第11話 正直な気持ち
日曜日、聖君と会う日がやってきた。私はうきうきで、駅の改札口で待っていた。聖君はめずらしく、時間になっても来なかった。いつも、約束の時間通りに来るのにな…。
携帯電話を鞄から出し、電話やメールが送られていないかを見てみた。でも、何もきていなかった。
少しくらい、遅れることもあるよね…。あ、私だって前に遅れたことあったっけ。聖君は、ゆっくりおいでって言ってくれた。優しかったよな…。
聖君はいつも、優しかった。時々、むっとすることもあるけど、たいていがやきもちをやいてる時。いつもは、穏やかで、怒ることなんてめったにない。
「……、もう5分過ぎた…」
時間がすごく長く、感じられた。
江ノ島にいつも来てもらってて悪いからって、今日は新百合ヶ丘の駅で待ち合わせをしたけど、やっぱり、悪かったかな。勉強の邪魔になったりしないだろうか。今日は塾が夜だから、昼間は大丈夫って言われたけど…。
「電話だよ!早く出て!」
聖君の声が携帯からして、慌てて出ると、
「ごめん、今向かってるからもう少し待ってて!」
と、息を切らしている聖君の声がした。
「走ってるの?今、どこ?」
ホームを走っているのだろうか?
「あ、もうちょいだ。駅見えてきた」
え…?
「電話切るね、息苦しいや」
「うん」
それから1分も立たないうちに、聖君が走ってくる姿が見えた。それから、私を見つけると、さらに全速力で走ってきた。
「?電車で来なかったの?」
どうして、改札口とまったく逆側から、走ってきたんだろう。どこかに寄ってたのかな?
「な、菜摘んち、行ってた。昼ごちそうになっちゃって、遅れちゃった。ごめんね」
そう聖君は一気に言うと、思い切り息を吸い込み、それからはあはあと、息を整え始めた。
「菜摘の家?」
「うん。しばらく行ってなかったし。ゴールデンウイークにおいでって、お父さんには言われてたんだけど、行けなかったからさ」
「そうなんだ」
もしかして、菜摘の家に行くから新百合に来たのかな。それで、私が暇だったから、ついでに会ってくれたとか…。
うわ。なんか、ひねくれてる、私。でも、菜摘のことを呼び捨てにしてたりして、聖君がまた、前と変ってしまったような、そんな感覚に襲われる。
「は~~~。一気に走ってきて、喉カラカラ。どっか、入ってもいい?」
「うん」
近くのファーストフード店に入り、私は紅茶を、聖君はコーラを頼んだ。聖君は、半分くらい一気にコーラを飲んだ。
「あ~~~。喉潤いました」
と、聖君はにこって笑うと、しばらく黙って私を見ていた。
「?」
どうしたのかな。私は気恥ずかしくなって、下を向いた。
「最近、ポニーテールじゃないんだね」
「うん。ポニーテールだと、子供っぽいのかなって思って。前に聖君、言ってたでしょ?」
「俺が?そうだったっけ」
覚えてないの?
「……。髪、おろしてるの変?」
「いや、別に変じゃないよ」
聖君はそう言うと、今度はしばらく別の方を見ていた。
「あ、髪伸びたんだね」
「え?」
聖君は、また私の顔を見てそう言った。
「うん。伸びたかな?」
なんだろう、さっきから。髪のことばかり…。
「そっか。それでかな。なんだか雰囲気変ったなって思ったんだけど」
「え?私?」
「うん」
「そうかな…」
「そうえいば、菜摘はばっさりと髪切っちゃってたね」
「うん。暑くなってくると、首に汗で髪がくっついたりするの、嫌だって言ってた」
「ふうん」
「菜摘って呼んでるの?」
「え?ああ。そういえば、なんとなく、いつの間にかそう呼ぶようになってたかな」
無意識だったんだ。
「……」
聖君は、また黙ってしまった。なんなんだろう?会話が続かないのかな。あ、私からも話した方がいいのかな。それとも、疲れているのかな…。
「勉強、大変なの?」
「え?いや、そうでもないよ」
「疲れてる…とかじゃないの?やっぱり、今日、新百合ヶ丘まで来てもらって、悪かったかな」
「ううん。そんなことないよ。菜摘の家にも行っておきたかったし」
それのついでに、私に会ったんじゃないよね…なんて、さすがに聞けない。
「これからどうしようか?」
「え?」
「どっか行きたいところある?」
「ううん」
「じゃ、公園でもぶらつく?天気いいし」
