第114話 彼が望んでいたこと
聖君がリビングに来て、私を支えながら車まで連れて行ってくれた。
「聖、安全運転な」
聖君のお父さんがそう言うと、聖君は親指をたて、任せろって顔をした。
車に乗ると、
「シートベルトして、大丈夫?」
と聞いてきた。
「うん、大丈夫」
私がシートベルトを締めようとすると、聖君が手伝ってくれた。
聖君は車を発進させ、
「もし、気持ち悪くなったらすぐに言ってね」
と、優しく言ってくれた。
優しい。本当に優しい。その優しさに触れ、泣きそうになった。
聖君のお父さんといい、お母さんといい、本当に優しいしあったかい。聖君のこの優しさは二人から受け継がれてるものなんだな。
「桃子ちゃんのお父さん、怒るだろうな」
「え?」
「なにしろ沖縄に連れて行くって言っただけで、あんなに怒っちゃったし」
「うん」
「お母さんはどうかな?」
「お母さんならきっと、大丈夫」
「そっか」
聖君はしばらく黙って運転していた。
「ごめんね」
「え?何が?」
「だって、聖君にいっぱい迷惑かける」
「へ?何それ」
「聖君、受験もやっと終わって、これからいっぱい海に潜りに行ったり、大学生活を満喫しようとしていたときだったのに」
「はは…。そういうこと」
聖君が目を細めて笑った。
「そうだな~~。でも、赤ちゃんが生まれるのも、桃子ちゃんと暮らせるのも、すげえ嬉しいからな~~」
聖君は、にやけながらそう言った。
本当に?と聞こうとしたけど、あまりにもにやけているから、本心なんだなってそう思い、聞くのをやめた。
「桃子ちゃんのほうこそ、高校、もしやめることになったら、友達と高校生活を卒業まで過ごすってこともできなくなるし、それに、しばらくの間、料理の学校だって行けなくなるかもしれないよ?」
「うん」
「桃子ちゃんのほうが、いろんな意味で、生活も変わるし、自由もなくなるかもしれない。やりたいこともできなくなるしさ」
「そんなことない。料理の学校行かなくても、調理師の免許は取れるみたいだし」
「あ、そうだよね。母さんも独学で取ってたよ」
「そうなの?」
「うん。料理の学校って言うか、先生にしばらく習いに行ってたときあったみたいだよ。もうお店の手伝いをしていたときだったって前に聞いたことある」
「そうなんだ」
「まだ、ばあちゃんが店を経営してたときにね」
「じゃあ、私もいつでも行けるんだ」
「うん、そうだね」
そうか。じゃ、赤ちゃん生まれて、しばらくして落ち着いてからだって…。
赤ちゃん。私は、お腹を触ってみた。もう、ここに命があるんだ。すごく不思議で神秘的な気持ちになってきた。
それも、大好きな聖君の子だ。
わ。それって、ものすごく嬉しいことなんじゃないのかな。
それに、聖君と暮らせるんだ。あれ?籍を入れて結婚ってことになったら、一緒に暮らすどころか、一緒の部屋で過ごすのかな。
朝起きたときから、隣には聖君がいる。
卒業したらうちに来ない?って言われて空想したのは、別々の部屋に住んでいる私と聖君だ。朝起きて、洗面所で会ったりして、聖君に、
「おはよう」
ってさわやかに挨拶されて、朝から聖君を見れる。
それから、一緒に朝食食べたり、夜も一緒にご飯を食べて、寝るときには聖君に、
「おやすみ」
って言って寝る。そんな生活。
だけど、結婚だったら、一緒の部屋に暮らすなら、朝起きたときには隣に寝てるんだ。寝ぼけた顔の聖君だったり、寝顔だったりを見れるんだ。
それに夜は、聖君のぬくもりをいっぱい感じながら寝れるんだ。
わ~~~~~~。
あ、赤ちゃんが生まれたらそうはいかないのかな。でも、一緒の部屋で過ごせるのかな。
「…こちゃん」
すごい。そんな生活…。
「桃子ちゃん」
「え?」
「聞いてた?」
「何?」
「やっぱり、聞いてなかった」
「ごめん」
「いきなりそっぽ向いて、黙り込んでいたからさ。もしかして不安になったり、怖くなってるのかなって思って」
「何が?」
「いや、だからこれからのこと」
「あ…」
「え?」
顔が一気に赤くなってしまった。
「あれ?なんか照れてる?」
聖君がちらりとこっちを見て、聞いてきた。
「ごめん、今ずっと妄想してた」
「妄想?」
「聖君と結婚したら、どんな暮らしになるのかなって妄想」
「なんだよ?それ~~~」
聖君はちょっと口を尖らせた。
「俺、今まじで、桃子ちゃんのこと心配したのにさ」
「ごめん」
「で、どんな妄想?」
「え?」
「妄想だよ。言ってみ?」
聖君は、意地悪そうにそう言った。
「う…。あのね」
「うん」
「…朝起きたら、隣に聖君が寝てたりして、寝顔とか見れるのかな~~とか」
「うん」
「夜寝るときは、聖君のぬくもりに包まれて寝れるのかな~~とか」
「もうエッチ」
聖君はちらりと私を見て、ちょっとにやついてそう言った。
「ち、違うよ!そういう妄想はしてないよ」
