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人間不適合者

作者: 真白歩知

私は人間が嫌いだ。

わがままで傲慢。

自分勝手で狡猾でそれでいて一人では生きられない脆弱な生き物。

それが人間だ。

私は私が人間であることにすら嫌悪感を抱いている。

私は私という人間そのものを見下し、軽蔑している。

我ながら何という傲慢さであろうか。

なぜ私はこのように醜い人間として生まれなくてはならなかったのだろうか。

前世というものが本当にあるのだとするのならば、私はよほどの大罪を犯したのだろう。

そうでなければ、この人間という生き物が生まれながらにして背負う業に説明が付かないのだ。

人間として生れ落ちる事自体が、何かの罰としか思えないのだ。

納得ができないのである。

この世はまさに地獄である。

しかしそれもわがままで自分勝手な私の考えから来るものであろう。

つくづく人間というのは度し難く、愚かな生き物だ。

このように考える私は異常なのだろうか?

いや、恐らくそうでもないのだろう。

私は私が特別だとは思っていない。

むしろ凡庸で通俗で人並みの何の変哲もない人間である。

だからこそ、私の考えや行動は、それほど他の人間たちと差は無いだろうと考えている。

直接聞いた事は無い。

しかし例え聞いたところで、人間たちは口が裂けてもそれが是であるとは答えないだろう。

なぜならば人間は人間とのコミュニティが無いと生きていけないからだ。

そんな事を言えばあっという間に異端児扱いで世間というコミュニティで生きていけなくなってしまう。

私がそうであるように、他の人間たちもまた、腹の内を正直に明かそうとはしないだろう。

……ああ、これだ。

これも、人間の醜い部分だ。

勝手に想像し、勝手に創造した、空想上の人間たちとそう違わないと言うのは、なんと愚かな事であろうか。

自分勝手に自分の枠に押し填める事の、何と詮無き事か。

だがそれでも、そう分かってはいても、他人に聞いてみようとは思わない。

なぜならば、私は人間が嫌いだからだ。


この世に生れ落ちてから何度、この命を絶とうと考えた事か。

この世に生れ落ちてから今日まで、何度楽になりたいと思った事か。

しかし人間というのは世間というコミュニティに何重にも縛られ、死というものにすら他人と関わらずにはいられない。

生きている間は勿論、死んだ後ですら、人間と関わらなければならないのだ。

それならばまだ、生きていた方が自分の意志で人間を避ける事ができる。

なんとも生き辛い事この上ないが、私が今この瞬間にも息をしているのは、そうした理由からだ。

こうして理由付けてはいるが、繰り返しにはなるが、しかし私は私が凡庸であることを理解している。

だから結局のところ、自らの命を絶つ勇気すら持てないだけなのだ。

こうして自らの考えすらも、都合のいい様に歪め、欺くことができる人間というのは、何か重大な欠陥を抱えているとしか思えない。

そんな人間たちが集まり作り出した世間という集団もまた、碌でもないであろうことは想像に難くない。

そんな世界で、人間嫌いの私が出来る事と言えば、運命というものが、私の想像よりも早く、私を迎えに来てくれることを切に願う事だけだ。


しかし人間というものは本当に不思議なもので、こんな考えの、世捨て人のように生きている私に、伴侶というものができた。

事の経緯は覚えていない。

気が付いたら横にいたのだ。

しかし随分長い間、横にいたような気がする。

するとどういうわけか、人間嫌いのこんな私でも、どこか愛着というのが湧いてくるのだ。

これだけ人間嫌いだと豪語していた私が、ころっと意見を変えてしまうのだ。

いや、私の人生観や人間観が変わったわけではない。

ただ、この横にいる伴侶だけが「特別」になったのだ。

これは別、と切り分けただけなのだ。

だから私の根本にある人間嫌いは変わっていないし、この世は地獄という考え方も変わっていない。

こうして、「他とは別」と自分勝手に解釈して都合のいい様にしてしまえるのも、人間の恐ろしい所だ。

しかもそれが、自分の意図しない所で、ごく自然に、まるで本来そうであるかのように、自分自身でも気付かないよう、自分自身にも気付かれないようじんわりと変えてしまえるのだ。

