第112話 彼の反応
聖君はしばらく黙っていた。私も何も言えず、聖君の方を見ないで黙っていた。頭はまだ、くらくらしている。それに胸の辺りが苦しかった。泣きそうになるのをこらえていたから、息をするのも苦しい。
「俺、そんな現実はとても受け入れられない」
また、聖君が下を向いたまま、そうつぶやいた。
「……」
何か一言でも話したら、涙がでそうで私は黙っていた。
「あいつ…、この前、桃子が店に来たんだって、喜んでた」
「?」
「Tシャツのサイズがないから、注文した。1週間もしたら来るから、また桃子に店寄るように、今度メールするって」
桐太のことか…。
「俺が預かって、桃子ちゃんに渡しておくって言ったら、あいつ、自分で渡したいからいいって断った」
「……」
「もう、Tシャツ、もらった?」
「うん」
「……。あいつの店に来たの?」
「き、桐太君がうちに来た」
「桃子ちゃんの家に?いつ?」
「聖君が、合宿に行った日」
「俺がいなくなったら、すぐ?」
グ…。これ以上話したら、泣きそうだ。私は必死にこらえて、下を向いて黙っていた。
「なんでだよ…」
聖君の声は、怒りがこもっていた。私は思わず、顔をあげた。聖君も私を見ていた。
「なんで、俺のことは店に追いやったの?」
聖君の目、真っ赤だ。泣いてるの?
「だって…」
なんて言ったらいいんだろう。
「だって…」
私も涙がこぼれてしまった。
「なんで?はっきり言って、桃子ちゃん」
聖君の声が少し、震えている。
「だって、聖君には会いたくなかった」
「え?」
聖君の顔がさっと、青くなった。
「どう話していいかもわからないし、怖かったから」
「……」
聖君は黙って私を見ていたけど、ぱっと顔をそむけ、手で顔を隠した。それから、しばらくそのまま立ちすくみ、はあって重い息を吐いた。
「俺、すげえ、情けないやつだって知ってるよね?」
「え?」
「だから、絶対に別れてなんて言われても、別れないし、桃子ちゃんのことは失いたくないから」
「?!」
何言ってるの?聖君。
「俺、桃子ちゃんのことは絶対に、離したくない」
待って。え?どういうこと?
「なんで、俺がちょっといない間に、こんな展開になってるんだよ。ショックなのは俺だろ?」
聖君はそう言うと、その場にしゃがみこんだ。そして、頭を抱えた。
「やべ~~。俺、泣きそう」
聖君はそう言うと、顔を両手で隠した。
「ひ、聖君?」
きっと、何か勘違いをしている。
「だって、そうだろ?この前まで俺、桃子ちゃんと結婚もして、この家に住んで、子供も生まれて、ずっと桃子ちゃんは隣にいるもんだって、そう思い込んで、浮かれてて」
え?
「なのになんで?なんで桐太?」
「桐太?」
「そうだよ」
聖君の声は半分、泣き声だった。
「桐太君は関係ないよ」
「関係なくないだろ?桐太と付き合ってるんだろ?」
「だ、誰が?」
「桃子ちゃんだよ」
「まさか!」
「……」
聖君は真っ赤になった目を丸くして、私を見た。
「桐太と付き合ってるから、別れてってことじゃないの?」
「そんなこと、一言も言ってないよ」
「だって、桃子ちゃん、桐太…」
「桐太は、親友だから、恋人でもなんでもないよ。桐太の腕をつかんだのは、菜摘の腕をつかんだのと一緒で、友達にそばにいてもらいたかっただけだよ」
「親友?」
私はコクンとうなづいた。
「え?じゃあ、何?母さんが言ってた、俺より桃子ちゃんがショックを受けてることって」
「……」
私はまた、下を向いた。
「ちゃんと受け入れろって言ってた。受け入れにくいような、現実ってことだろ?」
私はまだ、黙っていた。
聖君が立ち上がり、私のそばにやってきて、目の前にしゃがんだ。それからちょっと、私の顔を覗き込んだ。
「顔色、悪いね。もしかして、ずっと体の調子悪かったの?」
私はこくんとうなづいた。
「いつから?」
「聖君が、合宿行く前から」
「桃子ちゃん、俺には何も言ってくれなかった」
「だって、聖君、ずっと楽しみにしてた合宿に行くし、心配かけたくなかった」
「……」
聖君は、ちょっとまた黙り込み、ふうってため息をしてから、
「体、大丈夫なの?」
と聞いてきた。
私は何も言えなかった。言うのが怖くてしょうがない。なんで怖いんだろう。ああ、そうだ。聖君がどう反応するか、それを見るのがすごく怖い。
「もしかして、何か、病気…とか?」
「……」
黙って下を向いていると、聖君は、
「まさか、まさかだよね?」
と、声を震わせ、そう言った。
聖君のことをちらっと見た。顔が真っ青だ。みるみるうちに、目が潤んできていて、今にもわっと泣き出しそうだ。
もしかして、また何かとんでもない勘違いをしてるんじゃないだろうか。
