第53話 魂の故郷
これって……
「……日本酒?」
思わず口から出た言葉に、レイスさんは眉をひそめた。
「ニホン酒? なんだそれは?」
あ、しまった。この世界に日本はないから、日本酒もあるわけがない。
仮に製造法が似通っていても、違う名前の異なるお酒のはずだ。
「ええと……故郷で少し、似たようなお酒を飲んだことがありまして」
故郷って言っても、魂の故郷だけど。
私が慌てて取り繕うように説明すると、レイスさんは興味深そうにじっとこちらを見てから、わずかに口角を上げた。
「なるほど……確かに、素材はそこまで珍しいものじゃない。似たようなことを考える人間はいるだろうな。それで?」
「何のお酒か、ですよね。これは……お米を使っているのでは?」
「ほう、そこまでわかるのか」
レイスさんは感心したような表情を浮かべながら、ソファの背もたれに寄りかかり足を組んだ。
「正解だ。これは米を発酵させて作った酒でな。自由都市連合から来たやつが持ってきた土産で、この辺りでは珍しいものだと思っていたが……お前、北から来たのか?」
「いえ、南です。王国の辺境から来ました」
「そうか。親は教会の人間か?」
「親ですか? いいえ、両親ともに農村出身の農民ですが……」
「なんだ、農民か」
レイスさんはふっと小さく笑って、再度グラスに口をつけた。
え? もしかして今、バカにされた?
「てっきり代々世襲している裕福な聖職者の生まれで、普段から酒を嗜んでいるから素材がなんなのか当てられたのかと思ったぞ」
「あっ、そういう……そんな、違いますよ。本当にたまたま、似たようなお酒を飲んだことがあっただけです。普段は節制した生活をしてるんですから」
女神様にスキルを授かってからはお腹がやたら空く関係で少しだけ暴食気味だったけど、スラム街でパンを配るようになってからは自分が食べる量も控えている。
普通に考えて、スラム街の人たちに少しずつしかパンを配っていない横で、お腹いっぱい食べられないからね……もちろん、物理的に横じゃなければ良いって話でもなく。
……お腹が空いているのを思い出したら、なんだか胃が痛くなってきた。会話に集中しよう。
「それで、レイスさん。話を戻しますが、あなたがスラム街の人たちを率いて、王国軍に抵抗する理由は何ですか? あなた一人であればここを出て王都で何かしらの職を得るなり、地方に行くなりできる気がするのですが」
「さっきしていたのは、そんな話だったか?」
「違ったかもしれませんが、私が聞きたいのはそういうことです」
まだスラム街の問題を解決する道筋は見えないけど、レイスさんに協力してもらえればそれが見えてくるかもしれない。そのためには彼がどういう理由で活動しているかを知る必要がある。
極端な話、王国軍に抵抗する理由が『実は帝国軍のスパイで、王国内を荒らすため』とかだったら、スラム街の問題解決に協力してもらえるはずがないからだ。もちろんそれは極端すぎる話だし、仮に本当に帝国軍のスパイだったらまず間違いなく私にそんな話はしないだろうけど。
「理由……理由か。難しいな。気がつけばここにいて、どうしようもない連中を指揮していたからな。ただ……」
レイスさんが言葉を続けかけた、その時。
――バンッ!
部屋の扉が勢いよく開け放たれた。
驚いて振り向くと、ボロボロの衣服をまとった白髪の老人が、杖をつきながらこちらへずんずんと歩み寄ってくる。
「アレク! このバカモン! こんなところにいたのか!」
老人はそのままレイスさんの前に立ちはだかり、眉間にシワを寄せて怒鳴った。鋭い叱責の声が室内に響く。
……え、アレクって誰?
「父さん、落ち着いてくれ」
レイスさんが立ち上がって老人の肩に手を置く。
「患者が並んで待っておるのに、お前はこんなところで酒など飲んで……!」
「すぐ行くから待っていてくれ。もう少しで話が終わる」
「話? 何を……」
老人はそこで初めて私に気がついたようで、こちらをじっと見つめてきた。
「むぅ……教会との折衝か。であれば、仕方あるまいな……」
「だろう? さぁ、患者が待ってる。先に戻っててくれ。俺も後から行くから」
レイスさんに背中を押され、老人は渋々といった様子で部屋から出て行った。扉が閉まってから、私はレイスさんに尋ねる。
「レイスさんのお父さんですか?」
「いや、赤の他人だ」
あっけらかんと答えるレイスさん。
え? でも今さっき、父さんって……。
「彼の息子は十年前に死んでいる。……俺が殺した」
その一言で、室内の空気が一変した。私の背筋に冷たいものが走る。
レイスさんは何事もなかったかのように、空になったグラスを机に置いた。
「俺は元、死刑執行人でな」
話によると、あの老人とその息子はかつて王都で医者をしていたらしい。
教会の治癒聖術使いは人口に対して非常に数が少ないので医者の需要は尽きず、また誰しも簡単になれる職業ではないため、高い地位と収入が約束された順風満帆な一家だったようだ。
だが、あるとき医者の息子が急患で医療ミスを犯し、その患者がたまたま有力な貴族だったことが災いした。貴族の遺族は怒りの矛先を医者の息子に向け、やがて裁かれることになった。
そしてそのとき、処刑を執行したのが若き日のレイスさんだった。
「……それ以降、彼は現実をまともに受け止められなくなった。年頃の男を見れば、誰であれ息子だと思い込んでしまう」
だから、先ほども『アレク』と呼び、レイスさんを息子扱いしたのだ。
しかもよりによって、処刑した本人を。
「当時の王国は死刑の数が凄まじく多くてな。そのほとんどが絞首刑ではあったが、元になる数が数だけに斬首刑も少なくなかった」
レイスさんは淡々と語る。
「普通であれば、一人の処刑人ができる斬首などたかが知れている。だが、ちょうど俺の代は共和国製の魔剣が届いたばかりでな」
そう言うと、彼は腰に下げていた鞘から剣を抜いて見せた。
刃の根元に黒い魔石らしき球が埋め込まれた漆黒の剣身が、薄暗い室内でも鈍い光を放っている。見ているだけで背筋が寒くなるような、不気味な威圧感を放つ剣だった。




