第47話 進化したスキル
「シスターさんだ!」
「じゃあエリュア様も来てるってこと!? 炊き出し!?」
「週末じゃないのに、珍しいね!」
子どもたちがパァッと目を輝かせる。興奮した声が次々と上がった。
彼らの反応を見る限り、どうやらエリュア大司教様は度々ここを訪れているようだ。この子どもたちにとって、シスターの姿は慣れ親しんだものなのだろう。
「ごめんなさい、今日エリュア様は来ていないんです」
私が申し訳なさそうに答えると、子どもたちの表情が少し曇った。
エリュア様を心待ちにしていたのかもしれない。
「えー……じゃあお姉ちゃんはなんで来たの?」
「冷やかし?」
「そういえば見たことないお姉さん……誰?」
今度は疑問符だらけの視線が私に向けられた。一瞬、なんて言おうか迷う。
でも今から自分がやることを考えると、自ずと答えは定まった。
「私はリシア。食の聖女です」
子どもたちにも伝わりやすいよう短く自己紹介すると、ジャンさんが驚いたように目を見張った。
え? それ言っちゃうの? と思ってるんだろう。
確かにまだ聖女として正式認定されていないし、私も最初はただのシスターとして調査しようとは思った。余計なトラブルが起きたら問題解決が遠のくかもしれないから。でも今、目の前でお腹を空かせている子どもたちを見たら、考えが変わったのだ。できることがあるのにしないのは、性に合わない。
「えっ……聖女!? うっそだぁ!」
「いけないんだ~! うそついたら、地獄に落ちるんだぞ!」
彼らも聖女の伝説は知っているようで、男の子たちが私を嘘つき呼ばわりし始める。無邪気な声で騒ぎ立てているが、その表情はどこか楽しそうだ。
一方で、一人だけいた女の子は完全にドン引きしていた。顔を青くして後ずさりしている。
「ちょっと……やめなよ。関わらないほうがいいって。聖女を名乗るとか完全に危ない人だよ。仲間扱いされたら、あたしたちまで処刑されるかも……」
小声で男の子たちを制止しようとしている。彼女なりに彼らを守ろうとしているのだろう。
反応としては真っ当だけど、ちょっと悲しい。
「嘘じゃありませんよ。ほら、見ていてください」
私はそう言って修道服のポケットに入れてある小袋から、一粒の小麦を取り出した。今朝、市場に寄って買ってきた加工前の小麦だ。
それを手のひらに載せ、スキルを使う。
すると、小さな一粒が眩い光を放ち、みるみるうちに膨らんでいく。
子どもたちが息を呑む中、光は収まらず、やがて私の腕いっぱいに抱えるほどの長い茶色パンへと変わった。
「すっっっげぇぇぇ!! なにそれ!?」
「デッッッカ!! それホンモノのパン!?」
男の子たちが一斉に叫び、飛び跳ねるように騒ぎ立てる。
その横で、さっきまで警戒していた女の子がポカンと口を開け、目をしばたたかせていた。
これは昨夜の予行練習で気づいたことだが、今まで様々なものに何度もスキルを使っていたせいか、それともここ数日の体験が要因となったのか、私の力は進化していた。
前から元の素材よりも大きいパンが出来上がることは多々あったが、なんと今では、一粒の小麦からでも巨大なパンを生み出すことができるようになっていたのだ。しかも、栄養価の高い茶色パン――すなわち、全粒粉を使ったパンを。
本当であればここはこの世界の人たちにとって、より上級だとされている白パンを出したいところだけど、彼らには今後、私が出したパンをたくさん食べてもらう予定なので、最初から茶色パンで統一しようと思っている。なぜなら白パンを出したら、間違いなくそればっかり出してと言われるだろうからだ。
そして実際に私がそうしたらどうなるかというと、白パンばっかり食べて脚気になってしまった人が出たクービエ村と同じことが起きてしまう。他の食べ物で補えればいいけど、スラム街ではそれも無理だろうから、間違いない。
ちなみに神食品の召喚に関しては、いい感じの召喚素材が大量に用意できないので諦めた。さすがに一万人以上となると、いくら女神様でも在庫が用意できるかわからないし、ここは在庫とか関係ない通常スキルが一番だ。
「ねぇねぇこれ、食べていい!?」
「もちろん、いいですよ。でもしっかり噛んで、ゆっくり食べてくださいね」
私はそう言いながら、巨大な茶色パンを手のひら大にちぎって、彼らにそれぞれ渡す。