「病気じゃないの」
「え?!」
私の言う言葉に、聖君は大きな声で聞き返してきた。
「病気じゃないから」
「な、なんだ…」
聖君は明らかに、ほっとしていた。でもすぐに、
「ほんと?本当に?俺にうそついてたりしてない?」
と一回はほっとしたのに、また不安そうな顔をして聞いてくる。
「違うから、安心して」
安心してと言ってから、しまったって思った。妊娠は、安心できることなんかじゃないよね。もっともっと、深刻で、安心できるようなことじゃないのに。
「…あ、焦った。まじで焦った。もう一生会えないようなことが起きるんじゃないかって、今、まじで心臓が止まるかと思った…」
聖君は、まだ顔色が悪かった。相当、ショッキングなことを想像したらしい。
いや、赤ちゃんがいるってことも、相当ショッキングなことだよね。
「……、じゃ、何?桃子ちゃん、もしかして精神的なショックで、こんなに具合が悪くなったの?」
「……」
まさか、妊娠したからとは言えず、黙っていると、
「……あ。もしかして、俺とどうしても別れなきゃならない状況になっちゃったとか?」
と聖君は聞いてきた。
ドキ。心臓がひっくり返ると思った。私が微妙に、ひきつったのを聖君は見逃さなかったようで、そのあとも、しつこくいろいろと聞いてきた。
「ま、まさか、桃子ちゃんまでが血のつながった兄妹」
「ち、違う」
どうやら、聖君は相当まじめに今、聞いたようだ。私はこけそうになっていたけど。
「じゃ、あれかな?お父さんがいきなり転勤で、家族で遠くに引っ越すことになったとか」
「ううん」
私は首を横に振った。
「そうだよね、もし転勤になっても、単身赴任とかするよね。いや、もし家族で引っ越すってなっても、桃子ちゃん、もうすぐ卒業だし、こっちに残るよね」
「……」
赤ちゃんいたら、卒業も、学校行くのも無理?
私が黙り込み、下を向くと、聖君は顔を覗き込んできた。
「え?何?どうしたの?」
私は黙ったまま、何も答えなかった。
「た、たとえば、お父さんがリストラで、学校行けなくなったとか、引っ越さないとならないとか、そんなことだったら、あれだ。桃子ちゃんはうちに来たらいいよ」
リストラ?これまた、相当な見当違いもいいところだ。私は黙って、聖君の顔を見た。どうしてこうも、あれこれいろんなことを考えられるんだろうか。でも、妊娠ってことは、考えられないんだな、聖君。
それもそうか。私だって、考えられなかった。まさか、自分が妊娠するなんて…。
私が黙り込んだままでいるからか、聖君はあれこれ言って来た。
「桃子ちゃん、まじで、俺のところに来たらいいから。世間的に桃子ちゃんだけ、おれんちに来るなんておかしいってことになったら、あ、そうだ。籍入れちゃえばいいんだよ。だって、法律的にはもう、結婚だってできるんだから。結婚していたら、一緒に住んでもおかしくないじゃん?」
「え?」
「それで、うちから学校にも。って、通えないか、さすがに遠いよね。あ、俺が行ってた高校へ編入って手もあるし。うん、それがいいや」
それがいいって、なんでそう決め付けてるんだろう。
「結婚って、まだ、私高校生」
「うん。あ、そっか!高校が許してくれないか。あ、待てよ。俺の行ってた高校、前にいたよ。卒業前に籍いれた子」
「え?!」
「高校3年の秋、赤ちゃんできちゃって、もうすぐ卒業だからって、先生が卒業までいさせてくれたんだ。ちゃんと結婚もして、受験もしてた。短大は1年、出産と育児のために、休学届けまで出してさ」
「そんな人がいたの?!」
私はその話に、くいついてしまい、聖君の方が、ちょっと驚いていた。
「う、うん。うちの高校、寛大でしょ?俺より、2個上の先輩だったけど」
「相手の人は?」
「大学生だった。働きながら、バイトもしてたらしいけど、でも、女性側の家に住んで、ご両親が赤ちゃんの世話をしてくれたり、経済的な援助もしてたって聞いたよ。今は、大学も卒業して、ちゃんと働いてるらしい」
「女の人は?」
「短大出て、働きながら、子供育ててるって。今は確か、二人で暮らしてるとかなんとか」
「……」
「そんなに驚くことだった?」
「え?」
「桃子ちゃん、目、まんまるくして聞いてたから」
「あ…」
だって、あまりにも私と同じような状況だったから、つい。
「だから、もし本当に、どっか家族でいかなきゃならないような状況になるなら、うちに来ちゃいなね。まじで、籍だって入れてもいいし。俺の両親だったら、絶対に賛成するから」
「……」
子供もいるけど、いいの?とは聞けない。
「俺の行ってた高校なら、きっと結婚してても行かせてもらえるよ」
「あの…」
「ん?」
「わ、私一人じゃなくても、いいの?」