「あ、そっか。赤ちゃんがいるとできないのかな?」
「え?」
「ぶふ!」
いきなり、聖君がふきだした。
「あはは。な~~んだ。桃子ちゃんもそんなこと妄想して、浮かれてるんじゃん、一緒だ」
「え?」
「俺もだから!だから、さっきからずっとにやけっぱなし。でも、桃子ちゃんがちょっと深刻になっているからさ、にやけてたら駄目だよなって思ってさ」
「…、気づいてたよ、にやけてるの」
「え?まじで?」
聖君はまた、思い切りにやけた。
「ああ、やばい。嬉しい」
「え?」
「まじで、嬉しい、俺」
「……」
本当に嬉しそうだ。顔がピンク色に染まってるし。
「桃子ちゃんと、まじで俺、一緒にいたかったんだな~って、さっきから思い切り感じてるんだ」
「え?」
「すぐそばにいてほしいって、痛切に願ってたことだったんだなって。それが叶うから、まじで嬉しい」
「ほんと?」
「信じられない?」
「ううん」
そんな嬉しそうな顔されたら、絶対に疑いたくても疑うことができないくらいだ。
「俺がもしかして、叶えちゃったのかな」
「え?」
「あ!でもあれだよ、赤ちゃんがほしいからってあの時、抱いたわけじゃないからね」
「うん」
「ちょっとその辺はびっくりしてる。でも、そういうこともあるんだな」
「何?その辺って」
「避妊、ちゃんとあの日もしてたんだけど、俺」
「え?」
「一応ね、桃子ちゃんと会う日は、いきなり桃子ちゃんに迫られてもいいように、持ち歩いてたし」
「せ、迫る?」
私がびっくりすると、
「あはは。うそうそ。いきなり俺が狼になってもいいようにってのが、本当」
と言って、聖君は目を細めた。
「それでも、赤ちゃんってできちゃうのか。これ、やっぱり俺が相当、潜在意識の中で願ってたことなのかもな」
「…願ってた?」
「最近特にね。店が混んだりしてさ。ちょっときつかったこともあったし」
「女の子たちのこと?」
「ああ、それもある。受験もそうかな」
「受験も?」
「俺、けっこう見た目よりも、繊細かも。受験のときも、腹壊したりさ。プレッシャーや、ストレスに弱いみたいだ」
「うそ」
「あ、やっぱりそう見えなかった?」
「うん」
「はは。やっぱね。俺だってそう思ってなかったし」
「…」
ちょっと信じられないな。
「あの時も、桃子ちゃんの存在はでかかった。会えるだけで、まじでパワーもらえてた。桃子ちゃんの隣が俺の居場所だって、何度もそう思った」
「え?」
「だから、桃子ちゃんのすぐそばにいたいって、ずっと思ってた」
び、びっくりだ。そんなことを思ってたの?
私は聖君が大学に行っちゃって、どんどん聖君が離れていくようなそんなことも感じていたときがあった。それが不安で、置いてかれたらどうしようかって思ってた。
私がそんなに聖君にパワーをあげていたの?それも驚きだ。
私が、聖君にとって、そんなに大きな存在になっていただなんて!
「桃子ちゃん、何?」
「え?」
「すげえ、目、丸くして、俺のこと見てるから、なんかびっくりしてる?」
「うん」
「何に?あ、こいつなんて情けないやつだって、呆れてたとか?」
「違うよ。私が聖君にとって、そんなに大きな存在になってるのかなって、今、驚いてたところ」
「…。それ、ずっと俺、言ってなかったっけ?」
「え?」
「すげえ好きだとか、大事だとかさ」
「……」
「あ、信じてなかった?」
「ううん。でも、どっかでどんどん聖君の世界は広がっていって、私、置いていかれるんじゃないかって思ってたかもしれない」
「桃子ちゃんを置いていく?俺が?」
「うん」
「置いていってどこに俺が行くの?桃子ちゃんの隣が俺の居場所なのに?」
「……」
それ、それも驚きだ。
「あ、また目がまんまるくなってる。今、驚いてる?」
私は黙って、大きくうなづいた。
「はは!まったくもう、俺にめちゃくちゃ愛されちゃってる自覚なかったんだね、桃子ちゃん」
「……」
「だから、赤ちゃんができたかもしれないってことも、話せなかったんだ」
「うん、ごめんね」
「いいけどさ。ただ、もう一人で苦しんだり、悩んだりするのは本当に無しだよ」
「うん」
「それ、一番俺が傷つくことだから」
「え?」
「それが一番、俺、こたえるからさ。頼んだよ、まじで」
「うん」
聖君の顔は真剣そのものだった。私の悩んでいる内容よりも、私が一人で悩んじゃうことのほうが、聖君にはつらいんだ。
「ごめんね」
もう一回謝った。聖君は信号待ちのときに、ぎゅって私の手を握り締めた。そして、すごく優しい表情になり、
「さ、もうすぐ着くね。心の準備はOK?」
と聞いてきた。
「え?うん」
本当はドキドキしてる。でも、聖君がいてくれるから、どこかで安心してる。
聖君は、にこって微笑むと、握っていた手を外して、運転しだした。その横顔は、すごく涼しくって、穏やかだった。