第115話 彼の存在
家に到着した。いきなり心臓がばくばくしだした。聖君は?横を見たら、私を優しく見ていた。
「俺がいるからね」
「え?」
「大丈夫だからね」
「うん」
私、緊張してるのが、きっと顔に出ちゃってるんだ。
ピンポン…。チャイムの音がいつもより、大きく感じる。ドキドキ…。心臓の鼓動が早くなる。
すると、聖君がぎゅって手を握ってくれた。あ、なんだか私の気持ち、全部お見通しなんだ。
「は~い」
母が玄関を元気に開けた。
「聖君!久しぶりね。わ!真っ黒。合宿に行ってたんだっけ?」
「あ!!!」
聖君は、いきなり大きな声を出し、私も母も驚いてしまった。
「すみません、お土産あったんです。すっかり忘れてきました」
とそう言うと、頭をぼりって掻いた。
「いいの、いいの。それよりもお父さんもいるし、あがってお茶していってよ」
「はい」
聖君の顔が、いきなりまじめな顔つきに変わった。あ、聖君も緊張してるんだ。
リビングに行くと、父が釣りの雑誌を見ながら、優雅にコーヒーを飲んでいるところだった。
「やあ、聖君。真っ黒に日焼けしたね」
「はい」
「まあ、立ってるのもなんだし、そこに座って」
聖君は父に言われ、ソファーに腰掛けた。私も聖君の横に座った。
「今、お茶持って来るわね」
母はそう言うと、冷たい麦茶を持ってリビングに来た。
「桃子、そういえば、体調どう?朝、顔色悪かったけど、今も青いわね」
母が私のまん前に座って、そう聞いてきた。
「う、うん。貧血で聖君の家で倒れちゃった。それで、聖君、お店のバイトをお父さんに代わってもらって、車で送ってくれたんだけど」
「え?!倒れた?」
父が、すごく驚いた。
「だ、大丈夫なのか?」
「うん」
「大丈夫じゃないわよ。ずっと最近調子悪いじゃない。一回病院行って診てもらったほうがいいわよ?」
母にそう言われ、困っていると、聖君が、
「あの…、お話があるんです」
と、いきなり切り出した。
「話?」
「はい。それから桃子ちゃん、病院にいったほうがいいと思うので」
「え?」
父も母も、いったいなんの話なんだって顔で、聖君を見た。
「実は…、今日桃子ちゃんが倒れて、それでうちの母が、桃子ちゃんにいろいろと症状を聞いて、それで」
「うん」
母は、身を乗り出した。父はその逆で、無言でソファーに深く腰掛けたまま、まゆをひそめている。
聖君は、一瞬黙り込んだ。なんて切り出そうか考えているようだ。
「それで…?まさか、何か悪い病気の症状とか、そういうのじゃないでしょうね」
母が顔を暗くしてそう聞いた。父はそれを聞き、びくってなっていた。
「いえ、そうじゃなくて」
聖君は、手を顔のまん前で左右に振りながら、そう答えた。そしてその手を、頭に持っていき、ボリッて掻くと、
「母が桃子ちゃんに検査薬を渡して、それで」
と、言いにくそうに話し出した。
「検査…薬?」
父が表情を固まらせたまま聞いた。
「妊娠検査薬です。それで、陽性だったんです」
「え?!」
母が目をまんまるくして、驚いていた。その横で父は言葉を失っていた。
「つ、つまり、桃子、妊娠してるってこと?」
母が言葉を詰まらせながらそう聞いた。
「はい」
「…聖君の子…よね?もちろん」
「はい」
母の言葉に聖君は、大きくうなづいた。
「……」
母は目をまだ、真ん丸くさせていた。父は、うつむき、はあってため息をした。
「それで、俺も、うちの両親も、赤ちゃんを産んでほしいって、そう思っています」
「え?」
母は、さらに身を乗り出し、聖君に聞き返した。
「結婚して、一緒に住もうと思っています」
「待って!聖君、あなた何を言ってるかわかってるの?」
母がいきなり大声を出した。
「え?」
今度は聖君のほうが驚いてしまった。
「桃子は、高校生なの。結婚だってまだできないし、母親になれるわけがないでしょう?これから卒業なのよ。そうしたら、専門学校にも行くのよ?ここで人生を狂わせるわけにはいかないわ」
「……」
私も、そして聖君も黙って母を見ていた。母だったらきっと、賛成してくれると期待していたから、母の言葉は衝撃的だった。
