第117話 みんなの夢
聖君は私の食器も一緒にお盆に乗せ、片付けに行った。そしてなかなか、戻ってこなかった。
私はベッドに寄りかかりながら、ぼ~~ってしていた。すると、チャイムが鳴った。あ、ひまわりだ。きっと聖君が家にいて、めちゃくちゃ喜ぶだろうな。それよりも、結婚することになったよ、なんて言ったら、ひまわり、どうなっちゃうのかな。
それからしばらくは静かだった。でも、バタバタと階段を駆け上る音がして、
「あれ?お姉ちゃん、なんで自分の部屋にいるの?聖君、下にいるのに!」
とひまわりが、私のドアを開けそう聞いてきた。
「おかえり、ひまわり。聖君がいて驚いた?」
「うん!今、聖君、お風呂入ってる。今日、泊まっていくんだって?」
「うん、そう」
「嬉しい~~~~!!!あ、お姉ちゃんはどうしたの?具合でも悪いの?」
「うん、ちょっとね、もう少し部屋で休んでるよ」
「そうなの?じゃ、私ご飯食べてくる~~」
ひまわりは元気いっぱいで、一階に下りていった。
あの調子じゃ、まだ赤ちゃんのことも結婚のことも聞かされてないな…。
ちょっと、胃がムカムカしてきたから、ベッドに横になった。
そうか。今、聖君、お風呂に入っているのか…。
ベッドでもまた、ぼ~~っとしていた。さっきまでここにいた聖君のオーラを感じると、胃のむかつきもおさまっていく。
ほんと、なんでいつもあんなに優しいのかな。
トントン、2階に軽やかに上がってくる足音がした。きっと、聖君だ。
「桃子ちゃん、あれ?どうした?」
「うん、ちょっと気持ちが悪かったから横になってた」
「大丈夫?」
「うん、もう平気」
聖君は、まだ髪が半渇きだった。
「今、風呂に入ってきちゃった。桃子ちゃんも入りに行く?」
「ううん、あとでシャワーだけ浴びる」
「そう?」
「暑くない?エアコンの温度下げる?」
「うん、大丈夫」
聖君はそう言うと、ベッドの横に座り、私の顔をじっと眺めた。
「何?」
「ううん、別になんでもないけど。あ、そうだ。ひまわりちゃん帰ってきたよ」
「うん、知ってる」
「ひまわりちゃんにはまだ、赤ちゃんのことも結婚の話もしてないけど、知ったらきっと、すごく驚くよね」
「うん、きっとね」
「妹になるんだもんな~~。なんか、嬉しいな」
「妹が3人だね」
「あ、じゃあ菜摘のお姉さんか」
「私?」
「うん」
「そ、そうなんだ」
「あはは。変な感じだね」
「じゃ、もし菜摘が葉君と結婚したら、聖君、葉君のお兄さんだね」
「げ!そうじゃん!それ、気づかなかったや」
聖君は本気で驚いた顔をしていた。
「俺、今日はここに布団敷いて寝たい気分」
「え?」
「駄目だよね?やっぱり」
「う、うん。多分ね」
「だよな~~」
聖君はベッドにもたれかかり、さらに私の顔の近くまで顔を近づけた。聖君からは、男物のシャンプーの匂いがした。父のシャンプーだ。父と同じ匂いなのに、聖君から匂うと、どうしてこうも爽やかに感じるんだろうか。
「でもさ、桃子ちゃんが寝るときまで、ここでこうしててもいいよね?」
「え?」
「ね?」
「うん」
なんだか、照れる…。
「ひまわりは、聖君と話がしたいだろうから、下に連れて行っちゃうかもよ?」
「今日は、悪いけど桃子ちゃんといるって言うよ、俺」
「…聞くかな。ひまわり」
「大丈夫だよ、きっと」
「独り占めにしてずるいって、また言われそう」
「ふ…。俺が今日は、桃子ちゃんを独り占めにしたいって言うからさ」
聖君は笑いながらそう言った。
あ、またそんなことを言うから、恥ずかしくなってきた。どうしたのかな、今日の聖君、ちょっといつもと違う気がする。
でも、そりゃそうか。妊娠だの結婚だの、いろんなことが一気に今日、起きたんだもんね。
