第42話 究極の料理
しばらく待った後、中庭に戻ってきたルシアン殿下の背後には、複数の料理人らしき人々が続いていた。彼らは二台の配膳用台車を押しており、一台には大きな寸胴鍋が、もう一台には大きな窯が載せられている。
「そろそろ夕食の時間だからな。せっかくの機会だ。今夜オレが食べる予定だったものに奇跡を起こしてもらおうか」
ルシアン殿下は腕を組みながらニヤニヤしていた。
何を企んでいるのかは知らないけど、今夜食べる予定だったなら非常識なものは出てこないだろう。
しかし、ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間。
マティアス殿下が、先頭に立つ白いシェフ帽を目深にかぶった老人を見て、目を見開いた。
「なっ……オノレ・ラクロワ翁!? ということはまさか、その鍋の中身は……!」
「ふん、気がついたかマティアス。そうだ。この鍋の中身は……パルファム・エピセ・デュ・シエル・エ・ドゥ・ラ・テールだ!」
ぱるふぁむ……なんて?
私が呪文みたいな名前に戸惑っている横で、マティアス殿下がまるで想像だにしなかった強敵の出現に焦っている味方の有識者みたいな感じで呟いた。
「や、やはりパルファム・エピセ・デュ・シエル・エ・ドゥ・ラ・テールだったか……」
「マティアス殿下、知っているのですか?」
「はい。パルファム・エピセ・デュ・シエル・エ・ドゥ・ラ・テールは、王国二大料理店の一つ、『金獅子亭』の元グランド・キュイジニエで、『この世すべての料理を極めたシェフ』の二つ名を持つ王国宮廷料理顧問、オノレ・ラクロワ翁が作り出した、究極の料理です」
――究極の料理。
その響きに、私は思わずごくりと唾を飲み込んだ。
ちなみにグランド・キュイジニエとは、王様に認められた特別な料理人だけに与えられる称号で、名誉職ながらも宮廷の晩餐会で主賓として迎えられることもあるほど偉いらしい。その地位は一流の貴族と対等に会話できるほど高く、料理界ではほぼ伝説級の存在だとか。
これは市井の料理人に与えられる称号なので今は元グランド・キュイジニエという話らしいが、オノレ・ラクロワ翁は現役を退いてなお究極の料理を探求し続け、王国宮廷料理顧問という立場でその、ぱるふぁむなんちゃらを作り出したのだという。
「だが、オレはこのパルファム・エピセ・デュ・シエル・エ・ドゥ・ラ・テールに不満がある。それは熱々でなければ美味しくないことだ。冷えたら脂が固まって、食えたもんじゃない。それに時間を置いて食べる際にいちいち温めるのを待つのも苦痛でな。そこでだ」
ルシアン殿下が勢いよく指を立てる。
その赤い瞳には勝利を確信したような光が宿っていた。
「一つ、このパルファム・エピセ・デュ・シエル・エ・ドゥ・ラ・テールを冷めても美味しく食べられるようにしろ。二つ、時間を置いて食べるときでもすぐ食べられるようにしろ。この二つを聖女の力とやらで実現できたなら、オレはスラム街の問題に取り組む許可を出そう」
「なっ……無茶だ!」
ルシアン殿下の言葉に、マティアス殿下が椅子から立ち上がって抗議する。
「パルファム・エピセ・デュ・シエル・エ・ドゥ・ラ・テールはつい最近作られた新しい料理! しかも世界各地から取り寄せた多数の香辛料を使い、複雑怪奇な調理法により出来上がるという! それだけならまだしも、その詳細なレシピは作ったオノレ・ラクロワ翁本人しか知らないという神秘の料理でもあります! そんなものをいきなり改良しろだなんて……!」
「無理なら無理でいい。そうなればオレはそのシスターが聖女だとは認めないだけだ。そして当然、聖女を名乗る得体の知れないシスターが、スラム街の問題に取り組むことなど許さん」
ルシアン殿下が腕を組んでふんぞり返る。
その態度を見て、私は眉をひそめた。
……怪しい。
このままであれば教会がスラム街の問題を解決できないのは明らかで、そうなれば結局その問題は再び王家に返ってくるはずだ。なのにこの態度は……聖女うんぬんの話とは別で、なんだかスラム街の問題を解決してほしくないようにさえ見える。
王城で門番をしていた衛兵さんの話を思い出す。
もしかして……教会が音を上げるのを待って、強硬手段を取ろうとしている?
まさか。でも、仮にそうだとしたら……いったい何のために?
「どうした。負けを認めるか。であれば今後一切……」
「待ってください」
一方的な要求をいつの間にか勝負事にされているのが謎だし、見たことも聞いたこともない料理の改良なんて、まさしく無理難題だけど……やる前から諦めたら何も始まらない。
「わかりました。やれるだけやってみます。まずはその料理を見せてください。まさか、見もせず触れもしないで改良しろ、なんてことは言わないですよね?」
「……ふん。いいだろう。おい」
ルシアン殿下はつまらなそうに鼻を鳴らすと、控えていたメイドさんの一人に指示を出した。メイドさんは窯からお米を深皿によそい、そして寸胴から例のぱるふぁむなんちゃらをお玉ですくって、お米の上にかける。
その瞬間、私は衝撃を受けた。
漂ってきた香りが、あまりにも複雑かつ濃厚で――香辛料の刺激が鼻腔を駆け抜け、同時に食欲を無理やり引きずり出すような力強さを持っていたのだ。
いや、それだけじゃない。
私が衝撃を受けたのは、それだけじゃなくて――
「どうぞ。こちらパルファム・エピセ・デュ・シエル・エ・ドゥ・ラ・テールです」
メイドさんが、『それ』を私の前にそっと置いた。
「これって……」
――カレーじゃない?




