第122話 不安材料
聖君は、夕方家に帰った。そして夜、電話をくれた。それも家の方に。
「あら、聖君?」
母が出て、驚いていた。私も携帯じゃなくて、家の電話に聖君がかけてきたから、びっくりした。
私がお風呂からあがり、リビングで父と母と、これからのことを話し合わないとねって言っていたときだった。
「え?お母さんに?はい。わかったわ」
母がそう言うと、いきなり声をちょっと高くして、
「こんばんは。いつも桃子がお世話になっています」
と挨拶をしていた。ご丁寧に電話だというのに、頭まで下げて。
「聖君のお母さんにかわったのかな?」
父がそう横で言った。
「これからのことを、話し合いするのかもしれないな」
父はそう言うと、静かに母を手招きしてリビングに呼んだ。母は、それに気がつき、電話をしながら、リビングにやってきた。
「ええ。そうですね。早めの方がいいですね、確か水曜が定休日でしたっけ?」
母はそう言うと、しばらく黙り込み、
「いえ、こちらが合わせます。そんな、定休日以外をお休みに、していただくわけにはいきません」
と、首を横に振りながら言った。
父は、さっとスケジュール帖を取り出すと、
「水曜は、早めに帰れそうだ」
と小声で母に告げた。
「今度の水曜でしたら、主人も早めに帰宅できるそうなので、いかがですか?」
母は父の言葉を受け、すぐさま提案した。
「はい。はい。ええ、ではお待ちしています。すみません、こちらから伺わず、お越しいただいちゃって、申し訳ないです」
そう言うと母は、また深く頭を下げた。電話だから相手には見えないっていうのにな。
「そうですね。まだつわりは、つらいようですね。今日はだいぶいいみたいですけど、ご飯とか匂いが駄目みたいで。はい、ありがとうございます。伝えます。では、ご主人さまにもよろしくお伝えくださいね」
母はそれからまた、頭を下げながら失礼しますと言って、電話を切った。
「水曜に、あちらのご両親が来てくれるのかい?」
父が聞くと、
「桃子がつわりもあるし、江ノ島まで来てもらうのは大変だから、みんなでうちに来てくれるって」
と母が答えた。
「聖君と、ご両親?」
「杏樹ちゃん一人置いてこれないから、杏樹ちゃんもだって」
「ひまわりが喜ぶ」
と、私が言うと、父が、
「遊びに来るわけじゃないんだから、そのへんはひまわりにも言っておかないとな」
と言って、立ち上がると、2階のひまわりの部屋に上がっていった。
「いよいよ、聖君のご両親とご対面ね~~」
母は嬉しそうだった。
「緊張とかしないの?」
私が聞くと、
「するけど、でも、あなたやひまわりから聖君の家族の話は聞いてるし、もう、聖君のお父さんとは会ってるしね。楽しみの方が大きいわね」
と、母はまた嬉しそうにそう言った。
水曜日か。そうか。なんだか、どんどん話が進んでいくんだな。
いや、進んでくれないと困っちゃうか。お腹の中でもどんどん、赤ちゃんは大きくなっていくんだから。
ひまわりは2階から階段をドタドタと駆け下りてきて、
「杏樹ちゃんも来るんだ~~!水曜日だね!ちょうどバイト、休みだよ。やった~~」
と喜んだ。その後ろから父も下りてきて、
「だから、遊びに来るわけじゃないんだから、いつもみたいにはしゃいでたら駄目なんだぞ」
と念を押していた。
「あ~~~!聖君は?聖君はいつ、うちで暮らすようになるの?結婚は?いつ籍を入れるの?」
ひまわりはわくわくしながら、私に聞いてきた。
「え?そ、そんなこと聞かれても」
困っていると、
「それを水曜に話し合うんでしょ!」
と母がひまわりに、答えていた。
「籍を入れるなら、大安吉日だな。桃子も一緒に行ったほうがいいなら、つわりがおさまってからだ」
父がそう言うと、母は、
「そうね~。でもいいんじゃないの?聖君に出してきてもらうように頼んでも。早くに籍を入れて、それから一緒に住むようにしたほうがいいと思うわよ?」
と、父の意見を反対した。
「桃子が一緒に行きたいかどうかだな」
父に言われた。
「うん。私は…」
言ってもいいのかな。私が望んでることを。しばらく黙ってしまうと、
「桃子がどうしたいかが、一番重要なことなんだぞ」
と父に言われてしまった。
「私、早くに聖君に来てもらいたいって思ってるんだけど、でも、夏休みは、きっと昼間もバイトだろうし」
そんなことを私が言うと、父が、
「車で江ノ島まで通うんだったら、大丈夫だろう。大学に行くわけじゃないし」
