第113話 突然の幸運
聖君は、まだコーヒーを飲んでいる途中のお父さんを、リビングにひっぱってきた。
「ああ。なんでコーヒーカップまで、持って来るんだよ。大事な話があるのに」
「え?そうだったのか?お前、こっちに来て来てとしか言わないから。あ、そんなにひっぱるな、コーヒーこぼれる」
お父さんがそう言うと、聖君はお父さんの腕をひっぱるのをやめた。
聖君のお父さんが、リビングのテーブルにカップを置き、
「さて、大事な話っていうのは何?」
と、テーブルの前にどっかりと座り込み、聖君に聞いた。
「うん、実は…」
聖君も、その場に座り、お母さんもその横に座った。
私も慌てて、ソファーに座ろうとすると、
「あ、桃子ちゃん、いいんだよ、横になってて」
と聖君がそう言ってきた。
「大丈夫」
私がそう言って、体を起こすと、
「じゃ、俺が隣に座るから、よっかかってていいよ」
と聖君が私の横に座った。
フワ…。聖君のあったかさに一気に包まれた。聖君は、私の手を握り締め、一回私を見た。
「気分、大丈夫?」
「うん」
私がそう答えると、聖君のお父さんは、
「桃子ちゃん、具合悪いの?」
と聞いてきた。
「あ、はい。でも、だいぶ良くなりました」
「精神的なものもあったんじゃない?」
聖君のお母さんにそう言われた。そうかもしれない。さっき、聖君が喜んだ瞬間、頭がくらくらするのも、胸の苦しみも消えたから。
「父さんも母さんも聞いて。あ、そうか。母さんはもう知ってるよね」
「何?くるみが知ってることで、俺が知らないこと?」
「いや、えっと。母さんはその場にいたから、知ってるって言うか」
「何?くるみ」
「だから、父さん、これから話すからさ」
「あ、ああ」
聖君のお父さんは、聖君にそう言われて、静かに座りなおした。
聖君は、黙り込んだ。それから、ちょっと考え込んでるようだ。
「えっと、何から話したらいいかな」
そうつぶやくと、しばらく下を向いて、
「えっと。すげえ、俺にとっては嬉しいし、最高のことなんだけど」
と、ちょっと顔をあげてそう言った。
そ、そうなんだ…。聖君にとっては嬉しくて、最高のことなんだ…。ああ、なのに私、勝手に聖君が去っていったらなんて、思いこんで怖くなってた。
「聖には、ショックなことじゃなくて、最高のことだったのね。さすが、爽太の息子ね」
聖君のお母さんがそう言うと、
「え?何?何?俺だけなんにも、話が見えていないんだけど。聖には嬉しいこと?」
と聖君のお父さんは、興味津々って顔で聞いた。
「でも、父さんや母さんには、いろんなこと迷惑かけちゃうことかもしれない」
「え?」
聖君のお父さんが、一瞬目を丸くした。お母さんは、
「何言ってるの。喜ばしいことに決まってるでしょう」
と、聖君の足を軽くたたいた。
「そうだけどさ、でも、二人の協力とか、援助とか必要になってくると思うしさ」
「え?まさか、もしかして」
聖君のお父さんが、何かぴんときたようで、
「具合が悪いって、つわり?」
と、私にお父さんが突然聞いてきた。
「!!」
私は思い切り、びっくりして固まってしまった。な、なんて勘がいいんだろう。
「うん。そうなんだ」
聖君が私に代わって、答えた。
「ええ?」
聖君のお父さんは、目を大きく見開いたまま、止まってしまった。
そして、しばらくして、
「18年前のことが、再現されてるみたいだ」
とお父さんは、ぼそって言った。
「本当よね。桃子ちゃん、当時の私みたいに、相当悩んで苦しんでたみたいだし。18年前の私を見ているようだったわよ」
聖君のお母さんがそう言った。
「そ、そんなに?そんなに悩んでたの?桃子ちゃん」
聖君が私の顔を見た。
「……」
私は黙って、うつむいた。
「ああ、もう!なんで俺に言わないんだよ。一人でもう、悩んだりしないでって、いっつも言ってるじゃんか」
「ごめんね」
本当だ。私、また聖君のこと、信じられなくなってたんだ。
「そうか~。赤ちゃんか」
