第12話 キャッチボール
聖君の言葉を頭の中で、もう一回繰り返して、私は頭の中を整理していた。
私が、聖君と一緒に、聖君の夢を叶えるの、喜んでくれてる。私が、潜れるようになりたいって思ってるのも、喜んでくれてるし、協力するって言ってくれてる。
でも、そのまんまの私でいいって言ってくれる。
何がなんだかわからないけど、すごい好きだって言ってくれてる。こんな、マイナス思考で、いつもジメジメ暗く考えてる私のことを?
「聖…君」
「え?」
聖君は、まだ、優しく私のことを見ていた。
「もう一個、秘密にしてたことがあるの」
スイミングスクールのことも、言わなくっちゃと思い、勇気を出した。聖君だったら、それも喜んでくれるんだよね…?
「この前からね、私、泳ぎを習いに行ってるの」
「…えっ?!」
聖君は、しばらく口を開けたままになっていた。え?そんなに驚くようなこと?
「スイミングスクール。まだ、一回しか行ってないんだけど」
「……」
まだ、聖君はぽかんとしている。
「お、驚いてる?」
「え?うん。そりゃあもう、ひっくり返りそうなくらい」
「な、なんで?」
「なんでって、どうしちゃったの?どんな心の変化があったの?あ、柳田さんのことで?」
「うん。幹男君に相談したら、羨ましいなら、行動に出たらって言われた。やってみたらいいじゃないかって。桃子ちゃんにもできるよって、背中を押してくれて…」
「……」
聖君の顔が、無表情になった。それから、しばらく下を向いて、それから立ち上がって、それから歩き出した。
「え?」
ど、どこに行っちゃうの?なんか怒ったの?私、黙っていたから?秘密にしてたから…?
ベンチからちょっと離れたところにある木に、聖君は手をつくと、
「は~~~~っ」
と、いきなり、大きなため息をついた。そして、
「むかつく~~」
と、低い声でそう言った。
む、むかつく……?!むかつく…?むかつく…?むかつ…。
駄目だ。思考回路が停止した。聖君から出た言葉とは思えない。それ、その言葉は私に言ってるの?
聖君は、少しそのままの体勢でいた。私は、だんだんと、怖くなっていた。なんか、嫌われるようなことした?言った?
聖君を見ていられなくなり、下を向いた。
ザッザって足音がして、聖君が近づいてくるのがわかった。それから、また私の前にしゃがみこみ、私の顔を覗きこんだ。
「その、幹男君ってやつは、何者?」
「え?」
いきなり、ちょっと怖い声で聞いてきて、びっくりした。でも、何者って、従兄弟だって、さっきも言ったけど…。
「い、従兄弟」
「それはわかってる。その従兄弟がなんで、そんなにいろいろと桃子ちゃんにさ…」
「え?」
「あ~~~。いい、言わなくてもいい。相談に乗ってくれてたんだよね?桃子ちゃんが落ち込んで、相談に乗ってもらって、背中押してもらって、それでスイミングスクールに行き出したんだよね?」
「うん…」
聖君が、ちょっと怒った口調だったから、私はまた下を向いて、うなづいた。
「はあ…。そっか…。俺の知らない間に、そんなことがあったわけ」
「え?」
「ああ。ごめん、責めてるわけじゃないから。勝手にやきもちやいてるだけだから、俺が…」
「やきもち?幹男君に?でも、幹男君はお兄ちゃんみたいな存在で」
「…そう」
そう言っても、聖君はまだ、すねた顔をしていた。
そうか…。むかつくって、幹男君に言ったのか…。なんだ…。そうだったのか…。
私はほっとしたのと、やきもちをやいてる聖君がなんだか、愛しくなったのとで、笑ってしまった。
「……。それ、俺がやきもちなんてやいてるから、笑ってんの?」
「え?ううん。ほっとしちゃって」
「ほっとした?」
「聖君、今、怒ってたから、私に怒ってるかと思って」
「怒ってるよ」
「え?」
「内緒にしてたこと、かなり、怒ってるよ。ノックアウトされたみたいに、さっき、が~~んってやられた」
「え?」
「なんで、俺に言ってくれなかったんだよって、内心思ってるよ。他のやつから背中押してもらうより、俺がそうしたのにって、けっこう悔しがってるよ」
「……」
驚いた。聖君の本音を聞いて、私は本当に驚いていた。
「ごめんなさい」
「……」
聖君は、いいよっていつもみたいに言ってくれなかった。そんなに、怒っちゃったの?