とそんなことを言った。
「まあ、そういうことも水曜日に話しましょう。とりあえず、桃子は遠慮をせず、自分が望んでることを、水曜日も話しなさいね」
母がそう言ってくれた。
「うん」
私はうなづきながらも、変な感じがしていた。
そう。みんなが、私が望むことを、1番に考えてくれるんだ。聖君も、家族も。
翌日、菜摘が家に来てくれた。
「どう?体の調子」
「うん、今日はけっこう大丈夫。でも、食べ物の匂いで気持ち悪くなったりするんだ」
そう言うと、菜摘は、
「大変なんだね」
と、ちょっと深刻な表情になった。
「つわり続いたりしたら、家にいるんでしょ?もうなかなか、出られないよね?」
「うん。当分はね」
「1日の花火大会はどうする?」
「え?あ、そっか。もうすぐだよね」
「やめておく?」
「うん、やめておくよ」
「なんかね、昨日葉君が、れいんどろっぷすに行ったらしいんだけど、兄貴に会いに」
「うん」
「夜、仕事帰りに寄ったら、麦さんがバイトしていたらしいの。で、兄貴もお店手伝ってて、キッチンに兄貴が行ってる間に、麦さんが話しかけてきたらしくって」
「なんて?」
「1日の花火大会は、私も一緒に見るからって」
「え?」
「みんなで見に行くもんだと思ってるみたいでさ。でも、きっと桃子が行かないなら、兄貴も行かないよね」
「わかんない。毎年見てるみたいだし、家族で行くのかもしれない」
「……」
菜摘が、また暗い表情をした。
「何?」
私が聞くと、
「うん」
と言ったきり、しばらく黙ってしまった。言いにくいことみたいだな。
「なんかさ」
「うん」
「夏休みの間、昼間もバイトに来るって言ってたらしくってさ」
「麦さん?」
「うん。葉君にね、ほら、夏の合宿で兄貴と一緒だったじゃない?あの時、すごく仲良くなって、意気投合して、兄貴のことを知れて、どんどん惹かれていったんだって、そんな話をしたみたいなんだ」
「え?」
意気投合?仲良く?どんどん惹かれていった?
いや、そりゃ、聖君の内側を知れば、もっと好きになっちゃうのはわかるけど…。でも、意気投合?!
「麦さんが言うことだから、勝手にいいように解釈しているだけだとは思うんだけど」
菜摘は、私が引きつった顔をしているのを察したのか、そんなふうに言ってくれたが、複雑な気持ちになってしまった。
「でもさ、関係ないよね。麦さんがなんと言おうと、兄貴は桃子のことを大事にしてるんだし、もう赤ちゃんだっているし、ねえ?」
「え?うん」
「結婚だってするんだし、いくら麦さんが毎日のようにお店に来たとしても、関係ないよねえ」
「毎日?」
「そんなことを言ってたらしいけど」
「…」
ますます複雑。
「あ、でもさ、桃子だって、つわりがよくなったら、お店に顔出せるよね?ずっと兄貴と、会えずじまいなわけじゃないんだし、兄貴だって、夏休みなわけだし、桃子の家にだって、顔出すよ、うん」
「……」
「籍は?いつ入れるの?」
「まだわからないけど。水曜日に、向こうの家族が来て、うちの親と話し合いをするから、その時、決めると思う」
「え?そうなんだ~~。早くに籍入れられたらいいね」
「うん」
「そっか~。そうしたら、桃子、榎本桃子なんだ」
「うん」
か~~~っ!いきなり顔が熱くなった。
「そうしたら、堂々と奥さん面して、兄貴に会いに行っちゃえばいいじゃん!」
「え?」
「お店にだよ。麦さんにも、いつも旦那がお世話になっています~とか言っちゃってさ」
「ま、まさか~~。そんなこと言えるわけないじゃん!」
「え~~!言っちゃえ、言っちゃえ」
「言えないよ~~」
もう~~。菜摘は、他人事だと思って、面白がって!
「だってさ~~、なんかしゃくにさわるんだよね」
「麦さん?」
「だってね、兄貴の方も、麦さんのことをもっと知ったら、絶対に好きになってくれて、もっと仲良くなれるのにって、葉君に言ったんだってよ!それってどう思う?もう兄貴には、桃子っていう彼女がいるって知ってるのにさ」
が~~~ん。ちょっと今、ショックを受けた。すごい自信があるんだ、麦さん。
「葉君は、そこで、もう聖には桃子ちゃんがいるじゃんって、釘をさしてくれたみたいだけど、でも、そんなの関係ないって顔をしてたって、言うんだよね。なんかさ~~、腹までたってきちゃって、私」
が~~~~ん。さらにショックを受けた。
毎日、毎日、れいんどろっぷすに手伝いに行っちゃったら、もっと麦さんと聖君は、仲良くなっちゃうの?