ガク…。いけない、いきなり力が抜けていく。目の前も暗くなっていく。
「それ、おろせっていうことですか?」
聖君は声を低くしてそう聞いた。
「あなただって、まだ大学1年よ。仕事もしてないのに、どうやって暮らしていけるのよ」
「うちに一緒に住んだらいいと、母も父も言ってくれています。店のバイトも続けるし、そこから生活費は出します。しばらくは、両親の世話になっちゃいますが、働いたらそれは、返していきたいって思っています」
聖君は、まっすぐ母を見ながら、そう答えた。
「バ、バイト?そんなので、やっていけると思ってるの?」
「…思っていません。だから、そうとう両親には迷惑をかけてしまうと思っています」
「そうよ。だってあなたも、桃子もまだ、子供なのよ?」
「え?」
聖君が、まゆをひそめた。
「でも、もう法律的にも結婚は」
「法律がなんだって言うの?まだ、桃子は子供なの!子供が子供を産んでどうやって育てるの?」
母はものすごく興奮していた。私はショックで、声も出なかった。
「お母さん」
父がやっと、声を発した。
「お父さんも言ってやって!聖君、あまりにも考えが甘いって」
「お母さん、落ち着きなさい」
「落ち着いてるわよ」
「いや、今、君のほうが言ってることをわかっていないよ」
「何?何を言ってるの、お父さん!」
「聖君の言っていたことを、ちゃんと理解したか?」
「え?!」
「聖君のご両親は、援助をしてくれると言ってるんだ。桃子と、赤ちゃんのこともちゃんと、受け入れてくれようとしている」
「そ、そんなの…」
「まあ、落ち着いて聞きなさい。さっき、聖君が君に聞いたよね?赤ちゃんをおろせって言うことですかって」
「……」
母は黙った。
「そういうことなのかな?君が望んでいるのは」
「だって、今のこの時期に産むなんて、絶対に無理がある」
「絶対に?なんでそう言い切れる?じゃ、何を根拠に無理だって決め付けているんだ?」
「何をって、お父さん、桃子は、高校生なのよ」
「そうだな。妊娠してると学校に知れたら、退学かもしれないな」
「そうよ!」
「だから?」
「あなた、桃子の将来が不安じゃないの?高校も出ていなかったら、どこで働くの?」
「働く?まあ、いずれ働くときが来るのかもしれないが、そんな先のことじゃなく、今のことを見なさい」
「だから!今を見てるわよ。まだ、桃子は高校生なの」
「高校を退学になったとする。聖君とはもう籍も入れられる年齢だ。それから、来年赤ちゃんが生まれる。桃子も赤ちゃんも、聖君の家で、一緒に暮らす。聖君は大学に行きながら、お店でバイトをして、家に生活費を入れる。でも、それも大学を卒業するまでだ」
父の声はものすごく、冷静だった。
「卒業後、働き出し、それまでご両親に出していてもらった分まで、返すこともできるようになる」
「そ、そんなあなた、考えが甘すぎるわよ。それに、桃子は?桃子の将来はどうなるの?」
「桃子は、聖君と結婚をして、子供を産んで、幸せに暮らす。それが悪いことか?」
「あなた!まだ、桃子は17…」
「そうだ。確かに結婚するのも母親になるのも早い年齢だ。ちょっとばかしな」
「ちょっとじゃないわよ」
「じゃあ、君が言う、ちょうどいい年齢って言うのは何歳だ?今、お腹の中にいる命を奪ってでも、大事な未来っていうのは、あると言うのかい?」
「命を奪うって…、だって、桃子の」
「桃子は、確かに料理の学校に行きたがっていた。だけど、それは高校卒業してすぐじゃないと、叶えられないことではないはずだ。子育てが終わってからだって、できることだよ」
「そんな先?」
「なぜ、そんな先だって言うんだ。第一、桃子が1番に望んでいることを、君は知らないのか」
「桃子が?」
父は私の顔を見て、
「桃子は、聖君のそばにいることが、1番の望みじゃないのか?結婚して、聖君のお母さんのしているカフェで一緒に働いて、そんなことを夢見ていたんじゃないのか?」
「な、なんで知ってるの?お父さん」