「あのさ、もう一つ気になることがあって」
聖君は、さらに低い声で聞いてきた。
「え?」
「その、スクールのコーチって、若い男だったりする?」
「うん」
「あ~~、そう~~」
聖君は、またうなだれた。しゃがみこんだまま、力をなくしていた。
「えっと…。それも、やきもち?」
「思い切り、嫉妬」
「で、でも、そんなやきもちやくようなことなんて」
「桃子ちゃん、水着でしょ?」
「スクールの水着だよ!ほんと、学校のスクール水着とまったく同じで、色気も何もない」
「でも、水着でしょ?」
「私の体なんて、背中も前もどっちがどっちかわからないような体型だし。小学生の子とあまり、変らないんだよ?」
「……。でも、手取り足取り、教えてもらうんだよね?」
聖君は、上目遣いで聞いてくる。
「そ、そんなことないよ。この前なんて、そのコーチ、すんごい冷たくって、私ずっと、水に顔をつける練習を一人でさせられてた。他の子には優しいのに、きっと、私があまりにもひどいから、一回目から、あきれられたみたいで」
私が必死でそう言うと、聖君はちょっと驚いた表情を見せた。
「…水に顔をつける練習?」
「そうなんだ。それすら、私怖くてできなくて」
「……。冷たいコーチなの?」
「うん」
「いじめられた?」
「……。あれは、一種のいじめかな?ほんと、冷たかったな」
「好きな子に、わざと冷たくするようなやつもいるけど」
「ええ?!そんなじゃないよ。ほんと、無表情で、すんごい冷たい口調で言ってて」
私が慌ててそう言うと、聖君は少し和らいだような、ちょっと優しい目をして、
「桃子ちゃん、大丈夫だったの?」
と、聞いてきた。
「え?」
「その…、傷ついたりとか」
「……。なんか、傷つくよりも、悔しくなって、ちきしょうってなって」
「ええ?桃子ちゃんが?ちきしょう?」
そう言うと、いきなり、聖君は笑い出した。
「あはは!そんなこともあるんだ!そっか~~」
ああ、もう。聖君、さっきから怒ったり、笑ったり…。
「ごめん。腹いて…。桃子ちゃんにとっては、大変な思いをしたのに、笑ってごめん」
「いいけど…」
「そっか。そんなコーチなんだ。ま、俺にとってはいいかな」
「なんで?」
「だって、変に優しいやつだったら、桃子ちゃんが、惚れたら困るもん」
「惚れる?私が?聖君以外の人に?」
「え?」
「ありえない!」
私が、思い切り言い切ると、聖君は、しばらくぽかんって顔をして、
「あははは!そうなの?そうなんだ」
と、また笑い出した。
笑うようなこと?う~~ん、さっきから聖君、変だよ。
「桃子ちゃんってさ、絶対にけっこう強いよね」
「え?」
「自分が思ってるより、強いよ。マイナス思考とかって言うけど、そんなことないって。一生懸命だし、すごいなって思うよ、俺」
「一生懸命なんて、全然…」
聖君の言うことに驚いて、私は顔を横に振った。
「自分じゃわかってないんだ…。桃子ちゃんさ、俺の役に立ったりすると、すごく喜ぶでしょ?俺のためだと、すんごい頑張れちゃうんだ。なんかね、目が力強くなったりするんだよね」
「私?」
「そう。すごいパワーを感じる時あるよ。もう、そんな時の桃子ちゃんは、俺、ついていかせていただきますってくらい、力強い」
「ええ?わ、私が?」
「ゆるがない強さがあるんだ。芯がしっかりしてるっていうか、ぶれないっていうか。思い切りがよくなるっていうかさ」
「私が?」
「やっぱり、気づいてない?」
「気づくも何も、そんな私がいるなんて信じられないよ」
「そう?じゃ、これからは信じてみて。すごいパワーを秘めてるからさ」
「……」
開いた口が閉じなくなった。私に、そんな力あるの?どう考えたって、いつも、聖君のことを追いかけてるのは私で、私がついていきますって感じなのに?
