第105話 優しい狼
家の前に聖君は車を停め、また玄関まで支えながら連れて行ってくれた。チャイムを押すと、母が出てきて、
「聖君、今日もありがとう」
と聖君を迎え入れようとしたが、聖君は、
「松葉杖とカバン持ってきます」
と、さっさと車に戻って行った。
それからまた、すぐさまカバンと松葉杖を母に渡すと、
「すみません、今日は店がすごい混みようだから、なるべく早くに手伝ってって、母からメールがきてて」
と、ちょっと早口で聖君は言った。
「あら、そうなの?そんなに繁盛してるのはいいことよね」
「はい。誰かのブログで、うちの店を紹介してくれたらしくって。じゃ、桃子ちゃん、また明日ね」
「聖君、お店大変なら、明日は迎え、いいわよ。私が車出せるから」
母がそう言うと、
「明日は定休日だから、大丈夫ですよ」
と聖君は、にっこりと笑い、そして颯爽と階段を下りていった。
「あ、水曜は定休日なのね」
母はぽつりとそう言い、玄関を閉めた。
私は松葉杖をつきながら、ダイニングに行き、椅子に腰掛けた。
「やっぱり、お店混んじゃったんだ」
「え?ブログに紹介されたこと、桃子、知ってたの?」
「花ちゃんが昨日見たんだって。あ、私も見てみたいな、それ」
「じゃ、お母さんのパソコン使ったら?」
ダイニングテーブルの横には、母の小さな仕事のための机と、パソコンが置いてある。私はその机に移動して、パソコンを開いた。
それから、「れいんどろっぷす」で検索してみた。
まず、お店のホームページが出た。初めて見るけど、素敵なホームページで、洋風の建物と、れいんどろっぷすの看板と、それにお母さん特製のスコーンがトップページには写っている。
それから、メニューのページ、お店までの地図、そしてオーナー、つまり聖君のお母さんからのメッセージが、お店の中の写真とともに、載っている。
これ、多分、聖君のお父さんが作ったんだろうな。ウェブデザインの仕事してるって言ってたし、プロだもんね、こういうのを作るの。
そのあと、れいんどろっぷすに行ったという、ブログを見つけた。そのブログを見てみると、聖君が黒いエプロンをつけ、にっこりと微笑みながら、テーブルにコーヒーカップを置くところが、写っていた。
わ。横顔だけど、こりゃ、最高の笑顔だし、イケメン見つけたって記事も納得できちゃうよ。
~今日、江ノ島にあるれいんどろっぷすというカフェに、行ってきました。友人がすごくスコーンの美味しいお店なんだと、連れて行ってくれたんだけど、そこで働いているバイト君が、めっちゃかっこいい。すごいイケメンで、スコーンもコーヒーも最高で、素敵な時間を過ごすことができました~
ブログには、そう書かれていた。それから、お店のURLも載せてあった。
~定休日は水曜。バイト君はどうやら、夕方にお店にいるようです~
そんなことも書かれている。
こりゃ、聖君目当ての客が、倍増しちゃうよ。
「あら!これがそうなの?聖君が、写ってるじゃないの。大変。これじゃ女の子が殺到しちゃう」
母が横から、パソコンの画面を見て、そう言った。
「だよね…」
「イケメンのいるカフェ、発見!だって。このブログのタイトル見ただけでも、みんなこのブログ見ちゃうんじゃない?」
「う、うん」
「聖君って、お店では硬派じゃないわよね」
「お客さんには、笑顔で接してるよ。この前、その笑顔を見せてくれたけど、あれじゃ、私だったら一目惚れする。あ、実際、人目惚れしたんだけどさ」
「江ノ島の海の家でだっけ?」
「うん」
「そうよね~~。だけど、聖君は女の子苦手なんでしょ?」
「うん」
「大変だ。これから」
「だよね。やっぱりそう思うよね」
「桃子も大変だ」
「え?なんで?」
「だって、もっともてたら、気が気じゃないでしょう?いろんな女の子が来るわけだし」
「……」
なんで、わざわざ私が心配するようなことを、言っちゃうんだろう。うちの母は。
その日、夜10時過ぎ、聖君にメールしてみた。もうお店の手伝いは終わってるよね?