聖君のお父さんが、そうため息混じりに言うと、
「聖。そんなに手放しで喜んでいるけど、桃子ちゃんはまだ、高校生なんだよ?」
と、ちょっと深刻な声でそう言った。
「だから?まさか父さん、おろせとか、言わないよね?」
「もちろんだ。ただ、高校はどうするのかとか、籍はいつ入れるのかとかは、ちゃんと相談していかないと。桃子ちゃんのご両親にだって、相談することだよ?これはね」
「わかってるよ」
聖君は、そう言ってしばらく黙り込んだ。聖君のお父さんも、お母さんも黙り込んだ。でも、聖君のお父さんが、
「そうか、俺、もうおじいちゃんか。げ、父さんなんてひいじいちゃん!」
と突然そんなことを言った。
「え?じゃ、私、おばあちゃん?」
「そうだよ、くるみ、おばあちゃんだよ」
「あらまあ!」
聖君のお父さんとお母さんは、そんな話をしだした。
「父さんや母さんに言ったら、ひ孫ができるのかって、大喜びだな」
「そうよね~~」
え?なんか話がずれていってる。
「ちょっと、今すぐ電話しよう、くるみ」
「え?今?」
「ああ、もうこうなったら、今日は店も閉める?」
「そんなわけにはいかないわよ。朱実ちゃんも来てるんだし」
「ああ~~。俺、いてもたってもいられなくなってきた。そうか!赤ちゃんか。待てよ、今、7月だろ?いつ生まれるの?」
「来年の春ね」
「春か~~~」
聖君のお父さんと、お母さんはそんな話で盛り上がっている。
「あのさ、父さん、母さんも、それよか、桃子ちゃんの高校…」
聖君はちょっと、困ったように二人の会話に割り込んだ。
「え?あ、そうか。そうだよな」
聖君のお父さんは、それまで思い切り、にやついていたのに、まじめな顔つきに戻った。
「高校は私立?やっぱり、妊娠してたり結婚したら、退学になっちゃうのかな」
聖君のお父さんがまじめに話し出した。
「俺が行ってた高校なら、平気かもよ。編入したらどうかな」
「桃子ちゃん、誰も知らない学校にやってくるの?もし、聖がいれば、守ってあげられるけど、そんなの不安でしかないわよねえ」
聖君のお母さんが、聖君の言ったことに対して、そう答えた。
「え?あ、そうか。それもそうか」
「桃子ちゃんが行ってる高校が、ものわかりがよければな。う~~ん、でも、万が一やめることになっても、桃子ちゃんはそれを受け入れられる覚悟はある?」
聖君のお父さんに聞かれた。
「はい」
私は聖君の手を、ぎゅって握りながら、そう答えた。
「そうか。うん。やめることになって、聖と結婚して、うちに来たっていいんだしな」
聖君のお父さんはそう言うと、にっこりと優しく微笑んだ。
「そうしたら、赤ちゃんの世話もあるし、結婚しても、俺、すぐには働けないし、父さんと母さんの負担が増えちゃうよね?」
聖君は、お父さんとお母さんに向かって、そう聞いた。
「でも聖、店のバイトは続けるだろ?」
「もちろん」
「じゃ、そのうちのいくらかを、生活費で入れたらいい。残りは、貯金だな。いつか二人で生活していく日が来るかもしれないんだし」
「うん」
「桃子ちゃんのご両親にも、相談しなくちゃ」
聖君のお父さんが、今度は私に言ってきた。
「はい」
「あのね、桃子ちゃん、もし赤ちゃん産むことや、結婚を反対されても、大丈夫だからね」
聖君のお父さんが、私の顔を見ながら優しくそう言った。
「え?」
「うちなら、いつでも受け入れ態勢万全にしておくし、聖だって、俺らだって、何度も桃子ちゃんのご両親を説得しに行くよ」
「……」
やばい、泣きそうだ。すごく嬉しい。
「父さん!それ、俺の台詞じゃない?なんで父さんが言っちゃうんだよ!」
「お前が、さっさと言わないからだろ?」
「ひっで~~」
「あはは、まあ、いいじゃん。お前も一緒だろ?同じ思いだろ?」
「あったりめ~~じゃん」
聖君の言葉に、聖君のお父さんはまたあははって笑って、コーヒーをゴクンと飲んだ。
「桃子ちゃん、本当に、一人で悩んだりすることはしないでいいからね。聖も、私たちもついてるから。もう、一人で苦しんじゃ駄目よ」
