第49話 奇跡の力(物理)
「スラム街の奥に行ったら、レイス・ランベールって男がいるわ。もしそいつに会ったら、その手紙を渡しなさい」
「レイス・ランベール……どういった方ですか?」
「眼帯してる怖いおじさん。スラム街の元締めみたいな人ね」
「元締め!?」
え、スラム街にそんな人いたの!?
勝手に、住民は皆バラバラで、寄る辺もなく暮らしているんだと思い込んでいた。まさか『元締め』なんて言葉が出てくるとは……。
確かにそんな人がいるなら、会うのはちょっと怖いけど、話を聞くには一番の相手かもしれない。
「彼と良好な関係を築ければ、道が拓けるかもしれないわ」
「……道、ですか」
「ええ。どんなに立派な計画を立てても、住民たちが受け入れなければ意味がない。逆に言えば、彼が首を縦に振れば、大抵の者は従うでしょうね」
大司教様はわずかに微笑んだが、その瞳は相変わらず鋭さを失わない。
うーん、目力がすごい。とても縁故で選ばれた大司教様とは思えない。
「……わかりました。スラム街の奥へ行って、その人に会ってみます」
「そうしなさい。ただし、くれぐれも油断しないこと」
話によると以前、王国軍がスラム街を半ば強引に解体しようとしたとき、そのレイス・ランベールという人は荒くれどもを率いて相当抵抗したらしい。
「彼は味方になれば頼もしいけれど、敵に回れば何より厄介な相手よ。接触する際は気をつけなさい」
大司教様はそう言うと、静かに立ち上がった。夜も更けており、今日の話はここまでということらしい。私が深々と頭を下げてお礼を述べると、彼女は部屋を後にした。
一人になった後は、明日への不安と期待が入り混じった気持ちで床についた。レイス・ランベールという人物との出会いが、果たしてどんな展開をもたらすのだろうか。
でもその前に、何も考えなしにスラム街の奥に向かったらトラブルが起きるのは間違いなしだろうから、そのあたりも何か策が必要だ。
帝国の皇太子であるオルディス殿下に剣を向けられたり、謎の少年セルジュくんに凍らされたりという修羅場をくぐっても無事だったせいか、今となっては危険だと言われるスラム街の奥もそこまで怖くはない。ないんだけど、そうなると今度は逆に私が相手をケガさせるのが怖い。
女神様から授かった大抵の傷は治せるであろう治癒聖術はあるけど、治るからケガさせてもいいやとは到底思えないし。
どうしようかな……と、私はそんなことを考えながら、やがて眠りに落ちていった。
〇
翌日。私は朝から市場に寄って加工前の小麦を買い足して補充すると、スラム街のジャンさん宅を訪ね、彼と一緒にまたパン配りを始めた。
ただ普通に配っていたら昨日と同じように丸一日かかってしまうので、今日は何人かスラム街で暇をしていそうな人を雇って、一緒にパン配りを手伝ってもらった。
報酬は巨大パンを一個丸ごと。元手は小麦一粒なのでブラック企業も真っ青の低賃金で申し訳ないけど、加工前の小麦は私の心もとない旅の資金から自腹で買っているので、許してほしい。
そんなこんなで最終的には私とジャンさんの二人に加え、手伝ってくれる人を六人ほど見つけ、合計八人でパン配りをした結果。お昼にはもう、列に並んでいたほとんどの人にパンを配り終えていた。
その後はスキルで出した茶色パンでジャンさんと一緒に遅めの昼食を取り、昼過ぎ。
私とジャンさんはスラム街から少し離れた場所にある森に来ていた。
「あの……リシア様。こんなところまで来て、何をなさるおつもりで?」
「スラム街の奥に行くにあたって、調達したいものがありまして。あ、危ないので少し下がっていてください。もう少し後ろへ……もう少し……はい、そこで大丈夫です」
私のジェスチャーに従い後ろへと下がるジャンさん。
これぐらい離れていれば大丈夫だろう。
私は大木と言うには細く、若木と言うには太い、ちょうどいい感じの木の前に立った。
