表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/37

第9話 一か八かの賭け

「エイリオ!」


 ガレンさんが槍斧を構えながら呼ぶと同時に、エイリオくんが咄嗟に身を翻す。

 しかし――


「ぐっ!」


 完全には避けきれず、グリードウルフの牙が彼の右腕を裂いた。

 荷台の上に赤い血が飛び散る。


 間髪入れず、ガレンさんの槍斧がグリードウルフの頭を正確に突き刺す。

 ズシュッ、という鈍い音とともに魔物は絶命した。

 ガレンさんが槍斧を引き抜き、グリードウルフの死体を馬車の外へと放り投げる。


「合理で計れぬ動き……たとえば、こんな動きだな」


 ガレンさんが淡々と言った。

 いまだ警戒を解いてはいないのだろう、会話しつつも鋭い視線で周囲を見回している。イレーナさんも御者をしている商人さんに問題ない旨を伝えながらも、ガレンさんの死角をカバーするように森へ視線を向けていた。


「いったぁ……勉強に、なったっす……」


 エイリオくんが右腕を押さえながら、苦笑いを浮かべる。

 私は彼の腕から流れ出ている血を見て、青ざめた。


「エイリオくん! 血が……血がっ!」


 声が震える。

 なぜ、みんなが平然としているのかがわからない。

 こんなにも血が流れているのに。


 この世界には魔石や魔術など便利なものはあるが、回復薬などは存在せず、傷を瞬く間に治す方法は治癒聖術以外にない。そしてこの場には誰も、治癒聖術を使える人間はいないのだ。


「これぐらい、大したことないっすよ……」


 エイリオくんが軽い調子で言う。

 でも、その表情は明らかに苦痛に歪んでいる。


「大したことないわけがないでしょう!」


 私は慌てて革製の荷袋から清潔な白い布を取り出し、エイリオくんの傷口を押さえた。でも、どうしよう、血が止まらない……!

 おろおろする私に、エイリオくんが言う。


「あの、オレ魔力持ちなんで、マジでそこまで心配しなくても大丈夫っすよ。これぐらいの出血じゃ死なないっす」


 魔力持ちは常人と比べ、身体能力が非常に高い。それは純粋な生命力も含むのだろう。

 だからエイリオくんの言う通り、これぐらいで死なないのは本当なのかもしれない。でも人間である以上、血を流し続けて大丈夫なはずがない。その証拠に、大丈夫だと言うエイリオくんの顔色がどんどん悪くなっている。


 ガレンさんやイレーナさんの顔を見ると、その表情は深刻そうで、とても楽観視できる出血じゃなさそうに見える。それでもイレーナさんは私と目が合うと、微笑んで私の肩に手を乗せた。