>お店大変だった?聖君が写ってるブログ、見たよ。
聖君から、すぐに返信が来た。
>めちゃこみ!俺もさっき父さんから見せてもらった。これ、いつ写したんだろう?写真は無断で撮らないでくださいって、注意書き貼っておこうかな。
>そんなに混んだの?
>すごかったよ。店の外に列ができて、あんなの初めて。椅子もないし、みんな立って待ってて、悪かったな。
>ブログ見て来た人が多かった?
>ほとんどがそう。
>じゃ、聖君目当て?ホールにいて、どうだった?
>話しかけられることもあったよ。今いくつなんですか~?とか、この近くに住んでるんですか~?とか。
>なんて答えたの?
>今、大学生。このへんに住んでますって答えた。
>え?お店が自宅ですって言わなかったの?
>そんなこと言ったら、ずっと店の周りうろつかれても嫌だし。って、そんな人いないか。
わからない。もし、芸能人なみに人気が出たら、店だけじゃなく、聖君会いたさで、家にも来ちゃうかもな。
>今日は父さんがいたからいいけど、連日こうだったら、まじでやばい。
>そうなの?
>朱実ちゃんが、シフト増やしてくれたけど、今日は来れなくてさ、いや~、大変だった。朱実ちゃんが来る日は、俺、キッチンに回るんだけど、今日はホールに出なきゃならなかったし。
>じゃ、朱実さんがいる時には、みんな聖君目当てで来るのに、キッチンにいたら会えないんだね。
>そっちの方がいいよ。そうしたら、客も減るかな?
>さあ?
>俺、もうホールに出るのやめようかな。父さんが出たらいいんだよね。
>お父さん目当てでみんな来たりして。お父さんもかっこいいから。
>あはは!それはそれで、面白いけど。
面白いの?聖君はなんでも面白がっちゃうな~。
>そろそろ風呂入るね。また明日ね、桃子ちゃん。
>おやすみなさい。
疲れてるだろうに、いいのかな、明日も来てもらって。大学と店のバイトで、聖君、大変だろうに。
しばらく考えた。明日は母に来てもらうからいいよって、メールをしようかどうか。だけど、本心は来てほしいって思ってる。
毎日会えてるなんて、今、私はとても嬉しい。嬉しいんだけど、こんなわがまま、いいのかな。
結局、送信するかどうか迷いに迷って、送らなかった。
翌日、また放課後、蘭と菜摘が残ってくれた。
「昨日、花ちゃんが言ってたブログ見た?」
蘭が聞いてきた。私と菜摘は同時に、見た見たと答えた。
「あの聖君の笑顔じゃ、客増えちゃうよね」
「うん、実際、すごく混んだみたいだよ、昨日」
私が言うと、
「やっぱり?」
と菜摘と蘭が同時に言った。
「もてもてだったって?兄貴」
「う~~ん、話しかけられたりはしたみたい」
「このまま、すごいことになったら、そのうちに雑誌の取材とか来たりして」
蘭が目を輝かせた。
「え?兄貴、一躍有名人?」
「芸能界から、スカウトまで来るかも!」
「来ても、兄貴断るよ」
「うん、私もそう思う」
菜摘の言葉に私はうなづいた。
「なんで?」
蘭が不思議がった。
「そういうの兄貴、苦手そうだもん。もうさわがれるのは嫌なんじゃないかな」
「あ~~、そうかもね」
蘭は納得したようだ。
「兄貴、しばらく気が休まらないね」
「え?」
「女の子苦手だし、それなのにお店じゃ、営業用スマイルしてないとならないし」
「だろうね」
菜摘の言葉に今度は、蘭がうなづいた。
「あ。もうすぐ着くって」
聖君からメールが来て、私たちは校門に移動した。私たちが校門に行こうとしたら、また女の子たちがやってきた。
「椎野さんの彼、今日も来るの?」
「めちゃかっこいいんだって?いいな~」
同じクラスの子達だ。
すっかり私を取り囲み、一緒になって校門で立って待っている。
「あ、来た」
菜摘が車を指差した。
「ほんと?」
クラスの子達が車を見た。
校門の前に車を止め、聖君は、窓を開けた。
「あ、あれ?友達?」
数人で待っていたので、聖君は一瞬驚いたようだ。
「きゃ~、本当だ。かっこいい」