「なんとなくだよ。でも、それが桃子のしたかったことなら、それが叶うわけだろう?」
私はコクンとうなづいた。
「お母さん、君が言っているのは、世間一般の常識だ」
父はまた、母を見ながら冷静に話をしだした。
「だけど、もっと桃子が望むことを、ちゃんと受け止めていってあげようよ」
ボロボロ…!涙がいきなりこぼれた。それを聖君も、そして父も母も見逃さなかった。
ヒック…。私が泣き出すと、
「桃子、お父さんが君に望んでいることはね、ただ、君が幸せになることなんだよ」
と、父はすごく優しい声で話し出した。
「だからね、桃子が幸せになるためなら、どんな援助もしたいと思うし、助けになりたいと思っているよ」
「え?」
「聖君のご両親もきっと、同じ気持ちだろう。子供の幸せを願わない親はいないし、そのために助けになることを、していきたいって思うのが親だ」
父は今度は聖君の方を見た。
「聖君には、もう前に、桃子を頼んだよと言ったね?」
「はい」
聖君は真剣な顔で、父の顔を見た。
「もう一回、ここでお願いするよ。桃子と、桃子の子供を、よろしく頼んだよ」
「はい」
聖君は、深くうなづいた。
「桃子、お母さんだってあなたの幸せが1番なのよ」
母が涙を浮かべながらそう言って、
「お父さん、嫌だ。これじゃ、私ばかりが敵じゃないの」
とお父さんの肩を、ぽんとたたいた。
「少しは冷静に考えられたか?」
父はまた、穏やかに母にそう言った。
「そうね。桃子が望むことが1番ね。それを応援したり、助けたりするのが親の役目よね」
母はそう言うと、私の方を向き、
「お母さんも味方よ。これからどんなことがあっても、味方でいるから安心して」
と、いきなり力強い目で、そう言ってくれた。
「う、うん」
私はうなづきながらまた、涙をぼろぼろと流した。
聖君はそんな私を優しく見て、手をぎゅって握ってくれた。
「聖君は、覚悟があるのね?」
母が今度は聖君に聞いた。
「はい、あります」
「あなたの年齢なら、まだまだ遊びたいでしょうし、いきなり家庭や家族を持つって、並大抵のことじゃないことなのよ?」
「はい」
「途中で投げ出せないことなのよ?」
「はい」
聖君は何度も、真剣な顔でうなづいた。
「そう」
母は、そんな聖君を見て、ほっとしてソファーに深く座りなおした。
「安心した」
と、ほっとため息をついたのは、母ではなく父だった。
「え?」
聖君がちょっと驚いていた。
「ああ、いや…。はは、桃子が具合が悪いと聞いてね、悪い病気かと思ってしまって」
父がそうぽつりと言った。
「あ…」
そっちの方の安心か。聖君も同じように思ったのか、納得したようにうなづいていた。
「桃子は、生まれてすぐ、保育器に入っていた。ああ、聖君には話したね?体も弱くって、どうにか無事に育ってくれって、本当に何度もそう願ったことがあったからね」
「……」
父の言葉一つ一つに私は、胸が痛くなり、また涙が出てきた。
「だらかかな、体の調子が悪いということに、敏感に反応してしまったよ。でも、病気じゃなくてよかった」
父はそう言うと、ふう~~と大きく息を吐き、
「さて、これからのことを考えないとならないね。今度、聖君のご両親に会いに行ってもいいかな?」
と聖君に聞いた。
「はい、もちろんです」
聖君が、そう元気よく答えた。聖君の目が、いきなり輝きだしたのがわかった。
「はは、聖君は、今回のことも、すごく前向きに考えてるんじゃないかい?」
「え?」
「今の目を見て、そう感じたよ」
「はい。ものすごく前向きに考えてます。っていうか、すごく嬉しいことだって思っています」
「嬉しいこと?」
母が驚いてそう聞いた。
「俺、まじで、桃子ちゃんとは結婚するつもりでいたし、家族も早くに持ちたいって真剣にそう考えていたし」
「そうなの?」
母が驚いて目を丸くした。
「だから、すごくそれが叶うのが嬉しいんです」
「まあ、びっくりだわ」
母はまだ、目を丸くさせていた。
「聖君の年なら、まだまだ遊びたいとか、これから先、いろんなことをしていきたいって思ってると思ったわ」