「うん」
そこから、私の家の近くの公園まで行き、ベンチに座った。
「ここ、ちょうど木陰になって気持ちいいね」
聖君が、空を見上げながらそう言った。
「うん」
私も空を見た。木の葉っぱから見える空は、奇麗だった。葉っぱの間からきらきらと光が降り注ぎ、ダンスをしているように見えた。
「は~…。なんか落ち着く」
聖君が、ちょっと小声でそうつぶやいた。
「え?」
「やっぱ、あれかな。俺、疲れてたかな」
「じゃ、早く帰って休んだ方が…」
思わずそう言ってから、後悔した。もうさよならするのは、嫌だ。もっと一緒にいたいよ。なのになんで、そんなこと言ってるの?私。
「う~~ん、落ち着いたのは、桃子ちゃんといるからだから、一緒にいる方が俺、疲れ取れるみたい」
聖君が、こっちを向いて、にこって微笑んでそう言った。
「え?!」
嬉しいのと、驚いたので、思わず聞き返してしまった。
「桃子ちゃんといると、気持ちが落ち着く。こうやって、静かに一緒に空見たりできるし。塾で、受験生どおしで話してると、まあ、やる気にはなるんだけど、落ち着くことはないよね」
「そうか…。でも、葉君や、基樹君は?」
「ああ。基樹は同じクラスだから話をするけど、最近葉一とはあまり話してないかな」
「そうなんだ」
親友で、いつもあれこれ会って、話してるのかと思った。
「菜摘は?」
「菜摘?う~~ん、俺会うといつも責められてんだよね」
「え?なんで?」
「桃子のこと、悲しませたら承知しないって」
「ええ?」
「桃子が元気ないとすぐにわかるんだからって、言われた」
ああ、そっか。私が落ち込んでると、聖君が責められちゃうんだ。
「ごめん、私が元気なかったから。ごめんね、これからは、元気でいるようにする」
「……なんかあった?元気なかったのは、何が原因?」
原因…。もしかして私、スイミングのことでへこんで、それが顔に出てたかな…。
「菜摘が、どうして俺の好みが、元気な明るい子だなんて桃子に言ったんだって、怒ってたけど、関係ある?」
「え?」
「だけど、俺がそのこと桃子ちゃんに言ったのは、ずいぶん前の話だよね?」
「うん…」
あ、そうだ。柳田さんが、聖君の好みのタイプって話をして、そんな話になったんだっけ。
「菜摘、他にも何か言ってた?」
「……。いや、俺のタイプの話ばっかり。元気のいい明るい子がいいのかって何回も聞かれて」
「それで?」
「前はそうだったけど、今は違うって言ったけど、菜摘、どっかで納得いかないみたいな顔してて」
「……」
「そういう子、周りにいるんじゃないのってしつこく聞かれて。何?あれ…。なんかあったの?あいつなんで、あんなにしつこかったの?」
「…さあ?」
柳田さんのこと、聞こうとしてたのかな。
「桃子ちゃん、なんか、その…、悩んでるか、落ち込んでるかしてる?」
「え?!」
「俺に黙って、悩んだりしてる?」
「ううん。何も」
「本当に?」
「うん…」
まさか、柳田さんのこと聞いちゃって、なんて言えないよね。すごく気になることは気になるけど。
「…そっか。だったらいいんだけど」
聖君はそう言うと、しばらく黙った。それから、ベンチを立つと、芝生に転がってるゴムボールを見つけて手に取り、空に投げては、キャッチをしていた。
「じゃあさ、なんで元気なかったの?」
聖君は、ボールを投げるのをやめて聞いてきた。
「え?元気ならあったよ」
「嘘。さっき、元気出すようにするって言ってたじゃん。元気、なかったんでしょ?クラスのこと?まだなじめないとか?」
ああ。それもある…。でも、それはたいして、気にしてないかな。いまだに菜摘が、昼ご飯は一緒に食べに来てくれてるし。
「それは、大丈夫」
そう答えると、
「じゃ、何かな?もしかして、俺に会う時間が減ったから…とか?」
と、聞いてきた。それも大きい。それにメールの来る回数も減った。電話も、ずっとしていないし。
しばらく黙って下を向いていると、聖君は目の前に来て、私の前にしゃがみこんだ。
「な…、何?」
ちょっと、びっくりして顔を上げると、
「正直になってね。嘘はなしだよ。隠しごともなしだよ」
と、私の目をじっと見ながら、聖君はそう言った。
「……」
