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第4話 モブ執事は身構える

 前世の記憶を取り戻してから今日で二日目。


 前世では昼夜逆転の不健康な生活が日常であった俺氏も、今はその影を見ることなく健康的な……ともすれば逆に不健康な生活を送っていた。


 使用人の朝は早い。


 陽が昇り始めてまだ間もない時間帯に目が覚めてまず最初にすることと言えば──


「昨日は休めと言ったのに森まで狩りに出たんだな」


 そうだね、朝の鍛錬だね。


 酷く平坦で無気力な男の声が屋敷の裏庭に響き、同時に細身で長い手足が無慈悲に襲い掛かってくる。それを寸でのところで、手の甲や足の脛やらで弾き飛ばして防ぐ。なんなら反撃として数発拳を見舞う。


 御覧の通り、朝から組手。


「──お嬢様にお願いされてしまったもんで……ねッ!!」


 その相手はアロガンシア公爵家執事長──俺の父であるラーゼン・ハウンドロッドであり、彼の感情の読めない淡白な言葉に、俺は気合を込めながら返す。


 使用人の朝は早い。


 果たして、世間一般的な使用人らが朝っぱらから、ともすれば平気で打ち身や骨折をする可能性を孕んだ組手の類をするかどうかはさて置いて……これはハウンドロッド一族に生まれ、孰れは一族の頭目──執事長になる嫡子には必要不可欠の日課であった。


「そうか……」


 激しい拳戟の応酬の最中、俺の返答を聞いて父はやはり淡々と言葉を紡ぐばかりだ。


 しかし、その手足から繰り出される徒手空拳は容赦がない。両目、蟀谷、顎、喉元、鳩尾、脇腹、股間、肘に膝……。到底、愛息子に向けるには殺意の高すぎる攻撃の数々に、鍛錬を始めてから最初の方は「この親父、頭イカれてる」と思いもしたが、今は逆にその本気こそが愛ゆえなのだと思わないでもない。


 俺の実家、ハウンドロッド一族はハッキリ言っておかしい。朝からこんな物騒なことをしていることからお察しの通り、普通の使用人一族ではない。


 その実態は主人の身の回りの世話をし、同時に主人に害を成す全ての敵を徹底的に排除する戦闘使用人(バトラー)なのである。いや、別に使用人なのだから主人を護るぐらい普通じゃない? と思ったそこのキミ。確かに、主人に仕える使用人たるもの、もしもの時に護身用程度の戦闘能力は必須であるが、我がハウンドロッド家では普段の家事雑務よりもこの護身に重きが置かれている。


 理由は単純明快。


 公爵家と言う家格から、常に様々な害意や外敵に襲われる危険と隣り合わせのアロガンシアの御要人を、子供に毛が生えた程度の浅い戦闘技術で守り抜けるほどこの世界は生半可じゃない。なにせ普通に前世ではなかった超常現象──魔術やら、一夜で国を滅ぼせる龍や魔獣なんかが平然と跋扈しているのだ。


 そんな背景から、アロガンシア家に先祖代々仕えてきた我が一族には下手すれば騎士と同等か、それ以上の戦闘能力が求められ、実際に幼い頃から英才教育として徹底的な一子相伝のあらゆる戦闘技術を叩き込まれる。


 例に漏れず、無垢な幼子であった俺も齢5歳の頃からこの英才教育を施され、立派な戦闘使用人として日々精進を積んでいた。


 巷では、アロガンシアの使用人は「戦闘狂」と言う噂が常として広がっているらしく、実際にその通りでもあった。


 ──なんでこんな濃い設定があって、ゲーム本編では一ミリも触れられてないんだよ……。


 前世の記憶を思い出した所為か、日が経つごとに自分が置かれている異常さに気が付かされて、思わず内心でボヤく。


「……いや。確かゲームのワンシーンにそんな描写もあった──か?」


「何の話だ?」


 喉元を抉り取るかのような鋭い突きを交えながら、父ラーゼンが俺の口から漏れ出た言葉に反応する。


「いや、何でも──ないッ!」


 無駄な思考を振り払うように俺は言葉を重ね、迫りくる必殺の一拳を紙一重で回避して事なきを得る。その勢いを利用して、反撃と言わんばかりに正拳突きを見舞えばそれを更に受け流されカウンターが舞い込んでくる。


 ──全く、油断も隙もあったもんじゃない……。


 回避する術は……この体勢からでは不可能。潔く負けを認めて、即座に受け身の体勢を取る。


「ぅぐぁ……ッ!?」


 背負い投げの要領で体を投げ飛ばされ宙に浮いたかと思えば、勢いよく背中から地面に叩き落とされる衝撃に思わず目を剥く


 愛息子を投げ飛ばした張本人はやはり無感動に機械的に言葉を紡ぐのみだ。


「──もう一本行くぞ」


 ──やっぱりこの親父、おかしすぎるくらいに強い!


