第52話 遊びに来ました
「……お前か。スラム街の入り口でパンを配っているという自称、聖女は」
「え?」
一瞬、耳を疑う。いま私のこと自称、聖女って言った?
ここでは初めに子どもたちにパンをあげたとき以外、聖女って言ってないはずなのに。どうして彼が私を聖女だと知っているのだろう。しかも自称。
疑問に思っていると、ジャンさんが私の耳元に口を寄せて小声で説明してくる。
「リシア様、初めにあなたが聖女と名乗った子どもたちの話と、小麦一粒からパンを生み出している姿から、スラム街ではあなたのことが噂になっています。聖女かもしれない、と」
「あ……そうなんですね」
面と向かっては全然言われないから気がつかなかったけど、噂になってたんだ。
……なんだろう、今まで聖女だと言っても中々信じてもらえないことが多かったからか、噂になっているだけでも少し認められた気がして嬉しく感じる。
「なんだ、お前じゃないのか? 自称、聖女だという頭の狂ったシスターは」
「あ、いえ、私です。頭が狂っているつもりはありませんが……そういうあなたは、レイス・ランベールさんでお間違いないでしょうか?」
私がそう言うと、彼は目を眇め、訝しげに眉をひそめた。
なぜだか、一気に警戒されてしまったみたいだ。
「……お前、何者だ?」
「リシア・ロウベルと申します。あなたが仰る通り自称、聖女です。今のところは、ですが……そうだ、これがありました」
私は懐から大司教様に託された手紙を取り出すと、両手で差し出した。
レイスさんは受け取ろうとせず、鋭い視線を私に向けたまま低く問いかける。
「それはなんだ?」
「エリュア大司教様からのお手紙です。これをあなたに渡すように、と」
「……あの女からか」
レイスさんは淡々と言いながら手紙を受け取り、その場で封を切った。
目を走らせながら読み進める表情には変化がなく、感情は読めない。
でも手紙を受け取ってくれたということは、少なくとも大司教様との関係は最悪というわけではなさそうだ。
「……聖女、か」
レイスさんはそう呟くと、大司教様からの手紙をぐしゃりと握り潰した。
え、なんだろう……怒ってる? いやでも、若干笑ってるような、呆れているような顔にも見える。
「ついてこい。王家の狗と、丸太のハリボテはここに置いていけ」
私の隣にいるジャンさんを見ながら、レイスさんが冷たく言い放つ。
その視線には明らかな敵意が込められていた。
「いや、それは……」
「王家の狗がついてくるならば、この話は無しだ。このまま立ち去れ」
ジャンさんの言葉を遮るように、レイスさんが断固とした口調で告げる。
交渉の余地など微塵もないという強い意志が感じられた。
「リシア様……」
「私は大丈夫ですから」
心配そうな目で見てくるジャンさんに対して、微笑みながら答える。
彼は私が弱くないことを知っているので、身の安全という点に関しては説得力があるはずだ。
あとは彼の仕事内容に、私の『監視』が入っている場合だけど……もし仮にそうなら、それに関しては今回どうしようもないので、諦めてもらうしかない。
そんなこちらの意思が通じたのか、ジャンさんは小さくため息をつくと、諦めたような、それでいて穏やかな顔で言った。
「仕方がありませんね。ではスラム街の自宅に戻りますので、終わりましたらご連絡ください」
「わかりました」
私が頷くと、レイスさんが背後の武装集団を親指で差しながら口を開く。
「おい、王家の狗。入口までの護衛が必要か?」
「いえ、結構。それではリシア様、どうかお気をつけて」
ジャンさんは丁寧に一礼すると、振り返ることなく来た道を戻り始めた。
その後ろ姿が次第に小さくなり、やがて角を曲がって完全に見えなくなったのを確認してから、レイスさんが私に視線を向けてくる。
「……いつまでそのハリボテを持ってるんだ?」
「あ、すみません。ここに置いていきますね」
私は抱えていた5メートル超の丸太を、できるだけ音を立てないようにそっと地面へ降ろした。
ハリボテじゃないんだけどね。
レイスさんは無言で地面の丸太を一瞥すると、踵を返して歩き始める。
私はそれに数歩遅れてついていった。歩きながら周囲を見回すと、薄汚れた布で作られた粗末なテントや崩れかけた小屋が並ぶ中で、レイスさんの進む先には他と比べて少しだけまともに見える建物があった。壁は木材と石の混合で、ボロ布よりは雨風を防げそうだ。
そこまで来ると、背後についてきていた武装集団にレイスさんが短く命じる。
「解散だ」