自分の意図しない所でのこういった変化は、恐ろしいと言うほかない。

私が私という身体の持ち主であることは明確なのだが、その持ち主でも分からないほど自然に操縦を狂わせてくるのだ。

人間という器がどれほどの欠陥品なのか、これで分かってもらえると思う。

人間が人間である限り、完璧なものはそこに存在しない。

人間は間違うことを前提に設計されている。

それに例外は無い。

そもそも生れ落ちた事が間違いなのだから。


さて、この気が付いたら横にいた私の伴侶だが、なかなかどうして、私とは真逆の人間である。

話を聞けば「知らない人は怖い」と言いながらも、他人と関わる事を止めはしない。

むしろ積極的に関わろうとしていく。

怖いと言いながらも結局のところ、要するに人間が好きなのであろう。

人間の話す言葉はそれが全て真である事は稀である。

人間は言葉というツールを長い間使用しているが、しかし真意を伝えるには至っていない。

他人とのコミュニケーションにおいて、そこには必ず多かれ少なかれ齟齬が生まれる。

完璧に自分の思いを伝えられる手段など存在しないのである。

言葉とは、その言葉通りに受け止める事がそもそも間違いなのだ。

だから、この伴侶が言っている事が矛盾しているではないか、とは私は思っていない。

怖いというのもある意味では本当で、そして間違っているのだ。

人間が好き、というのは、結構な事だ。

この人間世界で生きていくのであれば、むしろ必要な能力だろう。

私の様に世を儚んでいないのであれば、世を憎んでいないのであれば、それは生きていくための助けになってくれるはずだ。

何も私に合わせる必要はない。

存分にその能力を生かせばよい。


だがしかし、ではなぜ、私を伴侶に選んだのだろうか。

繰り返すが、私は人間が嫌いだ。

そんな私を隣に置くというのは、自ら足枷を填める様なもので、生き難くするだけではないだろうか。

私と共にいる事が煩わしくは無いのだろうか。

少なくとも私は、煩わしさを感じている。

いや、この横にいる伴侶自体に煩わしさを感じているわけではない。

他の人間との関り自体に煩わしさを感じているのだ。

今この時代、人間と関わる事のハードルが一段と低くなっている。

いついかなる時だって、目の前の端末を少し操作してしまえば簡単に他人と繋がる事が出来てしまう。

液晶画面の向こう側と、簡単に会話ができてしまう。

私の伴侶は、その人間が作り出した科学を、叡智を、存分に利用しているに過ぎない。

だが人間嫌いの私にとってそれは、余計な機能である。

私は人間関係には距離感というものが必要だと思っている。

本来であればその人間、その人間毎の適切な距離感が必要だと思っている。

それをある意味で均一にしてしまえるのが今の技術だ。

こうして簡単に繋がれる事によって、その適切な距離感の感覚を失ってきているのではないかと懸念している。

まぁ人間嫌いの私が言っても説得力はないだろうが、しかし、だからこそ人間同士の距離感というものには他よりも敏感だとも言える。

そしてだからこそ、この簡単に人間とつながる事ができる機能というのは、便利な事以上に、私を蝕むのだ。

人間嫌いの私のパーソナルスペースに、ずかずかと、無遠慮に、お構いもなく入って来る人間の気配に辟易してしまう。

人間は記憶する生き物だ。

実際に繋がっていなくても、すぐに繋がる状態であるというのは、何か重要な、自分という人間の入ってきてほしくない空間に、常に他人がいる事と同義なのだ。

常々思う。

大前提、人間として生まれたくないのはその通りなのだが、人間として生まれなければいけないのであればせめて、もっと違う時代に生まれたかった。

もっと不便で、だからこそ一人一人との距離感を大切に扱う、そんな時代に。

今この現代は、人間嫌いの私にとって生き辛い事この上ない。

便利になる事は、それ自体は良い事だ。

だがそれによって雑になっていいわけではない。

しかし人間は慣れる。

慣れるとどうしても雑になる。

それは人間に備わっている基本的な機能だ。

慣れると脳に使用するエネルギーを減らそうとするのだ。

それは生物としての生存本能に近いのだろう。

仕方のない事だ。

この人間という器が欠陥品であることがそもそもの原因なのだ。

だが私はそれを赦せない。

赦すことができない。

私が私として生きる上で、その欠陥は重篤すぎるのだ。

だから、私は人間が嫌いなのだ。

私の伴侶は、それでもなお、私の横に居ようとする。

私は私自身が、私という存在そのものが、私の伴侶の人生を邪魔しているように思えてならない。

現代に倣って生きていけない私が、現代に倣って生きていける伴侶の足を引っ張っている気がしてならない。

だがそれでも私と共にいる事を望むのであれば、私もそれはやぶさかではないと思ってしまうのだ。


ああ、私は、本当に人間が嫌いだ。

人間という私そのものが嫌いだ。

わがままで傲慢で、自分勝手で狡猾で、それでいて一人では生きられない脆弱な人間。

他人を騙し、自分を騙し、それでもなお生きようとする。

ああなんと醜いのだろう。

こうして私という存在を赦し、共に生きようとしてくれる人間を「特別」として受け入れ、その想いをも甘受しようというのだから、ほとほと私は私という人間の愚かさに頭を抱える。