え~~~~…。ふ、不安だ。
「兄貴にこのことを言おうかどうか、迷ってるんだけど、葉君は言わないでいいよ、ほっとけばって言うんだけどさ~~」
「……」
「早くつわりもなおって、お店に行けるようになったらいいよね。あ、葉君も顔を出せるときにはなるべく行くって言ってるし、私も行けるときはなるべく行って、二人の邪魔してくるからさ」
「う、うん」
邪魔って?何するのかな?
「そうだ!桐太にも頼んでおこうか?桐太は桃子の味方だもんね!」
「え?うん」
「いや~~、私も葉君も聞いたときには、目が点になったけど、それもありだよね、だから桃子と桐太、意気投合したんだねって話してたんだ」
「え?なんのこと?」
「いいよ、隠さなくても、直接この前桐太から聞いたから」
「え?」
「桃子が妊娠してるってわかった日、ちょっと桐太と葉君と3人で、帰りに話をしたの。桐太、桃子のことが好きなんじゃないのかとか、兄貴と桃子のこと、邪魔する気でいるのかとか、そう聞いたら、自分が好きなのは、聖のほうで、でも、桃子が彼女なのをとっくに認めていて、今は二人の味方だって話してくれたの」
「ええ?!き、桐太、言っちゃったの?」
「うん。正直、びっくりしちゃったけど、でも、桃子と兄貴のことを認めてるって言うからさ、なんか、それはそれでいいのかなって思えちゃってさ」
「…」
言っちゃったんだ~~。びっくり。
「桃子とは親友だなんて言ってたよ。同じ人を好きになって、すごく話していて楽しいって」
「うん、そうなんだよね」
「ライバルじゃないんだね、親友なんだね」
「うん、そうなんだ。私も桐太と聖君の話をしてるの楽しいんだ」
「不思議な関係だよね」
「だよね」
菜摘はくすくすって笑って、
「よっしゃ。やっぱり桐太にも言っておくね、麦さんのこと。だから、もう桃子も安心して、無事赤ちゃん生むことだけ、考えてね。って、不安材料持ってきたのは、私か。ごめんね、麦さんのことはもう忘れちゃってね」
と言ってくれた。
「うん、ありがとう」
そうだね、聖君も言ってたっけ。無事、赤ちゃんを生むことだけを考えようって。
その夜、10時過ぎに聖君が電話をくれた。私はすでにベッドで、うとうとしてる時だった。
「あれ?もしかして寝てた?」
「ううん、大丈夫」
「ほんと?寝るなら切るよ?」
「いい、切らないで」
聖君の声、聞いていたいもん。
「水曜に行くね。それでさ」
「うん」
「その…、実はすでに今日、婚姻届をもらってきちゃってさ」
「え?!」
「父さんが…。気が早いって言ったら、全然早くないって、逆に言われた」
「そ、そうなんだ」
ひゃ~~!婚姻届!!!なんだか、変な感じだ。自分のことじゃないみたいな、そんな響きがある。
「それもう俺、記入しちゃったから、桃子ちゃん、水曜日に書いてね」
「え?もう記入したの?」
「うん。でさ、次の大安吉日に出しに行くからさ」
「っていつだっけ?」
「木曜かな」
「え?!」
「桃子ちゃん、一緒に行くのはきついよね?」
「え?うん」
「だから、俺が一人で行ってくる」
「う、うん」
うわ~~~、そんなに早くに?もう私、聖君のお嫁さん?きゃ~~~~!!
まだ心の準備が!
「それでね」
「う、うん?」
あ、声が裏返っちゃったよ。
「じいちゃんとばあちゃんにも、昨日連絡したんだ。そうしたらさ、今日電話があって、来るって」
「え?」
「桃子ちゃんに会いに、伊豆から来るってさ。あ、多分、籍入れてからだけど、自分の孫のお嫁さんになる子なんだから、すぐにでも会いたいってさ。水曜日に行くって言ってたんだけど、それはいろいろと今後の話をしに行くんだから、別の日にしてくれって、父さんが言ってくれてさ」
「う、うん」
あ、声がうわずった。
「もしかして、すごく緊張してる?桃子ちゃん」
「う、うん」
「やっぱり?でも、あまり緊張はしなくていいから。なにしろ、能天気な夫婦だし、緊張するだけ損するよ」
「へ?」
損?