「俺ね、今日、麦ちゃんのこと、駅まで送っていったじゃん」
「うん」
「あの時にさ、麦ちゃんが、桃子ちゃんと桐太って仲がいいの?って聞いてきてさ」
「え?」
「友達みたいだよって言ったら、男と女の友情なんて信じられないって言われたんだよね」
「……」
「でも、あの二人はなんだか、気が合ってるみたいだし、やっぱり仲のいい友達みたいだって言ったら、それは、どっちかが好きだからじゃないのかって言い出して」
「え?」
なんだ~?それは。
「桐太、桃子ちゃんのことをやけに気に入ってたし、あれってもしや、好きになってるってことなのかなとか、いきなり気になりだしちゃったんだよね、俺」
「麦さんにそう言われて?」
「うん。それで、もやもやしてたら、葉一が走ってきて、桃子ちゃんが店で倒れたって言うから、俺もう、気が動転したのなんのって」
「……」
そうだったんだ。
「まじで、すげえ焦った。なんで俺がいないときに、そんなことが起きてるんだって、俺、自分も責めたし」
「え?どうして?」
「気分が悪いってことも気づけなかったから」
「……」
そうか。そういえば、他のみんなは気づいたのに、聖君だけ気づかなかったんだっけ。
「ごめんね。桐太も憤慨してたけど、ほんと、そうだよね。あいつまで気がついてたのに、俺、桃子ちゃんの顔色悪いこと気づけなかった。情けないよね」
「ううん、そんなことない」
聖君、それでもしかして、自分責めてたのかな。
「俺、桃子ちゃんに会うの、すげえ楽しみだった。海がどんなに綺麗で最高だったかを、話したくてしょうがなかった。浮かれてたから、桃子ちゃんのこともちゃんと見れなかったんだよね」
「そうなの?」
「なんか俺って、最低だね。自分のことばっかりだ」
「ううん、そんな…」
「なのにさ、顔色が悪いことにも気づけないのに、俺に1番に話して!なんてえらそうなこと言ったよね?俺」
「ううん」
「……まじで、ごめんね?」
「……」
聖君。本当に落ち込んじゃってるの?顔がさっきから沈んじゃってるよ。
「桐太に桃子ちゃんのこと、取られたんじゃないかとも思った。ほら、麦ちゃんが変なこと言ったあとだったしさ」
「う、うん」
聖君はうつむき加減になり、ちょっと照れながら、
「自分でも情けない。桐太に取られたと思い込んだときの俺って、すげえ動揺しちゃってたしさ」
と言って、さらに頭を下げてしまった。
「でも、あんときまじで、桃子ちゃんを失っちゃうんじゃないかって思って、なんかもう、この世の終わりなんじゃないかって思ったよ」
「え?それはおおげさだよ、聖君」
「おおげさじゃない。俺、本当に桃子ちゃんが俺から離れていったら、どうにかなっちゃうよ」
聖君は顔を上げ、私の顔を見た。真剣な目で、私を見ている。
「私も」
「え?」
「私も同じ」
「俺が離れていったら、どうにかなっちゃう?」
「うん」
「……」
聖君は目を細めて、私の手をぎゅって握ってきた。
「離れないから」
「え?」
「俺、桃子ちゃんのそばから、離れたりしないから。絶対に」
「うん」
聖君は、優しい目になると、
「桃子ちゃんも、俺が離れていくかもしれないって思って、苦しい思いしちゃったんだよね?」
と、そう聞いてきた。
「うん、すごくすごく怖かったよ」
「…じゃ、似たもの同士か」
「え?」
「お互い、離れていくんじゃないかって、あの時そう勝手に思って、苦しんじゃってたんだから」
「そうだね」
「はは。馬鹿だね、俺ら」
「うん」
「バカップルだよな~~。ほんと…」
聖君は頭を掻きながら、つぶやいた。
「聖君、好きだよ」