ドキってした。そうだ。私最近、聖君に秘密ばかり持ってるかもしれない。柳田さんのことだって、気にしてる。スイミングスクールのことも黙ってる。泳げるようになったら言おうなんて、それって泳げるまでは、ずっと秘密にしてるってことだよね。そんなの、聖君、嫌がるに決まってる。
「私…」
「うん」
聖君は、私の声が小さいからか、さっきよりもさらに顔を近づけた。そして私の方に、耳を傾け、静かに下を向いていた。
「ごめんね。やっぱり、最近、自信がなくなってたかも」
「なんの?」
「なんのって…。聖君の彼女でいる自信…かな」
「どうして?なんで、自信なくなちゃった?会えないでいるから?」
「あ、あのね。ゴールデンウィークにみんなで会った時、基樹君から聞いたんだ」
「何を?」
「柳田さんって人の話…」
「……」
聖君は、黙ってしまった。
しばらく沈黙が続いた。聖君は、私の方を見た。それから頭をボリって掻くと、
「えっと…。柳田さんの話が出て、どうして、自信がなくなっちゃうの?」
と、聞いてきた。
「葉君が、思い切り、聖君の好みだなって」
「へ?」
「基樹君は、すごく聖君と気が合う女の子で、意気投合してるって」
「……そ、それで?」
聖君の顔は驚いているのと、呆けているのと交じり合っていた。私の話を聞いて、どう思っているんだろう。
「葉君が私に、泳げるようになれとか、潜れるようになれとかは言わないけど、せめて海の本を見るとか、なんか努力したらって」
「……。う~~~ん」
聖君は、頭を抱えてしまった。
「葉一って、なんだろうな。よく桃子ちゃんにそういうこと言ってるけど、桃子ちゃんにどうなって欲しいんだろうな」
「え?」
「でもさ、桃子ちゃんは俺の彼女なんだし、そんなに葉一や基樹の言うことに、振り回されなくてもいいんだよ?」
「う、うん」
「俺、この前も言ったよね。そのままでいいよ。なんで、俺に合わせようと努力したりするの?そのままの桃子ちゃんが好きなのに」
「ど、努力したらいけないの?」
「え?」
思わず、私は聖君に、そう聞いていた。
「好きなら、こうなって欲しいとか思うのが普通だって、そう言ってた」
「葉一が?」
「ううん」
「基樹?」
「ううん。幹男君」
「……。誰だっけ?それ」
「従兄弟」
「ああ。桃子ちゃんのお母さんの、双子のお姉さんの子供」
「うん」
「…。東京に来てるの?」
「うん。おばあちゃんちのすぐ近くに住んでる」
「桃子ちゃん、会ってるの?」
「うん。うちにたまに遊びに来るから」
「ふうん」
聖君は、しばらく下を向いてたけど、立ち上がり、ちょっと空を見上げてから、
「桃子ちゃんさ、俺と会わない間にいろいろと、悩んじゃってたんじゃない?」
と、私の方を向いて言ってきた。
「……。く、暗いよね。マイナスなことばっかりきっと、考えてるんだよね」
「そうじゃなくって。メールでは、そんなこと何も書いてないし、俺、てっきり桃子ちゃんは、元気でやってるんだろうななんて、思ってたよ?」
「だ、だって、そんなことくらいで、聖君の勉強邪魔しちゃ悪いもの」
「そんなことじゃないじゃん」
「そ、そんなことだよ。私の悩みなんて」
「あのさ。俺、桃子ちゃんが俺の彼女でいるのに、自信がなくなっちゃうの、けっこう痛手なんだけどな」
「え?!」
聖君は、ちょっとマユをひそめてそう言った。それから、また下を向いて、頭をぼりって掻くと、今度は腕を組んで、
「う~~~ん、なんて言ったらいいのかな」
と、悩み出した。
痛手?私が自信なくすと?どうして?
「桃子ちゃんが悩んだり、落ち込んだり、辛い思いしてるのも、まったく知らないでいるのは、嫌なんだよね。うまく言えないけど、話してくれて、俺が何かできることがあれば、したいって思うし」
「……」
「何もできないかもしれない。でも、桃子ちゃんが少しでも、安心できるよう、話くらいはできるかもしれない」
「……」
「それとも、もう何も俺には、話したくない?」
「え?」
「頼りにならない?俺じゃ、安心できない?」
「ううん。そんなこと…」
「嫌になってたりしない?」
「してないよ!」
思わず、声が大きくなった。聖君は私をじっと見てから、
「それなら、いいけど」
とぼそって言った。
もしかして、聖君も何か、悩んでたりしたの?
