第36話 一番重視するのは
「つまり何が言いたいかっていうとね、腹を割って話しましょうってこと。私ね、無駄な探り合いとか、面倒な会話の応酬とか、嫌いなの。そういうのは枢機卿団の爺さん婆さんだけで十分。それにアナタ、自称聖女とはいえ地方の平民出身なんでしょ? だったら変に取り繕うよりも、正直に本音でやり取りしたほうが早いわ。アナタだってそのほうがいいでしょ?」
「ええと……そうですね」
自称聖女、という言われ方が先行き不安で少し気になるけど、でも正式に認められていない以上はその通りだと思うので、頷いておく。
「理解が早くて助かるわ。それで、アナタの目的は?」
「先ほどヘレナさんにもお話ししましたが、こちらで聖女として認められてから正式な使者として聖教国へ向かい、聖教国でも認定を受けたら次は帝国へ……」
「それはもうヘレナから聞いた。そういう話じゃなくて」
大司教様はわざとらしく手をひらひらさせ、私の言葉を途中で遮った。
「私はね、アナタ自身の話を聞きたいの。聖女になって、アナタは何を得たいの?」
「何を得たいか、ですか……?」
「そう。地位、名誉、権力、富……アナタが重視するものはどれ? 全部でもいいけど、その場合は優先順位をつけて」
「えぇ……?」
今さっき、探り合いとかしたくない的なこと言ってませんでしたっけ……?
あ、そういえば『無駄な探り合い』って言ってたから、これは無駄じゃないってことかな。それとも探り合いじゃなくて、一方的に探るのはありとか?
「なに? そんな聞かれて困るようなこと? ……あぁ、もしかして一番重視するのは」
「食事です」
私は食い気味に答えた。あれこれ考えるのはやめよう。
大司教様も正直に本音でやり取りしたほうが早いって言ってたし。
「食事? ……富ってこと?」
「富はあるに越したことはないですが、富があっても食事がダメなら意味がないので、やっぱり食事ですね」
今は三日間の遭難で疲れているから、『お休み』という単語も一瞬頭に浮かんだけど、それはそれとして重要なのはやはり食事だ。
女神様に詰められた結果とはいえ、食で世界平和を訴えているほど食べることが好きなのだから、当然といえば当然なんだけど。
「……そういえばアナタ、食の聖女って話だったわね。意味がわからないけど」
「はは……」
そう言われると笑うしかない。
私自身、女神様が『今までまともな人選でダメだったから、今度はまともじゃないのを聖女に選ぼう』という動機で私を選んだんじゃないか疑惑が拭えないからだ。
「まあいいわ。アナタが知恵とか力の聖女だったら、さすがに私もそんな答えじゃ納得しないけど……食の聖女で、しかも目的は戦争を止めることなんでしょう? 世界を統一するために戦争を始める、とかではなく」
「もちろんです」
「なら結構。聖女認定、私はしてもいいわ」
「本当ですか!?」
まだ大司教様には直接スキルも見せてないのに、話が早い――と思ったのも束の間。
彼女は肘掛けに頬杖をついて言った。
「ただし、それには枢機卿団という、頭の固い爺さん婆さんの集まりにも許可を得ないといけないの。で、彼らは何の実績もない人間を聖女として認めることは、まずない。力の聖女みたいに派手な奇跡だったらともかく、アナタの地味な奇跡じゃね」
「そ、そんな……」
「だから、功績を作ってちょうだい」
「功績……ですか?」
王都の噴水から一年中プリンが湧き出るようにして、子どもたちに無料開放するとか? なんて妄想をしている間にも、大司教様の話は続く。
「そう。ちょうど教会本部というか、私が頭を悩ませている案件があるのよ。それがまあ、王都のスラム街をどうにかすることなんだけど」
「スラム街……?」
なぜ教会本部の大司教様がスラム街に頭を悩ませるのか、正直ピンとこない。王都のスラム街なんだから、それって教会ではなく王国の問題では?