ちょっと情けないって表情をしている聖君を見て、私は思わずそう言った。
「うん。俺も」
聖君は優しく微笑み、そう言うと、優しくキスをしてきた。
ドタドタドタ!けたたましい足音がして、
「お姉ちゃん!」
とひまわりが部屋に入ってきた。あ、これはきっと、話を聞いた顔だな。真っ赤になり、驚きと喜びが混ざり合っている。
「けけけけけ」
ひまわりは口が回らないようで、一回つばをゴクンと飲み込んでから、
「結婚するの?」
と、目を丸くして聞いてきた。
「あ、あはははは!ひまわりちゃん、妖怪にでもなっちゃったかと思った」
聖君はそう言って、お腹を抱えて笑い出した。
「妖怪?」
私が聞くと、
「だって、けけけけって突然おたけびをあげるからさ、あははは」
とまだ、聖君は笑っている。
ひまわりは聖君のすぐ横に座ってきて、
「まじめに聞いてるの!聖君とお姉ちゃん、結婚するの?それに赤ちゃんがいるって本当なの?!」
と、ものすごく真剣な顔で聞いてきた。
「うん、そうだよ」
聖君は笑うのをやめて、そう穏やかに答えた。
「う、うっそ~~~~。うそだ~~~!」
ひまわりはのけぞった。
「え?なんでうそ?」
聖君の方が、目を点にした。
「私だって知ってるよ。どうやったら赤ちゃんができるかくらい」
ひまわりはそう言うと、私と聖君を交互に見てから、
「まさか、お姉ちゃんと聖君が、そんなことをしたなんて、思えないもん。うそでしょう?」
と、疑った目で言ってきた。
「うそって…、なんのためにそんなうそ、つかなくっちゃならないんだよ」
聖君は聞いた。
「みんなして、私を騙してるとか。今日エイプリルフールみたいに、うそついていい日とか。それか、ドッキリ?」
「…」
聖君はちょっと黙ってから、
「ブフッ!おもしれ!ここの姉妹って」
と、ふきだした。
「でもね、ひまわりちゃん。これ、まじな話なんだ。桃子ちゃん、つわりで気分が優れないんだよ」
聖君はまた、穏やかにそう言った。ひまわりは目を丸くしたまま、黙り込み、また私と聖君を交互に見た。
「うそ」
そうつぶやいたあと、ちょっと顔を赤らめ、
「お姉ちゃんって、もうそんな大人なの?」
とひまわりは聞いてきた。
「え?」
そんなことを言われ、私まで赤くなってしまった。
「お母さんに聞いたの?ひまわりちゃん」
「ううん、お父さんから。下でお父さん今、お風呂からあがってビール飲んでて。すんごい上機嫌で」
「あはは、上機嫌なんだ」
聖君が笑った。
「お父さん、そんなことになったら、絶対に反対するかと思ってた。だから、そんなときには私が、味方になるんだって思ってたけど、お父さん、二人の結婚、大賛成なんだね。びっくりしちゃった」
「そうなんだよね」
聖君がにこって微笑んだ。
「あ、それもあって、みんなして私のことからかってるのかなって」
「お父さんまでぐるになって?」
「うん」
「あはは。その発想の方が、面白いって」
聖君がまた、笑った。
「そんなことないよ。お姉ちゃんが妊娠するとか、お父さんが結婚に賛成することの方が、地球がひっくり返るくらい、すごいことだってば!」
ひまわりは興奮していた。
「そうか。そう言われたら、そうかもね」
聖君は、ひまわりの言うことに、うなづいていた。
確かに、この展開は私だって、どこか信じられないくらい、すごい展開だよなって思ってるけど。
「ひまわりちゃんは、こうなって嬉しい?それとも嫌?」
聖君が聞いた。
「う、嬉しいに決まってるじゃん!」
ひまわりは頬を赤くさせ、そう言った。
「だって、お兄ちゃんになるってことでしょ?杏樹ちゃんとだって、姉妹になるんでしょ?」
「うん、そういうことになるのかな?」