「柳田さんのことだったら、何も心配しなくていいよ。確かに話は合うし、意気投合した。でも、基樹といるみたいな感じだ。話しやすいってそれだけだよ。向こうもそう思ってるみたい」
「そ、そうなの?」
「彼氏いるみたいだしね。大学生の…。サーフィン一緒にしてるって言ってたよ」
か、彼氏いたんだ…。
「それだけ?心配だったのは」
「え?…うん」
「本当に?なんだっけ、ああ。幹男って人が言ってたこと。好きならこうなって欲しいとか、そういうのがあるのが普通って」
「うん…」
「俺はそうは思わないよ。もちろん、桃子ちゃんには元気で、いつも笑顔でいて欲しいっていうのはある。だけど、落ち込んでても、桃子ちゃんは桃子ちゃんだから、そんな桃子ちゃんも、受け止めていきたいって思ってるよ」
「え?」
「桃子ちゃんも、前にどんな俺でも好きだって言ってくれたでしょ?」
「うん」
「同じだと思うけどな。その感覚と」
「……」
そうか。そうだよね。うん。私も、やっぱり、どんな聖君も好きだ。それと同じなんだね。
「……。私ね、柳田さんが羨ましくなったんだ」
「え?なんで?」
「聖君と一緒に、聖君の夢を叶えられる」
「?どういうこと?」
「聖君の行きたい海に行って、一緒に潜って、一緒に感動を分かち合えるなんて、いいなって」
「待って待って!柳田さんとは行かないって!なんで、俺と柳田さんが一緒に行くことになるわけ?」
「行きたい海が、一緒なんでしょ?」
「ああ。確かにね。でも柳田さんは、彼氏と行くでしょ?俺とじゃないよ」
「……。でも、泳げたり、ダイビングできたら、一緒に潜れるでしょ?」
「うん」
「そういうの、いいなって」
「え?」
「そう思ったんだ」
「……」
聖君は、黙って私の横に座った。それから、地面をじっと見ていた。
「そっか。うん、そっか…」
聖君は、そう言うと、また少し黙ってから、こっちを向いて、
「じゃ、一緒に潜ってみる?」
と、聞いてきた。
「え?!」
私は思わず、びっくりしてしまった。まさか、聖君がそう言うとは思わなかった。
「できないことはないよ。泳げない人もダイビングしてるし」
「そ、そうなの?!」
「うん。足が不自由な人だって、海、潜ったりしてるんだよ?」
「そうなんだ」
知らなかった。
「もし、本当に桃子ちゃんがしたいなら、俺も協力する。俺だって、桃子ちゃんと一緒に潜れたら嬉しいし」
「ほんとに?!」
私は思い切り、聖君に向かってそう、聞き返した。
「ほ、ほんと」
聖君の方が、その声に驚いて、目を丸くしていた。
「足手まといにならない?」
「ならないよ」
「私なんかと一緒に、潜りたいって思ってくれるの?」
「へ?」
「だって、聖君の夢だったんでしょ?」
「桃子ちゃん、言ってる意味がよくわかんないんだけど」
「え?」
なんで?私、変なこと言ってる?聖君は、マユをしかめたまま、話を続けた。
「私なんかとって…。桃子ちゃんは俺の彼女なんだから、それ、変だよ」
「え?」
「俺が、嬉しくないわけないじゃん。そうでしょ?」
「……」
そ、そうなんだ。私が一緒でもいいんだ。私でいいんだ。
「わ、私が一緒にいても、いいんだよね?」
「……。また、わけわかんないことを言ってる」
聖君は、わざと片方の眉を下げて、呆れたって顔をした。それからふっと、笑った。
「だ、だって。ずっと私は、遠くで見てるだけだって思ってたから」
「俺のこと?でも今、すぐ隣にいるじゃん」
「そ、そうだけど。でも、聖君が夢を叶えるのも、海行ったり、潜りに行ったりするのも、遠くで見てるだけなんだろうなって。あの、江ノ島の海で、みんなは泳ぎに行って、私は浜辺に残って、遠くから聖君の笑顔を見てたみたいに」
「……」
聖君は、黙って私の顔をただ見ていた。
「これからも、そうなんだろうなって少し思ってた。遠くから見てるだけなのかなって」
「……」
まだ、聖君は黙ってる。呆れてるの?でも、目はすごく優しい。
「だ、だからね。私…」
スイミングスクールのことを言おうかと思った時、聖君は顔をそっと近づけて、そっとキスをしてきた。
私はまた、固まってしまい、そのまま目を閉じて黙っていた。そうしたら、今度は聖君が私の鼻をぎゅって、つまんだ。
「い、痛い」
と言うと、
「桃子ちゃん、すんごいアホ」
といきなり、言われてしまった。
「え?なんで?」
驚いて目を開けて、聖君を見ると、目を細めて私を優しく見ていた。
「それに、すんごい可愛い」
「え?」
「俺、やっぱり、すんげえ好き」
「え?え?」
聖君は、おでこに手を当てて、ちょっと困ったっていう顔をしてから、
「ああ、こんなに好きなのに、なんで自信を失ってくれちゃうのかな、もう」
と言って、ははって笑った。
「え?」
私は、聖君の言葉についていけず、頭が真っ白になってた。
「ごめん。きっと、俺も不安にさせちゃったんだね」
聖君は、きょとんとしている私に向かって、そう優しい声で謝ってきた。
私は、さっきからの聖君の言葉に、ドキドキしてるのと、わけわからないのとで、ちょっと途方にくれてしまった。