第6話
西武池袋線練馬駅南口から千川通りを渡り、迷路のようなごみごみした路地裏の飲食店街を進むと、運よく道に迷わなければ、バー『ゴールデンドーン』の看板が見つかる。
数年前、ガールズバー跡地にオープンしたエナジードリンクバーだ。
様々なエナジードリンクをベースにしたカクテルバーで、ソフトドリンクも飲める。
富島聡はバックバーから見てカウンターの一番右端のスツールで『ドッペルハイボール』を飲んでいた。『ドッペルゲンガー』とウイスキーを割ったカクテルだ。
『ゴールデンドーン』は富島の行きつけのバーだった。気分が落ち込んだときには一人でここに来た。
店内の客はまばらだった。
「『ドッペルマティーニ』です」
バーテンが富島にカクテルを差し出す。
「あちらのお客様からです」
バーテンはカウンターの反対側にいる客を手で指した。富島は機械的にその客に会釈した。
カウンターは右端に富島、左端にその客がすわり、残りはすべて空席だった。
「ここいいかしら」
左端の客が立ち上がり、富島の隣に座る。
小柄な若い女性だった。
白いTシャツの上に灰色の作業服をひっかけ、褪せたジーンズ、汚れたスニーカー。白いスキー帽の下に黒縁の眼鏡と茶髪のボブカット。
見るからに腐女子といった感じだがよく見ると平均よりは美形かもしれない。富島はそう思った。
腐女子は富島が聞いてないのに自分のことをしゃべりだした。
名前は三上由香里。年齢は二十歳。地元の工業高校卒業後、江古田の自動車修理工場で働いてるとのこと。
マッチングアプリで知り合った彼とここで待ち合わせしたところ、二時間待ってもまだ来ない。
だから退屈して『ドッペルマティーニ』を富島にご馳走したとのこと。
「今度はあんたの話を聞かせて」
由香里が言った。
富島は自分の名前と銀行員であることを由香里に教えた。
「どうして今日、この店に来たの」
「実はある女にふられたんで落ち込んでたんだ」
「その女って富島さんの彼女?」
「いや、そうじゃない。初対面の女で、しかも大嫌いな女だ」
「だったらふられた方がいいじゃない。嫌いな女に好かれたら後が面倒よ。
好きな女にはふられるよりもてた方がハッピーだけど、嫌いな女にはもてるよりふられた方がハッピーなんじゃないかしら」
「でもその女、ぼくが童貞なんでばかにしたんだ」
「えっ? 富島さん、歳いくつ?」
「三十歳だ」
由香里は手で口抑えて「ぷっ」と吹き出す。
「そりゃあ確かにキモいわ」
「ひどいなあ君は。人が真剣に悩んでいるのに」
「でもヤリチンのチャラ男とキモオタ童貞だったら、女からしたらどっちもどっちかな。
女にとって一番地雷なのがDV男よ。それにくらべればキモオタの方がまし。
DV男は一緒にいたら怪我したり、殺されたりするかもしれないけど、キモオタは一緒にいてもそういう心配しなくていいし」
するとおそろいのアロハシャツを着た二人の男が店内に入ってくる。二人ともアロハシャツからはみ出た腕に毒々しいタトゥーがのぞいている。
「由香里、待たせな」
「正志ったら、遅いじゃないの」
正志は由香里の腕を引っ張り、強引に席を立たせ、自分は左端のスツールに座り、由香里をその隣に座らせる。
さらにもう一人のアロハシャツの男がその隣に座り、二人の男が由香里をはさむ形になる。
「こいつはおれのダチの武志」
正志は由香里に武志を紹介する。
富島は再び一人になり、カクテルを飲みながら由香里たちをそれとなく観察した。
三人で会話は盛り上がっているようだったが、由香里に気づかれないよう、由香里のカクテルグラスに正志がこっそり錠剤を入れるのを富島は見つけた。
カクテルに睡眠薬を盛り、女が眠ったらホテルに連れて行き、そこで無理やり性交する......。
こうしたレイプまがいの手口を反社の男たちはよく使う。
富島は居ても立っても居られなくなった。
由香里はカクテルグラスを一口飲むと、「なにこれ」と言って反射的に吐き出す。
「変な薬入れたでしょう」
由香里は正志を問い詰める。
「ばれちゃ仕方ねえなあ」
正志は立ち上がり、由香里の体を力づくで肩に担ぐ。
「ちょっとなによ、信じらんない」
「マスター、つけといて」
由香里は足をばたばたさせて抵抗するが、どうにもならない。
正志が店を出ようとすると、富島は先回りして通せんぼする。
「おまえ、だれだ」
「彼女を離せ」
すると正志の後ろにいた武志が富島のみぞおちを殴る。
富島は床に崩れ落ちる。
由香里を担いだまま正志は店を出る。武志が後に続く。
富島は腹をおさえて立ち上がり、彼らの後を追う。
(つづく)