「弟の手当てありがとね。でも落ち着きなよ。本当に大丈夫だから」


「そんな、でも……」


 じゃあ、なぜそんなに深刻そうな表情をしているのか。

 私の考えていることを悟ったのか、イレーナさんは首を小さく横に振りながら言った。


「慌てたって仕方がないし……それにアタシたちは、最悪の場合を考えてるだけだから。そうだよね、ガレンさん」


 イレーナさんがガレンさんを見上げると、彼は眉間を指で押さえ、大きくため息をついてから答えた。


「…………そうだな。そうならないことを願っているが」


「ちょっと、不吉なこと言わないでくださいよ……これぐらいの出血じゃ死なないって、言ってるじゃないすか……」


 エイリオくんの声はか細く、もうほとんどさっきの勢いが残っていない。

 目を閉じかけながら、かろうじて私の顔を見上げていた。


「バカ、横になりなって……すぐに治療はできないんだから、こんなところで体力使うな」


「え……ちょっと姉貴、なんで泣きそうになってんの? 次の村はそんな遠くないだろ? 教会に行けば治してもらえるから、そんな悲観しなくても……」


「エイリオ」


 大人しく横になりながらも首を傾げているエイリオくんに、ガレンさんが重々しい声で言う。


「次の村には、治癒聖術使いはいない」


「え……マジです?」


「ああ。今朝発った町の教会で聞いたから、間違いないだろう。というより昨日の晩、旅の打ち合わせ中に言っただろうが」


「……聞いて……なかったっす……」


 エイリオくんがうめくように答える。


「これに懲りたら、今後は警戒を怠らないことだな。……その前に、今後があることを祈らなくてはならんが」


「ちょっ、やめてくださいって……マジで死にそうな気分になってきた……」


「今朝までいた町に戻るのは!?」


 私は思わず声を上げた。あの町の司祭様は治癒聖術使いという話だ。

 あそこに戻れば、きっと治せるはず。


「冒険者の負傷によって来た道を引き返すかどうかは、揉め事の元になりやすいからな……護衛の契約時、すでに商隊の責任者と話し合っている。負傷時にも引き返さないとな」


「引き返したときの損害金を払えるお金なんてウチのパーティーにはないし、護衛の冒険者はアタシたちだけじゃないしね……」


 ガレンさんとイレーナさんは、そう言って目を伏せた。

 それを見て、エイリオくんが力なく呟く。


「ああ……どうせ終わるなら、超強い魔物と戦って激闘の末にとか、ダンジョンでレアアイテムを手に入れてからとか、可愛い彼女を守ってとかが良かったな……こんな、しょうもない終わり方するなんて……」


「そんな……諦めないでください。これぐらいじゃ死なないんでしょう……?」


 今さらながら、目の前で人が死んでしまうのだという実感が湧いてきて、涙が出てくる。

 それを見たエイリオくんは驚いたように目を見開き、次に気まずそうな表情で口を開いた。


「あー……あの、リシアさん。その……さっきも言ったんですけど……」


「――女神様」


 もはや一刻の猶予もないと思った私は、一か八かの賭けに出た。


「女神様、私に治癒聖術を授けてください……お願いします!」


 私は無力だ。

 目の前で死にかけている人ひとり救えなくて、何が聖女か。何が世界平和か。


「女神様……女神様!」


 空に向かって、何度も何度も必死に呼びかける。

 するとしばらくして、空からふわりと、柔らかな光が差し込んできた。

 頬に触れる風が止まり、空気が静まり返る。

 そして、頭の中に声が響いてきた。


『……なに? 今、寝てたんだけど』


「起き抜けにすみませんが、私に治癒聖術の力を授けてください!」


 私の要求に女神様が不機嫌そうな、やや低い声で答える。


『あなたにはもう、望んだ力と加護をあげた。聖女に与えるのは、ひとつの力とひとつの加護だけ。歴代の聖女みんな、そう』


 感情に任せてまくし立てたくなる気持ちをぐっと抑え、努めて冷静に、淡々と女神様に意見する。


「歴代の聖女様がそうだったからといって、前例に沿うのはどうかと思います。むしろ今まで女神様のご期待に沿う結果が得られなかったのは、ひとつの力とひとつの加護だけだったからなのでは?」


「え、えっと……リシアさん? リシアさんは魔力持ちじゃないから、女神様に祈っても治癒聖術は覚えられないと、思うんすけど……」


 エイリオくんが恐る恐る、といった感じで話しかけてくる。

 ドン引きしている気配がするけど、こちらは女神様と交渉している真っ最中だ。なりふり構ってなんかいられない。


『でも、あなたがダメだったらまた、次の聖女に力をあげなきゃいけないから。わたしの力も、無限じゃない』


「今からダメだったときのことを考えないでください。っていうか、ケチケチしないでくださいよ! 二千年も寝てたんだから力溜まってるでしょ!?」


 思わず本音が出てしまう。

 人の命が懸かってるんだから、つべこべ言わず早く力をよこしてほしい。


『……もう、うるさいな。わたしにそんなこと言うの、リシアだけだよ』


 女神様がそう言うと、私の身体が光り輝き始めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