「無駄なエネルギーを消耗するだけだから、緊張しなくていいよ。ま、会えばわかるかな」
「…そうなの?」
「うん」
そうなんだ…。
「は~~~~~~」
聖君が長いため息をついた。聖君こそ、緊張してるの?
「もうすぐ、俺ら、夫婦になっちゃうんだね」
「え?う、うん」
「は~~~~~~」
また、ため息?どうして?
「嬉しい~~~」
「え?今の嬉しいため息だったの?」
「あったりまえじゃん。他に何があるっていうの」
「……」
そうか。さすがと言えば、さすが。聖君らしい。
「あ、そういえば、1日の花火大会、家族で見に行くの?」
いきなり思い出して、聞いてみた。
「江ノ島の?まさか」
「まさか?じゃ、菜摘とかと?」
「え?行かないよ、俺。桃子ちゃん、行けないでしょ?」
「うん」
「俺、その頃桃子ちゃんの家に、いると思うんだけど」
「え?うちに?」
「だって、もう籍入れてるだろうから、夫婦でしょ?」
「え?」
「桃子ちゃんの家に住むって、俺、この前言ったじゃん」
「え?!」
嘘!そんなに早くに?!嘘~~!!
「桃子ちゃん、この前、俺の話聞いてたよね?」
「聞いてた。でもまさか、そんなに早くになるなんて思ってなかった」
「…、嫌なの?」
「え?!何が?」
「そんなに早くに俺が、行くの…」
「まさか!すご~~く嬉しいよ」
「まじで?」
「うん!」
私は思い切り、大きな声でうなづいた。
「じゃ、いいけどさ」
「え?」
「俺だけ盛り上がっちゃってるのかと、思っちゃって」
「え?」
「あ~~。でも、あまり浮かれてられないよね?桃子ちゃんはつわりで、苦しんでるっていうのにさ」
「でも、今日もそんなに気持ち悪くならなかったし、匂いさえかがなければ、大丈夫みたい」
「そうなの?」
「うん」
「お腹、大きくなった?」
「え?まだだよ、全然」
「そっか」
……あ、そっかって言う声が、なんだか、にやついてるような。
「今、聖君、にやけてる?」
「え?なんでわかるの?」
「だって、声が」
「え?声がにやついてた?」
「うん」
「ぎょへ~~。声でわかっちゃうのか!」
ぎょへ~~って…。
「ああ、やっべ~~!店出てても、俺ずっとしまりのない顔してて、常連客に、なんだかいいことあったみたいねって言われちゃってさ」
「え?」
「大学生くらいの女の子で、何回か来てた子になんて、こんなに話をしてくれたのは初めてです!なんて喜ばれちゃうし」
「え?話?」
「なんでもない話だよ?今日の江ノ島も混んでるとか、海でもう泳いだかとか、そんなようなこと」
「…そういうことは、よくお客さんと今までも話してたの?」
「まったく」
「…そ、そうなんだ」
「おすすめのメニューとか、そういうのはよく説明してたけど、そのくらいかな、いつもなら」
「ふうん」
「だってさ~、なんか浮かれちゃってて、ついべらべらと話したくなっちゃうんだよね。天気がいいってだけでも、嬉しくってさ」
「聖君が?」
「うん!」
本当だ。声が思い切り、弾んでる。
「にやけ顔でいたら、あれかな、俺目当ての子、減るかな?」
「にやけててもかっこいいから、減らないと思うよ?」
「あはははは!俺のにやけてる顔がかっこいいって言うのは、桃子ちゃんだけだからね」
「え?そうなの?嘘」
「嘘じゃないって。杏樹にも菜摘にも言われた。兄貴はにやけると、せっかくのイケメンが台無しになるって」
「え~~~、そんなこと言うの?それ、わからないな」
「わからないって?」
「だって、聖君はどんな聖君でも、かっこいいから」
「……」
聖君がいきなり黙り込んだ。そしてしばらくすると、
「俺に惚れ過ぎだってば」
と、ちょっと声を潜めて、聖君がそう言った。わ、声が思い切り照れてる。
それから聖君は、あまり長く話してても疲れるよねって気遣ってくれて、電話を切った。そしてすぐに、メールが来て、
>おやすみ、桃子ちゃん。愛してるよ。
と書いてあった。
うわ~~~~~。照れる~~。
でも、すぐに私も、
>おやすみなさい。私も聖君、大好きだよ。
と送り返した。
麦さんのこと、気になるけど、でもこんな聖君なんだもん。大丈夫だなって、いきなり安心感が出てきた。そしてすぐに私は、ぐーすかと深い眠りについた。