
「あったかいの?冷たいの?」
「冷たいので…」
私がそう言うと、コーチは小銭を自動販売機に入れ、ガチャンと、ミルクティーを買った。それから、缶コーヒーも買うと、テーブルに置いた。
「どうぞ」
そう言って、コーチも椅子に腰掛けた。
「いただきます」
ミルクティーの缶を開けて、私は一口飲んだ。
「……」
コーチも缶を開けたけど、口をつけず、しばらく黙り込み、それから、
「僕は、とんだ思い違いをして、椎野さんを傷つけていたかもしれないですよね」
とぼそっと言った。
「は?」
「3人で、揃って入ってきたのだと思っていました。根本さんと小松さんは元気だし、やる気があるように見えましたが、椎野さんだけ、そうじゃないように見えていました。だから、勝手に友達に誘われて、嫌々入ってきて、まったくやる気のないそんなスクール生なんじゃないかって、思っていたんです」
「はあ」
それで、他の二人と態度が違ってたとか?
「そういうスクール生は、けっこういます。親に言われて、嫌々って言う子も。でも、たいていが、すぐにやめてしまいます」
「はあ」
「僕は、やる気のある子には、けっこう気合入れて指導するんですが、やる気がないなら、さっさとやめてくれてかまわないみたいな、そんな態度でつい接してしまうようで、他のコーチから、注意を受けることもしょっちゅうで」
「はあ」
「やる気のない子達を、どうやる気を出させるか、それもコーチの仕事だとかって、言われてしまいますが、やる気のある子たちのほうを、つい、のばしてあげたくなっちゃって」
「真面目なんですね」
「え?」
「あ、すみません。でも、コーチのそんな気持ちもわからなくもないなって」
「そうですか?あ、それで、椎野さんはやる気がないのかと、勝手に思っていましたが、違っていたんですね」
「え?」
「水が本当に、怖かったんですね。すみません。でも、泳ぎたい、泳げるようになりたいって熱意は感じたので、前回から、椎野さんも絶対に、泳げるようになって欲しいと思い、つい…」
コーチの言葉、一つ一つに、なんだか冷たい人だなんて思って、悪かったかなって思ってしまった。
「でも、そのおかげで、バタ足できるようになりました」
「あ、そう言ってもらえると、助かりますし、嬉しいです」
コーチは少しだけ、笑ってそう言った。わ!笑った顔、初めて見た。笑うんだ、この人も。って、当たり前か~~。
「今日は、本当に上達していましたね。練習でもしてきましたか?」
「はい。土曜日に市営プールに行って、少し…」
「お友達とですか?」
「いえ…。あ、はい」
彼氏とですなんて、言えないか。
「学校の授業であるんですか?水泳。たまに、成績に関わるからって、そのために来る子もいますが」
「いえ。私の学校、水泳はまったくの自由選択なんです」
「じゃあ、学校で水泳をすることは?」
「中学から、していないし、これからもないです。だから、泳げるようにならなかったんですけど」
「小学校は?」
「夏って、風邪引いて、中耳炎になったり、怪我してたりで、プールの授業休むことが多くて」
「なるほど」
コーチは、やっと缶コーヒーに口をつけた。そして、
「じゃあ、なんでまた、泳げるようになりたいと思ったんですか?」
と、聞いてきた。
「へ、変な理由だから」
「え?」
「その…、海に潜れるようになりたくて」
「スキューバダイビングですか?」
「はい」
コーチは、静かに背もたれに背中をつけて、話していたのに、いきなり前のめりになって、目を輝かせた。
「すばらしい目標ですね!それはぜひとも頑張って、スキューバのライセンスも取ってもらいたい!」
「え?」
「僕も、ライセンス持ってますよ。海に潜るのは好きですから」
「そうなんですか?あの、大変ですか?」
「大丈夫です。泳げない人でも、取れることは取れますから。ただ、やっぱり、泳げる方がいいと僕は思いますけど」
「そうですか」
コーチは、さっきと話し方が変っていた。いつも、あまり抑揚をつけずに、クールに話をするのが、今は、熱く語り出していた。
「そんな夢を持って、臨んでいたんですね。知らなかったとはいえ、申し訳ないです。これからは、もっと気合入れて、指導していきますから」
「え?いいえ、あの…、お手柔らかにお願いします。私も、マイペースでいこうって思っていますし」
そう言うと、コーチは声を出して笑い、
「いや、大丈夫ですよ。どんどん、上達していきますから」
と、元気良く言った。
ああ…。コーチの印象がいっぺんに、180度、変ってしまった。こっちが、本当のコーチで、いつもは、仕事上の姿なのかも知れないな。
ちょっと、嬉しくもなったけど、これは聖君には言えないなって思った。あ、隠し事は無しにするんだっけ。う~~ん。コーチから褒められて、やる気が出たよって、それだけをメールしておこう。それも、本当のことなんだし。
家に帰る電車の中、聖君にそうメールを送ると、しばらくして、
>すごいじゃん、見返すことができたね!
と、返信が来た。ああ、本当だ。これも、聖君のおかげだよってメールをすると、
>違うよ。桃子ちゃんが頑張ったからだよ。
と、メールをくれた。はあ。いつもながら、優しいよ~~。と、思いながら、じ~~んってしていると、
>やっぱり、俺とデートしたからかもね。また、プールでデートしようね!!!!!
と、メールがきた。
ええ~~?なんだか、そんなところは可愛いなって思ってしまう。
家に着いても、ぼけってしていた。聖君のあの優しいオーラに、包まれているような、そんな感覚で夢心地になっていたからだ。
なんだろうな。コーチも、一気に話しやすい人に変ったけど、でも、やっぱり、私の胸をきゅんってさせる笑顔をするのも、メール一つで、優しい気持ちにさせてくれるのも、こんな夢心地のような、ふわふわした感覚にさせてくれるのも、聖君だけなんだ。
聖君にこれからも、ずっと夢中でいるのかな、私…。そんなことを思いながら、聖君に、メールを返した。
>うん。プールで、デートまたしようね。その時には、泳げるようになっているからね!