クラスの子がさわぐと、聖君の顔は思い切りひきつった。
「桃子、行こう」
菜摘と蘭が、私に寄り添いながら、車に向かって歩き出した。聖君は中から、助手席のドアを開け、私を待っていた。
菜摘と蘭は後部座席に乗り込んだ。
「椎野さん、さようなら」
クラスの子が、ちょっと車の近くまで来てそう言った。
「さようなら」
私はみんなに、そう言ってから、車のドアを閉めた。
聖君は、注意深く車を発進させた。それから、蘭と菜摘は後ろを振り返り、
「あ、まだこっち見て騒いでるみたい」
とそんなことを言った。
「兄貴、お店も大変だったんだって?」
「え?なんで知ってるの?」
「ごめん、私が言っちゃった」
私が聖君に、申し訳なさそうに言うと、
「ああ、別にいいけど。そう、大変だったんだ」
と、バックミラー越しに菜摘に、聖君はそう言った。
「どこでも、もてちゃうんだね、聖君は」
蘭が後ろからそう声をかけた。
「どうやったら、さわがれなくなると思う?彼女がいるのを知ったら、みんな来なくなるかな」
「さあ?どうかな」
蘭がそう言ってから、
「奥さんがいたら、あきらめたりするかもね」
と、笑いながら言った。
「結婚か~~。なるほどね」
聖君は運転しながら、うなづくと、
「俺、さっさと結婚することにしょうかな」
と、ぼそってつぶやいた。
「桃子とでしょ?」
蘭が聞いた。
「もちろんだよね?」
菜摘が言った。
え?!私はそれを聞き、真っ赤になった。聖君はというと、
「他に誰がいるんだよ。決まってるじゃん、そんなの」
と、前を見ながら、すごくクールに言っていた。
駅に着き、二人は降りた。それから私の家まで送ってくれて、聖君は今日もまた、私を支えながら、玄関まで連れて行ってくれた。
チャイムを押すと、誰も出てこなかった。
「あれ?」
私は鍵を出し、玄関を開けた。
「誰もいないの?」
聖君に聞かれた。
「お母さんはいると思ったのにな」
私がそう言うと、聖君は、
「お邪魔します」
と、小声で言いながら、私をリビングまで連れて行ってくれた。
ソファーに座ると、聖君はカバンと松葉杖を取りに車に戻った。
リビングのテーブルの上に、書置きがあり、
「桃子へ おばあちゃんの家に行ってきます。悪いけど、夕飯は何か店屋物でも取って食べて」
そう書かれていた。どうしたのかな。おばあちゃん、何かあったのかな。
聖君がリビングに、カバンと松葉杖を持ってきて、私の隣に座った。
「おばあちゃんの家に行ったみたい」
「お母さん?」
「うん。夕飯も食べてくるみたい。何かあったのかな。ちょっと電話してみるね」
「うん」
電話をすると、すぐに母が出た。
「お母さん?どうしたの?」
「おばあちゃんがまた、ぎっくり腰よ。今日はおじいちゃん、出かけてるし、お母さん、遅くまでこっちにいることになりそうなの。冷蔵庫に夕飯の材料だけは買ってあるんだけど、桃子、その足じゃ作るの大変でしょう?」
「うん。そうだな~」
「ひまわりの分まで何か、取って食べて。あ、聖君もいるの?」
「うん、いる。送ってくれた」
「じゃ、聖君の分も取ったら?お父さんのはいらないからね。接待があるって言っていたから」
「うん、わかった。じゃ、おばあちゃんにお大事にって」
「わかった。伝えとく」
お母さんは電話を切った。
「おばあちゃん、どうしたの?」
聖君が聞いてきた。
「また、ぎっくり腰だって」
「あ~、そうなんだ。あれって一回やると、なりやすいのかな?」
「かもね」
「夕飯、俺作ろうか?」
「え?でも」
「お母さん、なんだって?」
「店屋物、取ってねって言ってた。材料は買ってあるらしいんだけど」
「じゃ、作っちゃうよ。4人分?あ、俺も食べていっていい?」
「うん、3人分でいい。お父さん接待で食べてくるから」
「そうなんだ。ひまわりちゃんは、バイト?バイト帰ってきてからいつも食べるの?」
「うん。行く前に軽く食べて、帰ってきてからちゃんと食べてる」
「わかった。じゃ、3人分ね」
