第38話 無理難題の行方
王城前の広場は夕方になって日が傾き始めても、人や馬車の往来が絶えないようだ。
私はそんな広場を抜け、城を囲む堀にかかる大橋を渡った。
やがて大きな門の前で立ち止まる。
門の両脇には、槍を構えた二人の衛兵さんが立っていた。
「こんにちは」
できるだけ明るく、満面の笑みを浮かべて声をかける。
第一印象は大事だからね。
「こんにちは。何かご用ですか?」
槍を手にした若い衛兵さんが一歩前に出て、笑顔で応えてくれる。
「はい。教会本部から来ましたリシア・ロウベルと申します。マティアス殿下への取り次ぎをお願いしたいのですが」
マティアス殿下とは、大司教様が話していた『人となりはともかく、少なくとも話は通じる』ヴェルディア王国の第二王子だ。
「かしこまりました。マティアス殿下への取り次ぎですね。失礼ですが、殿下とはお約束がありますか?」
「約束はしていませんが、大司教様からのお手紙を預かっております」
懐から封書を取り出し、両手で差し出す。
「承りました。少々お待ちください」
若い衛兵さんは手紙を丁寧に受け取ると、門の内側へと姿を消した。
残ったもう一人、中年の衛兵さんが私をじろりと一瞥する。
「教会からここに来る人間は大体覚えているが……あんた、見ない顔だな」
「ええ、王都には最近着いたばかりで」
最近というか、正確に言えば今日なんだけどね。
細かいことを話すと怪しまれそうだから、言わないけど。
「そうか。今日は何の用で来たんだ? これは雑談だから、答えられなかったら答えなくてもいい」
「詳しいお話はできませんが……スラム街の件で来ました」
「あぁ……なるほど」
彼は眉をひそめ、納得と同情の入り混じった表情を浮かべた。
「もしかして、事情をご存じなのでしょうか?」
「噂になっているからな。王家が教会に無理難題を押しつけたって」
「無理難題、ですか……」
「そりゃそうだろう。王都の役人が半ば無理やり地方に受け入れ体制を作らせて、限界まで住民を移送して……それでも余った連中が今のスラム街に残っている奴らなんだろ? どうしようもない奴らも相当いるって話だし、教会に何かできるとは思えないな」
なるほど、スラム街の件は王城の衛兵さんでも知っているほどの噂になっているようだ。
それにしても――無理難題、か。
大司教様も『無茶ぶり』って言ってたし、やっぱりそういう認識なんだ。
だとしたら、少し気になることがある。
「もし仮に、王家が教会側に何かできるとは思えないと考えたうえで、無理難題を押しつけたとしたら……それは、なぜでしょうか?」
「それは……なんだろうな。よくわからんが、政治的なものがあるんじゃないか?」
「政治的なもの?」
「ああ。……いや、別に何か俺の考えがあるってわけじゃないぞ。適当に言っただけだ」
そう言いつつも、衛兵さんは少し目を泳がせた。
うーん、怪しい……何か言いたいことを飲み込んでいるように見える。
もしかしてこれ以上、王家の事情に触れるのを避けているのだろうか。
「でしたら勝手な想像でも大丈夫なので、お聞かせくださいませんか?」
「そうは言ってもな。俺もただの一兵卒とはいえ立場上、憶測でものを言うにも限度がある」
「お願いします。女神様に誓って、絶対に誰にも話しませんから」
私が両手を組んで祈るように言うと、衛兵さんはギョッとした表情で目を見開き、慌てたように周囲を見回した。
「お、おい……こんなことで女神様を持ち出すな。しかもシスターが。誰かに見られていたらどうする」
衛兵さんはチラチラと辺りを気にしながら、声のボリュームを落とした。
私はそれを気にせず、真っ直ぐに彼を見据えながら言う。
「それだけ真剣だということです」
この世界では女神様の御名を口にするのは禁忌とされているが、それに似たようなもので『女神様への誓いは軽々しくしてはならない』というものがある。
御名を口にする禁忌と違い、こちらは誓い自体が法律で禁止されているわけではない。
それでも、この程度のことで女神様に誓ってはならないのは常識だ……というのが私の持っている知識だったけど、この反応を見る限りそれは王都でも同じみたいだ。
「お願いします。些細なことでも、それを私が知ることでスラム街の改善、ひいては女神様のためになるのです。死んでも口外はしませんから、どうか……」
「わ、わかった! わかったよ! 俺の勝手な想像でいいなら、いくらでも言うから! だから重すぎる発言を連発するのはやめてくれ! 怖えよ!」
衛兵さんは耳を両手で塞ぎながら後ずさりした。
そんなに重い発言をしているつもりはないんだけどね。
スラム街が良い方向に改善してみんなが幸せになれば、それは幸せな人間を眺めるのが好きな女神様のためにもなるのは事実だし。
それに『死んでも口外しない』と言った私自身、滅多なことじゃ死なない。
「ご理解いただけて嬉しいです。では、どうぞ勝手な想像を仰ってください」
「ったく……あくまでこれは俺の想像で、独り言だが……王家が教会にスラム街問題っていう無理難題を丸投げしたのは、王国議会のせいだと思っている」
衛兵さんは改めて周囲を確認してから、小声で話し始めた。
どうやらかなり言いにくいことのようだ。
「最近の王家は議会にあれこれ文句をつけられて、身動きが取れないって話だからな。独裁ができなくなったって言えば聞こえはいいが、現状だと本来やるべきことをやれなくなったって言うほうが正しい。だから王家はできないのを承知でいったん問題を丸投げして、教会が『無理難題だ』って音を上げるのを待ってるんじゃねえかな」
「それって……教会が音を上げたら、どうするんですか?」
私が問い返すと、彼は一瞬だけ口ごもり、それから唇の端をわずかに歪めた。
「そりゃそこまでいったら、王国軍を出して強硬手段を取るって方向に持っていくしかないだろ。最後の慈悲である教会が無理だって言うんなら、それはもう穏便な方法は無理だからな。議会も代案が出せない以上、王家に難癖つけるのはやめると思うぜ。そもそもスラム街をなんとかしろって言い始めたのは議会だしな」
「まさか……さすがに、そこまでのことはしないんじゃ……」
「どうだかな。今スラム街にいる連中ってのは、まともに税金も払ってないって話だ。普段は何かと対立してる王家、貴族、平民も、こればっかりは一致団結するんじゃねえかな」
衛兵さんはうつむき、暗い声色で呟いた。
「少なくとも俺は、スラム街の連中を力ずくで追い払うのは賛成だぜ。病気は蔓延するわ、犯罪者の巣窟だわ、異常に安い賃金で仕事を奪うわで何ひとつとして良いことがない……と、来たか」
顔を上げた彼の視線の先には、こちらに小走りで駆けてくる若い衛兵さんの姿があった。
「ま、最初に言った通り、今のは俺の勝手な想像だ。本当のところは王家にしかわからねぇ……が、あながち間違っちゃいないと思ってるぜ」
そう締めくくると、彼はふっと息を吐き、駆け寄ってきた若い衛兵さんを迎えるために一歩踏み出した。