「次はぶっ飛ばす!!」


 あと鬼畜。そう愚痴をこぼしながらも俺は自分の表情が喜色で引き攣るのを自覚した。


 その後、朝の日課である組手はノンストップで一時間ほど続いた。


 ・

 ・

 ・


 使用人の仕事は多岐にわたる。


 家事雑用から始まり、仕える主人の身の回りの世話に、不自由のない生活を送ってもらうための細かい気配り、何か頼まれれば返事の次には即行動。正に毎日が戦争な訳であるが……とりわけ、アリサお嬢様の小間使いとして仕える俺や日毎に彼女の身の回りの世話を担当する使用人らの仕事の内容は他の使用人たちよりも過激であった。


 なにせ、ゲームでも主人公であるヒロインに度重なる嫌がらせや、手練手管を投じて貶めようとした悪女から、息をするように繰り出される無理難題には暇がない。


 その内容は正に凄まじい。


 この前の「龍の肉」や「木の上から無防備で飛び降りろ」というのは正に酷い部類のモノある。他にも服が気に入らないから私が満足するまで服を持ってこいだの、紅茶が少しでもお気に入りの温度じゃなければすぐに不貞腐れるとか、魔術の鍛錬が上手くいかなければ延々と動く的として憂さ晴らしに付き合わされたり……まぁ色々とお察しである。


 そんなものと比べれば、まだ実現可能で彼女の側から離れられる昨日のイノシシ狩りなんてのは当たり……楽な部類のお願いであった。


 ──そりゃあこんな我儘ばっかやってたら、周りの人間からは呆れられて見放されるよなぁ。


 そんな公爵令嬢様は当然ながら使用人らに恐れられ、できれば関わりたくない腫れ物状態であった。


「正に俺は外れクジを引かされたわけだ……」


 ご主人様の我儘や邪智暴虐ぶりを思い返して俺は乾いた笑みを浮かべる。


 まだ当番制で彼女の世話を日替わりで負担している他の使用人たちはいいだろう。だが、お嬢様の専属小間使いとして宛がわれた俺は毎日が過酷な日々である。果たして、親父殿はなぜ愛息子にこんな仕事を与えたのか……その真意は一応知らされてはいるが納得はできないよねって話だ。


 だが、そんな俺にも平和な時間帯は存在する。


 現在は他の使用人──グリース叔父さんの庭手入れの仕事を手伝っている最中。と言うのも、朝から昼の時間帯は基本的にアリサお嬢様は座学や魔術、社交マナーのレッスンなどで専属の家庭教師がついており、忙しい。その間、小間使いの俺にはほとんど命令や仕事が回ってこず、他の使用人のヘルプに入っていることがほとんどなのである。


 この時ばかりは、あの邪智暴虐のお嬢様の無理難題から解放され、平和な使用人ライフが送れていると言うことである。正に俺にとってこの一時が掛け替えのない、癒しの時間であった。


「駄犬! 駄犬はどこ!?」


「……はぁ──」


 まぁ、名前を呼ばれればどんな時であろうと即座に馳せ参じなければならないわけだが。


「お、今日はすぐに呼ばれたな」


「……ごめんグリース叔父さん、ちゃんと手伝ってやれなくて……」


「気にするな。さ、お嬢様の機嫌を損ねる前に早く言ってやりな、セナ」


「はぁ──そうだな……」


 手入れ鋏を持つ手が完全に脱力するのを感じながら、俺は重くなりそうな足取りに鞭打って走り出す。


「はてさて、今日はどんな無理難題が飛び出すかな?」


 その数分後、俺はまるでびっくり箱のように飛び出してきたお願いに苦虫を嚙み潰すことになる。

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