それから深呼吸をして、右手で手刀を作り、綺麗にスッパリお願いします女神様って心の中で念じながら、思い切り腕を水平に振り抜く。
直後、木の幹がスパッと切れて、こちらに向かって倒れてきた。
それを肩でがっしりと受け止める。肩にかなりの衝撃があったけど、全然痛くないし重くない。重量自体は感じるのに重くないっていう不思議な感覚だ。
「は……………………え?」
ジャンさんは目を見開いて呆然としていた。今目に見える光景に理解が追いついていないようだ。気持ちはわかる。驚くだろうな、とは思っていた。
だってこの世界でも手刀で木を切るなんて普通、ありえないからね。
女神様の加護を得る前の私なんて、斧で木を切るどころか、斧で幹に傷をつけるのにすら苦労するぐらいの非力さだったから、最初は本当にビックリした。魔力持ちの木こりですら、普通の人よりかなり木を切るのが早いってだけで、手刀で一撃なんて真似はできないし。
剣の一振りで地形を変えることができたらしい力の聖女様と比べたら、そこまでのことじゃないんだけど。
「私は聖女として最低限、困らない程度の力を女神様からいただいているんですよ。だからこれぐらいのことはできます」
「最低限……?」
「はい、最低限」
そう言ってニッコリ笑うと、ジャンさんはゆっくりと地面に膝をつき、私に向かって両手を組んで祈るように頭を下げた。なぜ。
「急にどうしたんですか?」
「あっ……すみません、初めて……ではなく、改めてリシア様の奇跡を目の当たりにして、気がついたら祈りを捧げていました」
「いま初めてって言いました?」
おかしいな……私、昨日から何度も巨大パン作りにスキルを使ってるんだけど。
疑問に思っていると、ジャンさんは弁解するように慌てて声を上げた。
「す、すみません! その……奇跡となると、聖書に書いてある力の聖女様の印象が強かったもので……」
「あー……」
なるほど。確かに、力の聖女様の逸話は印象深いものが多い。
一万の軍勢を剣の一振りで薙ぎ倒したとか、巨大な湖を剣の一振りで割って渡ったとか。そう考えると、女神教の聖書に『パンを生み出す奇跡』なんて載っていないのだから、私のスキルが聖女としてピンとこないのも無理はないのかもしれない。
「しかしリシア様、そのように木を切っていったいどうするんですか?」
「これはですね、先端の方をまた手刀で切って、ちょうどいい感じの長さにします」
用途を考えると長いほうが良いけど、あんまり長すぎても邪魔になる。だから大体……5メートルぐらいだろうか。
うん、これだけの長さがあれば十分だろう。
先の方にはまだ枝がついているので、それも手刀で順番に切り落とし、表面を整えていく。
「ふぅ……できました!」
「それは……?」
「丸太です」
「丸太」
ジャンさんは目をぱちくりさせ、繰り返すように言った。
不思議そうな顔をして、切り出したばかりの丸太をまじまじと見つめている。
「リシア様……あの、何度も聞くようで申し訳ないのですが、その丸太をどうするんですか?」
「武器として持っていきます」
「武器!?」
ジャンさんの声が裏返った。
真っ当な反応だと思う。丸太を抱えて『武器です』と言われても、普通の人なら困惑するに決まっている。
「はい。スラム街の奥は女性が一人で歩けないほど治安が悪いんですよね? ですから、武器です」
「そ、それはそうですが……しかし、武器、ですか……」
ジャンさんは眉をひそめ、唸っている。
もしかすると、私と違って物騒な想像をしているのかもしれない。
「あ、少し誤解されているかもしれませんが、もちろん積極的に戦おうというわけじゃありません。私は基本的に暴力反対ですから。これは戦わないための抑止力兼、安全装置みたいなものですよ」
「抑止……え? どういうことです?」
ジャンさんが首を傾げる。
どうやら私の考えはまだ伝わっていないようだ。
私は丸太を肩に担ぎ直し、歩き出す。
そして森の木漏れ日が差し込む小道を進みながら、彼に向かって説明を始めた。