「嬉しい~~!だって私ずっとそれを、願ってたんだもん。叶ったよ~~~」
「うん、まだだけど、叶うよ。すぐにね」
聖君はそう言って、また目を細めて笑うと、
「なんかみんなの願いが、ここで一気に叶ってるって、そんな感じだね」
と、そんなことを嬉しそうに言った。
「聖君、下のリビングに行って、もっと話を聞かせてよ」
ひまわりがそう、せっついた。
「ごめん、桃子ちゃん気分が悪いみたいだから、今日はここで桃子ちゃんと二人でいるよ」
「え?そうなの?」
ひまわりは少しがっかりした顔をしたけど、
「うん、わかった。お姉ちゃんも聖君がそばにいた方が、安心するもんね」
とそう言って、下に下りていった。
「さすが、ひまわりちゃん、お姉ちゃん思いだね」
聖君はひまわりが下に下りていくと、そんなことを言った。
「うん。ひまわりって、本当は優しい子なんだ」
私がそう言うと、
「桃子ちゃんがひまわりちゃんのことを、大事にしてるからだよ、きっと」
と私を優しく見て、聖君はそう言った。
私は聖君をじっと見た。
「ん?」
「本当に聖君がそばにいると、安心する」
「じゃ、寝るまでこうしてるけど、あ、シャワー浴びてくるんだっけ?」
「あ、うん。ちょっと気分も良くなったからシャワー浴びてくるね」
「俺も一緒に入ろうか?」
「え?」
「中で気分が悪くなっても大変だし」
「大丈夫だよ、もう!エッチ」
「え?なんでエッチ?俺、まじで心配してたのにさ」
聖君はそう言うと、口を尖らせ、すねてしまった。
私は聖君と一階に下り、それから一人でバスルームに向かった。
「聖君、こっちに座って、一緒に酒でも飲むか」
父の声がダイニングから聞こえた。
「まだ、聖君は未成年なのよ、お父さん」
母の声も聞こえた。
「聖君、お姉ちゃん、お風呂でしょ?その間はここにいる?」
ひまわりが嬉々として、そう聞いた。
「うん」
聖君の声も聞こえた。
それから私はバスルームに入った。シャワーを流し、体を洗いながら、お腹を見てみた。
まだまだ膨らんでもいないお腹。ここに命が宿ってるんだ。
そう思うと、なんだか涙がこみ上げてきた。
来年には生まれるんだ。赤ちゃん。ああ、信じられない。
ふわふわした気持ちのまま、シャワーを浴び、髪を洗い、出てから髪を乾かしていると、そのドライヤーの音を聞いたからか、誰かがドアをノックした。
ドアを開けると、聖君で、
「大丈夫だった?」
と心配そうに聞いてきた。
あ、本気で心配してたんだな。
「うん、大丈夫だよ」
「じゃ、部屋行こうよ。髪乾かしてあげるし」
「え?」
「行こう」
「うん」
聖君と2階にあがろうとした。ダイニングからは、父と母とひまわりの話し声が聞こえた。それから、ひまわりが、
「お姉ちゃん、聖君、おやすみ~~」
と、こっちを見て、手を振った。
「あ、おやすみ、ひまわりちゃん」
と、聖君は言ってから、
「あ、俺2階では寝ないって」
と付け加えた。
するとひまわりが、
「え?もうお姉ちゃんの部屋で寝たら?」
と言い出し、横にいた父までが、
「それもそうだな」
と言い出していた。
「じゃ、聖君、客間の布団を運んでくれる?ベッドの横に敷けるでしょ?」
母までがそう言う。
「はい」
聖君はまた、上がってきた階段を下りていき、
「あ、桃子ちゃんは先に部屋行っててね」
と私にそう言った。
え。うそ。いいの?私の部屋で本当に寝るの?
母や父の顔を見たけど、相変わらずの上機嫌の様子で、二人してお酒を飲んでいる。
きっと酔ってるから、気も大きくなってるに違いない。
私はそのまま、2階に上がって部屋に入った。それからベッドに座り、
「なんか、信じられないことばかりだ」
と、ぼ~~っとしながらつぶやいた。