聖君のお母さんは、真剣なまなざしでそう言ってくれた。
「はい」
私は目からぼろぼろと涙を流して、うなづいた。
聖君はちらりと私を見て、手をぎゅって握り締めてくれた。
「じゃあ、もう少し休んで、それから聖、車で送ってあげたら?」
聖君のお母さんがそう言ってくれた。
「うん。悪い、店は手伝えなくなるけど」
「俺が手伝えるから大丈夫だよ。もし、ご両親に今日会えるなら、話してみたらどうかな。こういうのは、早いほうが桃子ちゃんも早くに安心できるだろ?」
聖君のお父さんが、そう提案した。
「うん、桃子ちゃんのお父さんって、今日いる?」
「うん。今日は買い物に行ったけど、夜には帰ってると思う」
「そっか。じゃ、今日話そう。いいよね?桃子ちゃん」
「うん」
ドキドキ。いきなり心臓が高鳴ってきた。母だったら、まだ、赤ちゃんを産むのも、結婚も賛成してくれるかもしれない。でも、父はどうだろう。
ああ、でも、聖君もいてくれるんだし、もっと聖君のこと、信じないと。
聖君のお母さんはお店に戻った。
「あ、菜摘と葉一、ほっぽらかしたままだ。ちょっと行ってくる」
そう言うと、聖君もお店の方に行ってしまった。
リビングは一気に静かになった。聖君のお父さんは、お父さんの横にいつの間にかきて、まるまって寝ているクロをなでながら、
「桃子ちゃん」
と私に向かって、話をしてきた。
「はい?」
「聖が、赤ちゃんを産むのを反対するとか、逃げ出しちゃうとか、そんなことを思って不安だった?」
「……」
私は小さくうなづいた。
「そうだよね、桃子ちゃんはまだ高校生だし、聖だって、大学入ったばっかりだし」
「はい」
「でも、あいつは絶対に赤ちゃんの命を守るほうを選ぶよ」
「え?」
「あいつ、自分のことと重ねてみるところあるから」
「自分と?」
「あいつは、俺とくるみが結婚しなかったら、この世に誕生できたかどうかもわからない」
「……」
「くるみが、生まないほうを選択したら、あいつはここにいないんだ」
「そ、そうですよね」
私の声が震えてしまった。
「お腹の赤ちゃんに、そんなことはできないよ、あいつ。誰より命の大事さとか、そういうの知ってると思う」
「はい」
「あ、それは俺もだけどさ。聖から聞いたことある?」
「え?」
「俺の父さんの話。つまり、聖のじいちゃん」
「はい。死ぬかもしれなかったって」
「そうなんだ。その頃、俺、母さんのお腹にいたんだよね」
「はい」
「父さんと母さんは、何よりも命を大事にしようって生きていた人だから、そんな人たちに育てられたら、俺も、そういう思いで生きるようになっちゃってさ」
「はい」
「でも、これ、すごく大事なことだと思わない?」
「思います」
「うん。だからね、聖もやっぱり、そういう思いで生きてきてるんだ」
「はい」
「だから、赤ちゃんの命を、なくすようなことは絶対にあいつには、考えられないこと」
聖君のお父さんの声は、力強かった。
「…はい」
涙が出そうになった。
「それにね」
「?」
なんだろう。お父さんはいきなり声のトーンが、優しくなった。
「聖、桃子ちゃんと暮らすのも、結婚も、子供が生まれるのも、全部叶えたい夢だったんだよ」
「え?」
「だから、その夢がこんなに早くに実現できるんだし、そりゃ、あいつ、喜んじゃうよね」
「でも」
「え?」
「こんなに早くって、早過ぎないですか?」
「そう思う?」
「はい、だって、聖君には夢もあって」
「それなら、いつだって、叶えられるでしょう?」
「でも」
「あいつの1番大事なものって、前にも話さなかったっけ?」
「家族」
「うん。桃子ちゃんと、家族。これから、あいつの家族ができるんだし、あいつにとっちゃ、めっちゃ嬉しいことなわけさ」
「え?」
「でしょ?」
聖君のお父さんは、すごく優しく私に微笑みかけた。
「はい…」
その笑顔も、私を安心させてくれた。
その時、ものすごい勢いで、菜摘と桐太がリビングに来た。あれ、まだ桐太いたんだ。