男の子たちは我先にとパンに手を伸ばし、奪い取るように受け取った。
しかしその後すぐ、こちらを睨みつけて抗議の声を上げる。
「そんなおっきいんだから、もっとくれよ!」
「こんなんじゃお腹いっぱいになんないよ!」
「それはそうだけど、ほら、他のみんなも欲しそうにしてるでしょ? だから、みんなにも平等に配らなくっちゃ」
私が諭すように言うと、男の子たちは残念そうにしながらも、しぶしぶ頷いた。
ただスキルを使えばポケットにある麦からまだ沢山のパンを出せるので、これは子どもたちを説得するための方便だ。
本当の理由は、栄養不足の彼らにいきなり大量の食べ物を与えてはいけないから。
長く飢えた人が急に大量の食べ物を摂取すると、リフィーディング症候群と呼ばれる危険な状態を引き起こす可能性がある。そうなると体のバランスが崩れ、最悪の場合は命を落とすことさえあるのだ。
彼らの場合はかなり元気そうなので、もしかしたら心配ないかもしれないけど、他の人たちがどうかはわからない。
だから、最初は少しずつ。みんなの栄養状態が改善するまでは、大量に食べてしまう人が出ないよう気を配る必要がある。
女の子はまだ呆然としていたが、パンにかぶりつく男の子たちを見て、気を取り直したようだ。
ブンブンと勢いよく首を振ってから、近くの男の子に掴みかかる。
「や……やめなって! そんな変なパン食べるの! 毒が入ってたらどうするの!?」
「うっせー! 知るかよそんなの!」
「おれは毒が入っててもいい! 食えるなら!」
男の子たちは女の子の言葉に耳を貸さず、むしゃむしゃと夢中でパンを食べ続ける。
それを見た女の子は、堪えきれないようにこちらを睨みつけてきた。
「これはただ大きいだけで、普通のパンですよ。ほら、あなたも……どうぞ」
私は巨大な茶色パンをもう一度ちぎり、手のひら大にして差し出した。
女の子は男の子たちにチラリと視線を送り、その食べっぷりを確かめてから、恐る恐る手を伸ばす。
彼女は受け取ったパンを両手で抱えるように持ち、じっと見つめるばかりで、まだ口へ運ぶ気配はなかった。
その間にも、私が子どもたちにパンを配っている様子を見ていた周囲の人たちが、ぞろぞろと寄ってくる。痩せこけた大人や幼い子どもたちが、目を輝かせ、あるいは警戒心をあらわにしながら、じりじりとこちらへ歩み寄ってきた。
「皆さんにも順番にお配りしますね。見ての通り、パンはまだ沢山ありますから」
声を張ってそう言うと、人々は一瞬ざわめいた後、素早く私の前に並び始めた。
一気に押し寄せてくるのではなく、整然と一列になって待っている。
大司教様が度々ここを訪れて炊き出しをしているらしいし、並ぶのには慣れているのかもしれない。
私は手のひら大にちぎったパンを次々と配っていく。ただ思った以上に集まってくる人が多く、あっという間に手持ちのパンは配り終えてしまった。
でも問題はない。元になる小麦の粒はまだまだ沢山ある。私は再びポケットに入れた袋から小麦を一粒取り出し、スキルを発動して巨大パンを生み出す。
すると、さっきとは違い注目されていたせいだろうか、周囲からどよめきが起こった。驚きの声、感嘆の声、半信半疑の声……人々の視線が一斉に集まる。
「自分もパン配るの、手伝いますよ」
そんな中、私の隣にジャンさんが歩み寄り、手を差し出してきた。
よく見ると人が人を呼んで、今や並んでいる人々は長蛇の列になっている。
確かに、これだけの人々にパンを配るのは一人だと大変だ。ジャンさんの申し出はとても助かる。
「ありがとうございます。では、お願いします」
私はもう一度スキルで巨大パンを生み出し、それをジャンさんに渡した。
それから自分も再びパンをちぎって配り始める。ジャンさんも同じように、列に並ぶ人々へ丁寧にパンを手渡していった。
二人で配り始めると効率が上がり、列の進みも早くなった。
周囲ではすでに並び終えて列から外れた人々が、嬉しそうな顔でパンを食べている。
そんな大勢の人たちの姿を見て安心したのか、先ほどまでパンを抱えたまま動こうとしなかった女の子も、意を決したように小さく口を開いた。
恐る恐るパンにかぶりつき、やがてゆっくりと噛み始める。
その様子を見て、私は胸を撫で下ろした。




