第35話 もうただ純粋に
そして王都に着くまでは散々だったものの、厚遇を受けてすっかり落ち着いた今、私は教会本部の客室で一人の女性と向かい合っていた。
「それでリシアさん、体調はどうかしら? 治癒聖術による治療は必要ないという話だけれど、もし遠慮しているようだったら……」
「お気遣いありがとうございます、司教様。でも本当に大丈夫ですから」
彼女の名はヘレナ・マリセラ。茶髪の中年女性で、ふくよかな体つきと優しげな雰囲気が印象的な、女神教の司教様だ。
「もう、そんな堅苦しい呼び方しないで。ヘレナでいいわよ、ヘレナで。もっと気楽に話してちょうだい。近所のおばさんだと思って。ね?」
「わ、わかりました……ヘレナ様」
「まだ堅いわねぇ……」
「……ヘレナさん?」
「うん、それぐらいがいいわ」
ヘレナさんはそう言って、ニッコリと笑った。
先ほど若いシスターさんに紹介してもらったときの話によると、なんとこちらのヘレナさん、教会本部の司教様では二番目に偉い立場なのだという。
偉いのにまったくそんな風に感じさせないところは、聖書の『女神様の前に人はみな平等』をあえて体現しているのだと思われる。
都会は既得権益の汚職と癒着でどうしようもなくなっていると思っていたけど、王都教会本部のナンバーツーが彼女のような人だということを考えると、実はそこまで腐ってはいないのかもしれない。
「それで、リシアさん。大変だったと思うんだけれど、ここへ来るまでに何があったのか……話せるかしら?」
「ええと、その……」
なんて言えばいいんだろう……いや、本当はわかってる。
スキルを見せて、真っ向から『聖女です』と名乗るしかないということは。
ただ今までの経験上、そう簡単に信じてもらうことができないというのは、すでにわかりきっている。
そう考えると……もうただ純粋に、億劫なんだよね……。
これまでそんなこと考えたこともなかったけど、今は三日間も森の中をさまよって疲れ果てているせいか、少し休ませてほしい、と思ってしまう。肉体的には加護のおかげか問題ないんだけど、精神的にね……。
そんな憂鬱な感情が伝わってしまったのだろうか、ヘレナさんは私の手にそっと触れて、優しく微笑みながら言った。
「……大丈夫。話したくなければ、話さなくてもいいのよ」
「ヘレナさん……」
彼女の優しい言葉が胸に染みて、私は決意した。億劫なんて言ってる場合じゃない。すんなり聖女と信じてもらえる妙案や、裏技、近道なんてものはないのだ。
ただただ誠実に、一生懸命、信じてもらえるまで何度も女神様の奇跡を見てもらうしかない。疲れていようがなんだろうが、それが私にできる唯一のことなのだから。
あと、王都の教会本部で司教様を相手に『疲れたから聞き取りは明日にしてくれません?』って言いにくいし。
「ヘレナさん。今から私が言うことは、すごく突拍子もなくて信じられないことだと思います。ですが、その……」
「信じるわ」
ヘレナさんは即答すると、私の手を両手でギュッと握りながら微笑んだ。
「他の誰が信じなくても、わたしだけは信じるから。安心して」
「……ありがとうございます、ヘレナさん」
それから私は意を決して告白した。
自分は女神様から奇跡の力を授かった聖女であること。
これまでの出来事、帝国軍との遭遇、そしてこの王都に辿り着くまでの経緯と目的。
すべて順を追ってできるだけ簡単に、わかりやすく説明した。
ただやはりというべきか、その間ヘレナさんの顔にはうっすらと困惑の色が浮かんでいた。まあ、そうなるよね。
見た感じ表情は優しいままだったけど、目の奥には間違いなく戸惑いがあった。
あれだけ『信じる』って言ってくれたのに、今にも『精神的な疲労からくる幻覚の可能性もあるわ』と言われそうな雰囲気すらあった。
だから私は詳しい話を切り上げ早々に、女神様の奇跡を見せることにした。
幸い、この教会本部には今まで神食品の召喚素材にできた食材が複数あった。
お米からは『サトウのごはん 魚沼産こしひかり 200g』。
芋からは『カルビー Jagabee うすしお味』。
肉豆からは『森永製菓 おいしい大豆プロテイン コーヒー味 900g』が召喚できた。
一時期品切れだったお米や芋からも神食品が召喚できるということは、女神様があれから食品を補充してくれたのだろう。さすが女神様。当初は利用が危ぶまれたネットスーパーを、今やすっかり使いこなしているようだ。
ヘレナさんは私が神食品を召喚するたび真剣な表情になっていった。
そして一通りスキルを使って神食品と、恒例となったリースト村の異様に長い1メートル白パンを机の上に並べると、彼女は小さく息をついてから、目を細めるようにして私をじっと見つめた。
その瞳の奥に、先ほどまでの困惑はなかった。
代わりにあったのは、何かを見極めるような視線。
司教としての真剣なまなざしだった。
「……少し、待っていてもらえるかしら」
そう言ったヘレナさんは、席を立つと部屋の外へと出ていった。
〇
しばらくして、扉が開く音とともに足音が近づいてきた。
入ってきたのは腰まで伸びた真紅の髪をなびかせた、若い女性。
年齢は私とそう変わらない。たぶん二十代前半くらい。
整った顔立ちに淡い赤の瞳が印象的で、赤と白を基調とした司教服に身を包んでいる。ヘレナさんよりも遥かに豪華なその服は、いたるところに金色の刺繍がしてあって、いかにも偉そうな人、という感じだ。
女神教の服は清貧の証しとして紺色で地味なものが多いし、ヘレナさんの司教服ですら多少デザインが他の修道服や司祭服と違うぐらいだから、この女性の服装がいかに異例であるかがよくわかる。
「私はエリュア・フラメル・ヴァンドレッド。王都ルクレスタ教会本部の大司教よ」
彼女は私に近づくや否や、腕組みをしながら堂々と名乗った。
「ご丁寧にありがとうございます。私はリシア・ロウベルと申します」
「知ってる。アナタが今、『え? コイツが大司教? 絶対に縁故でゴリ押しされたバカ女じゃん。服装からしてそれがにじみ出てる。ないわー』って思ってることも知ってる」
「お、思ってませんが!?」
ビックリした。心の中を読まれたのかと思った。バカ女なんて思ってないけど、年齢からして絶対に縁故だろうなとは思っていたから、ドキッとした。
「いいのよ、別に。事実だから。私の家はヴェルディア王国王家とズブズブで親戚関係だし。王国教会の方針を決める枢機卿団だってウチの一族がほとんどだし」
「な、なるほど……?」
随分と正直な人だ。
事実だとしても、自己紹介でそこまで言わなくてもいい気がするんだけど。
そんなことを考えながら戸惑っていると、大司教様は部屋のソファにドカッと座って足を組んだ。