「はあ…。そっか…。いつの間にやら、桃子ちゃんのそばに、二人も男が現れちゃったってことか」
「え?」
何?誰のこと?ああ。コーチと、幹男君?
「うかうかしてられないね、俺」
聖君はそう言って、にっこりと笑うと、また顔を近づけてきた。そして鼻の頭にキスをしてきた。
「え?」
鼻?私が、ぽかんとしていると、
「犬ってほら、鼻の頭湿らせておかないと、駄目じゃん?」
と、笑って聖君はそう言った。
「も、もう~~。私は犬じゃないよ」
「あはは!そっくりだって。今日は白の服だから、マルチーズ」
「もう~~~!」
聖君の腕をぺちって叩きながらも、いつもの聖君で、私は内心、すごく喜んでいた。
それから、聖君は、芝生に転がしておいたゴムボールを拾いに行き、
「キャッチボールしようよ」
と、言ってきた。
「え?そんなのできないよ」
「できるって」
そう笑って言うと、ボールを投げてきた。
「あわわ!」
取ろうとしたけど、慌ててしまい、ボールを落っことすと、
「大丈夫、慌てなくても」
と、聖君は笑って言った。
ボールを拾い、えいって聖君の方に投げると、聖君が走って前に出てきて、簡単にキャッチした。
「ほら、ちゃんと届いたよ」
そう言って、笑うと、
「はい!」
と、またボールを投げた。そのボールは私が動かなくても、私のもとへと飛んできた。私は、両手を広げて、そのボールを受け取った。
「ね?取れたでしょ?」
「うん!」
「桃子ちゃんは、そこにそうしてくれてていいから。俺がちゃんと、桃子ちゃんに届くように投げるから」
「え?」
「桃子ちゃんからのボールは、俺がどんなのでも、キャッチするから」
「……」
私は、また思い切り、聖君に向かって投げた。今度は、聖君の頭の上の方にボールが飛んで行った。でも、聖君は簡単にジャンプをして、取ってしまった。
「ね?ちゃんとこうやって取るよ。だから、桃子ちゃん、投げていいから」
「え?」
ボールを?
「どんな思いでも投げていいから。俺、受け取るからさ」
「……」
「俺も、届くようにちゃんと、投げるから」
「……」
駄目だ。涙で景色がぼやけてきた。聖君もぼやけて見える。
「あ、あれ?泣いてる?」
聖君は、慌てて近くに走ってきた。
「う、嬉しくて」
そう言うと、聖君は、
「よちよち」
って、頭をなでてきた。
「もう、犬じゃないよ」
「あはは!だって、可愛いんだもん」
聖君はそう言って笑うと、また頭をなでてきた。
「もう、隠し事はなしだよ?」
「……うん」
「一人で、悩まないでね?」
「聖君もね」
「え?」
「もし、何か悩むことがあったら、言ってね?」
「……。わかった。ちゃんと言う」
「うん」
聖君と、しばらくその場で風を感じて、緑の匂いも感じて、今を感じて味わっていた。
そして、
「泳ぐの、頑張ってね。それから、今度、一緒に市民プールでも行こうね」
と聖君は、言ってきた。
「…うん」
私はもう、恥ずかしいからとか、そういうのはやめにした。聖君となら、泳ぐのが下手でも、泳げなくても、それでも、楽しく一緒にいられそうなそんな気がしていた。
聖君から、泳ぎを教わるっていうのも、いいかもな…、なんてそんなことも、思っていた。