表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/123

第10話 寂しさ

 無料体験の日がやってきた。水着に着替え、コーチに呼ばれ、プールサイドにいった。私以外にも、女の子が二人来ていて、やはり、私と同じでまったく泳げず、学校での授業で困るからという理由で、来たようだ。


 私の通う学校は、水泳は自由選択で、受けなくても大丈夫だったから、私は中学1年の頃から、受けなかったんだよね…。それに、小学校の頃はなぜか、夏に中耳炎になったりして、プールに入れなくて、それも、泳げない理由の一つかもしれないな。


 コーチは、優しそうな若い体育会系の女のコーチ。日に焼け、体型は、逆三角形型。肩なんて男の人並みに、いかつかった。でも、笑顔も話し方も、教え方もすごく優しい。

「椎野さん、じゃ、顔をつけてみましょうか」

 そう言われ、顔をつけるけど5秒と持たない。水が怖くて、顔をまともにつけることもできない。

「ぶわ!」

と顔を出し、手で思い切り顔を拭く。でもコーチは、そんな私に、

「あ、良くできました。その調子です」

と言ってくれる。


 他の子たちにも、一つ何かをするたびに、褒めていて、このコーチならついていけるかもっていう勢いで、私も、他の子たちも、無料体験の時間が終わり、着替え終わると、すぐに受付に行き、申し込んでしまっていた。


 体験が終わり、プールから上がっても、そのコーチは、

「今日はみなさん、素晴らしかったです。泳げるようになる日も、すぐですよ」

なんて言ってくれたから、私も他の子たちも、テンションがあがったようだ。受付に行く間も、

「なんか、泳げるような気になってきた。私、頑張る」

「うん、私も!」

「一緒に、頑張ろうか!」

なんて、盛り上がってしまっていた。


 申し込みをしていて、初めて私はその子達の年齢を知った。一人は私と同じくらいの背で、まだ、小学校6年だった。もう一人は、胸も大きかったし、背も高かったから、高校生だと思っていたけど、中学3年生だった。

 ああ…。年下だったんだな~~。


 家に帰る電車の中、幹男君に、

>スイミングスクール、申し込んだよ。

と、メールした。すぐに、

>やったね!桃ちゃん。頑張ってね。応援してるよ。

と、返信が来た。


 もし、聖君に言ったら、なんて言うかな。驚く?それとも、そんなことしなくてもいいって言う?わからないけど、やっぱり、言う気になれず、もう少し内緒にしておこうと思った。

 菜摘たちに言っても、聖君にばれちゃうかもしれないから、菜摘たちにもしばらく、内緒にしておくことにした。


 翌週から、早速通うことになった。毎週火曜、夜6時から。私は5時半にはスクールに着き、水着に着替え、準備をしていた。そこへ、例の中学3年の子がやってきて、

「あ、よろしくお願いします」

と、頭を下げられた。それから小学校6年の子も来て、

「こんばんは」

と、恥ずかしそうに挨拶をしてきた。


 3人揃って、プールサイドに行くと、あの優しいコーチの姿が見当たらず、その代わり、背の高い逆三角形の体型の、男のコーチがいた。

「えっと…。初心者コースに、申し込まれた3人ですか?」

と、その人が言う。

「あ、はい」

 緊張しながら、3人で返事をすると、

「僕が担当のコーチの、森山蓮です。よろしくお願いします」

と、言ってきた。


「え?」

 3人とも驚いて、中学3年の子が、

「この前のコーチは?」

と聞いた。

「米原コーチですか?米原は、先週いっぱいで、他店に異動になりました」

「ええ?」


 そんな~~…。あのコーチだったらついていけると思ったのに…。と、私はがっかりした。他の子たちもがっかりしてると思ったら、中学生の子なんて、目をハートにさせ、森山コーチのことを見ていた。