その声に従い、人々が散り散りになっていく。残ったのは私とレイスさんだけ。彼はためらいもなく扉を押し開け、そのまま中へ入っていった。
「先ほどの方たちは、なぜ槍や弓矢などを持っていたんですか?」
思わず気になって尋ねると、レイスさんは振り返ることなく答えた。
「森に出ていたのだから、狩りをしていたに決まっているだろう。……獲物はいなかったがな」
建物の奥に入ると、居間らしき部屋に出た。外観と比べて意外なほど整っていて、その中心には重厚な木材と革で作られた、場違いなほど立派なソファが置かれていた。
レイスさんはそこに当然のように腰掛け、短く顎をしゃくる。促されるまま、私は対面にあったもう一つのソファに腰を下ろした。
「狩りとかするんですね」
「スラム街の入り口にいる奴らと違って、この辺りに住んでいる連中は王都での働き口がないからな。見た目も頭も悪くて、格安でも雇われない連中ばっかりだ。ケツを叩いて狩りにでも行かせなきゃ、そのうち野垂れ死にする」
「え、えっと……」
なんて言えばいいのか、コメントに困る。
同情するのも上から目線に聞こえそうだし、かといって普段の彼らを知らない私が賛同するのも違うだろう。
そんな私の困惑を察したのか、レイスさんはわずかに口元を歪めた。
「さて……どうやらお前は本気で自分を聖女だと思い込んでいて、スラム街の問題を解決しようとしているらしいな」
「思い込んでいて……はい、そうです」
ここで否定しても話が滞るだけなので、とりあえず頷いておく。
「だが大司教からの手紙によると、今の時点で解決策があるわけではないという。であれば、なぜここに来た?」
問いかけは淡々としているが、その視線は鋭い。
遊びに来ました、とか言ったら即行で叩き出されそうな圧を感じる。
「ここではあなたがまとめ役をしていると聞きましたので、ご挨拶と、ご相談に参りました」
「挨拶はどうでもいいが、相談か。何も案がない現状で、何を相談するんだ? 言ってみろ」
「まず……私が聞いた話によると、こちらに住んでいる方々が取れる選択肢は実質、新天地を開拓する以外にない、とのことですが……それは合っていますか?」
私の言葉に、レイスさんは小さく鼻を鳴らした。
「そういう選択肢を強いられているからな。合っている、と言わざるを得ない」
「強いられている、ですか……」
「そうだ。結局のところ、俺たちは烏合の衆だからな。後ろ盾はなく、大した力もない」
「でも大司教様の話によると以前、王国軍がスラム街を半ば強引に解体しようとしたとき、あなたはここの人たちを率いてすごく抵抗したと聞きました」
そう言うと、レイスさんは自嘲するように笑った。
「いざ死にそうになれば、普段は怠惰な人間でも抵抗ぐらいするだろうよ」
「それはそうだと思いますが、レイスさんはそれに当てはまらないのでは? 少なくとも、あなたはここの人たちを率いて王国軍に抵抗したり、狩りに行ったりと、怠惰には到底思えません」
レイスさんは自嘲気味な笑みを消して、真顔になった。
それから無言で立ち上がり、隣の部屋に行ったかと思うと、今度はやや大きめの酒瓶らしきものを持ってきた。シャンパンでも入っていそうな形状だ。
そしてどこからともなくワイングラスのような杯を二つ取り出すと、それに瓶の中身である透明な液体をそれぞれ入れて、一つを私に差し出してくる。
「こちらは……?」
「酒だ。聞くところによると、お前は『食』の聖女なんだろう? 何で作られた酒か当てて見ろ」
レイスさんはそう言いながら自分のグラスを傾け、透明なお酒を一口飲んだ。
……なんでいきなりお酒を出されたんだろう。
さっきの続きはシラフじゃ話せないよ~ってこと?
うーん、困った。私、お酒に関してはそこまで詳しくないんだけど。
とはいえお酒は普通に好きなので、内心ではどんなお酒なのかワクワクしていた。透明なお酒となると、パッと思い浮かぶのは焼酎、ウォッカ、テキーラあたりなんだけど、せっかくだから今まで飲んだことのないお酒だったら良いな。
この世界ではあまり……というかほぼお酒は飲んだことがないので、前世日本で私が飲んだことのない未知のお酒に出会う可能性も、なくはないはず。
私はグラスを手に取り、まずは香りを確かめてみることにした。鼻を近づけてみると、微かに甘い果実のような、フルーティーな香りが漂ってくる。
あれ? これって……と思いつつも、まだ確信が持てないので、まずは一口頂くことにした。
唇にグラスを付け、少量を口に含む。
その瞬間、ピーン! ときた。




