第50話 優しく薙ぎ倒します
「スラム街の奥は女性が一人で歩けないほど治安が悪い……というのは、女性が弱いと思われているから襲われる、というのもあると思います。そこでこの丸太です」
右肩に担いだ太い丸太の木肌を、私は左手でパンパンと叩いた。
乾いた音が森の中に響く。あまりにも場違いな存在感に、木漏れ日を受けた丸太がやけに堂々と見える。
「これだけ大きい丸太を担いでいれば、それだけでか弱い女性には見えないでしょう? それが暴力という選択への抑止力になるかなと」
「ま、まあ……確かに、ただのか弱い女性にはまったく見えませんが……」
ジャンさんは丸太を見ながら、口元をひくつかせながら言った。
引いているのが目に見えてわかる。
「しかし、あまりにも大きいので、その……現実味がなく、中身がないハリボテだと思う人間がほとんどなのでは?」
「それは私も考えたのですが……でも、あまり現実的な大きさでも、それはそれで『ハッタリ』が利かないかと思いまして」
私がギリギリ持てそうな範囲だとまったく意味がないし、それより少し大きい程度でも結局、微妙なのは変わらない。
だったら現実味などは最初から一切考慮せずに、『本物だったらヤバイ』と一目でわかるレベルの大きさにしてしまえばいいと考えたのだ。
「魔力持ちの人は力が強かったりしますし、多少は現実味ありませんかね?」
「いえ、魔力持ちの力が強いといっても、普通は元の身体能力を二倍から三倍ぐらいにするのがせいぜいなので、リシア様ぐらいの体格でその丸太はやはり現実味がないかと……」
ジャンさんの話によると、この大きさの丸太だったら筋骨隆々の大男で、かつ身体能力強化に恵まれた魔力持ちじゃないと、まず持てるイメージは湧かないとのことだった。
「それこそ力の聖女様や、他国にいるという噂のSランク冒険者であれば話は別かもしれませんが……」
「あぁ……どちらも存在自体が怪しいですもんね」
力の聖女様は二千年前の人物だ。例の『女神は死んだ』本の影響で信仰が薄れた今となっては、私の兄さんのように実在そのものを疑う人も多い。
Sランク冒険者についても『他国には、稀にAランク以上となるすごい冒険者がいるらしい』といったフワッとした噂しかなく、かなり怪しい。
少なくとも王国内の冒険者ギルドにはAランク以上の区分がそもそも存在しないらしいので、王国にいないのは間違いないだろう。
「うーん……でもやっぱり、大きさ、というか長さはこのままでいきます。この丸太であればいざというときの『威嚇』もかなり効果ありそうですし、それにもし万が一、襲われたとしてもこれだけの長さがあれば、私が直に手を出さなくて済みます」
「直に手を出さなくても……?」
「手を汚したくないとか、そういう意味じゃありませんよ。ほら、私は女神様の加護で力が強いじゃないですか? 直接手を出したら、お相手がどうなるかわかりません」
「あっ……」
私が太い丸太を手刀で切り倒した光景を思い出したのだろう。
ジャンさんの顔が真っ青になった。
あれがもし人間だったら……考えるのも恐ろしいはずだ。
「なるほど、抑止力兼、安全装置とはそういうことなんですね……」
「はい。たぶん私の場合、万が一の場合は丸太を使ったほうがお相手にケガをさせにくいと思うんです」
いくら私自身が加護でケガをする危険がないとはいえ襲われた瞬間、反射的に全力でビンタしてしまう可能性は否めない。
その点、これだけ長い丸太なら冷静に手加減できるし、相手が近づく前に対処できる……はず。きっと。
「私は女神様のおかげで治癒聖術も使えますので、普通のケガだったら大抵は治せると思うんです。だから万が一の場合は、優しく襲ってきた人を薙ぎ倒します」
「優しく、襲ってきた人を薙ぎ倒す……丸太で?」
「はい。丸太で」
優しく。
「そう……ですか」
さっきまでは困惑しっぱなしという感じのジャンさんだったが、今となっては何かを悟ったように、どこか遠い目をしていた。まるで人生の深淵を覗き込んでしまった哲学者のような表情である。私の優しい丸太撃退法について、きっと深く考察してくれているのだろう。
そんなこんなで森を抜け、スラム街に着く。
「おーい、道を空けてくれー! リシア様が……というか、丸太が通るからー!」
ジャンさんが先頭に立って、丸太注意報を出してくれる。
なんだか私よりも丸太のほうがメインになっているような気もするが、まあ実際問題として丸太のほうが存在感があるのは事実だ。
中心部を肩に担いでいるけど、それでも長いし大きいからね、丸太。ちょっとでも油断すると、人にぶつかってしまう危険がある。
「ん、ジャンか。丸太ってなんの話……うおわ!? 丸太だ!?」
振り向いた中年の男性が、丸太を担いだ私を見て驚いたように声を上げる。
「シスターの嬢ちゃん、それ……ハリボテだよな? すごいな、本物に見える」
「ふふ、本物ですよ。これから奥に行くので、襲われたらこれで暴漢を撃退するんです」
「ハハッ、丸太で撃退か。そりゃいいな、傑作だ」
中年の男性は私が冗談を言っていると思っているらしく、朗らかに笑っていた。本気なんだけどね、丸太撃退法は。
そんな感じでスラム街では人々に担いだ丸太を見られ、どよめき驚かれながらも、奥へと進んで行く。
子どもが指をさして「あの人、すっごく大きい木を持ってる!」と騒いだり、おばあさんが「珍しいものを担いでるねえ」と苦笑いしたり。まさに丸太パレード状態である。これなら確実にインパクトがあるし、どう見てもただのか弱いシスターには見えないだろう。みんな本物だとは思っていないみたいだけど。
そうして進むにつれて、周囲がどんどん暗くなり始めた。
左側は高い城壁で、右側は背の高い森の木々が入り口付近よりもスラム街に寄ってきているからか、日の光が遮られているようだ。道行く人の数も明らかに少なくなってきている。
「リシア様、ここから先は本当に危険な区域です。俺が一緒にいても襲われる可能性があります。もし何かあったら……」
「はい、優しく薙ぎ倒します」
私は丸太の重みを肩で感じながら、きっぱりと答えた。ジャンさんは再び遠い目をしたが、きっと私の頼もしさに感動しているのだろう。