「う、う」
二人で、慌てふためいていて、言葉にならないようだ。
「産むの?!」
それは菜摘の口から出た言葉。
「結婚するのか?!」
それは、桐太から出た言葉だった。
「声でかすぎだって」
後ろから、頭を掻きながら、聖君が来た。
「だだだって、驚いちゃって。すごい展開」
菜摘が言った。
「どこが?当たり前の展開でしょ?これ」
聖君がすごく冷静にそう言った。
「ちょ…、何その冷静さ。俺、頭くらくらしてる」
桐太がそう言って、頭をおさえた。
「なんで?」
「だって、いきなり妊娠、いきなり結婚、そんなのいきなり言われてもさ」
「……」
聖君は、黙り込み、桐太のことを見ていた。あ、もしかして、また何か、変な誤解をしてなかったらいいけど。
「聖の…子…」
桐太がぽつりとそう言うと、
「わ!それ、すげえじゃん。いきなり楽しみになってきた」
と、嬉しそうに笑った。
「お前も、すげえ楽観的だな」
聖君は、くすって笑ってそう言った。あ、よかった。変な誤解はしてないみたいだ。
「桃子が結婚、桃子が母親~~?」
菜摘はまだ、口をあんぐりと開けたままだった。
「菜摘は知ってたんだろ?いろいろと桃子ちゃんの相談にものってた?」
「え?うん」
「わりい。俺がちゃんと聞いてあげられたら、良かったんだよな」
「え?あ、うん。私も兄貴に言いなって、言ってたんだけど」
菜摘がそう言うと、
「桃子ちゃん!これからは、1番に俺に相談!」
と、聖君が私を怒ってきた。
「はい、ごめんなさい」
私は、素直に謝った。
「じゃあ、聖が桃子ちゃんを送るから、俺はいいのかな?」
今まですごく静かだった葉君がそう言った。
「ああ、葉一。桃子ちゃんのご両親にも会いたいし、俺が送っていくから、大丈夫だよ」
「ご両親に?今日もう、話すのか?」
「そりゃ、早いほうがいいだろ?」
「そ、そうだけど」
葉君は口ごもった。
「何?」
聖君が聞くと、
「いや、お前ってほんと、強いなって思って」
「強い?どっちかって言うと、楽天家だろ?」
後ろから聖君のお父さんが、そう口をはさんできた。
「ああ、もう~。父さんはうるさいよ」
「なんで?だってそうじゃん。それか超前向きとか、または、むこうみず」
「あのね!早くに話したほうがいいって言ったのは、父さんだからね」
「あ、そうか」
「あ、そうかじゃないよ、本当にもう」
聖君はちょっと呆れてそう言うと、
「桃子ちゃん、もう大丈夫そう?送っていこうか?」
と聞いてきた。
「うん、だいぶ良くなったから、平気みたい」
「そっか。じゃ、ちょっと待ってて、車、駐車場から出してきちゃうね」
「うん」
聖君はそう言うと、玄関から出て行った。
「兄貴、強い。全部簡単に受け入れちゃった。すごいな。尊敬しちゃう」
菜摘は、半分呆けたままの顔で、そう言った。横に突っ立っていた葉君も、それを聞き、うなづいていた。
「あいつにとってはね、突然のハプニングじゃないんだよ」
聖君のお父さんが、そう言ってきた。
「え?どういうことですか?」
菜摘が聞いた。
「だってさ、あいつの中ではもう、桃子ちゃんとの未来が決まっていて、その未来がちょっと早くに来ちゃったって、それだけのことだからさ」
「あ、そうか。あいつ、桃子ちゃんと結婚するとか、そういうのを、リアルに思ってたところあるもんな」
葉君が、そう納得したようにうなづきながら言った。
「じゃ、兄貴には突然起きた、大変な出来事じゃなくって」
「聖には、突然やってきた幸運かもね」
「ひょえ~~~~。え、でも、兄貴のお父さんとお母さんは、まったく反対しないんですか?」
菜摘が驚きながらそう聞いた。
「え?なんで反対するの?」
聖君のお父さんは、ちょっと驚きながら聞き返した。
「え、でも」
菜摘が何かを言おうとしたら、
「俺らは大賛成。だって、桃子ちゃんのことはもう、家族みたいに思っていたしね」
聖君のお父さんはそう言って、にっこりと微笑んだ。