第2話 モブ執事は考える
前世の記憶を取り戻してから一日。
「久しぶりに完オフだ……」
俺は父である執事長のラーゼン・ハウンドロッドから療養を言い渡されていた。
流石に、主の命令とはいえ推定約十三メートルほどの高さがある木の上から飛び降り頭を打って、その次の日にすぐ働かされるほど俺が生まれ育った家の労働環境は劣悪ではなかった。……そもそも、頭から落ちて五体満足の方がおかしな話なのだが──そこはまあ日々の鍛錬の賜物といったところか、ここが本当にゲームの世界なのだと実感させられる。
──条件的には清水の舞台より生存率が低い筈なんだけどなぁ……。
そんなアホらしい思考をしてしまうくらいに、久方ぶりの休養を嬉しく思うがそれも目が覚めて数時間後には飽きへと変わっていた。
何せ、普段が日々の激務で忙しすぎるせいで、逆に何もしていないこの現状が落ち着かない始末である。完全に職業病という奴であった。俺が転生した使用人一族──ハウンドロッド家は、先祖代々アロガンシア公爵家に仕える一族であり、そんな俺は小さい頃から使用人見習いとしてこの屋敷で働いてきた。
前世の記憶を思い出したからこそ思うが、当時はまだ年端もいかない子供に強いるにしては使用人一族の教育は常軌を逸していたように思う。礼儀作法は勿論のこと、日々の雑務にゆくゆくは主をサポートできるようにと一般教養の修学に、主を護るための武術鍛錬など……全く、休みなんて入り込む余地のないスパルタぶりだ。
「ほんと、よくもまぁこんな鬼畜環境でグレなかったよ……」
無意識に前世の経験が生きていたのかは不明だが、俺は幼いながらに物覚えがよく、簡単な雑務ならば大抵の仕事ができた。それもあって、幼い頃の俺は家族の役に立てるのが嬉しくて、不満も覚えず仕事を頑張れていたところがある。
「──まぁ、今まさにグレそうなんだけれども」
しかし、そんな有能ぶりが災いしてここ一年で俺の人生は一気におかしな方向へ飛んでいき始めた。
まだ若いながらに仕事ができるということと、年齢が近いことから一年ほど前に俺は、アロガンシア家の嫡女であるアリサ・アロガンシアの小間使いとして身の回りのお世話の任を賜った。
このお嬢様こそがゲーム『ヘルデイズ』に登場する悪役令嬢であった。簡単に言えば、ゲームでよくある主人公の当て馬キャラ。貴族の子供らが集まる学院で、平民である主人公に突っかかり、貶めようとして、その過程で悪事が露呈し、婚約者に愛想を尽かされて婚約破棄。その全てを主人公の所為だと逆恨みからの、ゲームの敵役である悪魔に操られ、闇落ちからのラスボスとして立ち塞がる、よくあるパターンのキャラである。
性格は……まあ、駄々を捏ねて小間使いの子供を木の上から命綱無しバンジーをさせるぐらいなのでお察し。超が付く程の我儘で、両親であるアロガンシア公爵夫妻に死ぬほど甘やかされて育てられた箱入り娘である。
彼女が「欲しい」と一言呟けば大抵のモノは手に入り、どんな願いでも貴族……それも公爵家の力を使って大体叶ってしまう。
「まぁ流石に、龍の肉を今すぐ持ってこいというのは不可能だったわけだが……」
宮仕えで忙しいアリサの両親は娘を構ってあげられない罪悪感からか、とにかく大事な愛娘に不自由な思いをさせないように、あらゆる手を尽くして甘やかしまくった。その結果、齢12歳にして使用人にほぼ自殺を強要する理不尽娘に育ったわけだ。しかも何が厄介ってこの傍若無人さに魔術の才能も恐ろしいほどにあるのだから手が付けられない。
そんなアリサ・アロガンシアは前述したとおり今後、公爵家の令嬢として貴族のご子息・ご息女が通う学園などに通って、そこで人生の厳しさを知り、勝手に一人で暴れまわって、このロベルタス王国の王子様に婚約破棄され、最後は破滅の未来を辿るわけだが──
「もちろんその破滅にアロガンシア家は勿論、俺達も巻き込まれるんだよなぁ……」
その関係者である俺も、漏れなく巻き添え喰らって破滅する。濁さず言えば「死ぬ」わけである。
ゲームのテキスト描写すらないモブ執事ではあるが、これは確定だと思っていい。何せ、悪役令嬢の小間使いをやらされてるくらいなのだ。もっとちゃんと言えば、ほんとにあっさりとシナリオテキストでアロガンシア家は没落してその関係者すべてが国にしょっ引かれた的なことが書かれていたいような気がする。
ならば、その破滅の未来を回避するために何とかしなければならないわけだ。俺だって死ぬと分かっていて「はいそうですか」と受け入れられるわけもないわけだが……。
「んで、いったいどうやって?」
問題はこれである。
前世の記憶を取り戻して直ぐは「まだ五年ある」と、「ゲームの知識があればなんとかなる」と思っていた。
だが、具体的にどうやって破滅の未来を回避すればいい?
ただのモブ執事である俺が実行できる選択肢は限られる。最初に思いついたのは自分だけこのアロガンシア公爵家から逃げることだが──
「ないな」
真っ先に思い浮かんだ一つ目の選択肢を切り捨てる。
雇い主であるアロガンシア家から逃げるということは、家族を見捨てるということだ。それは俺としては論外だった。前世の記憶を取り戻したとはいえ、それは偶然の産物であって、俺にとっては大切な家族なのはなんら変わらない事実だ。……それなら家族と一緒に逃げればいいとも思ったが──それも無理だと確信していた。
「絶対に家族はそんなことをしてくれない」それほど歴史の深い主従関係なのだ。
先祖代々、古くから公爵家に仕えてきたハウンドロッド一族はちょっとやそっとの事じゃ主を裏切ることはない。仮にそれが実の息子の忠告であってもだ。
今まで築き上げてきた歴史深い主従関係はその程度では崩れないし、それくらいの誇りと忠誠心は持ち合わせている。傍からすれば俺の破滅云々なんてのは妄言としか受け取られないだろう。だからと言って、前述したとおり前世の記憶を思い出したところで、今世の家族に愛着はあるし、大切な存在だ。それを見捨てることはできない。
「なら……」
残る選択肢は破滅の元凶であの我儘公爵令嬢──アリサ・アロガンシアを常識ある心根優しく、思いやりのある真人間に更正させるしかないわけだが……。
「これも無理だろうなぁ~」
現時点のアリサ・アロガンシア(12歳)で、ゲーム開始時点の邪智暴虐な悪役令嬢の大体はほぼ完成されているわけで……果たしてここから巻き返しは効くのだろうか?
そもそも、たかが使用人風情が主人に口出しできるわけもない。もうこの時点で詰んでいるような気もしていた。
「マジでどうすんのコレ……」
絶望的な現実にベッドの上で胡坐をかいて唸っていると、不意に部屋の扉が叩かれ何事かと首を傾げる。
朝食はさっき食べたばかりで、今日は父の言いつけどおり療養なので座学や鍛錬、仕事はない。もちろん家族は仕事で忙しいので、こんなピークタイムにわざわざ部屋に尋ねてくる人などいないはずであるが──
「どうぞ──?」
あらゆる可能性を思考しながら、しかしいつまでも無視するわけにもいかないので入室の許可を出す。
果たして、俺の部屋を訪ねてきたのは──
「この私が直々にお見舞いに来てあげたわよ──駄犬」
俺のご主人様であり、療養する元凶でもあるアリサ・アロガンシアであった。