そんな考えが表情に出ていたのか、大司教様は大きくため息をついて肩をすくめた。
「本来は王国というか、王都を治める王家の管轄なんだけどね。王家からの無茶ぶりで、うちにお鉢が回ってきたのよ。『王家にそんな金はない。教会には毎年寄付してやってるんだから、お前らでなんとかしろ』ってね」
「えぇ……」
「実際のところ今の王家は昔と比べて貧乏で、教会も大して寄付はもらってないんだけど……さっき言った王国教会の枢機卿団には、元王族も無駄に沢山いてね。王家からの無茶ぶりが通ってしまったわけ。女神教の教義では弱者救済を掲げているから、そこを突かれたのもあるけど」
大司教様は呆れたように、机の上をトントンと指で叩きながら言った。
「ただ面倒なことに、教会の誰が、どうやってスラム街の問題を解決するにしても、王家の許可なしには動けない。なんとかしろとは言われてるけど、一応王家の土地だからね」
「じゃあ……まずは王家の許可を?」
「そういうこと。で、窓口は――大臣や宰相は軒並み話にならないから、第一……いや、第二王子を通したほうがいいわね」
「第二王子……」
「ええ。人となりはともかく、少なくとも話は通じるわ」
大司教様はそう言うと、懐から教会本部の印が押された封筒を取り出し、机の上を滑らせて私へ差し出した。
「これを持って行きなさい。私からの紹介状よ」
さり気なく差し出された封筒を受け取りながら、若干の違和感を覚える。
あれ……なんか、準備が良すぎない?
この紹介状が用意されてたってことは、さっき私に色々と話を聞く前から、すでにこの流れを想定してたということだ。
期待されていた、と言えば聞こえがいいけど……どんなふうに受け答えしたとしても結局、この流れに誘導されたのかも、なんて考えてしまうのは穿ち過ぎだろうか。
「何か気になることでもあるの?」
「あ、いえ……そういえばスラム街のことですが、具体的には何を解決すれば良いでしょうか?」
「スラム街の住民が、全員いなくなれば解決ね」
「…………え?」
あまりにも物騒すぎる一言に、心臓が一拍遅れて跳ねた。
まさか大司教様が、そんな恐ろしいことを平然と口にするなんて。
返す言葉が見つからず唖然としていると、大司教様はジト目でこちらを見ながら小さくため息をついた。
「あのね……私は何もスラム街の住民を無理やり追い出せとか、ましてや闇に葬り去れなんてことを言ってるわけじゃないわよ。当たり前の話だけど」
「あっ……そ、そうですよね!」
ビックリした……私が勝手に勘違いしただけか。
そりゃそうだよね。物騒なのは私の頭だった。
「私が言ってるのは、彼らと揉め事を起こさず、穏便にスラム街から出て行かせてほしい、ってこと」
「なるほど、揉め事を起こさず穏便に……」
……あれ?
それって言い方が変わっているだけで、結局やることは追い出すのとほぼ同じでは?
「アナタが言いたいこともわかるわ。だけど、王国側にも事情があるのよ」
大司教様によれば、スラム街は長らく税も払えない貧民の集まる場所だったが、疫病や犯罪の温床となり、さらに都市開発や美化の観点からも『無くすべき』という結論が王国議会で出されたらしい。
とはいえ出稼ぎで王都に来て、行くあてもない住民たちは立ち退きに応じず、問題がこじれているのだという。
「地方には受け入れてもらえないんですか?」
「それはもう王都の役人側で可能な限りやったらしいわ。故郷がある者は問答無用で故郷に返して、故郷がもうない者は地方にバンバン押しつけて……それでもまだ、スラム街には多くの貧民が残っているのよ」
「多くって……どれぐらいですか?」
可能な限り故郷とか地方に受け入れてもらったという話だけど、王都は元の人口が地方より多いから……千人ぐらいはいるのかな?
「正確な数はわからないけど、役人は一万人以上って言ってたわね」
「一万人以上!?」
想像の倍どころじゃなかった。
文字通り桁が違う。
「あの……その人たちに全員、出て行ってもらうのは無茶というか、かなり無理があるのでは……」
「そうね」
あっさり認められて、逆に返す言葉を失った。
すると大司教様が立ち上がり、すらりと伸びた指先で私の肩をポンと叩く。
「だから頼んだわよ、聖女様。私にアナタの伝説を見せてちょうだい。解決した暁には、ちゃんと功績として枢機卿団に報告して、アナタを聖女認定してもらえるようにするから」
「は……ははは……」
もはや乾いた笑いしか出てこない。
こうして私は思っていた以上に困難で、逃げ場のない依頼を引き受けることになってしまったのだった。