「え?あ、ひまわりちゃん?そうだな。義理の妹として預かるってできるかな」
「違うの。ひまわりじゃなくって」
「え?」
聖君は黙って、しばらく何か考えてから、
「え?え?まさか、家族全員とか?」
と、ちょっと聞きにくそうに聞いてきた。
私はくるくるって首を横に振ってから、
「あ、でも、そう」
といきなり、思いついたようにそう言った。
「それは、ど、どうかな。全員は、やっぱ、父さんに相談しないと」
「椎野家ってことじゃなくって」
「え?」
「聖君の家族ってこと」
「俺の?え?どういうこと?母さんとか父さん?」
「そうじゃなくって、私と結婚したら、私と聖君の家族」
「……」
聖君は、しばらく悩みこんでしまった。
「え?俺と、桃子ちゃんでしょ?他に誰がいるの?」
「……」
「他に誰が来るの?」
「……、だから、私と聖君の…」
「俺と、桃子ちゃんの?子供とか?」
聖君はぽつりとそう言った。それから、またわけがわからないって顔をしてから、
「ああ、そうだね。いずれは赤ちゃんも、うちに来るね。っていうか、生まれるよね。それは大歓迎だよ。あったりまえじゃん」
と言って、聖君はにかって笑った。
「いつか、じゃなくって」
私は、もうお腹にいるのってなかなか言えなかった。
「え?」
聖君は、しばらく目を点にして黙りこんだ。
「あ。え?いつかじゃなくってって?それって?え?!」
あ、勘付いたのかな。
「今、いるってこと?まさか」
ああ、そうなんだよ、聖君。どうしよう。聖君の顔、見れない。
でも、私は黙って小さくうなづいた。
「……」
聖君は何も言わず、ただゴクンとつばを飲み込んだ音がした。
怖い。聖君の反応が…。私は黙ったまま、うつむいていた。
「まじで?」
コクン。私がうなづくと、もう一回聖君は、
「まじで?今?お腹に赤ちゃんいるの?」
と聞いてきた。
私はもう一回コクンと、聖君を見ないでうなづいた。
「……。そ、それで調子悪いの?あ、もしかしてつわり?」
「そうかもしれない」
「…え。それって、いつわかったの?桃子ちゃん」
「今日」
「今日?!」
「聖君のお母さんが、勘付いて、さっき妊娠検査薬使ったら、陽性だった」
「陽性って、妊娠してるってことだよね?」
コクン。またうなづいた。
「それ、俺の母さんは知ってるの?あ、知ってるからさっき、あんなこと言ったんだ」
「うん」
「桃子ちゃんのお母さんは?」
「まだ…」
「じゃ、他には誰も?」
「菜摘は知ってる。生理が遅れてたことも」
「え?」
「お、遅れてて、私、ずっと怖くって」
「……」
聖君は私の顔を覗き込んだ。私が泣きそうになってるのを、わかったようだった。
「俺、そういうこと何も聞いてないけど?」
「だって、合宿行ってたし」
「でも、電話でだって、メールでだって俺に言えたよね?」
「だ、だって、怖くって」
「何が?」
「聖君の反応」
「え?」
「怖かったの」
「……」
聖君は黙り込んだ。でも、すごく優しい目で私の顔を見ている。それから、
「俺がショックを受けること?現実を受け止めろ?なんだよ、それ」
と、ちょっと口元をゆるませて、そう言った。そしていきなり、
「んなの、ショックなことでもなんでもないじゃん。っていうか、っていうか…」
聖君は目をぎゅって閉じ、何かをかみしめてる表情をして、
「すんげえ、嬉しいことじゃん!!!!」
と思いっきり大きな声で、叫んだ。
「?!」
私は驚きのあまり、声も出なかった。
「なんだよ、桃子ちゃん、もったいつけて!なんで俺にすぐに言わないんだよ!!!」
「え?」
「すげ~~~!すげ~~!!俺と桃子ちゃんの子が、今、お腹の中にいるの?」
「…う、うん」
「すげ~~~!!じゃ、結婚だ」
「え?」
「籍、入れないと。まだ、桃子ちゃんのご両親、知らないんだよね?」
「うん」
「じゃ、すぐ行かなくっちゃ。あ、でもその前に」
聖君は、お店のほうにすっとんでいきながら、
「母さん、ちょっと来て、リビングに来て」
と、勢いよくお母さんを呼んだ。
「朱実ちゃん、ごめん、ちょっとだけ店頼む。あ、菜摘も、店の番してて!」
と、そう大きな声で言うと、またすぐにリビングに戻ってきた。
「父さんもいてくれたらいいんだけど、どこ行ってるっけ?」
聖君は、お店からリビングに来たお母さんにそう聞いた。
「爽太だったら、今、お店でコーヒー飲んでたじゃない」
「え?!それ早く言ってよ!」
聖君はまた、お店のほうに駆けていった。
「桃子ちゃん、聖、事情を知ってハイテンションになっちゃったの?」
聖君のお母さんが聞いてきた。
「はい」
私がうなづくと、
「呆れた。あははは。なんだ、なんの心配もなかったわね」
とお母さんは笑った。