「いろんなことはしていきます。でも、それって、家族がいてもできることだし、家族と一緒にできることですよね?」
「え?」
「俺の父も、すごく若いうちに結婚して父親になりました。俺、小さい頃から本当に、父さんとサッカーしたり、海で泳いだり、家族で旅行とか行ったり、いろんなことしたんですよね」
「……」
父も母も黙って聞いていた。
「父さんは、家族がいることをすごく喜んでいたし、俺ら、あ、俺と杏樹のことですけど、すごく大事にしてくれたし、家族がいるからこそ、いろんな経験ができたよって、そんな話を前にしたことがあるんです」
「……」
まだ、父も母も黙っていた。
「だから、母と結婚したことも、俺の父親になったことも、後悔したことはないって言ってました」
「…そう」
母はそれを聞き、すごく穏やかな顔でうなづいた。
「俺、前に生まれてきたこととか、父と血がつながっていないのに親子でいることとか、そういうのを、否定していたことがあって」
「え?」
父も母も、聖君の顔を凝視した。
「でも、父がそう言ってくれたから、今は否定していません。それよりも、俺は生まれてきてよかったんだってそう思ってます」
「…」
「俺が生まれたことがもう、父や母を幸せにしていたんだって、そう感じたから、俺の命って、けっこうすげえんだなって」
「あはは、けっこうすごいどころじゃないだろう?聖君の命も存在も、大事なすごく重みのある、すばらしいものだよ」
父がそう笑いながら言った。
「君は、いることで桃子を幸せにしている。桃子だけじゃない。聖君の家族もだし、うちの家族もだ」
「え?」
聖君は、ちょっと驚いた表情をした。
「特にね、僕はなんていうのかな。君がまるで息子か何かのような、そんな気にもなっている。特別な存在なんだよ、もうね」
父の言う言葉に、聖君は相当驚いたようだ。
「そ、そうなんですか?」
聖君の声が、震えていた。あ、目が潤んでる。
「ああ、本心だ。はは…。桃子と結婚したら、本当に親子になるんだな。君が今の状況は嬉しいことだと言っていたが、僕にとっても嬉しいことだ」
「す…」
聖君は言葉を詰まらせた。一回深呼吸をすると、目を輝かせ、
「すげえ」
と、つぶやいた。
「え?」
父がその言葉で、聖君を顔を見ると、
「すごく嬉しいです。俺、今、すごく感動しちゃって」
聖君の目は真っ赤だ。でも、次の瞬間、くしゃって目を細めて嬉しそうに笑った。
「あ、うちの家族も、桃子ちゃんが大好きなんです」
いきなり聖君はそう言うと、また嬉しそうな顔をしながら、
「だから、桃子ちゃんと俺が結婚するの、大大大賛成なんです」
とそう、さわやかに言った。
私は、涙をずっと流していた。父の顔も聖君の顔も涙でぼやけているのに、すごくきらきらとまぶしかった。
ううん、その空間すべてが、輝いて見えた。あったかくって、やわらかくって、きれいな光に包まれているような感じがしていた。
私の家族も、聖君の家族も、そして聖君もあったかい。
なんて私は幸せなんだろう。でも、こういう絆や、あったかさを創ってくれたのは、聖君なんじゃないかって、そんなことを感じていた。
聖君が私と父の絆を深めてくれて、それに、聖君自身も、父と絆を深めてくれた。
私を聖君の家族の中に、迎え入れてくれたのも聖君だ。聖君がいたからこその、幸せなんだ。
そう思うと、胸がいっぱいで、聖君の嬉しそうな笑顔がさらに、輝いて見える。それに、いとしくてしょうがない。
聖君が好き。大好き。きっと前よりも、さらにさらに好きになってる。
私の手をぎゅって握ってくれてる、聖君の手を、私もぎゅって握り返した。すると聖君は私を見て、優しく微笑んだ。
その笑顔で、また私はあったかい空気に包まれる。
聖君の隣は、いつでもあったかい。そして聖君の周りは、いつでもあったかい空気になる。
父の言っていた言葉、本当だよねって思っていた。聖君の命も存在も、ものすごく大きくて、大事。ここに聖君がいてくれることも、聖君が存在してくれてることも、何もかもに私は感謝せずにはいられなかった。