聖君は、キッチンに行き、冷蔵庫を開けた。そして、何を作るか考えてるようだ。
「何が入ってるの?」
「うん、けっこういろんなもの」
母は、冷蔵庫をいっぱいにしてるのが好きで、そのおかげで私は、いろいろとその日に作るものを、選べるからけっこう楽しいんだけど、聖君はどうかな。
「何作ろうかな」
聖君は、キッチンで鼻歌交じりだ。あ、楽しんでる。
「すげ、いろんなスパイスあるんだね。それに、中華の調味料もけっこうある」
「うん。いろいろと作りたくなるから、そろえてるの」
「桃子ちゃんが、使うの?これ」
「うん、ほとんどがそう」
「へ~~~」
聖君は感心してから、
「じゃ、今日は中華にしちゃおうっと」
と嬉しそうに言った。お店じゃ、作らないだろう中華も、聖君、作れちゃうんだ。さすがだ。
「ひまわりちゃん、帰るの何時?」
「いつも8時半過ぎるよ」
「まだまだ、時間あるね」
聖君はリビングに戻りながらそう言ってから、
「桃子ちゃんの部屋行く?」
と聞いてきた。
「え?でも」
2階へまだ、上がれないんだよな、私。
「俺が連れて行くから大丈夫」
聖君は、私のことを軽々と支えながら、2階に連れて行ってくれた。
「聖君、力あるよね」
そう言うと、
「桃子ちゃん、軽いんだもん。また痩せた?」
と聞かれてしまった。
部屋に入ると、聖君がドアを閉めた。そしてベッドに座ると、聖君も隣に座った。
「桃子ちゃん…」
聖君は私の顔を覗き込み、
「あのさ…」
と、何か言いづらそうにしている。察しはつく。
「やっぱり、その…、まだ足痛むよね?」
「歩くのは、まだまだ無理かな」
ちょっと、私はわざととぼけたことを言ってみた。
「そう…」
聖君は下を向き、頭を掻いた。
「抱きしめるくらいなら、大丈夫かな?」
聖君はそう言って、ぎゅって抱きしめてきた。今までも会っていたけど、二人きりになるのは久しぶりで、私はドキドキしてるのに、すごく嬉しかった。
聖君は優しく、キスをしてきた。そしてまた、ぎゅって抱きしめると、
「このまんま、ずっと抱きしめていようかな、俺」
とつぶやいた。
「え?」
「桃子ちゃんといると、落ち着く。癒される」
昨日のお店が混んでて、気疲れしちゃったのかもしれないな。
「いいよ、ずっと私も聖君のこと抱きしめてる」
そう言って、私もぎゅって聖君を抱きしめた。そしてそのまま、二人で抱きしめあっていると、
「あ、でも、駄目だ」
と聖君が腕の力を弱めた。
「え?」
何が駄目?
「その気になってきた…。やばい。このままじゃ、俺狼に変身する」
「ええ?!」
あんまり可愛いことを言うから、笑ってしまった。
「桃子ちゃん、笑ってる場合じゃないから。まじで、このままじゃ、桃子ちゃんが危ないよ?」
「私が?」
「そうだよ、狼に食われちゃうんだから」
「あはは」
ますます、笑ってしまった。
「もう~~、他人事みたいに思ってるでしょ?」
聖君は、また下を向いてうなだれて、ボリッて頭を掻いた。
「優しい狼なら、足も痛まないかもしれない」
と私が、ぼそって言うと、
「え?今、なんつった?っていうか、それまじで?」
と聖君の目が、いきなり輝きだした。
「うん」
うなづくと、聖君は、少し照れながら、また私のことを抱きしめてきた。
「じゃ、足が痛かったら、すぐに言ってね」
そう言うと、そっと私のことをベッドに寝かせ、優しくキスをしてきた。
聖君が狼?笑っちゃうよ。だって、いっつも優しいから。触れる手も、キスも全部が…。
それに、私知ってる。無理強いもしないし、ものすごく気を使ってくれてることも。そのたびに、どんなに大事にされてるかがわかって、めちゃ幸せだって、私は感動する。
今日だって…。
「足、痛くない?」
「うん、大丈夫」
そんな会話を何度したか…。
きっと、私だけが知ってる聖君の優しさ。いつも女の子にはクールで、そっけないのに、これだけ優しくてあったかいのは、私しか知らないこと。
聖君をぎゅって抱きしめた。
私も、聖君を守っていくんだ。そんなことを思いながら…。