どれほど甘えれば気が済むのだ。

どれほど堕落すれば気が済むのだ。

人間というものは、常に尽きない欲望に支配され続ける。

抗いようもなく、その濁流に身を任せるしかない。

しかしそれでは私が私である意味はなく、そこに私の意志というものは存在しえない。

わかっているのだ。

でも分かっているからと言って、こんなもの、どうやって制御すればよいというのだ。

明らかに人間というスペックを越えた激流に、どのように抗えと言うのだろうか。

しかしその激流にうまく乗れなければ、ただの畜生になり果てる。

つくづく人間という生き物は、人間という容れ物は、人間という人生を生き辛くするように造られているとしか思えない。

こんな器を作った奴は相当に意地が悪い奴に違いない。

人間には七つの大罪があると言われる。

傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰。

七つの濁流。

そのいずれも、人間が人間たらしめる根幹ともいえる。

その根幹を罪と断罪しているのだ。

これが設計ミスでなくて何だというのだろうか。

これでは人間は苦しむために生まれていると言われても仕方がないのではないか。

生きているだけで偉い、と最近よく聞くが、全くその通りである。

その言葉が出るという事は、やはり私の意見というのも他の人間たちとそうズレてはいないという証左ではなかろうか。

だがここにもまた、人間が生き辛くなる落とし穴がある。

もちろん、生きている事それ自体が試練なのだから、生きているだけで偉い事は間違っていない。

だが、それを免罪符にしてしまうと、途端に人間は堕落への道を突き進むことになる。

今は辛いから。

頑張っているから。

少しくらい。

それが積み重なり、やがて何もしない事に慣れていく。

それが普通になっていく。

そうなれば正に「生きているだけ」となり、自分という存在そのものの価値を自らが貶める事になる。

休むことも重要だ。

だがそれと同時に、戒めも重要なのだ。

人間はどうしても楽な方を選択しがちなのだ。

モノが溢れるこの現代において、それは仕方がない事なのかもしれない。

簡単に繋がる人間関係。

簡単にモノが増える環境。

これらは、人間の内なるエネルギーを吸い尽くしてしまう。

言い換えれば、目に入るもの、気になるものが多すぎるのだ。

これでは自分自身に集中する事も難しいだろう。

人によっては、テスト勉強をしようとしたら何故か周りの掃除を始めてしまったという経験があると思う。

それは無意識のうちに、集中する環境を作りたいという意識の現れで、まさに邪魔をするものを排除したいという思いの表れだ。

つまり、気付かないうちに周りのモノに集中力、エネルギーを勝手に使われているのだ。

そんな環境なのだから、すぐにガス欠になってしまうのも仕方がない。

だから楽な道を選ぶのも仕方がない。

こうしてどんどん甘えた方向に進んでしまう。

それが、私が私という人間を赦せない理由だ。

人間という生き物を、容れ物を、赦せない理由だ。


人間とは、生き辛いものである。

それを念頭において物事を考えなければ、あっという間に路頭に迷うことになるだろう。

例え念頭に置いておいたとしても、道を踏み外すのだから。


私は人間が嫌いだ。

人間という容れ物が嫌いだ。

人間という生き方が嫌いだ。

だが人間として生まれたからには、私は私として、私の人生を生きたいと願うのだ。

だがしかし、それには人間というハードルが大きすぎる。

この世は地獄。

運命という名の死神が、早くこの地獄から私を連れ出してくれることを強く願う。

私にとってそれは、救済以外のなにものでもない。

だがそのお迎えというのは、どうやら人間が必死に生きた先にしか存在しないらしい。

ならば私は、精一杯抗おうと思う。

この不自由で、不格好で、不便なこの人間という人生を、自分なりに、必死に、生き続けてやろうと思う。

それが、私が私として生きる唯一の方法なのだから。

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