「えっと、お名前は、椎野さん」

「はい?!」

 いきなり呼ばれ、声が裏返った。

「あ、お名前を確認しただけですから。それから、根本さん」

「はい…」

 小学校6年の子が答えた。

「それと…、小松さん」

「はい」

「はい、この3人ですね。では、準備体操を始めましょうか」


 プールサイドで、コーチの掛け声のもと、準備運動を始めた。

 私は複雑だった。なにしろ、男の人が苦手というか、免疫がないというか。女子高にずっと行っているからな~~。

 幹男君や聖君は、話しやすいけど、どうも、こういう体育会系の人は、苦手。だから、実はほんのちょっと、基樹君も苦手だったりする。


 準備運動が終わると、コーチは先にプールに入り、

「さ、入ってください」

と、無表情のまま、そう言った。あ、わかった。苦手な理由の原因。この人、ずっと笑顔がないんだ。

「椎野さん、入ってください」

「はい」


 他の子達よりも、出遅れてプールに入った。

「では、真ん中の方まで来てください。それから、10秒顔をつけてみましょうか」

 え??真ん中?それにいきなり、10秒?

「はい!」

 いきなり、コーチが手をたたいて合図をした。

 私以外の二人は、顔を水につけた。

「椎野さんもですよ」

と、コーチにまた無表情で言われ、私も顔をつけた。


 でも5秒で、顔を上げ、必死になって顔を拭いた。

「…。椎野さん、まだ10秒たってないですよ」

 ものすごく冷静にそう、言われてしまった。他の子たちは、10秒顔をつけることができていた。

「じゃ、次は、頭のてっぺんまで、潜ってみましょうか」

 え??!!!

「はい!」

 またいきなり、手をたたかれた。


 二人を見ると、足を曲げたり、しゃがみこむようにして、潜ってしまった。私は、おろおろしてしまったが、コーチに、

「椎野さん。聞いてましたか?頭まで、潜ってください!」

と、大きな声で、言われてしまった。

 思い切り息を吸い込み、頭まで潜ろうとした。でも、その前に怖くなり、顔を上げてしまった。それも、顔を上げる時、息を吸ってしまったのか、鼻に水が入り、思い切り、むせてしまった。


「根本さん、小松さん。よくできていました。では、ビート版を持ってきて、少しバタ足の練習をしましょうか」

 コーチは、私の名前は言わなかった。

「ビート版は、あそこにあります。プールから出て、ご自分で持ってきてください」

「はい」


 二人は、プールから上がると、ビート版を取りに行った。私は、どうしたらいいものやら、おろおろとしていると、

「椎野さんは、まだです。顔をつけるのをもっと、練習しないと」

とコーチに、また無表情で言われてしまった。


 ああ…。駄目だ。なんだか、どんどんへこんでいく。

 二人ともう、差がついてしまった。というか、二人とも、ビート版を持って、上手にバタ足もしてて、泳げないことなんてないじゃないかって思えるほどだ。


「小松さん、もう少し足を曲げないで伸ばして。根本さんは、その調子です」

 コーチは、若干明るい声で、二人にそう言うと、こっちを向いて、

「椎野さん、じゃ、10秒顔をつけてみましょうか?」

と、低い声で言ってきた。


 すうっと息を吸い込み、顔をつける。でも、今度は3秒も持たない。

「水の中で目、開けてますか?」 

 コーチが聞いてくる。

「いいえ」

「目を開けてください、ちゃんと」

 コーチが、声に抑揚をつけずに言う。


 米原コーチって言ったっけ?どうして他店に移動なんてなったの?どうして、初心者にこのコーチなのよ?!

 落ち込むのと同時に、腹まで立ってきた。せめて、笑顔とか、声にも優しさとかあれば、こっちだって、少しはやる気が出てくるのに…。


 もう一回、目を開けて、顔をつけた。

「1、2、3」

 コーチが、数を数えているのが聞こえる。

「8、9、10」

 10まで数え終わり、私は慌てて顔を上げた。苦しくって、どうにかなりそうだった。息もぜえぜえいって、顔を必死で拭いていると、

「やればできるんですから、ちゃんとやってください」

と、また無表情で言われてしまった。


「……」

 こっちは、必死なのに。水に顔をつけることだって、怖いのに。

「少しここで、顔をつける練習をしててください。僕は小松さんと、根本さんの方を見てきますから」

 コーチはそう言うと、プールの中を悠々と泳いで行ってしまった。


 泣きそうになった。でも、こんなことで泣いたりするのも、悔しかった。

 もう一回顔をつけた。顔が水で濡れて、泣いてるんだか、どうだかもわからなくなった。悔しくて、涙が勝手に出ていたかもしれない…。

 コーチを見ると、小松さんにやたらと、アドバイスをしてあげてて、たまに和らいだ表情も見せていた。もう、明らかに態度が違う。

 暗い…。一気にやる気をなくしてしまった。その日は、顔をつける練習だけをして、私は終わった。


 ロッカールームで着替えていると、小松さんが、

「あのコーチ、かっこよかったよね」

と話しかけてきた。

「そうかな。私はあまりそう思わなかったけど」

 そう答えると、小学校6年の根本さんまでが、

「かっこよかったです」

と、ほっぺを赤らめていた。


 聖君の方が、何百倍もかっこいい。それに優しいし、それに可愛いし、それに素敵だし、それに、それに…。ああ、悔しさでまた、涙が出そうになった。

 小松さんも、根本さんも楽しそうに話しながら着替え終わると、

「それじゃ、椎野さん、さようなら」

と、先にロッカールームを出て行った。


「はあ…」

 私は、力なくロッカールームにある椅子に座り、しばらくぼけっとしてしまった。そのあと、ドライヤーで髪を乾かしながら、また思い切り、ため息をついた。

「こんなで、泳げるようになるのかな」

 いったいいつ泳げるようになり、聖君を驚かせられるんだろうかと、また落ち込んだりもした。


 でも、1番に思うことは、今、聖君に慰めて欲しいってことだ。きっと、大丈夫だよって言ってくれたり、何か私が笑うような冗談を言ってくれたり、励ましてくれるんだろうな。あの優しい可愛い笑顔で…。その笑顔が無性に恋しくなり、切なくなり、悲しくなった。


 家に帰ると、食卓に幹男君がいた。

「お帰り。お邪魔してます」

と、私に向かって、言ってくると、

「今日のスイミングスクール、どうだった?」

と、笑顔で聞いてきた。

「う…」

 私は、言葉を失った。


「まあ、いいから、座ってご飯食べなさい、桃子」

 母に言われて、席に着き、私もご飯を食べだした。

「そんな初めから、泳げるようになったりしないわよ。ねえ?幹男君」

「なんで、お母さん、わかるの?」

「落ち込んでいるのが、一目瞭然だもの」

「そうか…」

 そうかもしれない。なにしろ、ご飯を食べながらも、私は大きなため息をしているんだから。


 ご飯が終わると、幹男君はお茶をすすりながら、

「あの優しい女のコーチだったんでしょ?」

と、聞いてきた。

「ううん」

「あれ?違ったの?」

「なんか、すんごく冷たい、男のコーチだった」

「なんだ、そうだったんだ」


 幹男君はそう言うと、

「冷たいって、何か、ひどいことでも言われたとか?」

とちょっと、心配そうに聞いてきた。

「ううん。別に…。な~~んにも、言ってくれなかった」

「ああ。なんにも言ってくれないのも、けっこう嫌なもんだよね」

「うん…」

「ま、始まったばかりじゃん。頑張れよ」

「うん」


 幹男君の言葉に、うんと答えたものの、私の気持ちがあがることはなかった。

 その重い気持ちを持ったまま、お風呂に入り、さっさ私は寝ることにした。

「メールだよ!」

 その時、聖君からメールが来た。

>今週末、空いてる?デートしよう!

 う、嬉しい。嬉しすぎる!


>空いてる。全然空いてる!

と、すぐに返信をすると、聖君は、

>良かった。じゃ、待ち合わせとかそういうのは、またメールするね。

と、返信してきた。そして、

>わかった。メール待ってるね。

と送ると、

>おやすみ

と、それだけのメールをくれた。え?もう?たったのこれだけ?


>おやすみなさい。

 私もそう返したけど、なんだか前みたいにずっと、メールをすることがなくなっちゃったって、悲しくなった。ううん、勉強もあるんだし、そんな時間聖君には、ないんだよね…。そんなの私のわがままだよ。

 聖君からの、おやすみの文字をぼ~~っと眺めながら、また私は寂しさと切ない気持ちを、味わっていた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